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67 絹織組合長カエキリウス

紀元前76年7月下旬


夏の朝、セルギウスたち3人は三番目の小屋に集まっていた。

この小屋には、3週間前に交尾させて産ませたパキポサの卵が集められている。


卵は母親別に陶製の小皿の上に置かれ、皿のふちには母親のランク と 父親のランクが書かれていた。


小皿の数は183個。一皿につき200〜300個の卵が乗っており、全てがDランク以上の父親を持つ卵である。


卵の数だけならば既に4万個を越え、野生の環境とは違う、小屋の中であるため、70〜90%が孵化する見込みである。


本来なら卵はふたつきの木箱に収め、中には内張として麻布を敷いて湿度と通気を整え、卵が冬越えをしやすいようにするのが最良だった。

だがレンが修羅モードの取得に資金を使い切ったため、職人から購入するための費用が捻出できず、今は小皿での管理となっていた。それでも、冬までにはセルギウスたちが手作りの箱を用意する予定だった。万一、箱が用意できなくとも、壁と屋根があるだけでも、野生の環境よりは遥かにましである。


リクトスが卵を見て、興奮する。


「見て! 最初に産ませたAランクのオスとBランクのメスの卵が孵化し始めてるよ!!」


リクトスが嬉しそうに声を上げ、セルギウスが頷く。


「レンの指示書どおりだな。卵の多くは次の初夏までは孵化しないが、まれにすぐに孵化するものがあると書いてあった」


タルトも顔をほころばす。


「そうですね。1年に2回以上繁殖するパキポサは、全体の1割程度と、希少らしいですから。今回、Aランクのオスの卵が孵化したのはとても運がよかったです」


リクトスが驚く。


「ええっ、たった1割しか孵化しないの?」


セルギウスが静かに頷く。


「そうだ野生では1割ほどしかすぐには孵化しない。指示書によると、年に2回孵化するかどうかは、メスの遺伝子と環境で決まるそうだ。だから――」


「遺伝子ってなに!?」


「わからん。だが、たぶん親の特徴のことだろう。例えば人間の親が黒髪だと、産まれる子供も黒髪が多くなるといった感じだろうな」


「ウ~ン……よくわからないけど、なんとなくは分かったよ」


セルギウスが続ける。


「それでだ、今後は“年に2回孵化するメスの系統”だけを残し、それ以外は処分する。そうすることで、全てのパキポサが、年に2回繁殖するようになるらしい」


リクトスが驚いた顔で、卵の並ぶ小皿を見た。


「え! じゃあ、ここにある卵で、孵化しないのは捨てちゃうの!?」


セルギウスが首を振る。


「いいや、今回は冬越しをさせ、羽化した時にメスなら繭を作ったあと蒸気で蒸して殺し、繭を回収する。オスの優秀なヤツは残す。この中にも多くの優秀なオスが混じっているだろうからな」


「蒸して殺すの? 煮た方が簡単じゃない」


「煮てしまうと、すぐに繭をほどいて糸にしないと品質が下がる。だから繭のまま長期保存が出来るように蒸すんだ」


そう言うと、セルギウスが孵化した卵の小皿を手に取り、小箱へと移した。


小箱は一週間前から3人が作成を始めた、幼虫を育成するための箱である。

箱の横幅と奥行きはおよそ30センチで、高さは10センチにも満たない浅い箱である。


箱の中には麻布が敷かれ、幼虫の餌となる広葉樹の葉も入っていた。


幼虫を箱に移して数分後、リクトスが歓喜の声を上げる。


「見て見て、タルト! 幼虫が葉っぱを食べ始めたよ!」


「そんなに喜ぶようなことか?」


「え、なんか頑張ってる感じが、カワイイと思わない?」


「そっかぁ? まあ、それなら幼虫に餌の葉を与えるのはリクトスの仕事だな」


「うん、いいよ!」


「言っとくけど、幼虫は新鮮な葉以外は食べないから、古くなった葉は捨てるんだぞ。あと、たまに下に溜まったフンを処理しろ。それから、幼虫は脱皮を5回ほどするらしいから、脱皮して幼虫が大きくなったら箱が狭くなるだろ。だから、半分を空の箱に移動させて、手狭にならないようにしろ」


「ええ、そんなにあるの! 覚えられないし、一人じゃ無理だよ!」


「大丈夫だ、最初は手伝ってやる。慣れれば、ひとりで出来るって。それに俺たちだって、箱を作る作業があるんだ。何もしないわけじゃないぞ」


「う~ん、それならいいか……」




ーーーーー

10日後。

最終的に183個の小皿のうち、19個の小皿で卵が孵化し、幼虫となった。

(19皿×200~300個=約4000~6000匹)


更に30日後。

幼虫が繭を作り、リクトスが再び喜びの声を上げた。


「うわぁ! どの繭も大きいね! この繭を見てよ。こんな大きいのコス島で、繭を集めた時も無かったよね!」


「確かにこれは大きいな。お前が調子に乗って餌をたくさん食べさせたからじゃないのか?」


「ええ! それって、俺のおかげで大きい繭が出来たってことだよね!」


タルトが笑いながらリクトスの背をたたく。


「冗談に決まってるだろ。野生の蛾と違って飼育されて育ったからだろ。新鮮な葉を移動もせずにたらふく食べたんだ。人間だって、たらふく食べてる奴はだいたい太ってるだろ」


「確かにそうだね!」


セルギウスが静かに繭を手に取る。


「親以上に大きくなって当然なら、親と同程度の繭は間引くべきだろうな。ここがコス島だったら、もっと小さかったということだ」


タルトがセルギウスの顔を真剣な顔つきで見る。


「では、どのくらい間引きますか?」


「そうだな……半分だ」


リクトスがひっくり返ったような声を上げた。


「ええ、せっかく増えたのに、半分も間引いちゃうの!?」


セルギウスは確信に満ちた声で言う。


「孵化した卵は全体の1割だけだったが、孵化して繭を作った数はおよそ4千。これは、俺たちがコス島で集め、持ち帰った繭の数の4倍だ」


リクトスとタルトは息を呑み、目の前の繭の山を改めて見つめ直した。


「……確かに……」


タルトが戦慄を覚えたように呟く。


「たった1割しか孵化してないのに、5倍って……蛾の繁殖力ってすげえな……」


セルギウスが冷徹に応える。


「それだけの数を作らなければ、鳥などに喰われて子孫を残せない、弱い生き物ということだ」




ーーーー

2週間後。


セルギウスたちは間引いた2000個の繭を蒸し、繭を売る準備を整えた。


間引かれなかった繭は羽化し、1923匹のパキポサの成虫が誕生し、ランク付けがなされた。


ーーーー

ランク内訳

■前回

★オス384匹

Aランク  1匹

Bランク  9匹

Cランク 28匹

Dランク 54匹

Eランク 223匹

★メス377匹

Aランク   2匹

Bランク  21匹

Cランク  72匹

Dランク 115匹

Eランク 167匹


■今回

★オス941匹

Aランク  16匹

(+15匹)

Bランク  65匹

(+56匹)

Cランク 109匹

Dランク 158匹 

Eランク 593匹


★メス982匹

AAランク  5匹

(+5匹)

Aランク  32匹

(+30匹)

Bランク 135匹

(+104匹)

Cランク 219匹

Dランク 234匹 

Eランク 357匹


※メスはあまり動かないため評価が高い。


今回のカップリングでもDランク以上のオスのみが使用された。

なお、レンの指示書に従い、遺伝子の多様性を残すため、兄妹での近親配合は行われなかった。


ーーーーーー

紀元前76年9月下旬


ローマの一等地であるパラティヌスの丘にそびえ立つ、壮麗なクラウディア邸。


セルギウスたち3人は執事のダミアンに案内され、純白の大理石の床を踏みしめながら、クラウディアの待つ執務室へと向かった。


セルギウスたちが部屋に入ると、中央のソファーにはクラウディアが座り、その隣のソファーには上質なチュニカをまとった見知らぬ男が座っていた。


ダミアンが三人を指し示しながら頭を下げる。


「クラウディア様、レン様の部下をお連れしました」


セルギウスたちがうやうやしく頭を下げる。


「お久しぶりです、クラウディア様」


クラウディアが優雅に微笑む。


「ええ、お久しぶりね、セルギウス。手紙を見てびっくりしたわ。商売をするとは聞いていましたが、まさか絹に手を出すとは思っていませんでした。コス島の絹の元となる蛾を手に入れて育てたそうだけど、コス島の絹の事業は大きくないと聞きました。本当に儲かるのかしら?」


「クラウディア様。レンにはこの事業で儲けるための秘策があります。我々が育てたパキポサの繭を実際にご覧頂ければ、お分かり頂けるかと……」


「わたくしが繭を見ても分からないわ。繭の品質の判断はここにいる絹織組合の長、カエキリウスがします」


クラウディアが隣の長椅子の端に腰を掛けている、恰幅の良い男を扇子で示した。男は愛想のいい笑みを浮かべて挨拶する。


「絹織組合のカエキリウスと申します。どうぞよしなに」


カエキリウスはクラウディアの紹介相手であるため、セルギウスたちに丁寧に頭を下げた。だが内心はセルギウスたちを軽く見ていた。


「私はレンの部下のセルギウス。こちらはタルトとリクトスだ」


3人が頭を下げると、カエキリウスはすぐに本題を切り出す。


「それでは、セルギウス殿。あなたたちが育てた、自慢の繭を見せて頂けますかな」


カエキリウスはどうせ大した品質の繭ではないと、高を括っていた。


心の中では、

(元剣闘士たちがパキポサを育てたのは、所詮は小遣い稼ぎのためのものだ。同じパキポサから取れた繭なら、本場のコス島で育ったパキポサの繭の方がずっといいに決まっている。

それにコス島の絹は東方の絹に劣っていて高値はつかない。だからパキポサは農家では飼育せず、パキポサの好む灌木地帯を保護して、そこで自然に育った繭を採取するという“半飼育方法”が取られているのだ。人が手間暇をかけて育てれば、コストの面で半飼育で取った繭に負ける)

そうカエキリウスは思っていた。


タルトが緊張した面持ちで、抱えていた木箱を大理石の台の上へ置き、慎重にその蓋を開け放った。


中を見た瞬間、カエキリウスの貼り付けたような営業スマイルが僅かに崩れた。


「おお……っ」


カエキリウスは繭を手に取り、指先でそっと表面をなぞった。


「……これは凄い。

クラウディア様、この繭はコス島で取れる中でも最大級の大きさです。それに、手触りがまったく違う。糸の締まりが良く、表面も滑らかだ。密度も高い……間違いなく極上品です」


「まあそうなの。さすがはレンね、最高品質の繭を育てる方法も知っているなんて凄いわ」


カエキリウスがセルギウスを見る。


「納品して頂ける繭は、この箱にある繭と同等の物でしょうか?」


「そうだ、見ての通り大きさに多少の違いはあるが、これと同等の品だ」


カエキリウスが身を乗り出す。


「それで数はいくらほど納品できる?」


「今年は、この箱を含め2000個だけだ」


カエキリウスが眉を寄せ、残念そうに首を振る。


「クラウディア様、2000では話になりません。いくら絹が高価と言っても、繭2000個では絹を1たんも作れません。0.3反ほどです。繭の買取額も200~300デナリウスが相場です。下層労働者1人分の年収程度では、組合長の私みずからが扱う仕事ではありません」


カエキリウスの手のひらを返したような冷淡な態度に、セルギウスは動揺せず応える。


「納品できる繭の品質は、来年にはもっと上がる。それに数も恐らく6万ほどは納品できるだろう」


その言葉に、カエキリウスの眉がピクリと跳ね上がった。


セルギウスの計算では、現在手元にある2千以上の繭(その多くが年2回繁殖から得られたもの)が来年羽化して繁殖すれば、初夏に4万以上の卵が得られる。その卵が孵化し、出来た繭の半分を間引けば2万の繭が得られる。


そして2回目の繁殖もある。2万の繭のほとんどが羽化すると仮定すれば、もう一度得られる繭の数は、計算上、最大6百万にも達するのだ。


だが――問題がある。


レンがこの技術の秘匿を望んでいる以上、外部の人間を増やすわけにはいかない。これまで通り3人で育てれば、1人あたり3千匹を飼育するのが限界だった。

しかし、多少死んでも構わないと割り切って、掃除などの飼育をざっくりと行えば、1人で1万から2万匹は育てることも可能だと、セルギウスは踏んでいた。


つまり――

3人で雑に回せば、来年には2回の収穫で6万~12万個の繭が手に入る。

セルギウスはそう考えて納品は6万と答えたのだ。


カエキリウスは顎に手を当て、商人らしい素早い計算を始める。


「来年には6万……。ならば、再来年には30万は超えることも可能か……」


その呟きに対し、セルギウスはすぐに首を振った。


「6万以上に増やせるかどうかは、パキポサを育てる人を増やせるかどうかによる。現在のレンの部下は我々3人だけ。3人では6万ほどが限界だ」


「ならば人を雇えばよいだけでしょう? この品質なら、我が組合がいくらでも買い取るぞ」


カエキリウスが色めき立って身を乗り出す。


しかしセルギウスはそれを無視し、静かにクラウディアへ視線を向けた。


「人を増やすかどうかは、レン次第です。レンはこの繭の作り方を秘匿しておりますので、我々で勝手には増やせません」


クラウディアは優雅に扇子を広げ、興奮しかけている大商人をなだめるように告げた。


「カエキリウス、とりあえず来年以降は6万以上を納品するということで手を打ちなさい。それ以後のことは、レンが自由になってから決めるとしましょう」


「……承知しました」


カエキリウスは圧力に負け、頭を下げた。


その一方で、セルギウスたちは、主であるレンが『自由になる』という言葉を耳にし、驚愕で目を見開いていた。


「レンが、自由になるんですか……っ!」


リクトスが興奮のあまり大理石の台へ身を乗り出す。クラウディアは一瞬ビクリと驚いて身を引いたが、すぐに微笑みを浮かべた。


「ええ。一週間後、クラッスス様がお開きになる興行にレンが出ます。ここだけの話ですが、その目玉試合でレンがセウテスを倒せば、クラッスス様が元老院を動かして彼を奴隷から解放してくださる手筈になっているわ」


「「セ、セウテスを倒す……!?」」


絶対的王者セウテスの強さを知る3人は、不安そうに顔を見合わせた。


だがクラウディアの琥珀色の瞳には、ただ盲目的なレンへ信用が宿っていた。


「心配しなくても大丈夫です。レンは必ずセウテスを倒し、自由を掴み取ります」


自信満々に言い放つクラウディアを前に、3人はなんとも言えない微妙な顔で、ただ小さく頷いた。

物語ではパキポサを『卵のまま越冬する設定』にしましたが、現実のパキポサはカイコと違い、幼虫の姿で冬を越す1化制(年1回の繁殖)しかいないらしいです。

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