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75 模擬キャラック船の建造会議

紀元前76年12月。

試運転の成功から5日後。レンはオスティアの造船所を訪れた。


門番の私兵がレンの姿を確認するなり、大急ぎで敷地の奥へと走っていく。


その頃、造船所の広場では、船大工の長マリーヌスと幹部四人が、新造に向けて木材の切り出しの指図や職人たちへの命令の真っ最中であった。そこへ、息を切らせた門番が飛び込んでくる。


「マリーヌス頭領! レン殿が、レン殿が今、正門へお着きになりました!」


その報せを聞いた瞬間、マリーヌスは持っていた手斧を放り出し、幹部たちと一斉に駆け出した。


五日前、逆風を切り裂いて進む、改造船を見せつけられた彼らにとって、レンは自分たちを超える未知の技術を持った『若き天才』そのものとなっていたのだ。


「レン、待っていたぞ!」


「マリーヌスさん、船の設計図が書き終わりました。これで新型船の造船の話が進みます」


レンがそう言って、小脇に抱えていた厚い羊皮紙の束を軽く叩いて見せると、職人たちの目が一斉にギラリと輝いた。


「おお、ついにできたか!」

「待ってたぞ、さあ中へ入ってくれ!」


マリーヌスが急き立てるようにして、レンを作業小屋へと促した。


6人が小屋に入り、打ち合わせが始まる。


「さあレン殿、早くその新造船の図面とやらを見せてくれ!」


はやる気持ちを抑えきれないマリーヌスたちにレンは囲まれながら、苦笑しつつ、抱えていた羊皮紙の1枚を大きな作業台の上に広げた。


「これは私が設計した、新造船の外観から見た設計図です」


図面が白日の下に晒された瞬間、小屋の空気がピリリと張り詰めた。


マリーヌスと四人の幹部たちは、獲物を狙う猛禽のように一斉に図面へ顔を近づける。だが、精密に描かれた異国の船体を凝視していた幹部のアウルスが、不意に怪訝そうに眉をひそめ、声を上げた。


「レン殿、これは計画していた船よりも、だいぶ小さいのではないか? 船の長さも幅も、『アンフォラ千二百個』が積める我らの商業船よりも明らかに短い。本当にアンフォラの壺が千二百個も乗るのか? この長さだと、せいぜい八百個が限界だと思うぞ?」


他の4人も『そうだ、この大きさではクラッスス様の指示された積載量に足りない』とレンを見た。

しかし、レンは動じることなく、作業台の図面の一角をトントンと指先で叩く。


「いいえ、よくご覧ください。この船はローマの船と違って高さがあるのです」


レンは図面を示しながら、職人たちにわかりやすく解説を付け足す。


「ローマの一般的な商業船に比べ、この船は1.5倍ほどの高さを持たせてあります。そのため船倉の高さはローマの船が1.2mほどなのに対し、倍の2.4m。つまりアンフォラの壺が千六百ほど積めます」


「なに! 逆に増えるのか!?」


マリーヌスが目を見開き、思わず図面へ身を乗り出す。作業小屋の空気が一気に熱を帯びたが、幹部の一人が即座に頭を振り、鋭い声を浴びせた。


「いや、待ってください頭領! 船倉を高くして荷の量を増やせば、底部にかかる荷重は桁違いに大きくなります!」


「その通りです! 背骨の竜骨(キール)への負担が半端ない!」


マリーヌスが鋭い目でレンを見る。


「レン、これは三本マストの船だ。元から竜骨への負担が大きい。それに風圧を受ければマストの根元から、凄まじい力が竜骨にのしかかる。

これでさらに船の高さまで上げれば、大波を被った瞬間に船体が内側から真っ二つにへし折れるぞ」


レンは不敵な笑みを浮かべ、彼らの顔を順番に見据えた。


「以前、俺は竜骨を強くする方法があると言いましたよね。……今からそれをお教えします」


レンはそう言うと、懐から2枚の紙を追加で取り出して広げた。1枚目は、船の細かな内部構造が描かれた断面図。2枚目は船を作る大まかな手順が書かれている。


マリーヌスたちが図面と手順書を凝視し、驚きの声を漏らす。


「な……なんだと。これは竜骨から先に作るのか!」


「はい。第一の改革がそこです、マリーヌスさん。

外板から船を造り始めるローマの、いえ、世界の常識である『外板先行法(シェル・ファースト)』を、この新型船では完全に捨てます」


「レン、本気なのか!」


「はい、外側から形を作るのではなく、頑強な竜骨(キール)を先に据え、そこに肋骨となる強固なフレーム(肋材)を取り付けて、まずは船の“骨組み”完成させるのです」


レンは図面の竜骨を指先で押さえた。


「そうすることで、この竜骨は『外板先行法』とは比べ物にならないほど強固に造れます。これを“骨組先行法(フレーム・ファースト)”と言います」


マリーヌスが白髪まじりの頭を抱えるようにして図面を睨みつけた。


「レン……そのやり方は俺たちだって知らないわけじゃねえんだよ。だけど、そのやり方は無理だ」


「長の言う通りだ。漁師の小舟ならまだしも、アンフォラ千二百個も積む船でそんな真似をしてみろ。実際に船を組みたてた時、外側が歪んでしまい、海に出た瞬間にバラバラに崩壊するぞ」


「そうだ。職人が一枚ずつ外板を噛み合わせてガチガチの壁を作ることで、このサイズの船体が維持できるんだぞ」


他の幹部たちも『そうだ、そうだ』と首を縦に振った。


しかし、レンは余裕の笑みで応える。


「内側から作ると外側の歪みが出るから壊れやすい──ええ、マリーヌスさんたちの言う通りです。だからこそ、今までの技術では内側から作ることが不可能でした」


レンは断面図を指差す。


「ですが――この図面をよくご覧ください。ただ骨組みを並べるだけでは外に歪みが出ます。だから、この新型船では、竜骨と肋骨をただ繋ぐだけでなく、船倉の内部をいくつかの強固な木製の仕切り壁──“隔壁(バルクヘッド)”を最初から一体の構造として組み込むつもりです」


レンの指先が、網の目のように組まれたフレームと、それを縦に割る肉厚な壁の結合部をトントンと叩いた。


「っ……! なるほど、この壁は船倉を分けるための壁でなく、そういう意図で作られた壁だったのか……」


「はい。この壁が外側からかかる横方向の圧力をがっちり受け止め、その力を船体全体へ逃がして分散します。力がどこか一箇所に集中するのを防ぐことで、船体が巨大化した時に起こる構造の崩壊を、完全に防げるんです。だから――」


レンは力強く拳を握り締め、腕を曲げる。


「マストを三本に増やし、船倉を高くしても、船体は軋むことすらありません!」


5人が頷く。


「レン殿の技術はやはり凄い!!」


「いいえ、メリットはまだあります。この竜骨先行法だと、外側の板は、最後に骨組みを覆う“皮”として打ち付けるだけでいいのです。職人が何千時間もかけて外板を一枚ずつ丁寧に噛み合わせる、あの膨大な手間がすべて不要になります」


小屋の中に、職人たちが息を飲む音が響く。


「それにいずれ話しますが、外側の歪みをほぼ無くす秘策があります。……マリーヌスさん。これでもまだ、無理な設計だと思いますか?」


レンがニヤリと笑って問いかけると、老頭領は深く生唾を飲み込み、拳を握りしめた。


「……いや。造れる。歪みが出ないなら俺たちの手で造れる。絶対に造ってみせる!! そうだろ、お前達!!」


「「おおおっ!!」」


幹部たちの地鳴りのような咆哮が、薄暗い作業小屋を激しく揺らし、 無事、第1回目の会議が終了したのだった。


ーーーーー

夜。

レンが打ち合わせの成功で、充実した気分を味わいながらクラウディアの邸宅に帰宅すると、邸宅の前には執事のダミアンが待ち構えており、静かに一礼した。


「レン様、お帰りなさいませ。お待ちしておりました」


「ただいま、ダミアン。ずっと待ってたの?」


「はい、クラウディア様が急用とのことで、私室でお待ちです。すぐにご案内致します」


「すぐに? 分かった」


レンがそのまま案内に従いクラウディアの私室へ入ると、彼女は長椅子に身を預けたまま、どこか沈んだ面持ちでこちらを見た。


「……帰ったのね、レン」


レンは不吉なものを感じ、お腹の子が流れたのかと視線を走らせたが、ふくらんだ腹を見て安堵した。


「……はい、クラウディア様」


「実は、あなた宛てに手紙が二通届いたの。一通はディアナ・コルネリウス。もう一通は……ルクレティアからよ」


「ルクレティア様は軟禁が解けたのですか?」


セウテスとの死闘の後、クラウディアは重傷のレンを一緒に見舞おうと、ルクレティアに使いを出した。しかし、マニウスが『娘は外出禁止にした』と使者を追い返し、それ以来、連絡が取れていなかった。


クラウディアは小さく首を振る。


「いいえ。ルクレティアは完全に自由になった訳ではないわ。ルクレティアの友達の侍女が、密かに手紙を持って来たの。侍女が言うには、ルクレティアの友達は、叔父上の怒りを買うのを恐れて、私に手紙を渡すのを断ったらしいわ」


そこでクラウディアは、少しだけ目を伏せた。


「……でも、ルクレティアは友達が席を外した隙に、その侍女に直接頼んだの、『クラウディアお姉様が必ず褒美をくださるから、お姉様に届けてほしい』って。涙ながらにね」


「なるほど……」


(手紙を出すにも苦労してる状況なんだな……)


レンはクラウディアが差し出した羊皮紙を受け取り、素早く文字を追った瞬間──黒い瞳が驚愕で見開かれた。


「……なっ!」


「どうしたの、レン?」


クラウディアが身を寄せる。

レンは手紙を握りしめ、声を絞り出した。


「……ルクレティア様が、来年の六月にマルクス・ポルキウス・カトと結婚することになった、と。

そして──『どうか助けてほしい』と書かれています」


クラウディアは瞳を鋭くする。


「カトと結婚? 叔父様も随分と思い切った手に出たわね」


「クラウディア様。ミネルヴァ様のまじないがある以上、何としてでもルクレティア様を助けねばなりません。……私なら誰にもバレずに、マニウス様の屋敷から助け出すことは可能ですが……。問題はそのあと、彼女をどこに匿うかです」


レンが困ったことになったと、顎に手をやり考える。

クラウディアもまた、悩まし気に深くため息をついた。


「……そうね。わたくしのこの邸宅に置くのは論外ですし、ローマ市内に留めておくのも危険すぎるわ。叔父様の捜索網を甘く見てはダメ」


「……そう言えばクラウディア様。以前、私の故郷がガリア南部のルテニ族だとお話しした際、部族の土地の近くにクラウディア様が支配している都市がある、と仰っていましたよね? そこへ、ルクレティア様を逃がすというのはどうでしょうか?」


レンが記憶を手繰り寄せながら尋ねると、クラウディアは呆れたように眉をひそめ、人差し指でレンの額を軽く小突いた。


「いてっ」


「レン、支配じゃなくてパトロン(支援者)よ。わたくしは女王ではないのだから、都市を丸ごと支配なんてしてないわ」


「えっと……パトロンと支配って、実際には大して違わないんですよね? 確か都市から税金? お金を貰っているんでしょ?」


クラウディアは呆れ顔でレンの顔を見た。


「……レン。あなた本当に、ローマについて何も知らないのね……。

仕方ないわ、いい機会だから覚えておきなさい。ローマが治める都市には、大きく分けて三つの種類があるのよ」


レンが首を傾げる。


「3つの種類ですか?」


「そうよ。ローマとの関係によって『同盟都市』、『自由都市』、『貢納都市』と厳格に格付けされているの」


そう言うと、クラウディアは長椅子の上で姿勢を正し、教育係のような顔つきになった。

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