56 プレゼント
レンが歴史的大勝利を収めた日の夜。
レンはベスス教官に呼び出され、教官用のテントに赴いた。
「レン、よくやってくれた! 今回もオーナーから多額のボーナスを貰ったぞ!」
(そうか、なら半分くらい寄越せよな。全部、俺のお陰だろ)
「いえ、仕事をしただけですから……。ところでベスス教官、急用だと言われて来たのですが、どのような御用でしょうか?」
「ああ、そのことだがな……」
ベススは不敵な笑みを浮かべる。
「よかったな、レン! 明日、ローマを離れる前に、今夜また美人の貴族がお前を指名したそうだぞ!」
(はあ、またかよ! 試合の直後くらいゆっくりさせろ! ブラック企業にもほどがあるだろ!)
内心で激しいツッコミを入れながらも、レンは営業スマイルを作って応えた。
「……そ、それは嬉しいお話ですね……?」
ベススは、傍らに立つ一人の男を見た。
「この奴隷が案内する。さっそく今から向かってくれ」
「今からですか!?」
「そうだ」
奴隷が即座に頭を下げる。
「レン様、私はアーヴィンと申します。我が主人の元にご案内致します」
「……わかった」
レンは途中、自分のテントに立ち寄り、イオに事情を説明した。
「……ごめん。運がよければすぐに帰ってくるから……」
「はい、旦那様。お仕事頑張ってくださいね!」
イオは小動物のような愛らしい笑みを浮かべて両手を振って応える。レンはその純粋な忠誠心は嬉しかったが、恋人の嫉妬と程遠いのが悲しかった。
アーヴィンに従い、夜の帳が下りたテント陣営を歩く。
レンは最悪の可能性を考えていた。
(……またファビアじゃないだろうな?)
脳裏をよぎるのは、百キロ超えの呪われた質量兵器。
昨夜のディアナは若く美人だったから『感情伝播』が失敗に終わったが、ファビアなら撃退できる筈だと思った。
だがレンの心に一抹の不安もあった。
試合の直後に貴族席にファビアを見つけたので、すかさずファビアに向かって『感情伝播』のスキルを発動していたのだ。
そのため、もし距離が遠くて通用しなかったなら、再度スキルを使用すればいいだけだ。だが、ファビアが純粋にレンの嫌悪感を上回るほどの、えげつない欲望を抱いていればジ・エンドである。
最高級の特設天幕にたどり着くと、案内奴隷が恭しく垂れ幕を押し上げる。
『どうぞお入りください』
レンは意を決して、豪華な刺繍が施された特設天幕の内部へと足を踏み入れた。
甘い香油の香りと、質素だが整った空間。
踏み込んだ瞬間、レンは反射的に周囲を鋭く探った。
しかし、奥のベッドから響いた声は、脳裏にこびりつくファビアの濁声ではなかった。
「──ずいぶんと怖い顔をして入ってくるのね、レン」
上品で柔らかく、どこか絶対的な気品を帯びた女性の声。
純白のトガをまとい、琥珀色の瞳を優雅にこちらへ向けていたのはクラウディアだった。
「クラウディア様!?」
レンは思わず硬直する。
「そんな顔をして。……昨夜は別の貴婦人の天幕に呼ばれていたとバティアトゥスに聞いたけれど? 恐ろしい目にでもあったのかしら?」
クラウディアは少し呆れたように、しかしどこか余裕を装いながら口元を緩めた。
「いえ、ディアナ様はとてもよかったです。今回はファビア様に呼ばれたのかと思って……っ」
クラウディアがスッと目を細める。
天幕の温度が一度下がったかと思うほどの、冷ややかな視線だった。
「ふ~ん。やっぱり剣闘士だから、たくさんの女性を相手にしてるのね」
クラウディアの声の端からは、隠しきれない嫉妬心が漏れ出していた。
レンはなにか地雷を踏み抜いたかなと、慌てて手を振った。
「いえそんなことは無いです! イオ以外ではまだ二人だけですから! 」
「イオを含めたらまだ3人なの? それはずいぶんと少ないのね」
クラウディアは長椅子からゆっくりと立ち上がると、豊かな双丘をドレスの内で小さく波立たせながら、レンの目の前へと歩み寄ってきた。
人気の剣闘士にしては随分と少ない数に内心では少しホッとしていた。
クラウディアは上品で柔らかい声音で問う。
「大きなプレゼントをあげると言ったでしょ。今日の勝利の褒美はわたくしです。……ですが、あなたが別のものが欲しいというなら、そっちでもいいわよ。そうね、例えば特別な剣、あるいはイオくらいの美人の女奴隷をもう一人プレゼントしましょうかしら?」
「い、いえ。プレゼントは絶対にクラウディア様ご自身がいいです!!」
(クラウディアほどの女を断るなんて男じゃねえ! それに転生して初めて目を付けた女だ! 俺のハーレムにぜひ加わって貰いたい! それに何でか知らないけど、既にこの人、俺に気があるよな! 顔が薄っすら赤いんだよ。この感触はディアナ様で経験したから間違いない! やっぱイケメンって最高だよな!!)
クラウディアの問いかけは、レンの本心を暴くための計算された言葉だったが、レンはその言葉の意味を理解することなく、彼女が最も欲しい言葉を返した。
「そう……いいわ。なら今夜はわたくしが貴方を満足させてあげるわ」
濃厚な大人の色香を漂わせるクラウディアの琥珀色の瞳は、もはやレンを子供ではなく、一人の男として見つめていた。
レンは堪らず彼女の細い腰に腕を回し抱き寄せる。
「クラウディア様!」
「──っ、レン……」
クラウディアの口から、驚きと、それ以上の歓喜に満ちた熱い吐息が漏れる。レンはそのまま、彼女の艶やかな唇を塞いだ。二人はお互いの存在を確かめ合うように、甘く濃密なキスを交わす……。
ーーーーーー
数日後。クラッスス邸。
ローマの大富豪クラッススは、執務室でクラウディアとその執事のアンドリューと面会していた。
クラッススは、差し出された小箱の中を、興奮の入り混じった眼光で見つめる。
「ほう。これが芽の出るシルフィウムの種か、間違いないな?」
クラウディアは笑みを浮かべ、アンドリューの方へ手を向ける。
「はい、種はレンの指示に従いこちらのアンドリューが責任を持って用意しました。そうよね?」
アンドリューは深く一礼する。
「……はい。レン殿のメモに従い、私が用意しました。ですが芽が出るかは私には分かりかねます。レン殿の方法で芽が出てくれればよいのですが……」
「……芽が出るかは分からぬか。なるほど確かにその方の言うとおりだ。方法が間違っておれば芽は出ぬ」
「クラッススさま……」
クラッススはピンセットで慎重に種を摘み上げ、ランプの光に透かした。
それをアンドリューは心臓が抉られるような緊張で見つめた。
(……この種は完全に茹で上がっている。だが、外見だけでは分からないはずだ!)
「栽培不可能な幻のハーブ。もしこれが栽培出来れば、少量しか取れなくなったキレナイカ地方のシルフィウムなど目ではない。だが……」
クラッススは種を箱に戻すと、冷酷な目でクラウディアを見た。
「まともに芽が出なければ、責任を取って貰うぞ。無駄に農地を手配をした損失などではなく、この私に期待を抱かせた罪だ」
クラウディアは優雅に扇子を広げ、大人の余裕を崩さずに微笑んだ。
「わかっておりますわ。芽が出なかった時には、契約通り、100万デナリウスの違約金をお支払いしますわ」
「ふっ。たかだか100万程度貰っても嬉しくはない。芽が出なければそれ以上の損失をそなたは被ることになる」
「けっこうですわ」
「相変わらずよい度胸をしている。女にしておくのが勿体ない」
クラッススは笑って、クラウディアと握手を交わす。
それを見ながらアンドリューは内心、舌打ちをした。
(クラウディア様、すべてあなたが悪いのですよ。あんな男に入れ込んで私を無視した罰。そう……これは天罰なのです)




