31 女性たちの選択
女性貴族たちが、『夜の相手を選ぶ』時間になり、レンたち剣闘士20名は再び大広間へ移動した。
前回のお披露目とは違い、今度は“選ばれるため”の整列。
そのため会場の空気は一気に張りつめた。
多くの剣闘士が控えめに胸を張り、筋肉を際立たせる姿勢を取り、笑顔を送った。
有力貴族の寵愛を得られれば、待遇は大きく変わるのだ。
運が良ければ剣闘士の身から解放され、護衛として雇われる道すらある。
この機会を逃す手はなかった。
一方、5人の女性貴族は、獲物を選ぶ猛禽のように剣闘士たちを見つめる。
彼女たちの中心にいるのは、
四十代の未亡人ファビア──最重要人物だ。
彼女は上座にある長椅子の中央にどっしりと腰を下ろし、
豊かな財をそのまま体に蓄えたような肥えた体つきで、
細く鋭い目で、並み居る剣闘士たちを値踏みしている。
(うぁ、あの人だけは絶対に無理!!
こっち見ないで! 俺はモブだよ!
――そうだ、こういう時は隠密スキルを使えばいいんだ!)
レンは祈るようにスキルを発動する。
だが残念ながら、隠密スキルのレベルは10。
そのため効果も、気配値-10%という気休め程度のものだ。
レンがささやかな抵抗を試みていた時、5人の貴族のなかで一番若い19歳のディアナが真っ先に動いた。
彼女は親の命で、好きでもない男と12歳で結婚させられ、その上、夫は同性愛者であった。そのため、父が亡くなったのを機に剣闘士遊びを始めたのだ。
彼女は席を立つと、深い栗色の髪をなびかせ、早足で憧れの王者セウテスの元へと一直線に向かった。
「セウテス。あなたの試合は毎回見てるわ! 今夜はあなたに付き添ってほしいの!」
ディアナは、まるで現代のアイドルに詰め掛ける少女のような表情で告げた。
だがセウテスは全く物怖じせず、一瞬チラリとファビアを見たあと、涼しい顔で堂々と言い放つ。
「ディアナ様。光栄極まるお誘いです。ですが惜しむらくは、先日の訓練で酷く腰を痛めてしまいましてな。主治医から『今女性を抱けば再起不能になる』と脅されているのです。……真に残念ですが、本日は『どなたのお相手』も出来ません」
セウテスの対応にレンは驚いた。
(絶対嘘じゃねえかよ! そんな話聞いてねえぞ!!)
最強の王者の、あまりにも堂々としたお断り。
――だがそれは本来許されることではない。
例え王者といえども所詮は奴隷、貴族に逆らうことは許されない。
そのためディアナはプライドを傷つけられ、内心激怒していた。
彼女は美人のうえ、きゅっと締まった細い腰と、魅力的な尻を併せ持つ。社交の場では常に男たちの注目を集め、男性に断られた経験などなかったのだ。
しかし、ディアナは笑って許すことにした。
彼女はセウテスの熱烈なファンであり、罰を与えたくなかった。
「そう……、なら仕方ないわね。また次の機会にお願いね」
「はい。体調がよければ喜んでお相手しましょう」
ディアナは振られた怒りと、欲求不満の矛先をぶつけられる相手を探した。
その視線は、今にも消えそうな雰囲気の男――
軟弱で一番従順そうなレンへと向けられた。
今の彼女にとって重要なのは、自分の不満をぶつけられる相手。
そして何より、今は男と目を合わせたくない。
そのため、前髪で目元を隠しているレンは、彼女にとって絶好の相手だった。
「そこにいる前髪の長いあなた。
あなたが今夜の私の相手よ。光栄に思いなさい!」
(うわ、最悪だ! セウテスのせいでこっちに来ちまったじゃねえか!)
レンは女好きである。最悪だと言っているが、美人のディアナの容姿は結構好みだった。もしイオと初めての経験を済ませていれば、黙って運命を受け入れたかもしれない。
だが初めての相手はイオと決めている。
そのためセウテスの真似をして断ることにした。
「あ、あの、大変光栄なのですが、実は私の女奴隷が酷い風邪を引いていまして……。私も風邪が移って体調が悪いのです……。すいませんが、次回は喜んでお相手しますので、今日は許しください……」
「まあ、なんですって!? あなた私をバカにしているの!!」
ディアナは顔を真っ赤にして眉を吊り上げた。
その瞬間だった。
オーナーのバティアトゥスが血相を変えてすっ飛んできた。
「この青二才が! お前は何を寝ぼけたことを言っているんだ!!」
バティアトゥスの拳が横からレンの頬を打ち抜き、レンの身体は床へと転がるように吹き飛んだ。
「わしが一流剣闘士にしてやった恩を仇で返す気か!!
青二才の分際で、ディアナ様の直々のお誘いを断るなど百年早いわ!」
「ぐ……っ!」
(この野郎! 俺を殴ったな!)
バティアトゥスはレンに怒号を浴びせると、すぐさま振り返り、ディアナに頭を下げた。
「ディアナ様、この者は今から地下牢で折檻し、性根を叩き直しますのでどうかお許しを!!」
ディアナは唇を噛み、倒れたレンを睨みつけた。
次の瞬間、
彼女は目を細め、レンの顔をジッと見た。
「……待ちなさい……」
ディアナは倒れたレンの足元へ歩み寄り、
その場に身を沈めるように膝を折った。
そして、レンの前髪をそっと指先でかき分け──。
「っ!!」
レンの素顔を見た瞬間、彼女は息を呑み、心の中で黄色い悲鳴を上げた。
「……信じられない。あなた……凄くいいわ……」
自分だけの宝物を見つけたと思い、ディアナは艷やかな口元を緩める。
「うふふ……合格よ。
やっぱり今夜の相手は貴方にして欲しいわ。
バティアトゥス、あとでこの子を私の部屋に連れて来て、いいわね!」
「は、はい、かしこまりましたディアナ様!」
ディアナは満足そうに、無邪気な笑みをレンへ向けた。
「今夜が楽しみだわ。後でたっぷり可愛がってあげるわね」
(最悪だ……。美人だけど、今じゃないんだよ! 初めてはイオとしたいんだよ!)
その時だった。
会場の空気を震わせるような、低く太い声が響いた。
「──その子は、わたくしがいただきます」
ディアナが振り返ると、中央の長椅子からファビアが立ち上がっていた。
太った肉付きの良い体を揺らし、ねっとりとした細い目でレンを見つめ、微笑んでいる。
(ふ、ふざけるな! お前だけは絶対にダメに決まってるだろ!! 誰がデブの四十代ババアに童貞を捧げるんだよ!!)
ディアナがファビアの横やりに、声を荒げた。
「ファビア様、この子はわたくしが先に見つけました! どうか――」
「おだまり!!」
ファビアの一喝が、会場全体を震撼させた。
ディアナは下を向き、肩を震わせて口を閉じる。
「“先に見つけた”ですって? 滑稽ね。
価値あるものを手にするのは、見つけた者ではなく“力ある者”なの。
この子は──わたくしがいただきます。よろしいわね!」
ディアナは小さく頷き、バティアトゥスも深く頭を下げる。
「……はい」
「ファ、ファビア様のご意向のままに……!」
(おい……嘘だろ……)
ーーーーー
夜の相手の指名が終わったあとも、宴会は暫くつづく。
そのため剣闘士は一度全員が控室に移動し、指名を受けた者はそこで宴会が終わるまで待機。それ以外は解散となる。
レンは控室に入った瞬間、
「ガクッ」と床に両膝を突き、魂が抜けた顔でがっくりと項垂れた。
頭の中で、あの100キロ超えのババアに、自分の初めてがドナドナされていく光景が過る。
(……終わった……俺の人生……)
そこへ、ガリア派の三人衆がドカドカと足音を立てて近づいてきた。
「おいおい! なんだその世界の終わりみたいな顔は! ババアを抱いたからって死にはしねえよ、そんなに怯えるなって!」
クリクススが豪快に笑い、レンの背中をパシンと叩く。
だがレンの反応はなく、死んだ目をして項垂れたままだった。
アラトリクスが眉を寄せ、怒鳴る。
「おいテメエ、童貞でもあるまいし、
いつまでもメソメソしてんじゃねえ!」
レンは涙目で顔を上げた。
「……おれ……まだ童貞ですよ……」
「「「…………は?」」」
控室の空気がピキリと凍りついた。
クリクスス、アラトリクス、そして年長のヴェルコス。
ガリア三人衆が同時に固まった。
沈黙を破ったのは、クリクススだった。
「いやいや、待てよお前! 部屋に美人の女奴隷がいたじゃねえか!」
レンは青い顔で応えた。
「もっと仲良くなってからしようって約束してたんです……」
アラトリクスが頭をガシガシとかきむしり、
信じられないものを見る目でレンを睨む。
「テメエ……それはマジでやっちまったな。後悔先に立たずって奴だ。こりゃあ、もう腹くくるしかねえ」
腕を組んで黙っていたヴェルコスが、
深くため息をつきながらレンの肩に重い手を置いた。
「……まあ、これも人生経験だ。
最初の相手が誰であれ、後から振り返れば大したことではない。
すぐに別の思い出ができるさ」
レンの目から遂に涙がこぼれ落ちた。
(無理……どう考えても、トラウマになる。なんで俺はイオとしなかったんだ……)
その時、
控室の扉が開き、若い奴隷現れた。
「私はファビア様の奴隷です。レン様を迎えに来ました。レン様は、私についてすぐに部屋へ来てください」
ガタガタと震えながら立ち上がるレンを、ガリア三人衆はどこか哀れみの混ざった目で見送った。
若い奴隷に案内され、レンはトボトボと廊下を進んだ。
(……なんで今日なんだよ……せめて、あとひと月あれば……)
壁に灯されたオイルランプが、
レンの影を長く伸ばして揺らす。
案内の奴隷は振り返らず、淡々と歩き続けた。
その無機質な背中が、逆に恐怖を煽る。
やがて、屋敷の奥まった場所にある一枚の扉の前で、奴隷が立ち止まった。
大きな扉の脇には守衛が一人控えており、奴隷がレンを連れてきたことを告げると、扉が開かれた。
「レン様、こちらがファビア様のお部屋です。どうぞ、お入りください」
レンの喉がゴクリと鳴る。
(……帰りたい……イオのいる待つお家に帰りたい……)
レンが部屋に足を踏み入れると、
甘い香油の匂いがふわりと漂い、レンの鼻先にまとわりついた。
(うえ、吐きそう……)
レンの体が完全に中へ入ったのを確認した守衛が、背後で扉をガシャンと閉めた。
(うわっ……!!)
レンは恐る恐る顔を上げた。
目の前には豪奢なベッド。
その上に――あのファビアが、どっしりと腰を下ろしていた。
「――いらっしゃい、レンちゃん」
(お……終わった……)




