54 死刑囚の軍団
レンのアッパーカットでのされたヴェルコが目を覚まし、ヴォルカスが契約書の事を説明した。
ヴェルコは最初「そんな契約は俺は認めない、破棄だ!」と怒鳴ったが、ヴォルカスが説得し、最終的には受け入れた。
彼にも生き残る道はそれしかないと理解したのだ。
やがて試合の時間が近づき、伝令奴隷が呼びに来ると、三人はゲート近くの待機テントへと移動した。
それから二十分後、
試合の時間がやってきた。
「おい、ガリアの英雄と双璧! 時間だ、出ろ!」
テントの外からベスス教官の怒鳴り声が聞こえ、急いで外に出る。
「ほら、お前らの獲物だ。派手に暴れてこい」
ベススに顎で促され、レンは武器棚から使い慣れた二本の剣を一本ずつ引き抜き、左右の手に一本ずつ握る。
ヴェルコとヴォルカスも、それぞれ盾と剣を重苦しい表情で受け取った。
レンは二剣の刃を軽く打ち合わせ、鋭い金属音を響かせながら、沈黙している二人を見据えた。
「いいか、約束通り俺の邪魔だけはするなよ。大人しく俺の後ろで敵方の応援でもしてろ」
ヴェルコが顔をしかめる。
「は!? 何で敵を応援するんだよ!」
レンはニコリと笑う。
「お前みたいな運の無い奴に応援されたら、応援された方が負けそうな気がするだろ?」
「くっ……とことんフザケた野郎だ! 分かったよ、敵の応援をしてやる! だから絶対に勝てよ!」
ゲートが開くとレンを先頭に、三人はアリーナへと歩き出した。
一歩中へ出た瞬間──
鼓膜を破らんばかりの数万人の大歓声が、空から降り注いだ。
『さあ、ローマ市民の諸君! お待ちかねのメインイベントだ!
入場したのは──前回のフィリップス閣下の興行で、熟練の剣闘士5人を3人で粉砕した。
ガリアの英雄レンとその双璧だーーーっ!!』
先頭に立つレンは、両手に持った二剣を天高く掲げ、数万人の大歓声を全身に浴びながら、引きつった笑顔を作った。
(やっぱ人に見られるのって緊張するよな。人からカッコいいと思われたり、尊敬されたりするのは好きだけど、見られるのはイヤだな……)
小心者のレンは、学校や職場でも隅っこの方でジッとしているタイプだった。
レンの後ろの二人も、観客にポーズを取ってはいるが、その表情はレンとは別の意味で硬い。
審判がさらに声を張り上げ、対面のゲートを指し示す。
『そして、対する東翼──!! ガリアの英雄レンと双璧に対抗するため、カトゥルス閣下が特別に手配された、最強の死刑囚二十人どもだぁぁーーーっ!!』
ゴオォォォン……!
重苦しい鐘の音が闘技場に鳴り響き、鉄製ゲートが、ゆっくりと持ち上がる。
20人の死刑囚を見た瞬間、観客からはどよめきが起こった。
死刑囚が元軍人だと、目玉試合の発表時点で知らされていた。
だが──その装備は観客の想像を遥かに超えるものだった。
現れた死刑囚はローマ正規軍の標準装備──
大盾・投槍・短剣を身につけていた。
そして──あろうことか通常は無防備のはずの上半身に、重厚な皮鎧と皮兜 までもが装備されていた。
ーーー
この時代は、120年後のネロ皇帝の時代の試合と違い、死刑囚はもちろん、剣闘士でさえ上半身が裸なのが基本のスタイルだった。
そのため観客は、その“異様な重装備”に息を呑んだのだ。
ーーー
ヴェルコとヴォルカスの2人も、鉄壁の重装備を前に、顔を真っ青にした。
「嘘だろ、こんな装備をしてるなんて聞いてないぞ……」
「こ、こんなのイカサマだ!」
(はあ? お前らこの程度でなに憤ってんの? イカサマなんて毎度のことじゃねえか……)
アリーナ全体が異様なざわめきに包まれる中、中央の特等席のバルコニーに、ひときわ豪華なトガをまとった初老の男が姿を現した。
現在の元老院で三本の指に入る重鎮にして、今回の興行主──
クィントゥス・ルタティウス・カトゥルスその人である。
カトゥルスが厳かに右手を掲げると、数万人のローマ市民は一瞬で静まり返った。
「ローマ市民の諸君」
低くよく通る声がアリーナに響き渡る。
「先日、フィリップス閣下の興行にて、ガリアの英雄レンが奇跡的な勝利を収めた。その試合を私は諸君とともに大いに楽しんだ!」
観客席から賛同の歓声が上がる。
「だが! 今回、私はそれを上回る最高の試合を諸君にお見せしよう!」
観客からの歓声を受けつつ、
カトゥルスは視線を死刑囚へと落とし、不敵に口角を上げ、指差した。
「私が用意したのは、前回のような規律を持たぬ烏合の衆たちの泥仕合ではない、軍隊だ! 真のローマ市民が喜ぶべき娯楽だ! 法を犯し、死を待つのみとなった元兵士の死刑囚どもに、私は再びローマの装備と鉄の規律を与えてやった!」
カトゥルスは次にレンたちを見た。
「だが『ガリアの英雄とその双璧』ならば、この本物の軍隊をも倒し、素晴らしい戦いを我々に見せてくれると期待しよう!! そう、例え英雄が死ぬことなろうともな! 誉れ高きローマに栄光あれ!!」
カトゥルスが演説を締めくくると、凄まじい大歓声がスタジアムを揺るがした。
観客たちは、ガリアの英雄レンが、鉄壁の重装軍隊を相手にどう立ち回るのかという、最高のエンターテインメントに興奮と期待を寄せる。
やがて中央に立つ主審が大きく木剣を振り下ろした。
「試合開始!!」
ゴオォォォン……!
試合開始を告げる重苦しい鐘の音がアリーナに轟き渡った。
その瞬間、東翼に並んだ二十人の重装軍人が、左右の者と大盾をガチリと揃え、三つの一列横隊に分かれ、レンを三方から囲むように、軍靴の足音を響かせながらジリジリと距離を詰め始めた。
ザッ、ザッ、ザッ……!
レンとの距離が数十歩に迫ったところで、ピタリと全軍が足を止めた。
「投槍、用意!」
一糸乱れぬ規律の元、彼らが右手に構えたのは、ずしりと重いローマ軍の投槍だ。
全軍のその穂先は、レンただ一人に向けられる。
「おい、レン! 投槍が来るぞ! お前だけを狙ってやがる!!」
後ろにいたヴォルカスが、空気を引き裂くような絶望の声を上げた。
フッ、とレンは不敵に口角を上げた。
(スキル発動、グループB、それと動体視力強化!)
その瞬間、レンの体に力が宿り、
視界の端にトースト通知が流れる。
以下のスキルが発動しました。
★筋力強化 Lv.59
(筋力+590%)
★スタミナ強化 Lv.59
★敏捷強化 Lv.59
★集中力強化 Lv.58
★耐久力強化 Lv.58
★『敵攻撃の先読み Lv.75』
★動体視力強化 Lv.30
「放て!!」
指揮官の命が下り、元軍人たちの手から二十本の投槍が一斉に放たれた。
ヴェルコが恐怖に顔を覆って叫ぶ。
「うわああ、死んだ──っ!!」
凄まじい風切り音と共にレンを襲った。投槍がレンを襲う。
だが──スキルを発動させ、瞬時にゾーンに入ったレンには、全てがスローモーションに見えていた。
(……遅い)
レンは槍の飛んで来ない場所を見切ると、数歩だけ移動した。それは距離にして2mも動いていない。
無数の鉄の穂先がレンがいた空間を容赦なくブチ抜き、槍が地面に刺さると、観客からどよめきが起こった。
『い、今、当たったよな!?』
『なんで避けなかったんだよレン! お前なら避けれただろ!!』
『バカ、避けれる訳ねえだろ! あんなに投げられたら死ぬに決まってる!』
『よっしゃー! 賭けは俺の勝ちだ!』
『カトゥルスはんも、エグいことしますなあ』
『いゃーレン! 死なないでぇぇぇ!!』
悲鳴と怒号と歓喜が、一瞬にして闘技場を包み込んだ。
特等席のクラウディアすらもまさかの事態に、手元の扇子を強く握りしめて琥珀色の瞳を大きく見開いた。
だが次の瞬間、レンは何事もなかったかのように軍人たちの方へ、歩み始めた。
観客席にどよめきが起こる。
『うおおお、生きてるぞ!』
『嘘だろ、あれだけの槍が当たらないなんて、なんて運のいい奴だ……』
『何で死なねぇんだよ! 早く死ね!』
『レン様がんばって〜!』
大盾の隙間から見ていた二十人の重装軍人たちも、驚愕で言葉を失った。
確実に仕留めた筈だった。
いち早く立ち直った指揮官のマクシミウスが叫ぶ。
「何をしている! たまたま当たらなかっただけだ! もう一度投げろ!! 次こそは確実に仕留めるんだ!」
兵士たちは、それぞれ携帯していた「最後の一本」の投槍を構え、再びレンをロックオンした。
(そんな速度じゃ、何度やっても当たらねえよ!)
迫りくる軍勢を正面に見据えながら、レンは二剣を鋭く前方へと構えた。
最初の一斉射よりも至近距離から、レンめがけて槍が放たれる。
――ドバババババッ!!!
網の目の如く鉄の雨が殺到する。
レンは足を止めた。
(へえ、やるじゃん。これを避けるなら、けっこうな距離を移動しないといけないな。だったら観客を喜ばせるため、ここはカッコよく叩き落とす!)
キィィン! ガキィンッ! キィン! キィーン!
鋭い金属音がアリーナに響き渡った。
レンは左右の剣を巧みに操り、己の肉体を貫くはずだった、4本の投槍を叩き落とした。
『はああああ!! なんだ今のは! 槍を叩き落としたぞ!』
『し、信じられん!!』
『きゃぁあああああ! レンさま素敵!!』
『凄ええ! こんなの人間技じゃねえ!!』
悲鳴のような大歓声が、アリーナ全体に響き渡った。
「バカな……こいつは化け物か……っ!」
大盾の隙間から見ていた二十人の重装軍人たちに、恐怖が走る。
隊長のマクシミウスが再び命を下す。
「怯むな! 敵は一人だけだ! 囲んで倒すぞ!」
その鋭い怒号に元軍人たちの硬直が素早く解かれ、動き出した。
大盾を斜めに傾けながら、三つの隊は更に扇状に広がり、レンを正面と左右から取り囲む。
大軍に囲まれれば、どれほどの達人でも防げない、軍隊式包囲戦術だ。
だが、レンは迫りくる大盾の壁を前に、再び口角を上げた。
(お前ら、俺を殺す気なんだろ? だったら当然、殺される覚悟も出来てるよな?)
じりじりと包囲の輪を縮めてくる重装軍人たちに対し、レンは逃げるどころか、左側の部隊へと駆け出した。
「右翼、盾を構えろ! 突っ込んで来るぞ!!」
左翼の部隊は、大盾を地面に突き立ててレンの突撃による衝撃に備える。
だが──レンの狙いは、大盾を力任せにブチ破ることではなかった。
(跳力強化発動!)
レンは兵士が構えた大盾の最上部を、踏み台のように踏みつける。
トォンッ!
踏み台にされた兵士が「なっ……!?」と空を見上げる中、レンは優雅に頭上を跳び越えてゆく。
まさに一瞬。
軍隊の戦術教科書には存在しない三次元の跳躍により、レンは包囲網を脱出し──軍人たちの『無防備な背後』に着地してみせたのだ。
「後ろだ!! 反転──」
指揮官マクシミウスが素早く指示を出そうとするが、レンの速度には追いつかない。
無防備に晒された右翼の隊の背。
着地の勢いを反転させ、レンは右翼の後方に飛びかかった。そして左右の剣を同時に一閃する。
ザシュッ!!
ザクゥッ!
一糸乱れぬ神速の二連撃。
甲冑の薄い首筋を真横から一文字に切り裂かれ2人が崩れ落ちる。
だが悲劇はそこで終わらない、飛び越えられた方向の部隊はまだ何が起きたかさえ理解出来ておらず反転行動にすら移っていない。
大きな大盾を構え、ガチガチの密集陣形を組んでいたがゆえに、彼らは突発的な「真後ろへの方向転換」に致命的な遅れを取ってしまったのだ。
レンの二剣が冷酷な死神の鎌となって容赦なく次の獲物に襲いかかった。
ザクッ!
まずは驚いて振り返りかけた三人目の喉元へ、左手の剣が狂いなく突き刺さる。
間髪を入れず、その隣で盾を回そうとした四人目の、兜と甲冑の隙間の首に右手の剣で深く一突き。脳天を深くブチ抜いて四人目を即死させた。
「ひっ、うわあああ!」
すぐ横にいた五人目が恐怖のあまり規律を忘れ、力任せに剣を振るが、今のレンの敵ではない。
その大振りの一撃を紙一重で右へ滑るように躱すと、すれ違いざまに首の肉を深く抉り取る。五人目は鮮血を吹き出しながら崩れ落ちた。
さらに、パニックを起こして逃亡する六人目と七人目の背中へ、レンは電光石火で左右の剣を突き刺した。
背当ての繋ぎ目から心臓までを正確に貫かれた二人は、悲鳴すら上げられずアリーナの白い砂の上に折り重なるように倒れ伏した。
「ば、馬鹿な、一瞬で右翼が崩壊だと……っ!? え、円陣だ、円陣を組め! 絶対に後ろを取らせるなあああぁぁぁ!」
指揮官マクシミウスの叫び声は、未曽有の恐怖に震えた。
――約10分後。
18人の死刑囚がレンの刃に倒れ、残り2人となっていた。
ここまで10分もの時間がかかったのは、レンがワザと手を抜いて、激闘を演じていたためである。
レンと元軍人たちは激しい攻防を何度も繰り返し、レンも何度も軽い傷を負いながら(わざと)、死刑囚の軍団を少しずつ削っていった。
そしてようやく残り二人のところまで漕ぎ着けたのだ。
いまや数万人の観客は大興奮で熱狂し、総立ちとなっていた。
「死ねえぇ、この化け物おおお!」
シュっ
死刑囚の刃が、再びレンの頬をかすめ血が流れ落ちる。
(くっ、痛てぇな……)
レンの傷は回復術の効果で軽傷なら一日で治る。デメリットは少しだけ痛いことだった。
(こんなことなら痛み軽減のスキルを取って置くんだったな)
はあはあ
ワザと大げさに息を切らせるレンに観客が檄を飛ばす。
『うおおお! レン、あと一息だ。頑張れええ!!』
『レン様、頑張ってええ!!』
レンは心の中でニヤリと笑った。
(応援されるっていいよな! もしかして俺って演技が上手いんじゃね!?)
レンはそんなことを考えながら、迫りくる敵の刃を弾き返し、背後に回ると剣を敵の背に突き刺した。
「ぐふっ…… 」
バタン
『よっしゃ! あと一人だぞ!』
『ここまで来て死ぬなよ! 気を抜くんじゃねえぞ!』
『ふざけんな! レン、頼むから死んでくれえぇぇ!』
レンの視線が、残された隊長マクシミウスに向けられる。
特等席のバルコニーでは、興行主カトゥルスが手すりを掴んだまま、歴史的な偉業の達成を前に、興奮でガタガタと震えていた。
二本の剣の先からボタボタと血を滴らせながら、レンは一歩、また一歩とマクシミウスへ歩み寄る。
「ひぃ……っ、助けてくれ……俺には娘たちがいるんだ……っ!」
マクシミウスは、手にしていた大盾を投げ捨て、短剣を構える。その手はガタガタと震え、恐怖のあまり目に涙を浮かべ、少しずつ後ずさりしていた。
「なあ頼む! 俺は本当は死刑囚なんかじゃないんだ! いい仕事があるって誘われただけだ! 子供たちの為にこんな所で死ぬ訳にはいかないんだ!」
(いや、そんなこと言われてもこれはデスマッチだし……。そもそも俺の命を狙ったこと自体が、万死に値するよな?」
「はした金で欲をかいたお前が悪い。デスマッチなんだから助けられないのは分かってるだろ? 苦しまないようサクッと殺してやるから成仏しろ」
レンは冷徹な瞳で最後の獲物を見据えた。
「ふざけるな! 死ぬのはお前の方だぁぁぁ!」
マクシミウスは剣を振り上げ、レンに突っ込んで来た。
(はあ!? コイツ頼めば俺が死んでくれるとか、怯むとでも思ったのか? 世の中こんなバカばっかりだからイヤになるんだ!)
レンは素早く剣を振り抜き、斬り捨てた。
ビシッ……。
「ぐはぁっ……アエ……ミリア……」
マクシミウスの身体が砂の上に崩れ落ち、20人いた重装部隊が1人残らず砂の上に横たわった。
その光景を目の当たりにした観客は、歴史的偉業の達成に歓声を上げる。
歓声の中、主審が木剣をレンの側へと高く掲げ、声を限界まで張り上げる。
『勝者──!!
ガリアの英雄レン、そしてその双璧ぃぃぃーーーーっ!!!』
大闘技場に、さらに地鳴りの如き大歓声が響き渡った。
『うおおおおおおーーーーっ、やりやがった!!!』
『きゃあああ、レンさま〜!』
『レン! レン! レン! レン!!』
数万人の観客が狂ったように拳を突き上げ、
アリーナの空を揺るがすほどの圧倒的な「レン」コールが巻き起こった。
賭けで大損した一部の貴族たちが頭を抱える中、市民たちは死刑囚の元軍人を全滅させたレンの神話の中の英雄的な強さに熱狂し、狂喜乱舞した。




