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34 ドロミコスの嫉妬

紀元前77年12月。


コンコン。


バティアトゥス養成所のオーナー室の重厚な木の扉が叩かれた。


「オーナー、トラキア派のドロミコスが、折り入ってお願いがあるとのことです」


執事ルキウスの声に、執務室の椅子に座り、書類に目を通していたバティアトゥスは、面倒そうに顔を上げた。


ローマでの興行でレンが生き延び、大金を稼ぎ始めたのはよかった。

だが大貴族マニウスからはいつものように「次の一戦で仕留めろ」と催促が来た。


とはいえ、一方的な虐殺では興行として成立しないと、すでにマニウスに説明してある。

問題は──マニウスが納得する試合かどうかだ。


次の試合については、すでにいくつか案がある。どれも金になる内容だ。

その中からどれを採用するかを選んでいた途中だった。


「……トラキア派のドロミコスだと? まあいい……通してやれ」


がちゃりと扉が開き、下品な笑顔を顔に貼り付けたドロミコスが、体を小さくしながら入室してきた。


ふかふかの絨毯を踏みしめ、執務机の前で大袈裟に深く頭を下げる。


「バティアトゥス様……! 急で申し訳ねぇんですが、どうしても直接お願いしたいことがあって、参りました!」


バティアトゥスは椅子の背もたれに深く体重を預け、冷ややかな目で値踏みするようにドロミコスを見下ろした。


「手短に言え。わしは忙しいのだ」


「はっ! 次のレンの試合の対戦相手、ぜひ俺にやらせてください!

アイツが貴族に命を狙われてるって話は聞いてます。俺がアイツを殺します!」


ドロミコスが顔を上げ、ギラギラとした嫉妬と欲望の混ざった目を向ける。


レンが一流剣闘士になったことで、ドロミコスは日々不満を溜め込んでいた。

レンのことを『雑魚は早く死ね』と、

レンとすれ違うたびに、聞こえない声で呟いていた。


さらに最近、レンに破格の美女奴隷が与えられたと聞き、共有の洗濯場をこっそりと覗きに行った。

そこでイオの姿を目にした瞬間、完全にブチ切れたのだ。



バティアトゥスはドロミコスの志願に、片眉をピクリと動かす。


「お前がレンと試合をしたいだと? ……ドロミコスよ、お前はレンの試合がどういうものか分かって言っているのか? レンの試合は、負ければ命のないデスマッチになる。お前、デスマッチに出たいのか?」


オーナーの鋭い眼光に、ドロミコスは一瞬だけ身を竦めたが、すぐに全力で首を横に振った。


「い、いえ! 滅相もありません!

デスマッチなんて命がいくつあっても足りませんよ。俺は絶対に嫌です!」


バティアトゥスは眉を寄せ、眉間に深い皺を刻んだ。


「何を言っているのだお前は……。レンの試合はデスマッチに決まっているだろう。そもそもレンは一流剣闘士だ、お前では返り討ちにされて終わりだ」


バティアトゥスが鼻で笑うと、ドロミコスは一瞬だけ歯ぎしりをした。

だがすぐにゲスな笑みを浮かべ、執務机へと一歩身を乗り出した。


「ふふふ。バティアトゥス様、ですから『1対1』ではなく、実質レンだけが『デスマッチ』の試合を組むんですよ」

「ほう、どんな内容だ」


ドロミコスは自信ありげに胸を張る。


「【5対3の変則チーム戦】です。これなら、俺は安全圏にいながら、レン『だけ』を実質的なデスマッチに引きずり込むことができます!」


バティアトゥスの目が、興行師としての鋭さを帯びた。


「……対策はそれだけか?」


ドロミコスは我が意を得たりと、胸を張り滑らかな口調で話し始めた。


「いいえ! 俺は訓練場でのアイツの動きを観察して分かったのですが、あいつの強さは長続きしません。体力が5分くらいで急激になくなり、ガクッと目に見えて弱くなる致命的な弱点があります。間違いなく10分は持ちません!」


「ほう……スタミナが短いか。だが剣闘士の試合は1対1ならば、長くても10分ほどだ。問題はあるまい?」


「だから集団戦にするんすよ。それで時間をかけてスタミナを奪います。名目は『二流剣闘士5人と一流剣闘士レン率いる3人の試合、5対3のハンデ戦』とします。さらに――

レンの味方役の2人も、こちらの味方に引き入れれば……」


ドロミコスがニヤリと下衆な笑みを浮かべる。


「ふむ……」


ドロミコスはなおも説明する。


「こちらは5人、レンのチームは3人。

3人がレンに当たり、残り2人はレン以外の2人に当たります。3人ならレンが前回の兄弟戦で見せた一直線にハメる作戦も使えません!」


ドロミコスは楽しそうに作戦を語る。


「俺を含めた実力者3人が、大盾スカトゥムを横一列に並べてレンの正面に『ぶ厚い壁』となって立ち塞がるのです。これなら10分では絶対に倒せません」


バティアトゥスは『なかなか考えられているな』と興味を示し、顎に手をやり耳を傾ける。


「なるほど……3人同時相手の壁か。だが、もしレンが予想以上に粘って、レンと対峙する3人のうちの誰かがやられたらどうするのだ?」


バティアトゥスの鋭い指摘に、ドロミコスは声を弾ませて不敵に笑った。


「それも考えてます!

その場合は激戦を演じてるレンの味方を即座に降伏させます。すると手の空いた此方の味方が、レンとの戦線に加わり3対1に戻るって寸法です!」


ドロミコスの説明が終わり、執務室に静寂が流れた。


バティアトゥスはドロミコスの見事な作戦に唸った。


だが内心では少しだけ面白くないと感じた。

レンが勝っても、負けて死んだとしても金になるが、結果が見えている試合ほど面白みのないものは無い。


「なるほど、よく考えられているな。確かにこれならば八百長は疑われまい」


バティアトゥスは机を指先でトントンと叩きながら悩む。


レンがこの作戦を万一乗り越えるようであれば、確実に一流剣闘士の実力があることになる。デビューして1年にも満たない若造が、一流剣闘士などあり得ない。だがその場合、これからの試合はさらに面白いことになる。


バティアトゥスは顔をニヤつかせて、わざと重々しく頷いてみせた。


「……よかろう、ドロミコス。その作戦、採用してやる。

来月ローマで行われるルキウス・マルキウス・フィリップス様の興行の目玉試合の一つとして【5対3の変則チーム戦】を組み、

お前とレンをそのリーダーに据えるよう、私から提案してみよう」


「ありがとうございますオーナー!! 必ずや、あのガリアのクソガキをアリーナの砂の上に転がして見せます!」


「ドロミコス、口を慎め。

レンは一流剣闘士、お前は二流に過ぎん。

いかなる理由があろうと、序列を乱すことはわしが許さん」


「は、はい……すいやせん。嬉しくてつい、呼び捨てにしちまいました。気をつけます!」


ドロミコスは何度も頭を下げながら、満面の笑みで執務室を退室していった。


扉が閉まったあと、バティアトゥスは引き締めていた顔を緩ませ、下品な高笑いを漏らした。


「ククク……、自ら死地に首を突っ込んでくるとは、使い勝手のいいバカだ。

レンよ、お前の実力がわしの予想を超えておることを期待しておるぞ……」


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