62 再現試合(後)
「フェルロックス、大丈夫か!?」
テレンティウスの第三隊十名が戻り、フェルロックスの後ろに剣を構えて立つ。
「作戦に変更はない! 五人一組でレンに当たれ!」
フェルロックスは振り返らず、目の前のレンを見据えたまま短く吠えた。
五人一組の作戦は第三隊の者たちも、ガリア兵の処理に向かう前に聞いていた。
そのため即座に二組に分かれ、レンに剣を向けた。
だが第三隊の者たちには、もうレンと本気で殺り合う気はなかった。
この試合はデスマッチではない。
彼らの頭の中にあるのはただ一つ──生きて帰ることだ。
ここで致命傷を受けずに、軽傷で済ませて降伏の権利を得る。
それが彼らの最大の目的となっていた。
これは先に壊滅した第一隊と第二隊の者たちも同じだった。
最初の弓隊こそ全員が死亡したが、第一隊と第二隊の半分以上は、傷を負った瞬間に降伏を宣言し、生きて戦線を離脱していた。
レンは新手との戦いを前に、二刀の構えを解くと、あろうことか必死に間合いを測っている第三隊の精鋭たちの前で、平然とうんこ座りでしゃがみ込んだ。
(あいつ……何を企んでいる……!?)
フェルロックスは盾の隙間からレンを凝視する。
「……これでいいかな?」
レンは足元に転がっている死体から、良さそうなグラディウス(短剣)を見繕うと、自身の剣と交換した。
レンの剣は特製とはいえ、すでに30人以上を斬りつけてボロボロとなっていたのだ。
レンは特性の剣を砂の上に置くと、現地調達した二本の剣を軽く振ってバランスを確かめる。
「お待たせ! それじゃあ、最終ラウンドといこうか!」
(クッ、こいつふざけやがって!
剣の交換をしてるなら攻撃を命じるべきだった! 普通は急いで剣の交換するもんなんだぞ。なんでお前は呑気にしゃがみで交換してんだよ!)
レンが不敵にニヤリと笑った瞬間、フェルロックスの視界からレンの姿が消えた。
「なっ……!?」
次の瞬間、響き渡ったのは神速の二刀流による「一方的な虐殺」の音だった。
距離を保ち、間隔を開けて包囲していたはずの精鋭たちが、一瞬で間合いを詰められ斬られてゆく。
斬られた者たちは大盾を落とし、崩れ落ちる。
「ぎゃあああ! 降伏! 降伏ッ!」
「腕を斬られた、俺も降伏だ! 医者を頼む!」
「軽傷での降伏」を狙っていたベテランたちは、レンの容赦のない攻撃の前に、その目論見を砕かれた。
レンも一応は、傷を負わせれば敵が降伏をすると気づいてからは、致命傷となる攻撃を放ってはいない。
ただし、その攻撃に容赦はなかった。腕を完全に斬り落とすようなことはしないが、腕の半分近くまでざっくり斬ってしまう。そのため刃は骨まで達していた。
これはレンが『傷が浅すぎて降伏しなかった場合、もう一度斬るのが面倒くさいな』と思ったからだった。
(化け物め、まだスタミナは尽きないのか! ……頼むから止まれ、止まってくれ!)
フェルロックスの願いもむなしくレンの警戒な動きは終わらない。
試合開始から既に10分を超えるが、その動きは一ミリも衰えてはいない。
(なぜバテない。
なぜ呼吸すら乱れないんだ!)
フェルロックスが培ってきた「剣闘士としての経験」が、粉々に噛み砕かれていく。
「クソがぁッ!!」
ついに耐えかねたテレンティウスが、一流剣闘士のプライドをかけた一撃を放った。
だがレンはそれを、流麗な身のこなしで紙一重でかわすと、すれ違いざま、右手のグラディウスでテレンティウスの太ももを深く切り裂いた。
「がはっ……! 降伏だ!」
テレンティウスは砂に膝を突き、『あと頼む』と無念の顔でフェルロックスを見た。
(テレンティウス……)
ついにアリーナに立っているのはレンとフェルロックスの二人だけとなった。
その時、レンが何かに気づいた顔をした。
「しまった! 怪我せずに降伏した奴は殺すって約束してたのに、殺すの忘れてた!」
(は? こいつは何を言ってるんだ? 降伏した者を殺す? 頭おかしいのか?)
フェルロックスが辺りを見ると、数万人の観客が、固唾を飲んで二人の動向を見守っていた。
彼らには一瞬でレンがフェルロックスを倒すのか、それともフェルロックスがレンとの互角の戦いを見せてくれるのか予想がつかなかった。
ただ分かっているのは、これから一騎打ちが始まるということだけだった。
「さて」
レンが、呼吸一つ乱さぬ平然とした顔で、フェルロックスにグラディウス(剣)の切っ先を向けた。
「最後はサクッと終わらせようか、ポンペイの王者!」
「まあ、待て。ガリアの英雄と言うだけあって大した実力だな」
「そりゃどうも、その実力を今見せてやるよ!」
「だから待てって!!」
レンが動こうとするのを、フェロックスが必死で手で制する。
「なあ、英雄! はっきり言って君の方が俺より強い! だけどな、観客は俺たちの激闘を期待しているんだ。だから……もうちょっと手を抜いてくれないか?」
「はあ……? ……そんなこと言われたのは初めてだぞ。あんた本気なのか?」
レンは拍子抜けしたようにグラディウスを向けたまま、目を丸くしてフェルロックスを見た。
太ももを深く斬られて離脱しようとしていたテレンティウスと、離脱の誘導をしていた審判の二人も「こいつ、マジか……?」とフェルロックスを凝視した。
数万人の観客が見守る中でのポンペイの王者による八百長の交渉、驚くのも無理はなかった。
だが当のフェルロックスは、そんな周囲の視線を気にしている余裕は無かった。
(プライドで命が救えるか! 俺の王者の名誉が保てるのか!)
フェルロックスの目は真剣そのものだった。
「本気だ。君の強さは十分に分かった。だが、ここで俺の首を一瞬で飛ばせば、興行としては大失敗だ。観客たちはあっけなく殺されるローマの英雄カミッルスの姿など観たくはない。そんなことをすれば君の名声は地に落ちるぞ」
「そうか? サクッとあんたの首を飛ばして俺がこう言うのはどうだ?
『コイツは英雄カミッルスの偽物だ! 本物のカミッルスとの戦いはまだ始まってなかったってことか!?』 ってな」
「悪くはない。だが一人でそれを言ってしまうと説得力が欠ける。場がしらける可能性も高いぞ」
レンが不満そうに眉を寄せてるのを見て、フェルロックスは慌てて続きを提案する。
「いいか、観客が満足するのは熱い戦いと友情だ」
「友情?」
「そうだ。プロの試合(見世物)を一緒に作るんだ。たった数分でいい、俺の剣を華麗にいなして、激しく切り結んでいるように見せるんだ」
命惜しさに大真面目に説得してくるフェルロックスに、前世のサラリーマン時代の記憶がよぎる。
(コイツも苦労してるんだな)
「そして最後に体力が尽きた俺が自分から大声で降伏するんだ。そして、君と握手をしながらこう言うんだ。『今日は負けたが、明日はローマ軍の本隊が到着する! 明日こそが本当の戦いだ』ってな! これなら翌日の戦いでカミッルスが勝ったっていうことで歴史再現になるだろ?」
「ウ~ン……まあ、それでもいいかな?」
フェロックスがレンの了承に、満面の笑みを浮かべる。
「そうだろ! これで行こうぜ!」
「分かった。それでいい」
レンはふぅ、と小さくため息をつき、二本のグラディウスを構え直した。
「いくぞフェロックス!」
「こい!」
フェルロックスもまた、不敵に笑って大盾を構え直す。
観客席から最後の声援が飛ぶ。
『いけフェルロックス! 敵は疲れてる筈だ、お前なら勝てる!』
『そうだフェルロックス、カミッルスが負けるなんて許されねえぞ!』
『バカ言うな! あのレンの強さを見ただろ! 賭けは俺の勝ちだ、殺れ、レン!』
『レン様、頑張って~』
数万人の欲望と期待が渦巻く中、レンの身体が爆発的な踏み込みを見せた。
ガギィィィン!!!
レンのグラディウスが、フェルロックスの大盾のど真ん中に叩きつけられ、
アリーナ全体に凄まじい金属音と火花が飛び散った。
観客席から「おおおおっ!」と地鳴りのような歓声が湧き上がる。
数万人の観客の目は完全に欺かれ、本気の戦いだと信じた。
レンはスピードを緩めなかった。
だが攻撃しているのは、フェルロックスの持つ盾と剣の部分だ。それだけで、いかにもフェルロックスがレンの攻撃を防いでいるように観客たちには見えていた。
(嘘だろ……)
攻撃を防いでいるはずのフェルロックスには、レンの神速の剣筋がまともに見えていなかった。
適当に盾を動かし、剣を振るだけで、そこにレンが攻撃を当てて来ているだけだ。
(危なかった……、もし八百長を頼んでいなかったら、本当に瞬殺されてたぞ!)
フェルロックスは王者の貫禄を見せつけるため、それらしく剣を振る。大盾は動かすだけで、レンがわざとそこへ自身の剣をぶつけて来てくれる。
楽な仕事だった。
フェルロックスは次第に調子に乗り、レンめがけて剣を振りはじめた。
「はあああッ!!」
観客は攻勢に転じたフェルロックスに興奮した。
『フェルロックスの反撃が始まったぞ! いける、勝てるぞ!』
『いや、まだだ! 手数はレンの方が多い!』
――キィィン! カァァン!
派手に火花が散るたび、観客席のボルテージは跳ね上がった。
『素晴らしい……! なんという激闘だ!』
『ポンペイの王者も、ガリアの英雄も、どちらも化け物だな』
興行主のガイウス・クラウディウス・グラベルも特等席から満足そうに笑みを浮かべた。
先ほどまで、レンの圧倒的な力を前に、凍りついていた観客たちは、目の前で繰り広げられる「歴史的名勝負」に我を忘れ、狂ったように拳を突き上げた。
激しく剣を交え、至近距離ですれ違う瞬間──二人の視線が交錯した。
(レン、完璧だ! 最高のプロの仕事だ!)
フェルロックスがレンに、目で大絶賛を送る。
(ん? そろそろ終わろうぜ、ってことかな?)
勘違いしたレンは、分かったと頷いた。
フェルロックスとの一騎打ちの開始から既に5分を超える。
終わりだと勘違いしたレンが、ひときわ大きく見栄えのいい横一文字の薙ぎ払いを放ち、フェルロックスの構える大盾を派手に弾き飛ばした。
大盾が砂の上に転がり、フェルロックスが『うわっ、良い所だったのにやっちまった!』と心で絶叫しながら身体を大きくよろめかした。
勝負あり。
誰もがそう確信した瞬間、フェルロックスは天を仰ぎ、喉がちぎれんばかりの大声で叫んだ。
「これまでだ! 潔く降伏しよう!!」
カミッルス役の敗北宣言にアリーナが静寂に包まれる。
「だが、皆に言っておくことがある。最後まで聞いて欲しい!!」
フェルロックスは剣を収めると、平然とした顔でレンに歩み寄り、その右手を力強く握りしめた。
「ガリア王のブレンヌス! 今日の戦いは私の負けだ、だが良い前哨戦だったぞ!」
数万人の観客が、フェルロックスの言葉に一瞬理解が追い付かず息を呑んだ。
「ガリアの英雄よ、今日は確かに私の負けだ!
だが──明日は我がローマ軍の本隊が到着する!
明日こそが、本当の戦いなのだ!!」
その言葉が響き渡った瞬間、観客たちは悟った。
ローマが負けた場合の設定も用意されていたのだと。ローマが負けた場合、この試合はマルスの野の戦いの前哨戦に書き換えられる。これはそのための演出なのだと理解(誤解)した。
『……おお! なるほどこれが隠された史実のカミッルスのセリフか!』
『前哨戦か、明日こそローマが勝つんだな!』
『負けてなお気高きローマの英雄か! カミッルス、万歳!!』
『レンもよくやったぞ、明日は負けるがな! ガッハッハ!』
貴賓席では、ルクレティアとクラウディアが歓喜の笑みを浮かべた。逆にレンを陥れようとしていた父親のマニウスは屈辱で歯ぎしりをする。
「どうだレン? 完璧だっただろ」
握手をしたまま、フェルロックスが満面の笑みで囁いた。
「そうだな。あんた演劇の才能があるんじゃないか? 観客がみんな喜んでるぞ」
フェルロックスはニコリと笑う。
「俺はポンペイの王者だからな」
この日の、レンとフェルロックスの一騎打ちは伝説となった。
興行主のグラベルは、二人の名勝負を大いに讃えた。
そして勝者のレンには3万デナリウスの報奨金を、敗者のフェルロックスにも、特別褒賞金として3万デナリウスを与えた。




