52 感情伝播
紀元前76年4月
クラウディアの邸宅。
元老院の三大重鎮カトゥルス主催の大規模な興行に出場するため、レンが再びローマへとやって来た。
その日の深夜。
クラウディア邸の人気の無い裏庭の暗がりでは、二人の男が静かに密談を交わしていた。
「……今回は動くな、ダリウス」
冷たい灰色の瞳をした執事、アンドリューが声音を低くして言い放った。だが、ギラギラとした殺意を宿したダリウスは、激しく首を振った。
「嫌だ……! 俺は確実にアイツを殺したいんだ! 前回の失敗は毒が足りなかったからだろう! 今回は確実に仕留めてやる!!」
ダリウスは暗闇の中で目を血走らせ、アンドリューの胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄った。だが、アンドリューは冷徹な仮面を崩さない。
「確かに前回のは、俺のミスだ。常人なら十分死ぬはずの毒を用意したつもりだったが、足りなかったらしい」
「なら、今回は倍の量を飲ませればいい、そうだろ!」
今度はアンドリューが冷たく首を振った。
「ダメだ。ヤツは前回の試合で毒を飲ませた犯人を探している筈だ。今回、お前がまた強壮薬と言って毒を持っていけば、今度こそ確実に犯人だとバレる」
アンドリューはダリウスの細い手首を掴み、強引に引き剥がした。
「それに既に次の手を打ってある。あとふた月もすれば、ヤツはクラウディア様に詫びを入れ、命を差し出すことになるだろう」
「2ヶ月後……? それはいったい、どういう意味だ?」
ダリウスは怪訝そうに眉をひそめた。
アンドリューはそれには答えず、冷酷な笑みを浮かべて家屋へと歩き出す。
「お前は何も知らなくていい。今回は動くな、私の命に従っていればいいのだ」
数歩進んだところで、アンドリューはふと足を止め、ゆっくり振り返った。
「……ダリウス。やはり今回も強壮薬を届けろ」
「考え直したのか!」
アンドリューは静かに首を振った。
「違う。今回は本物の強壮薬だ。毒は入れない」
ダリウスは目を見開いた。
「っ!」
アンドリューは淡々と続ける。
「前回と同じように、クラウディア様の名を使って届けろ。
そうすれば前回の強壮薬がクラウディア様の命で届けていないと分かっても、俺が気を利かせて届けたことに出来る」
冷徹な声だったが、その裏には周到な計算があった。
「なるほど……」
「いいか。余計なことは絶対にするなよ。毒など入れたら俺がお前を殺す」
ダリウスは喉をゴクリと鳴らした。
アンドリューの放つ圧倒的な威圧感と、2ヶ月後にレンが破滅するという言葉を信じ、従うほかなかった。
ーーーーーー
1週間後。
剣闘士たちのテント。
カトゥルス主催の興行が始まって6日目の昼。レンはイオが洗濯ものを洗いに行っている間に試合に向けて準備をしていた。
(明日は興行の最終日だ。まだベスス教官は何も言って来ないけど、俺の試合があるだろうな。クラウディア様の手紙には、相手は軍人で、数も多いって書かれてたけど、マニウスのヤツ、俺を殺す気満々過ぎるだろ。まあ、準備は出来てるけどな)
(ステータスオープン)
■名前: レン
■年齢: 16歳
紀元前92年9月産まれ
■出身地:ガリア
■家族なし 孤児
■容姿:黒髪黒目の美形。戦闘適性の高い体格。
■所持金 金貨44枚 銀貨18枚、銅貨21枚
■称号:ガリアの英雄(全能力値補正+20%)
■加護
★イオ(全能力値補正+10%)
効果時間1日
■レベル: 79
★HP(体力): 511 /511
(+6上昇)
★SP: 202/ 202
(+6上昇)
★MP: 1/422
(+121上昇)
(MPは回復術の効果で三時間以内には全回復するから、回復させるのは明日の朝からで間に合うな)
■【能力値】(平均的な剣闘士400)
★筋力:384
(+9上昇)
★敏捷: 493
(+6上昇)
★耐久: 335
(+11上昇)
■■【スキル】
■非発動型
★二刀流術 Lv.30(攻撃力&防御力+300%)
★回復術 Lv.82
(レベル+31上昇)
★カンフー Lv.30
■発動型(必要MP 10)
★筋力強化 Lv.59(筋力+560%)
(レベル+19上昇)
★スタミナ強化 Lv.59
(レベル+19上昇)
★敏捷強化 Lv.59
(レベル+19上昇)
★集中力強化 Lv.58
(レベル+18上昇)
★耐久力強化 Lv.58
(レベル+18上昇)
★『敵攻撃の先読み Lv.75』
(レベル+4上昇)
★動体視力強化 Lv.30
(レベル+29上昇)
■■重要度低スキル
■非発動型
★短刀術 Lv.11(攻撃力&防御力+110%)
★盾術 Lv.5(防御力+50%)
★言語理解(ラテン語/ガリア語) Lv.Max ※憑依転生特典
★気力枯渇耐性Lv.93。ダメージ93%カット。気絶無効。
(レベル+6上昇)
★毒抵抗 Lv.30
★病気耐性 Lv.30
★性病耐性 Lv.30(maxLv.50)
■発動型(必要MP 10)
★種付Lv.1
★地獄耳強化 Lv.30
(レベル+20上昇)
(対象の音量レベル+100%増加)
★隠密強化 Lv.40
(レベル+30上昇)
★跳力強化Lv30
(レベル+10上昇)
★話術 Lv.40
(レベル+20上昇)
★避妊 Lv.50(maxLv.50)
(レベル+49上昇)
★毒検知 Lv.50
(レベル+49上昇)
★視力強化 Lv.30
(レベル+29上昇)
★性的技巧 Lv.30
(レベル+29上昇)
★感情伝播 Lv.51
(レベル+50上昇)
■ポイント残高9万3368
(うん、MPも増えたし、明確な弱点はもう無い。軍人相手でも大丈夫……だよな?)
レンがそう思った時、テントの外から声が掛けられた。
「レン様、ベスス教官がお呼びです」
「分かった」
レンは外に出たあと、伝令の奴隷に連れられ、教官用のテントに入った。
「ベスス教官、お呼びと聞きやって来ました」
ベススが書類を読む手を止め、顔を上げて笑みを浮かべた。
「レン、よく来た。
分かっていると思うが、明日の最終日の目玉試合、それに出場して貰う。
前回、お前の活躍でオーナーからは特別なボーナスを頂いたからな、今回もお前の活躍には期待しているぞ!」
「……はい。
ところで試合内容は?」
「なに、難しい話ではない。死刑囚20人と剣闘士3人によるデスマッチだ。お前の仲間は前回と同じテオドロス養成所の2人らしい。剣闘士5人を倒したメンツで死刑囚20人が相手だ。お前なら楽勝だろう」
(前回のメンツって、何もしなかった奴らじゃねえか! このおっさん本気で言ってんのか!?)
「はい、全力を尽くします」
「そうだ。あと今日もオーナーが縁起を担いで試合前に貴族の美女を用意してくれたらしいぞ、よかったな。夜には呼び出しがいくから楽しみにしておけ」
(はあああ!? またファビアを呼びやがったのか、ふざけんな! 今度はただではヤらせねえ、あのメス豚、スキルで撃退してやる! マニウス、同じ手が何度も通じると思うなよ!! )
ーーー
その日の夜。
殺気すら帯びた決意を胸に、レンは案内の奴隷に導かれ、特設テントの幕を勢いよく押し上げた。
「失礼します!」
「──やっと、わたくしの手元に来たのね、レン!」
ベッドの上で優雅に足を組み、艷やかな笑みを浮かべていたのは、あの百キロ超えの巨漢ではなかった。
(え? ファビアじゃない!?)
深い栗色の髪を灯火に照らし、きゅっと締まった細い腰と豊かな尻を併せ持つ、十九歳の若き既婚美女──ディアナだった。
(この女性どこかで見たような? 確か……)
レンの脳裏に、一流剣闘士になった“お披露目の宴”が蘇った。
床に倒れた自分の前髪を指先でかき分け、「合格よ」と口元を緩めた女──
(そうだ! 夜会で俺の正体を曝した女だ!)
あの時、ディアナはファビアの圧倒的な権力に一喝され、悔しさに肩を震わせながら引き下がった。たが彼女は、レンを諦めていなかったのだ。むしろ運命に引き裂かれた恋人の気分になり、この数ヶ月、レンに抱かれる日を待ち続けていた。
彼女の夫は同性愛者のため夫婦の営みはない。夫は、家の存続のために他所で種を貰って来いと彼女に言い、彼女の浮気を公認している。つまり、ディアナは遊びながら自分の子供の父親に相応しい男を品定めしていた。
ディアナはゆっくりと腰を上げると、
目を細めレンの身体を頭からつま先まで見つめながら歩み寄ってくる。
その身体からは、男を狂わせる果実のような、ほのかに甘い香油の匂いが漂っていた。
「あの夜、ファビア様にあなたを横取りされて、わたくし本当に悔しかったのよ。
だから今回は──オーナーのバティアトゥスに、ファビア様へ話が回る前に破格の大金を握らせたの。
……さあ、今夜はたっぷり可愛がってあげるわね」
白い指先がレンの胸元をなぞり、衣服の隙間から覗く肌を愛撫するように滑る。
(魅力的なお誘いだけど、明日の試合は二十人との戦いなんだ。こんなところで無駄に体力を消耗するわけにはいかない。悪いけどスキルを使わせて貰う! 『感情伝播』!)
レンはジッとディアナの目を見つめた。
「……どうでしょうか? ディアナ様、俺の気持ちは伝わりましたか?」
ディアナは頬を赤らめ、頷いた。
「ええ、あなたの熱い視線をしっかりと受け取ったわ。貴方とわたしくしの思いは一緒ね!」
ディアナはレンに駆け寄り、抱き着いた。
(ええぇぇえ!? ちょっと待て! これって俺の負の感情が足りないってこと!?)
レンは抱きついてきたディアナの柔らかさと、心地よい体温、そして甘い香りに包まれ、内心で激しく頭を抱えた。
(ヤバい、身体が反応しそう。落ち着け、落ち着くんだ俺!)
ディアナは震える指先でレンの頬に触れ、その瞳には、半年間押し殺してきた想いが溢れていた。
「……あれからずっと、あなたを待っていたのよ……」
自分をまっすぐに求めてくれる十九歳の美しい女性。その言葉にレンの理性が吹っ飛んだ。
(こ、この思いに応え無いような男は、男じゃねえだろ!)
レンは彼女の艶やかな唇に、自らの唇を重ねた。




