87 二つの『制約』と二つの『軛(くびき)』
紀元前74年2月。
冬の冷たい潮風が吹き抜ける、ローマの玄関口──オスティアの港。
大航海時代のキャラック船の模造船を造り始めてから1年と3ヶ月、ついに100トン級の重さの船が完成した。
今日はそのお披露目の処女航海が行われる日だ。
真新しい帆船を見上げて、大富豪マルクス・リキニウス・クラッススは目を細めた。
「レン、これが遥か東の島国の船──キャラック・ニッポン型と言う船か?」
レンは造るのに『苦労したぜ』と言わんばかりの顔で頷いた。
実際は、始めだけ船大工たちを指導しただけで、途中からは殆ど丸投げだったが、それはそれだ。
「はい、クラッスス様。これが日本の船です!」
「ふむ。見かけは威風堂々として立派だが、長さが足りておらぬな。アンフォラの壺が1200個積めるローマの船と、同等の重さの船を造ると申しておったが、本当にこれで1200個も積めるのか?」
ローマの伝統的な商業輸送船は、積載量を増やすために船体を前後に長く伸ばすのが常識だった。
それに比べて、レンが建造した船は、横幅は同程度だが、長さが短くなっていた。クラッススが首を傾げるのも無理はなかった。
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★ローマの船
長さ:横幅
3:1〜4:1
★初期キャラック型
長さ:横幅
2.5:1〜3:1
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「大丈夫です、クラッスス様。最終確認をしたところ、この船には1800個のアンフォラの壺を積むことが出来ます」
「何だと、この大きさでか!?」
レンはニヤリと頷いた。
「はい。この船は通常の船の1.5倍の高さがあるのです。その影響で、船倉の高さは通常の2倍――つまり荷が2倍入るのです」
「っ……!」
クラッススの頭脳は実業家として素早い損益計算を始めた。
通常、ローマの船は1200個のアンフォラが積める場合、その利益内訳は以下のようになる。
まず、長旅に備えて船倉の3分の1にあたる400個分のスペースが、物理的に水と食料を積むスペースとして潰れる。
そして残りの800個分のスペースに商品を積む。そして売り上げた800個分の金額の半分――400個分ほどが、船員たちの給料(人件費)や食料費、仕入れ原価、船の維持費といった『経費』として消えるのだ。
──そのため、手元に残る実際の純利益はアンフォラ400個分の売上にすぎない。
だが、レンの造ったこの新型船はどうだ。
純利益となる積載量が600も増え、利益分の商品が1000になる。
更に、船体そのものは前後に短くコンパクトになり、帆の操作性が改善されたため人員が少なくて済む。そのため動かすのに必要な船員の数は減り、彼らのための食料スペースも劇的に減る。
つまり──
★船員が減った食料等のスペース増加 +100個分
★減った人件費や維持費 +100個分
★仕入れ原価の増加 −50個分
★元の利益 +400個分
★増えた積載量 +600個分
合わせて──純利益は1150個分、約3倍の利益となる。
だが――それだけでは無い。
逆風でも荷を運べるため、ローマ船が1往復する間に、キャラック船は2往復する事が可能だ。
計算上、利益は3倍、往復回数は2倍──つまり6倍の利益が見込めるのだ。
「さすがだ、レン! これまでの商船など、この船から見れば赤子も同然! この船が、これからの海上輸送の主役になることは間違いない!」
クラッススは興奮を隠しきれない様子で、レンの肩をがっしりと掴んだ。
その燃えるような瞳には、既に地中海の富を独占する己の姿が映っているようだった。
レンは自慢気に胸を張った。
「積載量以外にもメリットがあります。キャラック船は、これまでの船よりも甲板の高さが高いため、甲板に配置されたバリスタの効力も格段に上がります。さらに弓を持った船員は上から見下ろしながら、敵の船員に射掛けることが可能になるのです」
クラッススは目を見開いた。
「素晴らしい! さっそく、他の造船所も買い取り、増産を始めよう! いや、私だけでは資金が足りぬな! 私に忠誠を誓う商人にも造船所を買い取らせ、この船を造らせた方がよいな!」
クラッススは興奮気味にまくし立てたが、レンは冷静に首を振った。
「クラッスス様、それでは一時的に儲けられても、ローマの流通網を完全には支配することは出来ませんよ」
「何だと……」
クラッススが鋭い目つきでレンを睨んだ。
「いいですか? ここは造船所のオーナーたちに『選ばせてやる』のです」
「⋯⋯何の話だ?」
「この船の大増産が始まれば、クラッスス様の一派以外の造船所や商人は、必ず技術を盗もうとするでしょう」
「だろうな。だが、そう簡単には盗ませたりはさせぬ」
「はい。ですが、造船に関わっている者は、奴隷を含めればローマ周辺(イタリア半島)だけで数万人──地中海全体では数十万人も及びます。これでは、どんなに隠しても技術はいずれ流出するでしょう。そこで、こちらから先に造船所のオーナーに手を差し伸べて、支配下におくのです」
クラッススは『支配下に置く』と言う話に関心を示し、目をギラリとさせる。
「⋯⋯ふむ。どのようにだ?」
「造船所に技術を教える代わりに、フランチャイズ契約を結びます」
「フランチャイズ……? なんだそれは」
「えっと⋯⋯船の造り方を教える代わりに、一隻造るごと、あるいは年ごとに『技術料』を払わせる仕組みです」
クラッススは鼻で笑った。
「バカを言うな。いいか、商人や造船所のオーナーどもを甘く見るな。一度船を造る技術を教えれば、翌年には契約を切り、覚えた技術で勝手に増産するに決まっている」
レンは不敵に微笑んだ。
「だから──2つの制約と隠された『罠』を仕掛けるのですよ」
「制約と罠?」
レンはニヤリと笑い、頷いた。
「はい。まず第一に、契約内容にクラッスス様の許可した相手にしか船を売らないこと。契約を勝手に終了した場合、3本マスト以上、または帆が3枚以上ある船を造った場合には、造る度に違約金を払うという契約を結ばせるのです」
「ふむ……。確かに3本マストは我らの技術と言ってよいだろう。だがしかし…⋯まあよい。それで次は?」
クラッススは一瞬でレンの提案の弱点を見ぬいていた。
造船所のオーナーの1人が、クラッススの傘下に入り、技術を他の仲間に教えれば、その1人の廃業だけで済むのだ。
「第二に、造船所が船を売る相手には、こちらの条件の契約をした者に限定します」
「どのような契約だ?」
「海運部門の連盟を作ります。海運連盟はマストが3本以上、もしくは帆が5枚以上ある船は、今後は造船所連盟以外からは買わないこと。造船所連盟が造った船以外でローマ内で交易する商人を発見した場合は報告すること。そして、連盟以外のこの型の船で商売する商人とはローマ国内では取引をしないと言う契約です。警告を無視して商売を続ければ、船を無料で返却し、脱退させます。この契約が嫌と言うなら船は売りません。この船を使わずに、この船を使う商人に勝てるか見せて貰いましょう」
「うむ、発想は悪くない。だが――無理だ。その契約はもって3年だ。最初は私に従ったフリをするだろうが、造船所のオーナーも商人も技術を習得すれば、徒党を組んで契約を破る。そうなれば私に従っていた者も連盟から離反し、私は信頼も力も失うことになる」
レンは鼻で笑い、平然と応える。
「そこで罠の出番です。この仕組みにローマを巻き込んでしまうのです」
「ローマを?」
クラッススは、平民の分際でローマを巻き込むという、レンの身の程知らずな言葉に眉を寄せた。
「いいですか? クラッスス様をいずれ裏切ってやろうと思っている奴らは、クラッスス様と契約したと思って、腹の中ではいつ裏切ってやろうかと笑っているでしょう。だから、連盟の盟主の座をローマに譲って、裏切れなくしてやるのですよ」
クラッススが支配者の目つきとなり、素早く頭を回転させる。
「⋯⋯ふむ。ローマが盟主になるなら裏切ることは出来ぬな」
「はい。クラッスス様はある程度、商人や造船所と契約をし、連盟を作った時点で、すぐにローマに連盟の盟主の座を譲り、この連盟のロイヤルティ――技術料代の9割を国税として提供したいと申し出るのです。そして『新たな徴税部門』を立ち上げ、自分が管理すると」
「⋯⋯9割もローマに差し出せと?」
クラッススは、ローマを巻き込むための代償の高さに難色を示した。
それなら、やはり自分と身内だけで、可能な限り技術を独占した方が儲けると考え始めた。だが、レンはお構いなしに続ける。
「はい。ローマが連盟の盟主となれば、地中海全ての商人がこの連盟に加わらざるを得なくなります。マストが3本以上、もしくは帆が5枚以上ある船で、連盟以外の船が地中海を航行すればローマの敵と認定し、排除することが可能になります。少なくとも表だってローマの港には入れなくなります」
レンの言うことは、確かに可能だった。
この時期、既にローマは地中海の覇者と言っても過言ではない。シリアのセレウコス朝はローマに大きく領土を奪われ、エジプトもローマの保護国と言ってよい状態だった。つまり、ローマがダメだと言えば、それが地中海ではまかり通る状態だったのだ。
レンはイヤらしい笑みを浮かべる。
「もちろん、ローマが盟主になれば、造船所連盟だけでなく、無料だった海運連盟にも上納金を払わせることが可能になります。最初は、はした金で少しずつ金額を上げればよいのです。加入者は文句を言いながらも、逆らうことなど出来ない。まあ、どうしても上納金を納めたくないなら、脱退してこの型の船以外で交易すればいいだけですよw」
クラッススは旧世代になった船で交易など出来る訳がない。『コイツ、本当はとんでもない悪党なのでは?』とレンをジッと見つめた。
「ふむ⋯⋯面白い。ローマを盟主に仕立てれば、地中海のすべての商人が私とローマに跪くことになる。それに、新たな税収をローマにもたらした功績で、私の元老院での影響力は図り知れぬほど上がる。1割の『徴税請負の手数料』は少ないが、それで十分だ」
「アッハッハ! 徴税請負手数料? クラッスス様、何を勘違いされているのですか。ここからが、本当の正念場なのですよ!」
「っ……?」
レンは声を潜め、悪魔的な笑みを浮かべた。
「1割は手数料ではなく、クラッスス家がローマから受け取る技術の貸出料にしてしまうのです」
「技術の貸出料⋯⋯?」
「はい。当初の連盟のコンセプトは、造船所への造船技術の貸出料としての上納金なのです。
①『クラッスス家』 →②『造船所・海運連盟』だったものが、
①『クラッスス家』 →② 『ローマ 』→③ 『造船所・海運連盟』
に変わっただけ。技術の権利をローマに渡した訳ではないのです、貸しただけなのです」
「っ……!?」
クラッススは、レンが何を言っているか理解できなかった。この時代に特許権などと言うものは当然ない。公開した技術を借り続ける者などいないのだ。まして相手は国である。
「いいですか? ローマは技術料として連盟から9割の上納金を、国税として受け取るのです。その技術を貸しているクラッスス家が、1割くらい貰うのは当然の権利だと思いませんか?」
「……っ!」
クラッススは驚きながらも、静かに頷いた。
「なるほど。確かにそのくらいの権利はあるだろうな。徴税請負手数料とは別に、私の代くらいは貸出料を取れるかも知れん」
「は? 何を言ってるのですか? 一度手にした利権を手放す必要はありませんよ?」
「っ⋯⋯!?」
「いいですか。今から連盟を作りますよね、その契約の条項のひとつに、クラッスス家の半数が賛同するか、クラッスス家を継ぐものが不在になれば、これまでのお礼として『技術を連盟に無償提供し、連盟を解散する』と契約に入れておくのです」
「……なんだ、その意味の分からない契約は?」
「分かりませんか? 本当はローマから罰金を取る契約にしたいのですが、そのような条項はさすがに作れません。ですのでこの条項なのです」
クラッススはレンが何か企んでいることは分かるが、その内容が分からず眉間に皺を寄せる。
「説明しろ」
「この条項があれば、ローマはクラッスス家を切ることができなくなるのです。クラッスス家の一族を滅ぼしても、切り捨てても、クラッスス家は技術を無償提供し、連盟が解散することになります。するとローマは2度と連盟を復活できません。ローマが再度連盟を作ろうとしても、その理由がないのです。クラッスス家のたった1割の税を奪うために、ローマがクラッスス家を皆殺しにするか、切ろうものなら、クラッスス家は連盟を解散し、ローマの地中海の覇権と多額の税を失わせることができるのです。これは取り外し不可の抑止力です!」
クラッススはレンの狡猾な罠に愕然とした。
国家すらも金儲けのシステムに組み込み、『毒まで仕込む』智謀に戦慄を覚えた。
「ローマに盟主の座を移行する時に、クラッスス様はローマと当然契約を結びますよね。その時にこの条項の削除や変更を求められるかも知れません。ですが、強引にでも残してしまえば、徴税請負人がクラッスス家から別の人間に代わっても、利益の1割は永遠にクラッスス家の手に入り続けるのです!」
ローマが続く限り、クラッスス家が巨万の富を手に入れ続けられる。
その言葉にクラッススは強く心を打たれた。目先の利益でなく、未来に続く財産はこの時代の支配階級に取って最も重要なものだった。
「レン! そなたこそ私の、いや――クラッスス家の真の友だ!!」
この日、クラッススはレンを生涯の友と定めた。




