44 カエサルとの邂逅
主審の勝利宣言で、ドロミコスとの激しい試合が終わると、回復力6倍の効果もあり、レンは体調を持ち直し始めた。
レンは観客の声援に応えて、剣を持ち上げ勝者のポーズを取ると歓声が上がる。
『よくやっぞレン!』
『次もまたお前に賭けるからな!』
『最高だったわレン様!!』
『レン様、お願い抱いて!!』
レンが暫く手を振っていると、周囲の歓声がすっと静まり、空気が変わった。
(……ん? なんだ?)
観客の視線を追って、上層階の特別席のバルコニーに目を向ける。そこには興行主フィリップスの姿があり、手を振り始めた。
慌ててレンは深く頭を下げる。
次の瞬間、フィリップスの伝令官が凄まじい大声で、アリーナ全体を響かせた。
「――静粛に! 興行主フィリップス閣下の名において発表する! このローマに最高の熱狂をもたらしたガリアの若き英雄レンに対し、閣下より特別報酬『三万デナリウス』の授与をここに宣言する!!」
(マジか! 3万っていったら、俺の取り分が3割くらいだから、9千デナリウス貰えるのか!!)
それから暫くして、裏方の奴隷が走って来た。
その手には、本来の試合報酬である三千デナリウスに、特別報酬三万デナリウスを加えた目録、そして勝利の象徴であるヤシの葉が抱えられている。
奴隷からそれらを受け取った主審は、伝統的な格式に則って、その巨額の証書とヤシの葉を、レンの足元の白砂へと投げつけた。
(……おお、これで滅茶苦茶パワーアップできるぞ!)
万雷の拍手の中、レンはフッと膝を折り、無駄のない洗練された美しい所作で砂の上から目録とヤシの葉を拾い上げた。
その直後──
上層階の特別席の方向から、別の奴隷が走ってきた。
奴隷は主審の前で立ち止まり告げる。
「主審殿! フィリップス閣下の名代として──
高貴なる貴族様が、こちらへ向かわれております!」
「……貴族が? 承知した」
主審は、レンに向かって告げる。
「レン、まだ下がるな。特別席から名代様が直々にお見えになる。その場で待機せよ」
(……代理人の貴族? セルギウス先輩が言ってた、いい試合をしたら褒めてくれるってヤツか? 正直、金にならないから、お褒めの言葉なんていらないんだけど……)
主審はさらに周りの奴隷たちに怒号を飛ばす。
「おい、早く手負いの者を運び出せ! 落ちている武器も片付けろ! 貴族様をお迎えするのだ!」
暫く主審と共にその場に留まっていると、上層階のバルコニーから降り、護衛も連れずにふらりと歩み寄ってきた若い大貴族が、黄金色の瞳を最高に面白そうに輝かせながら、レンの目の前で足を止めた。
(何だこのイケメンは? 立ち姿とオーラが凄ぇな……。
……いや、よく見ると顔はそこまでじゃないな。髪の生え際もなんかちょっと怪しいし、これは将来絶対禿げると思う。あっ、分かった! これ、雰囲気イケメンってやつだ!!)
最高級のトガを優雅にまとったその男が、レンに気さくに声をかける。
「……見事な戦いぶりだったよ、ガリアの英雄レン。私は興行主フィリップス閣下の名代を務める者。名は──ユリウス・カエサルだ。覚えておいて損はないと思うよ」
その、あまりにも軽やかに告げられた男の名前が鼓膜を震わせた瞬間──
レンの目を大きく見開いた。
(――はああああ!? ユリウス・カエサル!? 本当にあのカエサルなのか!!)
レンの心臓が恐怖と驚愕で激しくバクバクと跳ね上がる。
(これガチのチャンスじゃん!! もしカエサルの側近になれれば、将来、豊臣秀吉みたいに天下取れるかも! 絶対仲良くしておかなくちゃ!!)
最高級のトガの裾をアリーナの白砂になびかせながら、ユリウス・カエサルは不敵な笑みを深くした。
(――ほう、面白い目をする)
カエサルは、目の前のガリアの少年の瞳を覗き込み、密かに愉悦を覚えていた。
ローマの並み居る大貴族、果てはポンペイウス将軍のような英雄ですら、自分と視線が交差した瞬間には何らかの警戒や探りの色を浮かべるものだ。ましてやただの奴隷であれば、恐怖に怯えるか、過剰なほどに平伏して慈悲を乞うのが道理であった。
だが、このレンという少年は違った。名前を告げられた一瞬、その双眸をわずかに大きく見開いたものの、次の瞬間にはまるで地鳴りのような大歓声すら耳に入っていないかのような、底知れない視線を真っ直ぐにカエサルへと返してきたのだ。
カエサルはレンの返事を待つことなく、数万人の大観衆が埋め尽くす観客席へと向かって優雅に両手を広げた。
そして、伝令官にも負けない大声で、アリーナ全体へと叫ぶ。
「皆にフィリップス閣下の名代としてここに宣言しよう! このガリアの英雄が見せた、二刀流の剣、さらに素手からの大逆転劇……これぞまさに、ローマの歴史に刻まれるべき至高の名試合である!!」
大衆の心を掴む天才ならではの流麗なラテン語が、アリーナを再び激しい熱狂の渦へと巻き込んでいく。
カエサルが興行主の名代としてレンの戦いを公式に「歴史的名勝負」だと認め、その肩をガシッと力強く掴んでみせる。
(うおおぉぉ―――っ!! あのカエサルが俺の肩を掴んでるよおお!!! すげぇぇぇ!!)
レンと客席のボルテージは爆上がりした。
『さすが閣下の名代だ!』
『レン最高だぜ!』
『カエサルは民衆の味方だ!』
観客たちの熱狂の嵐を浴びながら、カエサルは、黄金色の瞳を面白そうに輝かせ、レンへと視線を戻した。
「君は優れた剣闘士だ。もし奴隷から解放されれば私のところへ来なさい。護衛として雇おう」
「はい! ありがとうございます、カエサル様!」
レンは嬉しそうに深々と頭を下げた。
だが胸の奥にあるのは喜びではなかった。
(いや違うだろ! そうじゃねえんだよ、このハゲ! 解放されれば来いじゃなくってさ、あんたが俺を引き取ってくれよ! 今ならブルータスたちに殺される運命から助けてあげるからさ!)
レンは本当は『俺を引き取って下さい! 絶対にお役に立ちます!!』と言いたかった。だが小心者のレンには、このような皆が見ている場所で、そのような行動をする勇気はなかった。
カエサルはレンの肩から手を離し、ふっと声を落として囁いた。
「……君とは、また会う気がするよ。その時まで、死ぬな」
「はい!」
(そう思うなら引き取ってくれって!)
カエサルは観客に手を振りながらアリーナをあとにする。
その背中を見送りながら、レンは胸の奥で渦巻く複雑な感情を押し殺し、深く息を吐いた。
(……はあ……。カエサルに会えたのは嬉しかったけど、引き取ってはくれないだな……)
アリーナのゲートが開き、レンは外の待機広場へと向かう。広場には、腕を組み、上機嫌でレンを待っている男がいた。
養成所のオーナー、バティアトゥスだ。
「……よくやったぞ、レン!! 33000デナリウスを稼いだんだ。これでお前も、セウテスと並ぶ我が養成所の『花形剣闘士』だ!」
バティアトゥスは脂ぎった顔をさらに歪ませ、レンの肩をこれでもかと力強く何度も叩いた。
その目は養成所に転がり込んだ三万三千デナリウスという巨額の富への興奮で、獣のように血走っていた。
レンは目録をバティアトゥスに差し出す。
「ふむ、本来なら、お前の取り分は九千九百デナリウスと言いたいところだが、今日の試合はフィリップス閣下だけでなく、ローマの重鎮方に、バティアトゥス養成所の名を知らしめる最高の宣伝になった!」
バティアトゥスは鼻息荒く、胸を張る。
「特別に切りよく一万デナリウスをくれてやる!!」
(たった100デナリウス増やしただけなのに、随分と恩着せがましい奴だな……)
レンは頭を深く下げた。
「はい、ありがとうございます」
「賞金は後で届けさせる、次回も面白い試合を組んでやるから頑張れよ!」
「あ……あの、一つお願いを聞いて貰えませんか?」
バティアトゥスは目を細めた。
「言っておくが一万デナリウス払っても、奴隷からの解放は無理だぞ」
(ちっ、やっぱりダメか)
「分かっております。なので今回稼いだ金で私の友の自由を買いたいのです。三流剣闘士のリクトスとタルト、そして二流剣闘士のセルギウスです。どうかこの願いを叶えて下さい、お願いします」
レンは深々と頭を下げた。
これはレンがこの半年で考え抜いた、将来の計画の一旦だ。
自分が自由に動けないなら、信頼できる友人たちに外で動いて貰い、レンの影響力を溜め、マニウスが無視できない勢力に成長すればいいと考えたのだ。
バティアトゥスはレンの言葉に素早く計算する。
「そうだな、三流の二人は2000、セルギウスには期待していたから4000、合計6000で自由を与えてやろう」
(高い……。そうだ! こういう時はスキル話術だ! 話術発動!)
★話術 Lv.20発動
(交渉力+200%上昇)
「さすがはバティアトゥス様! ですが、ここはもう少しだけ金額を負けてくれませんか。どんな無茶な試合を組まれても構いませんから!」
(おおっ! これはスキル効果か? 普段言えないような言葉が、口からすらすら出たぞ! 今なら家電屋さんでの値引き交渉だって出来そうだ!)
レンは家電屋さんで店員に『ちょっと高いですね』くらいしか言ったことがない。『どれだけ負けてくれる?』とか『負けてとか』思ったことをストレートに言えないのがレンだった。
「……ふむ、ならば特別に5000だ。これ以上は絶対に負けられんぞ」
「そこをもう一声!」
「ふざけるな! この話自体を無かったことにしたいのか?」
バティアトゥスの怒号に、レンは急いで頭を下げた。
「すいませんでした! 5000でお願いしますバティアトゥス様!」
「ふん、図に乗りおって。だが今日は気分がよい、その値段で三人を解放してやる」
バティアトゥスはレンの肩を軽く叩き、控えの広場の奥へと去っていった。
(ふぅ~。調子に乗り過ぎたか……)
その後、試合が2つ行われた。
剣闘士たちは興行が完全に終わるまで拘束されるため、レンが郊外のテントに帰還した時には午後4時を過ぎていた。
(……イオ、心配してるだろうな)
冬の夕暮れの道を、レンは急ぎ足で自分のテントへ向かった。
「旦那様!」
イオはレンの姿を見つけた瞬間、堪えきれずに駆け寄ってきた。
「ただいま、イオ。
……ちゃんと無事に帰ってきたよ」
レンはイオを両腕で優しく抱きしめた。
「旦那様、無事でよかったです……」
イオは震える声でそう言い、レンの胸に顔を埋め、背に両手を回した。
その時――
「レン! その女は誰なの!!」
鋭い声が宿営地に響いた。
レンは声の方へ振り返り、驚愕で目を見開く。
「ルクレティア様……!?」




