46 六頭同盟
レンは勝利の笑みを浮かべる。
「クラウディア様! 俺はシルフィウムの栽培方法を知っています! 俺に力を貸してください!
一緒に国を動かす大きな商いをしましょう!!」
「……くに、国を……動かすですって!?」
クラウディアは掠れた声でその言葉を繰り返した。
砂の上に落ちた最高級の扇子を拾い上げることも忘れ、ただ目の前の、まだあどけなさの残るガリアの少年の姿を、激しい戦慄と共に凝視していた。
(人工栽培が……可能? ローマ中のいかなる賢者も、元老院の巨万の富をもってしても叶わなかった神の領域に……この子が手をかけたというの!?)
クラウディアはレンの言葉を疑おうとしたが、疑う理由が思いつかなかった。レンには不可能を可能にした実績がある。それにこんな嘘をつく理由が無いのだ。
「俺の栽培法でシルフィウムが育つことは、俺が命を賭けて保証します。そして俺はクラウディア様を信じます、だから今この場でその栽培方法をお教えしましょう!」
レンがそう言って、ハッタリの効いた不敵な笑みを深めた瞬間、クラウディアの身体がびくりと硬直した。
(――な、何ですって……!?)
クラウディアの脳裏に未だかつてないほどの戦慄が走った。シルフィウムの栽培方法。それは文字通り、一国の国家予算どころか、ローマ共和国全体の経済と政治のバランスを容易にひっくり返せるほどの「神の機密(超巨大利権)」だ。そんな世紀の最高機密を、この若き剣闘士は、契約の書面も交わさぬまま『今この場で教える』と平然と言い放ったのだ。
(信じる……? このわたくしを? そんな口約束だけで、この国家最高機密を差し出すというの!?)
「あなたはバカなの? なんの保証もなく信じるなど愚かだわ!」
レンは鼻で笑った。
「シルフィウムの栽培方法? そんなの俺には大したことではありません。俺にはまだまだ、金を稼げる方法が山ほどあります。ここだけの話、俺は知恵の女神アテナの加護を受けているのです」
レンがドヤ顔で言うと 、クラウディアの思考は完全に停止した。
個人が神の加護を受ける。それはギリシャ神話の英雄の話に過ぎない。いまではローマで加護を信じている者などまずいない。だが縁起を担ぐローマ人にとっては無視出来る話でもなかった。
「アテナ……つまりミネルヴァ様の加護を受けていると言うの?」
「はい、そうです。どうしますか? 俺と手を組むなら今この場で、栽培方法とこれからの計画を全てお話します」
クラウディアが目を細めた。
「……計画?」
「はい、これだけの利権です。クラウディア様お一人では荷が重いでしょう。違いますか?」
普通なら、奴隷剣闘士がこのような生意気なことを言えば、即座に打ち首になってもおかしくない暴言だ 。しかし、国家予算を遥かに超越するシルフィウムの独占利権ということを冷静になって考えれば、クラウディアの実力では逆に災いを招く可能性が高いことは明白だった。ゆえに聞かなかったことにした。
「……そうね。話を聞きましょう」
「まずシルフィウムでの利益の配分についてです。1割が俺、クラウディア様が3割。残り6割は別の4人の実力者に分配しようと思います」
レンが淡々と提示したその具体的な数字に、クラウディアは思わずハッと息を呑んだ 。
(……残り、6割。それを別の4人の実力者に!?)
彼女の脳内で、大貴族としての政治的な計算が凄まじい速度で弾き出される 。
「……その4人の実力者とは誰なの?」
レンはニヤリと笑い告げる。
「まずはシルフィウムの栽培から販売までの流通を、独占して実際に動かせる人物。それはクラッスス様をおいて他にはいないでしょう。なのでクラッスス様に3割で、担当をお願いします」
レンが滑らかに口にしたその驚くべき名前に、クラウディアの琥珀色の瞳が今度こそ大きく見開かれた。
(クラッスス……! ローマ第一の大富豪にして、騎士階級の商業ネットワークを牛耳る、あの男を引っ張り出すと言うの……!?)
元老院のどんな大貴族よりも金儲けの本質を知り、奴隷を使った大農園の経営や、大規模な流通ルートを私物化しているマルクス・リキニウス・クラッスス。人工栽培の「実行役」として、これ以上ないほど最適で、恐ろしい怪物の名前だった。
(この利権をただの身内の小遣い稼ぎで終わらせるのではなく、ローマ最大の商業資本と結びつけて、一気に市場を独占するつもりなのね!)
「次にポンペイウス様とカエサル様に1割。これで不満勢力を抑えて貰います」
「ポンペイウスに……、カエサル?」
クラウディアは怪訝そうに美しい眉をひそめ、その琥珀色の瞳に強い疑問の色を浮かべた。
「レン、待ちなさい。ローマ第一の軍功を誇り、退役軍人をはじめとする巨大な支持基盤を擁するグナエウス・ポンペイウス様を巻き込むというのなら、わたくしも大いに納得が出来ます。ですが……なぜそこに、ユリウス・カエサルの名が同格として並ぶのかしら?」
クラウディアは上品な扇を顎に当て、レンの言葉の意図を測るようにすっと目を細めた。
「カエサルは確かに名門の血筋(ユリウス氏族)であり、民衆派の若きホープとして社交界でも名が売れ始めてはいるわ。……けれど、彼はまだ未熟です。あの大英雄ポンペイウス様と同じ『一割』の重みを与えるなど、あまりにも不釣り合いではなくて……それともあなた、何か知っているのかしら?」
クラウディアが冷たい視線をレンに向ける。
レンは一瞬だけゴクリと息を飲んだ。
史実のクラッスス、ポンペイウス、カエサルの3人は、影でいつの間にか同盟を結び、後に『3頭政治』と呼ばれる体制を敷いてローマを事実上支配した巨頭たちであった。それ以外に彼らを選んだ理由はない。
「カエサル様は特別です。女神ミネルヴァ様が必ずお近づきになりさいと夢で仰っていました。それだけでは不足でしょうか?」
クラウディアは扇を拾い上げ口元を隠すと、琥珀色の瞳を面白そうに口角を上げた。
「……まあいいわ。それで残りの1割はフィリップス閣下かしら?」
「違います。マニウス様です」
「叔父上に……?」
巨大な利権の輪の中に、あろうことかレンを殺そうとしたマニウスの名前が入っている。その意図が、クラウディアの知性を持ってしても一瞬では理解できなかった。
(どういうことなの……? 自分を殺そうとした男に、わざわざ一割もの巨万の富を分け与えるというの? 知恵の女神の加護を語るこの子が、そんな無意味な慈悲をかけるはずがない……あッ!?)
「わかったわ。あなた叔父様と和解し、奴隷から解放して貰うつもりなのね」
「さすがクラウディア様です。この事業が成功すれば、その道も見えてくるかと……」
クラウディアの隣で話を聞いていた、ルクレティアが満面の笑みを浮かべた。
「凄いわレン! あなたはわたしの事まで考えてくれていたのね!」
(ん、いや違うけど……)
「はい、ルクレティア様のお父様ですから、いつまでも敵対は出来ません」
レンがにこやかな笑みを浮かべた瞬間、ルクレティアはさらに頬を林檎のように赤く染め、その青い瞳を崇拝の念でキラキラと輝かせた。
「レン……っ! わたくし、わたくし、本当にあなたを信じていて良かったわ……!」
ひとり浮かれるルクレティアの肩にクラウディアが手を乗せる。
「ルクレティア落ち着きなさい。まだ私の話が終わってません」
「……すいません、お姉さま」
従姉からの冷ややかな制止に、ルクレティアはシュンとなり一歩下がった。しかし、その視線は完全にレンを『自分のために世界のすべてと戦ってくれる本物の英雄』として見ており、恋心を燃え上がらせていた。
クラウディアもレンの知略に魅了され若干高揚しながら、一歩詰め寄った。
「レン、叔父上の心がお金で動くとは思えません。ですがあなたの話に乗りましょう。それで、シルフィウムの栽培はどうやるのかしら? やはり、なにか特別な方法があるのよね? わたくしが理解できる内容だといいのだけれど……」
レンはニヤリと微笑んだ。
「大丈夫、簡単です。
まずシルフィウムという植物は生涯の最後に一度だけ花を咲かせ種をつけ、そのまま枯れる植物なのです。その生涯は約10年ほどでしょう。なので麦などのように毎年刈って植えるという発想をしていたローマの研究者たちは、前提から間違っていたのです」
レンが淡々と、けれど絶対的な確信を込めてそう言い放った瞬間――。クラウディアは雷に打たれたかのように、その場に呆然と立ち尽くした。
(生涯に、一度……? 10年もの歳月をかけて、最後に一度だけ種をつける植物だったというの……!?)
レンは続ける。
「そして最後に種は冬の寒さを経験しないと発芽しません。ローマですと3か月間、氷室に入れないといけません。ただし、水が氷る温度は低すぎるので種が腐ります。あと乾燥のし過ぎもダメです、湿った布袋に入れて保存してください。それと――」
「待って! 細かい内容は紙に書いてちょうだい!」
クラウディアは片手をスッと上げてレンの言葉を制すると、激しく上下する胸を必死に抑えながら、声を絞り出した。
(冬を、経験させる……? 氷室で三ヶ月間、でも凍らせてはいけないし、乾燥もだめって……!?)
彼女の明晰な頭脳の奥底で、ローマの歴史的な謎のパズルが、凄まじい速度でカチリと音を立てて噛み合っていく。ローマ中のいかなる大富豪や学者たちが挑んでも失敗に終わったシルフィウムの人工栽培。その理由は、前提となる生態が「十年ほどかけて一度だけ結実する多年生植物」だったからというだけではなかった。彼らは、種を発芽させるために必須の【冬の寒さを経験させる】という、神が仕組んだ巧妙な自然の罠を、誰一人見抜けなかったのだ。
(それを、この子は……。知恵の女神アテナの加護は虚勢じゃなく、本当なの?)
この日。
レンがこの世界に転生してから練って来た、『六頭同盟』計画。将来の『四頭政治』に向けての策略が動き始めた。




