85 大村長アラトリクスの侵攻
紀元前75年10月下旬。
レンはローマで46万個の繭を納品し、27600デナリウスを手に入れた。船のチャーター費用など500デナリウスを差し引いても利益は27100ある。大儲けだった。
兵士100人分の年収を手に入れ、レンは意気揚々とアグドの開拓村へ帰還した。
帰還した翌日。レンは、鍛冶師のワクスと木工職人のヴォルギスを会議小屋へと呼び出した。
小屋の中の長机の上には、帰還中の船の中で、レンが書いた何枚もの羊皮紙が置かれていた。
鍛冶師のワクスが、赤髭の混じる濃い髭面を強張らせて目を細めた。
「ボス、これは一体、何の設計図だ?」
レンが笑って応える。
「これはパキポサの繭を糸にするための道具。『繰糸器』と、その糸を滑らかな布へと織り上げるための『織機』の設計図だ。来年からは、ただの繭じゃなく『完成した絹糸』をローマへ納品する約束を絹織組合と結んできた。だが俺達の本命は、俺達の手で布までを作ることだ」
レンが不敵に口角を上げて告げると、木工職人のヴォルギスがまじまじと図面を覗き込み、眉をひそめた。
「……レン様。木で作るもんは何でも任せろって言いましたが、こんな細けぇ部材は見たことがねぇ。家具でも農具でも、ここまで細い木材は使わねぇからな。狂いが出たら一発で噛み合わなりやすぜ」
ワクスも太い腕を組み、図面の中心にある“軸”の部分をごつい指先でトントンと叩いた。
「この軸、鉄で打つにしても細すぎるな。折れたら全部台無しだ」
二人の職人の真っ当な懸念に対し、レンは静かに笑って首を振った。
「大丈夫。これは遥か東方にある『中国』という国で、何百年も磨かれてきた最高の織機だ。木と鉄だけで絶対に作れる。部材は細いけれど折れはしないから安心しろ」
レンの絶対的な自信を前に、ヴォルギスは降参したと言わんばかりに肩をすくめ、不敵に鼻を鳴らした。
「……まあ、レン様がそこまで言うなら、死ぬ気で削り出してやりまさ。見たこともねえカラクリだが、職人としちゃあ最高に面白そうです」
ワクスも渋い強面のまま、深く頷いた。
「要はこの図面通りに、少しの狂いもなく鉄を叩けばいいんだな。金属の細かいパーツはすべて俺に任せておけ」
職人たちの熱いモチベーションを確認し、レンは満足げに頷いた。
――その時だった。会議小屋の扉が勢いよく開き、筆頭家臣のアレスが肩を激しく上下させながら飛び込んで来た。
「レン様! 大変です!!」
「どうした?」
「隣村から使いの者が来ました! その者が言うには、近隣の大村長アラトリクスが我々に宣戦布告するとのことです!」
「宣戦布告……!?」
レンは静かに息を吐いた。
「……なにか要求はしてきているのか? 金を出せとか?」
アレスが張り詰めた空気の中で息を呑む。
「いえ、それは何も聞いておりせん。今すぐ聞いてきます!」
「いや、その者を中に入れて来い。話を聞こう」
「はい!」
暫くして、アレスが村の入口で待たせていた使者を連れて来た。
レンは凍りつくような目で見た。
「使者どの、一方的な宣戦布告は納得がいかない。望みがあるんじゃないのか?」
使者はニヤリと笑った。
「レン村長、『お前はアグドの領域秩序を乱している。ゆえに討つ』これが大村長のお言葉です」
「問答無用の宣戦布告だな……」
ワクスとヴォルギスが同時に顔を強張らせた。
「ボス……。アラトリクス大村長が本気で動くとなれば、周辺の村から少なくとも500の男たちは集まる。このあたりの小競り合い中じゃあ、とんでもねえ大軍だ」
「500……」
レンはわずかに眉を寄せ、顎に手を当てた。
(500人か。さすがに一人でぶち殺すには数が多すぎるぞ。1日じゃ絶対にかたが付かない。俺が戦ってる間に村を攻められたら、陥落してもおかしくない人数だ……)
「レン様、一刻も早くアグドの都市議会に訴えましょう! 向こうが勝手に戦を仕掛けてきたのです。議会が黙っていないはずです!」
アレスが必死に提案するが、ヴォルギスが冷ややかに首を振った。
「アレス殿、無駄だ。アグドの議会は村同士の抗争には関与しないのが慣例なんだ。それに噂じゃ、アラトリクス大村長は議会の有力議員と太いパイプで繋がっているらしい。議会を頼っても時間を稼ぐことすらできやしないさ」
(ちっ、困ったな。アラトリクスだけを暗殺するか? でも暗殺は俺のポリシーに反するんだよな)
「レン様、如何されますか?」
「う~ん。まずは使者殿は下がってくれ。これから対策を考える」
「では失礼する」
使者が部屋を出ると、レンは続けた。
「……アレス、アラトリクス大村長への使いを頼む。俺が和議を乞うていると、申し入れるのだ。毎年1000デナリウスの貢納金を渡すと申し出ろ。年に3000までならその場で受け入れろ。多少の交渉はお前に任せる」
繭の売上で、27000の利益を得たとはいえ、まだ黒字になった訳では無い。3000と言うのは今のレンには気が重い数字だった。
とはいえ、レンは普通の村長とは異なる。
村人から税を取らず、逆に給料を払って使役し、村が得た利益を全て自分の懐に入れる『領主兼企業オーナー』だ。例えるなら、中世イタリアのジェノヴァ共和国の商人のような立ち位置。上手く運営すれば大金がいくらでも手に入る。
「お任せください!」
アレスが元気よく胸を叩く。
レンが頷き、付け加える。
「ただし、交渉だけが目的ではない。敵の兵力や士気をできるだけ調べて来い。もし敵の兵力が200人に満たないなら、交渉は決裂させて構わん。すぐに帰って来るんだ」
「はっ、承知しました!」
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大村長アラトリクスは、自身の影響下にある7つの村から500の男たちをかき集め、馬の背に跨ってレンの開拓村へと向かって進軍をしていた。
地を揺らすその軍勢の光景は、レンがイメージする『中世の騎士領主』の姿に極めて近かった。当時のローマの属州統治では、治安維持を地元の有力者へ丸投げしていた。そのため辺境の村々は外敵から身を守るために自前で武装を整える必要があったのだ。村の長、あるいは土地の所有者である大地主が防衛の指揮官を兼ねる――そんな過酷な実力社会ゆえに、村長はおのずと『小領主』のような立場となっていたのである。
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翌日の朝。
泥を弾いて進む500の兵の先頭で、アラトリクスとその側近である従士ドラコスが、馬の歩調を合わせながら会話をしていた。
「アラトリクス様、レン村はそこそこ大きいそうですよ。この村を支配下に置けば、アグドの都市議会も、いよいよあなた様を正式な『郡長』に任命せざるを得なくなるでしょうな」
ドラコスがニヤリと笑うと、もう一人の側近メルキオも馬上で大きく頷き、言葉を繋げた。
「さよう。郡長は複数の村を治めることを公式に認められた地位。非公式な『盟主』や『大村長』とは違います。この一帯の村々を正式に従属させる日は近いですな!」
「ふっ。ドラコス、メルキオ──世辞はいらんぞ」
側近たちの言葉に、アラトリクスは言葉では否定しつつも嬉しそうな顔をした。だが次の瞬間には目を鋭くする。
「ゲロリンクスの野郎は、すでに郡長に任命された。……クソガキには俺の力を見せつけたあと、従属させる。断ったら、ゲロリンクスの野郎の前に血祭りにあげてやるわ!」
アラトリクスが獣のような鋭い眼光をギラつかせ、大声で唸る。
彼にとって今回のレン村への襲撃は、レン村に隣接する村の村長ウィンデクスに仕置きを頼まれただけではなかった。勢力を広げ、公式な『郡長』の座につき。やがては、宿敵を追い抜くための軍事進攻だったのだ。
その時——道の向こうから、馬蹄を響かせてこちらへ向かって来る騎馬がいた。アラトリクスの周囲の兵たちが、慌てて槍を構えて前に出て身構えた。
現れたのは、レンの筆頭従士アレスだ。
アレスは五百の大軍の目の前で、怯むことなく鮮やかに手綱を引き、馬を静止させた。その手に武器はなく、代わりに巻かれた羊皮紙の書状が握られている。
「あなたたちは、大村長アラトリクス殿の軍勢か!」
アレスが馬上から、朗々と響く声で叫ぶ。
「何奴だ、貴様は!」
側近のドラコスが馬を前に進め、手にした鉄の槍をアレスへと突き付ける。周囲を囲む槍を構えた兵たちからも、鋭い殺気が突き刺さった。
アレスは馬上で不敵に胸を張り、アラトリクスを真っ直ぐに見据えて言い放つ。
「私はレン村の村長の筆頭従士アレスである! 我が主より、アラトリクス様への『和議の提案』を預かって参った。――これ以上の無益な流血を避けるため、我が村は、アラトリクス様へ毎年『500デナリウス』の貢納金を支払う用意がある!」
アレスはレンから言われた1000よりも、低い値で交渉を始めた。
「和議、だと……?」
その言葉を聞いた瞬間、アラトリクス、そして隣にいたウィンデクスたちの顔に、傲慢な笑みが浮かび上がった。
軍勢を見せつける前に、アラトリクスの名声に怯えての申し出と受け取ったのだ。
「なんだと、それは従属すると言うことか!」
隣村の村長ウィンデクスが馬を一歩前に進め、怒鳴りつけた。
彼からすれば、戦わずに降伏されては欲求不満になってしまう。レン村の一部くらいは、焼き払わないと気が済まなかった。
アレスは馬の手綱を握る手にぐっと力を込め、浴びせられる侮蔑の視線を受け流して生真面目な顔を作った。
「我が主レンは、アグドの平穏と、アラトリクス様への敬意を重んじておられます。毎年500デナリウスの貢納金をお納めし、この地の秩序に従う用意がある。それをどう受け取るかは、アラトリクス様、あなた次第です」
アレスが恭しくも毅然とした態度で応じると、大軍の主であるアラトリクスは、軍馬の鼻面を撫でながらフッと鼻で笑った。
「ふん……。貢納金を500デナリウスも払うとは、随分と豊な村なのだな。あるいは――」
アラトリクスは自身の軍を指さした。
「我が500の軍勢によほど怯えたと見えるな。戦を一度もすることなく降伏するとは、とんだ臆病者だぞ」
アラトリクスの言葉に、槍や盾を掲げた五百の兵士たちから、一斉にドッと大きな笑い声をあげた。
アラトリクスが手を上げ兵士たちの笑いを止める。
「だが――愚か者ではない。素直に負けを認め従うのだ生かしてやろう。ただし、500では足りん。1500デナリウスの貢納金を払うならば従属を認めてやろう」
そう言ってアラトリクスはガッハッハと笑った。
正直、1500デナリウスの大金を払えるなどと、アラトリクスは考えていなかった。
この時代の200人規模の村の貢納金の相場は、せいぜい年200〜300デナリウスといったところだった。田舎の村には、金を稼ぐための手段は限られている。1500デナリウスという法外な金額は、完全に相手を屈服させ、貧困に追い込んだに等しい金額だった。
そのためアラトリクスは、レンが頭を下げて許しを請えば600デナリクスでもいいと考えていた。ただ、レンが頭を下げる姿を周囲に見せつけ、権威を示したかっただけなのだ。
アレスは馬上で激しく狼狽してみせ、悲痛な声を上げて叫んだ。
「そんな大金は無理です! なにとぞ、もう少しだけ貢納金を下げてはいただけないでしょうか! 700、700なら、私が命に代えても村長と村人を説得してみせます!」
アレスが必死に縋り付く姿を見下ろし、アラトリクスは赤髭の混じる濃い髭面を、これ以上ないほど満足げに歪めてガハハと笑った。
「ならん! 村人たちが生き残りたいなら1500デナリウスを払うか、レンと言う村長をその座から引きずり降ろし、我が次男を新たな村長に据えるかの二つに一つだ!」
アラトリクスの口から飛び出したのは、あまりにも非情な、村の完全なる『乗っ取り』の宣告だった。こうすることでレンが慌てて頭を下げにくると踏んでいたのだ。
アレスは手綱を握る手にぐっと力を込め、悔しさに絶望した表情を装いながら、慎重に言葉を紡いだ。
「その2つの条件のどちらかを飲めば、確実に村人は生き残れるのですね。お約束して頂けますか……」
その言葉にアラトリクスは、アレスがレンを裏切るつもりなのだなと思った。レンに頭を下げさせるつもりだったが、村を息子が支配するなら、それはそれでもいいと考え直す。
「ああ、ここにいる者たちに誓って約束しよう!」
アラトリクスはこれ見よがしに両手を広げ、周囲の軍勢に向かって吼えた。金を払うにせよ、村長を自分の次男に挿げ替えるにせよ、完全なる勝利に変わりはない。
アレスは馬の上でこれ以上ないほど悲壮な、覚悟に満ちた男の顔を作って叫んだ。
「承知しました! 昼までにはレン様を説得してここに戻ります。それまでの間、どうか我が村への無用な攻撃はお控え願いたい!!」
「よかろう。昼までに返答するならここで待ってやる。だが、交戦と決まれば、村は壊滅させるぞ!」
「感謝いたします、アラトリクス様! では昼までには戻って参ります!」
アレスは恐怖と絶望に打ちひしがれたフリをしながら、馬上から深く頭を下げた。
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昼ごろ。
レンは 1500デナリクス の金貨がぎっしり詰まった重い革袋を筆頭家臣アレスに持たせ、罪人のごとくアラトリクスの軍勢500の前に姿を現した。
実のところ、村に帰還したアレスは『アラトリクスの軍勢は完全に油断しきっています。今すぐ全軍で奇襲を仕掛ければ、確実に勝てます』と戦を仕掛ける進言をしていた。だが、レンは静かに首を振ってそれを却下した。
今ここでアラトリクスを討ち取って勝ったとしても、レンの村には周辺地域を制圧するだけの準備が整っていない。村人たちとの関係は、まだ一年にも満たない浅いものだ。泥沼の戦争が続けば、いつ裏切るか分かったものではない。
何より、今は重要な時期だ。
水車による鉄の量産が始まり、ハチミツの近代養蜂が軌道に乗り、 パキポサの絹事業も繭から布までを作ろうと準備中だ。村が爆発的な発展を遂げている時に、無用な戦をしている暇などない。
そのためレンは村の1か月分の運営費にもならない、1500デナリウスを大村長くれてやることにした。
アレスから差し出された1500デナリウスの入った重い革袋を受け取った大村長の側近ドラコスが、紐を解いて中身を厳しく確認し、アラトリクスに向かって頷くと、軍馬に跨る大村長は、これ以上ないほど満足げな笑顔をレンに向けた。
「レン、お前がわしに従属することを許そう! 戦わずしてこれほどの大金を差し出すとは、実に賢明な男だ! 今宵は我が陣営で戦勝の宴を開く! 大いに飲んで楽しもうぞ!」
レンは深く頭を下げて礼を言う。
「ははぁ! 大村長さま! ありがたき幸せにございます!」
こうしてレンはアラトリクスに従属することとなった。
だがこの時、レンはまだ知らなかった。アラトリクスの野望を。




