38 ○○再び
紀元前76年1月
ローマ郊外に設置された剣闘士収容テント。
興行が始まってから三日目、レンはベスス教官の呼び出しを受けた。
教官用の大きなテントに入ると、ベススは机の後ろに座り書類を読んでいた。
「ベスス教官がお呼びと聞き、やって来ました」
ベススが顔を上げ、冷酷な笑みを浮かべる。
「来たかレン。明日の目玉試合にお前を出場させる。形式は三対五のハンデ戦だ」
「……三対五ですか」
レンはまた不利な内容なのだろうなと警戒の色を強めた。
「そうだ。お前は三人の側の指揮官となり、他の剣闘士を率いて戦う。観客はお前の逆転劇に期待している、頑張れよ」
「……はい」
「以上だ、下がってよい」
そう言うとベススは手元の書類に目を戻した。
レンは頭を下げ出口へ向かう。
「はい。では失礼します」
(これって、また味方が敵のパターンかもな。帰って対策を考えよう……)
レンがテントの入り口から出ようとした時、ベススが顔を上げた。
「ああ、そうだレン」
ピタリと足を止め、振り返る。
「何でしょう?」
「今日の夜、お前に女性貴族の相手をして貰うと、オーナーが言われていたぞ」
「え?」
レンは思いもよらない話に、口をポカンと開けた。
興行中に剣闘士が女性客を取らされることはそれなりにある。
しかし、それは試合の二、三日前までの話。試合の前日はパフォーマンスが低下するため、普通は絶対にさせないのだ。
ベススはニヤリと笑う。
「良かったな。オーナーは“美人だから特別に許可した”と言っておられたぞ」
(はあ、ふざけんな! そんなの嘘に決まってんだろ、絶対にマニウスの罠だ!)
「……はい、感謝します」
「うむ、下がってよし」
レンは教官用のテントを出て、自身のテントへ向かう途中、イオへどう伝えるか頭を悩ませる。
(これ、なんて言えばいいんだよ……。
『イオ。俺、今夜ちょっと他の女に呼ばれちゃってさ、少し相手して来るよ』
……なんか違うな。俺はこんなキャラじゃない……)
レンはため息をついた。
イオに出会うまで、レンは異世界に転生したんだし、可愛い女の子に囲まれたハーレムを作ってみたいと思っていた。
出来ればイオにはそのハーレムの一員になって欲しい。だが、イオがハーレムはダメだと言うのならば、ハーレムは諦めてもいいと思うほどにはイオが好きだった。なのでイオの好感度が下がるようなことは言いたくない。
暗い思考の渦に沈んだまま、レンは自分のテントまで戻ると、布をそっと押し上げた。
中では、イオが小さな机の前で膝を揃え、レンの帰りを待っていた。
布の揺れに気づいた瞬間、ぱっと顔を上げ微笑んだ。
「旦那様、お帰りなさいませ!」
「……あ、うん。ただいま……」
イオはレンの元気のない様子を見て、近づいて顔を覗き込んだ。
「……あの、教官さまの御用はなにか悪いことだったのですか?」
「あ、いや、そうじゃないけど、いやそうかな。あのさ、ちょっと驚かないで聞いてほしいんだけど……」
レンは落ち着かない様子で視線を泳がせる。
「ベスス教官に、試合は明日だと言われたんだ。まあ、それはいいんだけど……。そのあと、実は……オーナーの命令で今夜、女性貴族の相手をしろと言われたんだ……」
「……女性貴族のお相手ですか……」
イオは僅かに目の色を暗くして、呟いた。
ここ数週間、毎日一緒に夜を過ごして来たレンが、今夜は別の女性の元へ行ってしまう。
その事実に、イオの胸の奥で、ほんの少しモヤリとしたものが湧き上がった。
だが次の瞬間、イオはパッと顔を輝かせ、いつものように満面の笑みで元気よく言った。
「分かりました旦那様! お仕事、頑張ってくださいね!」
レンはイオのアッサリとした返事に、ショックを受けた。
『行かないで!』と言われると困るけど、明るく送り出されるのは、何か違う気がする。凄く悲しい。
「あ、えっと……イオは……そのいいの? 俺が他の女のところに行っても?」
イオはきょとんと首を傾けた。
「それは旦那様の御意思で断れるものなのですか?」
「いや……ムリだけど……」
「では仕方ありません。……それに、旦那様ほどの方が多くの女性を相手にされることは、当然のことなのですよ」
今度はレンが首を傾げた。
「当然?」
「はい、亡くなった父が申しておりました。ガリア人の偉い方は、多くの妻を持つことが認められていると。
父はガリア人の部族長の息子で、異母兄弟が大勢いたそうです」
「え、そうなの? イオって親族多かったの?」
「あ、いえ。部族がローマに滅ぼされた時、多くの方は殺されてしまったそうです。残ったのは父と数名だけ、その方たちとも奴隷になった時に散り散りになり消息は分からなくなったと……」
「……そうなんだ」
イオは誤解していた。
一夫多妻なのは“部族長の家”だけに許された特別な話で、一般のガリア人は一夫一妻だった。
ゆえにレンが奴隷から解放されガリアに戻ったとしても、多くの妻を正式に持つことは許されない。
「はい! なので旦那様も、セウテス様みたいに奥さまをたくさん持つのが自然なのです!」
「セウテス?」
「はい。セウテス様の奥様たちと仲良くなり、養成所のことなど、たくさん教えて頂きました!」
(イオ何か勘違いしてるかも。……セウテスの嫁は法的に認められた嫁じゃないんだけどな。……まあ、イオがハーレムオッケーって言うなら、そう言うことにしておくいてもいいか……)
ーーー
その夜、
迎えの奴隷がテントにやって来て、レンは奴隷の案内で女性貴族の待つテントへと向かった。
(はあ……イオ以外の女性って初めてだから緊張するな。美人らしいけど、どんな人なんだろ……)
やがて守衛が二人いる大きなテントの前に来ると、案内の奴隷が守衛に声を掛けた。
「剣闘士のレン様をお連れしました」
「よし、入れ」
奴隷がテントの幕を押し上げると、レンの方へ振り返り、にこやかに笑う。
「レン様、中で我が主がお待ちです。どうぞお入りください」
「分かった」
レンはかすかな期待と大きな緊張を胸に抱きながら中へと入った。
「――いらっしゃい、レンちゃん」
(はあ!? なんでだよ……美人だって言ったじゃん!!)
ベッドの上には養成所で出会った四十代の巨漢のファビアが、どっしりと腰を下ろしていた。
「……ファビア様……」
「試合前の火照ったレンちゃんの体を慰めに来てあげたわよん」
(う、嘘だろ……この女、呪われた装備か何かかよ……)




