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78 『巨大のこぎり』『奴隷妻』『アーサーの誕生』

紀元前76年12月。

クラッススの邸宅。


「レン、新しい技術を売りたいそうだな」


執務室の机に肘を突き、指を組んだクラッススが、鋭い視線を向けてきた。


「はい。実は造船所で、ローマの製材技術が低いため、板が小さいという問題が生じました。それを解消するためローマにない技術を公開する必要に迫られました」


クラッススが不快そうに眉をひそめる。


「どういう意味だ。ローマの製材技術がギリシャやエジプトに劣るという話は聞いたことはないぞ」


「クラッスス様。ギリシャやエジプトの製材技術も同様です。彼らも大きな板を大量に作る技術がありません。地中海世界では、どの国も壊れない大きな鋸(のこぎり)を作る技術を持っていないため、長く大きな板を大量に作ることができないのです」


「大きな鋸……? そんなものが必要なのか」


「はい。今回の新造船の外板に使います。それに大きな板は、巨大建築物の建設時にも役に立ちます」


「レンなら、壊れないノコギリを作れると言うのか」


「いいえ、物ですので壊れはします。ですが私の巨大ノコギリは刃が曲がり難いので、1日に生産出来る板の数は数十倍になります。耐久力は5倍程は上がるでしょう」


クラッススはしばらく黙考した。

だが実業家としての本能が、巨大板の“価値”を瞬時に見抜き、深く頷いた。


「なるほど……その頑丈な巨大鋸を作る技術を私に売りたいと言うのだな」


「はい。大きな板を大量に作れる技術は、今の地中海やアレキサンダー大王の辿りついた東方にもありません。だから、この技術をクラッスス様に買い取っていただきたいのです」


クラッススの目が光る。


「……面白い。巨大板が作れるようになれば、造船だけでなく建築にも使える。その技術、詳しく話せ」


レンは商談がまとまらないと話せないと、わずかに目を細めた。


「その前に、巨大鋸を作る技術。幾らで買い取って頂けるのかお聞きしたく存じます」


クラッススは愉快そうに口角を吊り上げた。


「ほう。造船の時とは違い、今回はただでとは言わぬのだな――よかろう、巨大板があれば巨大建築物を作る日数が飛躍的に早まる、その価値は図りしれぬ。

よって100万セステルス出す。これで独占権を私に渡せ」


レンが内心でため息をついた。


(100万セステルス。つまりたった25万デナリウスだ。今から村を作るには心許ない金額だ。やはり本命を高く売らないといけないな………)


「クラッスス様。実はもう一つ、鋸(ノコギリ)と一緒に買って頂きたい、とっておきの技術があります」



クラッススの目付きが鋭くなる。

「……よかろう。話してみよ」


「その技術を使えば、巨大鋸で大きな板を作る作業が、なんとさらに二十倍速くなるのです。どうですか? 買い取って頂けますか?」


クラッススの眉が、ピクリと跳ねた。


「……二十倍だと? もともと数十倍早くなると言っていたのがさらに早くなるか!?」


レンが力強く頷く。


「はい。いかがでしょう。巨大鋸と合わせ──100万デナリウスで結構です」


額面が一気に4倍に跳ね上がる。だが今までの数百倍早くなると聞いて買わない訳にはいかない。クラッススは目を鋭く細め、レンをじっと睨みつけた。


執務室に張り詰めた静寂が流れる。


「……100万デナリウスだ。その技術も買おう。これはただの“道具”ではないぞ、レン。ローマの造船と建築を根本から変える『利権』であり『革命』なのだ」


(よっしゃーー! 100万デナリウス、ゲッチュー!!)


レンが内心で狂喜していると、クラッススが話を続ける。


「それで、巨大鋸の技術を学ばせる相手は、鍛冶屋でよいのだな?」


「はい、信頼できる鍛冶屋をお呼び下さい。この技術は、ただ単に巨大なのこぎりを作るだけでなく、鉄に炭素を含ませて『鋼(はがね)』を作る技術ですから」


「炭素? 鋼? レン、なんのことか全くわからんぞ」


「……えっと、鋼と言うのはですね。普通の鉄より黒くて、とても頑丈な鉄のことです」


「っ……!!」


クラッススは絶句した。


「待て! 黒い鉄を、狙って作れると言うのか。黒い鉄の剣は、熟練の鍛冶屋が『ごくまれにしか出来ない貴重な業物』だと言っておったぞ!」


「いいえ、できますよ。しかも──長い鋼材でも、均一の強さで量産が可能です」


「なにっ……!!」


クラッススの反応にレンが『あれ? 俺またなんかやっちゃいました?』と首を傾げる。


(実際にやるのはコツを掴まないといけないらしいから鍛冶屋の仕事だけど、この技術は話だけなら難しくないんだよな。

鉄を木炭の粉に埋めて粘土で密閉して、

鉄が明るい赤〜オレンジ色になる温度(だいたい800〜900℃)で6〜12時間ほど焼けば鉄の表面が鋼になるってだけだ)


レンのとぼけた態度に、クラッススは畏怖すら混じった眼光で見つめる。


「……レン。黒い鉄は“奇跡”だぞ。鍛冶職人が一生に数回作れるかどうかの代物だ。それを量産し、しかも長い鋼材でも均一に作れるなど──ローマでは誰一人として成し得ぬ偉業だぞ」


レンは淡々と頷いた。


「はい、だからこそ信頼出来る鍛冶屋を呼び秘密にして下さい。ですが、私は方法を教えるだけで、実際に鋼になる感覚を掴むのは鍛冶屋で。完璧な感覚を掴むは、多分半年ほどかかるとはおもいますが」


「そんなに難しいのか?」


レンは首を振る。

「口で言うだけなら簡単です。

鉄の巨大鋸(ノコギリ)は柔らかく、簡単に曲がったり折れたりして直ぐに使い物にならなくなります。

 そこで鋸を木炭の粉で包んで、粘土で巻いて焼き上げます。すると鉄の巨大鋸の表面が『鋼』になり、硬い歯と粘り強い背を併せ持つ、実用に耐える巨大鋸へと変貌させます。

そして最後に、この巨大鋸の上部を木枠でしっかり固定すれば完成です」


クラッススはなるほどと頷く。


「それと、もう一つの技術の方は石切職人をお呼び下さい」


「……石切職人?」


「はい。巨大鋸で20倍早く板を作る技術には水車を使います。ローマには、水車の回転力をクランク機構で往復運動に変え、石を巨大な刃(ソー)で削る技術が既に存在します。

つまり、石切職人はクランク機構の仕組みを理解しています。私が構造を伝えれば、のこぎりを上下に動かせます。これに丸太を当てれば切れます。もし職人が優秀なら、丸太を水車の力で動かし、勝手に刃に向かう仕組みすら作れるでしょう」


(俺は丸太の自動送りのやり方を理解出来なかったけど、クランク機構を完全に理解してる職人ならポイントを伝えれば多分作れる……)


クラッススは深く息を吐いた。


「クランク機構……また知らぬ言葉が出たな、レン。そなたの技術力は──もはや、かのクトシビオスの再来と言っても過言ではないぞ」


(だれそれ?)




それから半年後。

鍛冶屋は鋼を作る技術を、何度も失敗しながらついに習得した。

石切職人の方も、水車を使った製材機械の大まかな構造をレンに教わると、改良を重ねつつ、遂には丸太を自動送りする機能を備えた完全な製材機械を完成させることになる。

これは仕組みだけ言えば、17世紀オランダに登場した水車式製材機を完全に再現していた。


そしてこれにより、ローマの技術力は加速度的にレベルアップしていくことになるのだが──それはまた別の話である。



ーーーーーー


紀元前75年1月。

レンは造船関連の仕事が一段落ついたところで、リクトスの案内でセルギウスたち3人が作ったパキポサ小屋を訪ねた。


「レン、ここが俺たちの作ったパキポサ小屋だよ!」


案内された場所を見て、レンは思わず声を上げた。


「結構大きいな。……小屋が六つもあるじゃないか」


タルトが誇らしげに胸を張る。


「そうだろ。最初の四棟は大工に建ててもらったけど。その間にセルギウスさんと俺が作り方を覚えて、自分たちで二棟増やしたんだ」


「やるじゃないか。セルギウスさんはともかく、タルトも案外有能だったんだな」

「おい!」


タルトが笑いながらレンの腕を小突く。

皆でひとしきり笑い合った後、レンは表情を引き締め、三人に告げた。


「……急で悪いんだけどさ。実は、近いうちに拠点を移そうと思うんだ」


「拠点を移す? 一体どこに?」


驚く三人に、レンはクラウディアと交わした話し合いの内容を説明した。


静かに聞き終えたセルギウスが、最初に口を開く。


「そうだな。辺境の属州ならルクレティア様をお守りできるし、パキポサの秘密も今より守り易い」


リクトスが目を輝かせた。

「レンが村長になるんだね! 凄いよ!」


しかしセルギウスの方は難し顔をしていた。


「レン、浮浪者を従えるなら俺たちだけじゃ人手が足りない。四人だけでは、一度従えたとしても、何かあれば数の力で押し切ろうとするだろう」


レンが頷く。

「俺もそう思う。そこで考えたんだけど、ローマで奴隷を買って、『村の自警団』と言う名目で、俺直属の兵士に育てようと思う」


「奴隷を兵士にか……。悪くはない、こちらの指示に従う人間がいる方がいい。だが、信頼はし過ぎるな」


「分かってる。あと一つ、女性も買おうと思うんだ。今の3人だけだと、パキポサを大量に育てられないだろ? そこで信頼できる女性にして手伝わせようと思う」


タルトが首を傾げる。


「信頼できる女性にする? 奴隷を信用するのか?」


「三人とも、まだ独身だろ? だからさ、俺が金を出すから──奴隷の女性を買って、三人の妻に迎えるのはどうかな?」


突拍子もない提案に、三人が一斉に目を丸くした。


レンは苦笑しながら言う。


「まあ、身分の違いで法的には正式な結婚は出来ないから、内縁の妻って形にはなるけどね。勿論、相手は3人が自分で選んでいいよ。ただ……無理やり従わせても意味がないから、本人たちが『妻になってもいい』って同意した相手だけにしたい」


タルトが頭を掻きながらため息を吐いた。


「レン、ありがたい申し出だけどさ、俺――嫁は美人がいいんだ。けどな、ローマの市場じゃ並の美人でも千デナリウスはする、ましてや極上品ともなれば一万を超えることだってある。そんな大金、出せないだろ。だから俺は遠慮するよ」


「いや、心配しなくても金はある」


タルトが首を振る。

「セウテスとの試合で3万くらい稼いだのは知ってるけど、それは村づくりの資金だろ?」


「ふっふっふ、タルト君。俺を舐めてもらっちゃ困るね。実はクラッスス様に、俺の持っている技術を100万デナリウスで売ったんだ。だから一人当たりの予算は1万デナリウスと行こうじゃないか!」


「え!? ま、マジかよ……!」


タルトが、顎が外れそうになる一方で、セルギウスは慎重に応えた。


「レン、よく考えろ。一万デナリウスもの大金を叩(はた)いて女を買って何十年働かせても、元が取れるか分からない。万一、すぐに病気で死なれでもしたら目も当てられんぞ」


レンは笑顔で応える。


「それでも構わないよ。もし、みんなに子供が生まれれば、俺にとってその子供たちは甥っ子や姪っ子のようなもんだろ。これから向かう開拓地では、家族は多ければ多いほど将来の力になる。これは未来への投資だ、だから気にしなくていい」


その言葉を聞いた瞬間、リクトスが勢いよく抱きついてきた。


「レン! 家族って言ってくれて嬉しいよ! 本当にありがとう……!」


セルギウスも、普段の厳格さを崩して照れ笑いを浮かべる。


「……そこまで言われては、固辞するのも野暮だな。なら俺も、遠慮なく買ってもらうことにする」


タルトが二人の肩を叩いて豪快に笑った。


「じゃあ決まりだな! これで俺たちも一気に所帯持ちだ!」


「……ただ、さっきも言った通り、女性たちの意思が一番大事だからね」


レンが釘を刺すと、3人は未来の家族に思いを馳せるように、嬉しそうに顔を見合わせ頷いた。


セルギウスが真剣な顔で一歩前に出た。


「レン、村を作る以上舐められたらダメだ。軍のように厳しい規律を持つべきだ。だからこれからは、俺たちを呼び捨てにしろ。俺たちはレン様と呼ぶ」


「え? でもそれじゃあ、前にした約束を破ることになる……」


「構わない。俺たちは家族なんだろ?」


レンは頷いた。

「……分かった。その代わり俺たちは義兄弟の契りを結ぼう! それだったら認める」


リクトスとタルトが嬉しそうに頷いた。


「いい! それ凄くいいよ!」


「よし俺たち四人は義兄弟だ!」





ーーーーー

紀元前75年1月21日。

クラウディアの邸宅。


レンは静かにクラウディアの寝室の扉を押し開けた。

薄い布をかけてベッドに横たわるクラウディアが、ゆっくりと顔を向ける。

クラウディアの隣には生まれたばかりの男の赤ん坊がいた。


「レン……」

「……クラウディア。頑張ったね」


その一言に、彼女はかすかに笑った。

普段の気品はそのままなのに、どこか柔らかい影が差している。


「ええ……。でも、この子の顔を見たら、全部どうでもよくなったわ」


レンはそっと近づき、布に包まれた赤子を覗き込む。

小さな指が、世界を掴もうとするように震えていた。


「……可愛いな。クラウディアに似てるね」


「ふふ……あなたに似て、きっと強い男の子になるわ」


寝室という“私的空間”だからこそ、クラウディアの声も仕草も柔らかくなっていた。


「クラウディア、名前はもう考えた?」


「いいえ、父親の貴方につけて欲しいの」


「なら……俺の師匠の名、ムサシはどうかな?」


クラウディアは一瞬だけ目を伏せ、赤子の頬をそっと撫でた。


「……ムサシ。強さは感じるけれど、この子は貴族の家に生まれたのよ。あまりに突飛な名は、きっと背負わせるものが多すぎることになるわ……」


レンは小さく息をつき、ヨーロッパで知ってる名前を口にした。


「それなら……アーサーはどうかな?」


クラウディアはゆっくりと顔を上げた。

寝室の柔らかい光の中で、母としての穏やかな気品が浮かぶ。


「アーサー……確かケルト語で“熊のように強い”って意味ね。気高さもあるわ。

──レン。この子にふさわしいと思う」


(熊のように強い? アーサー大王のアーサーってケルト語だったのかな?)


レンはクラウディアから赤ん坊を受け取ると、そっと胸に抱きしめた。


「アーサー……母さんを守れるように、強く育つんだぞ」


赤子はかすかに指を動かし、レンの胸元を掴もうとする。

その仕草が、まるで言葉の代わりに「分かっている」と告げているようだった。


クラウディアはその光景に静かに微笑んだ。



余談

ーーーーーー

※丸太の自動送り。

クランク機構(回転運動を上下や前後運動に変える)を介して、丸太を固定した台車を少しずつ(5ミリ程度)のこぎり側へと前進させる仕組み。

台車の側面には細かなギザギザ(歯)が刻まれており、そこに「送り爪」を引っかけることで、一段ずつ正確に台車を押し出す。

また、台車の中央には“のこぎりの通り道”となる空洞が設けられており。のこぎりはこの空洞部分だけを上下するため、台車自体を傷つけることなく、その上に固定されて突き出た丸太だけを縦に切り進めることができる。


ーーーーーー

クトシビオス(Ktesibios / Ctesibius)

(紀元前3世紀、アレクサンドリアの機械工学者)


★発明

空気圧ポンプ

水圧ポンプ

水時計(クレプシドラ)

オルガン(空気圧楽器)

自動装置の基礎理論

機械仕掛けの神殿装置の原型

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