82 『水車式自動送風機』『大村長アラトリクス』『木箱による養蜂』
紀元前75年6月初旬
ガリア南部、エロー川の上流に作られたレン村の開発は順調に進んでいた。
レン村の規模は、この地にいた浮浪者の男40人、女子供83名。ローマから連れて来た男たちが108名、女が6名。合計236名の中規模な村となっていた。
だが――今は収入源と呼べるものがなく、建築費、食料費、賃金等で、レンの財布からは毎月約4千デナリウスの金が逆に出ていっている状態だった。
セウテス戦から現在までの収支。
収入△103万5千
出費▲8万3765
レンの現在の所持金
95万1235デナリウス
内訳:(デナリウス)
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収入
セウテス戦△3万5千
クラッススに技術売却△100万
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★出費
・開拓費用等▲2万2149
・奴隷購入費
女3人 ▲1万9200
男20人 ▲1万3316
・スキル購入
造船技術▲1万
砂糖製造技術▲1万
綿布製造技術▲1万
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日々減っていく貯金に、焦りを覚えていたレンだが、今日はすこぶる機嫌がよかった。
遂に、ふいごに代わって鍛冶場の炉へ風を送り続ける『水車式自動送風機』が完成したのだ。
水車は、村の横を流れる川の上流、山と山の間の谷筋に建てられ、隣には鍛冶小屋が設置されている。
山から勢いよく落ちてくる流れは、巨大なふいごを動かすには十分な水勢を持っていた。
さらにレンは、日々の流量の変化に左右されず常に安定した水勢を得るため、板で川に二メートルほどの高さの簡素な堰を築いた。この堰は水位が二メートルを超えた場合は、上からそのまま水が流れ落ちる“越流式”のものだ。
「よし……水門を開けろ!」
レンの鋭い号令とともに、堰の側面に取り付けられた水門が引き上げられ、堰に溜まっていた水の一部が、鍛冶小屋の水車へと流れ始める。
隣に立つルクレティアたちが歓声を上げる。
「レン、凄い! 水車が回り始めたわ!」
「ホント凄いです! 旦那様!」
「見事なものだ」
この場には、村の主要メンバーが集まっていた。
レンの嫁ルクレティアとイオ。ルクレティアの侍女のアンナ。
レンの義兄弟であるセルギウス、タルト、リクトス。その内縁の妻であるリウィア、フローラ、マルケッラ。
レンが奴隷から解放した十三人衆
(筆頭アレス、次席エルンスト)。
さらに鍛冶師のワクスと、浮浪者たちのまとめ役のブレンヌス。
「よし……中に入ってみよう」
レンがそう言うと、集まっていた面々が頷き、レンに続いて鍛冶小屋へと足を踏み入れた。
中では機械が規則正しくガコン、ガコンと動いている。
水車の軸が壁際を通り、クランクがふいごの箱を押し引きするたびに、風が炉に送られて、奥で赤い火が脈打つ。
その光景を見て皆が息を呑んだ。
『何がどうなってるかは分からない。だがともかく凄い』と感じた。
鍛冶職人のワクスはレンの前に立ち、手を取る。
「レン殿……感謝する。これで、弟子たちがふいごで体力をすり減らすことがなくなる。こなせる仕事が飛躍的に増え、鉄を叩く腕の上達も驚くほど早まる筈だ」
ワクスはそう言うと、動き続けるふいごを見つめ、息を吐いた。
「それにしても水車は知ってたが、水車と鍛冶屋のふいごを繋げちまうなんて考えもしなかった。大した知恵だな」
「まあ、これくらいは、ローマにある技術を少し応用すれば簡単なことだよ、あはは」
レンは笑って誤魔化す。
「そうか。ローマの技術は進んでいるのだな。俺ら鍛冶師が何百年も、血反吐を吐きながらしていた仕事がなくなるなんて思いもしなかったわい。――それにだ。風の量が半端じゃない。これだけの業火がありゃあ、これまでよりも数段上の鉄を練り上げられる」
レンは満足気に頷いた。
「それは凄いな。
ワクス、この鍛冶屋はこの村を支える心臓部だ。最高の農具、武器、道具を大量に叩いてくれ。人員も優先して回そう」
レンが人員の優先配分を約束すると、ワクスは豪快に笑った。
「おう! 任せておけ!」
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レンが村を起こしたことにより、アグドの領域に登録されている村は大小合わせて103つとなった。
つまりアグド全土では103人の村長がいることになる。
だがアグド都市議会の議員になっている村長は――ただのひとりもいない。
都市議員の数は100人を超える。しかし、都市議会は選挙ではなく、一定の財産・身分を持つ名士が国勢調査を経て、自動的に議員になる仕組みだった。(ただし、ローマ市民権を持つ者に限る)
議員の構成メンバーは、主に次の者になる。
★都市の富裕層
★地元の地主
★商人階級
★退役軍人
★祭祀を担う家系
★ローマ市民権を持つ名士
★地主は村長とは違い、何百人もの奴隷や小作を抱えて自分の土地を耕させる者たちである。
中には、村を実質的に支配している者もいて、彼らは税金が払えない村に対し土地を担保に金を貸し付け、返済出来ない時は、土地を奪うことで勢力を拡大していた。
そのため103ある村の中で、地主に服従している村長が41人。約4割もいた。
※なお、都市議員(地主)は武力で村を攻めることは出来ない。戦争は、ローマの法で厳しく禁じられているためである。そのため地主に服従してい村長も戦争が出来ない。
一方で、都市議員でない村の村長は武力行使が可能だった。そのため村同士の力関係がそのまま支配関係となり、都市議会もそれを黙認していた。属州では税金さえ払っていれば、ローマは村々の争いに関与しないのが普通だったからである。
※ただし、村長が地主の支配する村を攻めた場合、ローマ市民の財産を守るため、属州総督は属州の軍を動員する。そのため、村長が地主の村に手を出すことは死を意味した。
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レンの村の、隣村の村長ウィンデクスはレンの登場に不満を持っていた。
彼の村は浮浪者たちから安値で鉄の武器や道具を購入していたからだ。だがレンが自分の村の道具を優先させているため、隣村に回ってくる鉄の道具の量は激減していたのだ。鉄製品の輸出を全て止めなかったのは、隣村との関係を考慮したレンの配慮だったが、ウィンデクスにはそれが通じなかった。
彼の村の人口は134人、戦える男の数は56人。この人数ではレンの村には勝てない。そこでウィンデクスは近隣の村の盟主である大村長アラトリクスを訪ねた。アラトリクスは7つの村を従属させており、アグドの都市議会を牛耳る有力議員とも、長年の取引や恩義によって“個人的な繋がり”を持っていた。
熊の毛皮が敷かれた床にどっしりと胡坐をかき、大杯の酒をあおっていた大村長アラトリクスは、ウィンデクスが差し出した肉とワインを満足げに見つめると、赤髭の混じる濃い髭面をニヤリと歪めた。
「ウィンデクス、よく来たな。わしの好物をこれだけ並べるとはな、感謝しよう。……が、これほどの上等な肉と酒を持ってわしの前に現れたってことは、ただの挨拶じゃねえな。何があった?」
アラトリクスは獣のような鋭い眼光をウィンデクスに向け、肉を引きちぎりながら本音を促した。ウィンデクスは待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「アラトリクス様、どうかお聞きください! もうお耳に入っているでしょうが、私の村のすぐ隣に、よそ者が新たな村を建てたのです。私の村は長年、そこに住み着いていた浮浪者どもと付き合いがあり、彼らから鉄の道具を安値で買っていたのです。ですが、新しい村長が、私の村に回す量を四分の一に減らしたのです! これじゃあ、野蛮な浮浪者の集団がそのまま住んでいた方が、よっぽどマシでしたよ!」
長机の上の猪肉を引きちぎり、大杯の濁酒をあおっていたアラトリクスは、不敵に鼻を鳴らした。
「その話なら、すでに都市の最高行政官であるドルスス様から聞いている。背後にいるローマの有力貴族から要望があって許可を出すしかなかったそうだ。まあ都市側にとっちゃ、税を納める村が増える以上は断れなぇよな」
「ですが、このまま指をくわえて見ているわけにはいきません! あのレンって野郎はとんでもない金持ちらしく、毎日毎日、大量の物資を乗せた荷馬車が俺の村の中を通って村人が羨ましそうにしてるんですよ! きっと裏で武器を集め、準備が整い次第、俺の村へ攻め込んでくるに違いありません!」
ウィンデクスが必死に危機感を煽るが、アラトリクスは熊の毛皮の上でどっしりと胡坐をかいたまま、冷徹な目を向けた。
「ウィンデクス、そう焦るな。わしが動くには『大義名分』ってもんがいる。 何の理由もなくむやみに戦を仕掛ければ、今度は周囲の村長どもが危機感を覚えて、わしを潰そうと連合を組んで一斉に攻めてきやがるだろうよ」
「なら、このまま黙って、ヤツが攻めてくるまで指をくわえて待てってことですか!?」
ウィンデクスがひっくり返った声を上げる。すると、アラトリクスは赤髭の混じる濃い髭面をニヤリと不気味に歪め、大杯をガンと叩きつけた。
「心配しなくてもいい。そのレンって野郎は、この一帯の盟主であるわしに、未だに酒の一本すら持って挨拶にも来ねえんだ。……礼儀の知らねえクソガキなんざ、どのみち潰してやる」
「ほ、本当ですか!?」
ウィンデクスの顔に一気に歓喜の色が浮かぶ。
アラトリクスは肉を噛み砕きながら、言葉を続けた。
「だが、今すぐ攻め込む理由がない以上、まずは周りの村への根回しが必要だ。アグドの都市議会には、慣例通り、今回も村同士の抗争に介入しないよう、わしが裏で手を回しておく。お前は、近隣の大きな村々を回って、レンって野郎がいかに俺たちの和を乱し、勝手な真似をしているかを大声で訴えて回れ」
「わかりました! さっそく明日から触れ回ってやります!」
ウィンデクスは力強く頷き、強力な後ろ盾の参戦に歓喜の笑みを浮かべるのだった。
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紀元前75年6月中旬
昼。
レンが、ルクレティアとイオと食卓を囲い昼食を食べていると、養蜂係のオルンが息を切らせて、レンの家に駆けてきた。
「レン様! ミツバチの巣箱が凄いです! ……ちょっと、今すぐ来てはいただけませんか!」
「凄い?」
レンが顔を上げると、オルンは興奮を抑えきれない様子で身を乗り出し、言葉を続けた。
「新しく作っていただいた、あの四角い木箱のことです! とにかく重いんです! 前の丸太の箱とは比べものにならないくらい、ずっしりしてます!」
レンは自家製の箸を止め、イオとルクレティアに軽く目配せをして立ち上がった。
「分かった、見に行こう」
2人は森の縁に設置された、西欧ミツバチの巣箱へと向かう。
オルンとレンは蜂に刺されないよう、頭から半透明の薄い麻布で編んだ覆いをすっぽりと被り、首元を紐できつく縛った。
手には頑丈な革手袋をはめ、その手元では、蜂を弱らせるための白い煙がもくもくと立ち上がげる――乾いた牛糞や松脂を燻した土製の小さな香炉である。
古代ローマの養蜂家たちは、ハチに刺されないための知恵は持っていた。ハチは「煙」を吹きかけられると、火事(山火事)が起きたと勘違いして、避難に備えて巣の中のハチミツを限界までお腹いっぱいに吸い込むという習性があるのだ。お腹がハチミツでパンパンに膨らんだミツバチは、身体の構造上、お尻の針をうまく曲げて人間を刺すことができなくなる。大人しくなったところを、頭の防護布と革手袋で完全にガードして作業する。それがこの時代の、そして現代にも通じる防衛策だった。
レンが箱の側面にそっと手を当てた瞬間、内部から低い羽音が心地よく響いてきた。ハチたちが活発に働いている証拠だ。
中の巣枠を一枚、静かに引き上げると、白い蜜蓋がびっしりと閉じられた、極上のハチミツの塊が姿を現した。
「……いい出来だ。巣が綺麗に整ってるし、枠を入れた効果が完璧に出てる」
「こんなにビッシリ蜂蜜があるのに驚かれないのですか!」
養蜂係のオルンが、信じられないと、目を丸くした。
「こんなに蜜が太るなんて……前の丸太箱じゃ、到底考えられませんよ!」
その言葉に、レンは満足そうに口角を上げた。
(そうだよな。この時代は養蜂自体はどこの村でもやっているけど、この量が取れることは絶対にない。巣箱の作りが、丸太をくり抜いただけの粗末なものだからな。蜂の巣はただ箱いっぱいに不規則に広がってしまって取れる蜜が少ない。しかも採蜜のたびに巣を壊すから群れ蜂が激減して、余計に取れる蜜が少なくなる。それに冬を越える時も運任せで、群れが全滅することも珍しくない)
「オルン。蜂は本来、巣をまっすぐ作る生き物なんだ。だから枠を入れてやれば、この通り巣は規則正しく整って、蜜を貯める場所が決まる。この四角い『枠』のおかげで採蜜しても巣を壊さずに済む、だから群れは弱らない。これからは今までの10倍くらい蜂蜜が取れるようになるぞ」
「10倍!!」
オルンが驚愕でのけぞった。
(まあ、ビックリするよな。養蜂が木箱になるのは19世紀に入ってからだ。 だが――コツさえ知ってれば楽勝なんだよ、オルン君!)
レンは満足そうに頷くと、オルンの逞しい肩を叩いた。
「オルン、次からはお前が他の者にこの木箱と巣枠の作り方を教えてやるんだぞ。お前がこの村の養蜂場の長だ!」
「あ、ありがとうございます!! 俺、頑張ります!!」
レンは満足気に頷いた。
「注意すべきことを言っておくぞ、木箱と巣枠の注意点は4つある」
「4つですか?」
「そうだ、一つ目は巣枠同士の間隔。ミツバチの好む間隔の大きさだ。このくらいの隙間を開けてやるんだ。近すぎると巣がくっついて巣枠が取れなくなる」
レンが親指と人差し指で7〜9mmほどの間隔を開けて見せると、オルンは元気よく頷いた。
「はい、このくらいですね!」
「そうだ。その間隔で巣枠を箱の中に引っ掛けるための溝を作る。これがないと落ちる。これが二つ目だ。そして三つ目は、無事に冬越をさせるため、箱の温度が下がらないよう、木箱の壁の厚さを最低でもこのくらいにしておくんだ」
そう言って再びレンは2〜3cmほどの間隔を開けて見せる。
「はい!」
「四つ目は、ハチの出入り口を指一本分の幅にすることだ。これより大きいと、天敵のスズメバチが侵入したり、冬場に箱の中の温度が下がって全滅する原因になるぞ」
オルンは元気よく頷いた。
「了解です! 四つの注意点、しっかりと頭に叩き込みました! さっそく次の箱の製作に取り掛かります!」
「オルン、頼んだぞ」
「はい!!」
オルンは頭を下げると、宝物のように巣枠を箱に戻し、熱い忠誠心を胸に作業へと戻っていった。




