27 ガリア派の歓迎会
ガチャリ、と真鍮の鍵を回して家のドアを開ける。
「うわああっ!? レンおっきな部屋だね!?」
「おい、鉄格子がないぞ……! 普通の家じゃねえか!!」
部屋に入った瞬間、リクトスとタルトが大歓声を上げた。
そこは、三流や二流の剣闘士が住む、カビ臭い牢屋とは何もかもが違っていた。
だが執事のルキウスが水を差すように告げる。
「勘違いするなよ。家のカギは渡したが、それとは別に夜には扉に施錠がされる。完全に出入りが自由という訳ではないのだ」
「……はい。分かりました」
レンは『まあ、そうだろうな』と頷いた。
夜中に一流剣闘士が、揃って反乱を起こせば、間違いなくバティアトゥスの寝室まで辿り着けるだろう。
「うむ、では私は行く。あとは好きにしろ」
「ルキウス様、ありがとうございました」
ルキウスが立ち去ると、レンは部屋を見渡した。
部屋の大きさは、およそ十二畳ほど、奴隷の身には不釣り合いなほどゆったりとしている。
壁には夜を照らす真鍮のオイルランプ、床は清潔な石畳。
部屋の真ん中には食事や書き物ができる木製の机と椅子があり、奥の壁際には着替えを入れる立派なタンスまでが置かれていた。
そして何より、寝床が藁のクズではなかった。
ふかふかとした本物のクッションが敷かれた大きな木製ベッドが鎮座していた。
リクトスはベッドへと駆け寄り、感触を確かめる。
「凄いこの感触……最高だな。……レン、このベッドなら、泥みたいに深く眠れそうだよ」
「あ、うん、そうだね?」
(いや、未来を知る俺からしたら、まだまだ低レベルだけどね)
「よし、荷物はここに置くぞ」
セルギウスが、持ってきてくれた私物の袋をタンスの脇にそっと置く。
荷物の整理を終えると、リクトスが少し寂しそうに笑った。
「レンは養成所に来てまだ、2年もたたないのに、もう一流剣闘士になるなんて凄いよね……」
タルトは笑いながら頷いた。
「そうだな。しかも、レンはまだ16歳だ。そんな年齢で、一流剣闘士になった話なんて、聞いたことない。ホント尊敬するぜ」
レンは嬉しそうに照れ笑いしながら、頭を掻いた。
「いやあ~、それほどでも、あるかな!」
セルギウスが苦笑する。
「……レン、調子に乗ると他の剣闘士に目を付けられるぞ。一流剣闘士にも、ドロミコスのような奴がいるかも知れん」
「あっ! ……はい、セルギウス先輩、気を付けます」
暫くして、タルトたちが出口に移動し、手を振る。
「じゃあな、レン。俺たちはそろそろ大牢屋に戻るよ。お前はこれから、ガリア派閥の歓迎会なんだろ? しっかり楽しんでこいよな!」
「分かった。みんな、荷物運び助かったよ、ありがとう」
仲間たちが部屋を出て行き、頑丈な木のドアが閉まると、部屋の中は急に静まり返った。
レンは一人、ベッドの上に腰掛け、大きく息を吐き出した。
(ふぅ……やっぱり周りから見られない個室はいいよな。やっとこれで最低限の人間の生活が出来るぞ。
あ……でも、これからクリクススの歓迎会か……。俺、知らない人と集まってワイワイするの、好きじゃないんだよな……)
レンの脳裏に、さっき路地で会った、ライオンのようなクリクススの姿がよぎった。
(すっぽかしたら、あの人、絶対にここに来るよな……。仕方ない、行くとするか)
観念したレンは、ベッドから立ち上がると、そのまま家を出た。
しかし、いざ外に出てみたものの、クリクススの家がどこなのか聞いてないことに気づいた。
(ええと……クリクススの家はどこだ?)
薄暗い路地をキョロキョロと歩いていると、一つのドアの前で、ふわりと甘い香油の匂いが漂ってきた。
「――あら、あなたが新しく一流剣闘士になったレンね?」
鈴を転がすような甘い声に、レンはビクリと肩を跳ね上げた。
ドアの前に立っていたのは、見事なプロポーションを上質なチュニックで包んだ、異国情緒あふれる大人の美女だった。
女性に内気なレンは、女性の艶やかな視線にそれだけでドギマギしてしまった。
「あ、はい。れ、レンです……」
「ふふ、可愛い新入りさん。私はリディアって言うの。クリクスス様の第二の女奴隷(愛人)よ。主人から『ガリアの可愛い弟分が来るから、出迎えてやれ』って言われて待っていたの。さあ、中へどうぞ」
リディアは微笑むと、レンを手招きして、家の中へと招き入れた。
一歩、家へ足を踏み入れた瞬間――。
レンの心臓が、ドキンと跳ね上がった。
(うわっ……! クリクススだけでもヤバいのに、他の二人もいるじゃねぇか!)
十二畳ほどの広い部屋の奥、立派なテーブルを囲んでいたのはクリクスス一人ではなかった。ガリア派閥を率いる三人が集まっていた。
体中に無数の戦傷を刻み込んだ、岩のように頑強な大男――ガリア派閥を実質的に束ねる、年長のヴェルコス。
その隣には鋭い視線を放つ、一流剣闘士アラトリクスがいる。
ガリア三人衆が揃って、すでに酒瓶を傾けていたのだ。
「おお、来たか新入り! ほら見ろ、俺の言った通りリディアが連れてきただろ!」
クリクススが豪快に笑い、ヴェルコスたちの肩を叩く。
ヴェルコスが手にした杯をレンに向け、威厳のある低い声を響かせた。
「クリクススから話は聞いた。俺たちの派閥に入りたいそうだな。派閥の長として歓迎しよう。早くこちらの席へ来い」
「……は、はい。ありがとうございます」
(この人がガリアの実質的な長、ヴェルコスか……。見かけはちょっと怖い、アレなオッサンだな)
レンは体を小さくして、空いた席へと腰掛ける。
すると、クリクススの隣に控えていた第一の愛人ヘレナと、先ほど案内してくれたリディアが、レンに盃を渡し、手際よく酒を注いだ。
「……あ、ありがとうございます」
「こいつらは俺の女だからな。美人だからって変な気起こすなよ」
クリクススが豪快に笑い、レンの肩をバンバン叩く。
アラトリクスが、レンの細い腕や体つきをじっと観察し、静かに呟く。
「クリクススの言う通り、一見するとただのガキにしか見えねぇな……。テメェはどんな技を使うんだ?」
「あ、はい……一応、二刀流で剣を二本つかってます……」
レンは愛想笑いを浮かべながら、か細い声で応えた。
だが、その「二刀流」という単語が放たれた瞬間、
ヴェルコスとアラトリクスの目の色がわずかに変わった。
「ほう……盾を捨てて刃を二本操る、ディマカエルスか」
アラトリクスがじろりとレンの細い手首に視線を落とし、低くうなる。
「俺たちガリア人は大盾と長剣で戦うのが基本だ。セウテスたちトラキア派にも二刀流の使い手はいねえ……。テメェ、想像以上に面白いタマのようだな」
「ほらっ、だから言っただろ! 強そうには見えねえが、中身は面白い奴かもしれねえってな!」
クリクススが楽しそうに笑い、レンの背中をバチバチと叩く。
(なんか体育会系の部活に入った新人の気分だ……)
アラトリクスはさらに身を乗り出して覗き込んでくる。
「おい、テメェ。次の訓練で俺と勝負しろや。オメェの強さを見てやんよ」
「あ、はい。でも、お手柔らかにお願いしますね……」
レンは引きつった笑みを浮かべたまま、心の中で頭を抱えた。
(強さを見てやんよ。じゃねえんだよ! 何なんだこの集団は!
ガリア三人衆ってのは、
強面のオッサンと、ヤンキーとライオンじゃねえか!
まともな人間が俺しかいない件!!)
しばらくして三人が好き勝手に話し始めると、
レンはすぐに冷静さを取り戻した。
(……こう見ると、みんな強そうだな……)
レンの視線が、豪快に酒を飲むクリクススへと向く。
(クリクススはやっぱり別格だ。セウテスと同じで、近づいたらダメな奴だ)
次にレンはヴェルコスをチラリと見る。
(……ヴェルコスさんは三十代後半くらいだろうし、剣闘士としてのピークはもう過ぎてる。数か月頑張れば勝てそうな気がするな……)
次にレンはアラトリクスを見ようとして、首を回すのをやめた。
(あいつは見ちゃダメだ。どうせ『何ガン飛ばしてんだテメエ』とか言うに決まってるからな……)
「おいレン、酒が進んでねえぞ! ガリア人なら、まずはこの極上のワインを飲み干せ!」
クリクススがざっくばらんに笑いながら、レンの杯にドバドバと酒を注いできた。
「あ、はい! いただきますっ!!」
(マズっ! これ全然極上ワインじゃねえだろ! どう考えても安物のワインじゃねえか! って言っても、ホントはワインの味なんて知らねえけどな!)
やがて、夜が更け夜間の就寝時間を告げる鐘の音が、養成所の敷地内に重々しく響き渡った。
この時間が来れば、たとえ一流剣闘士だろうと、宴は強制的にお開きとなる。
守衛によって各家のドアが外側から施錠されるからだ。
「よし、今夜はここまでだな。レン、早く家に戻れよ」
ヴェルコスが器を置き、静かに立ち上がる。
「おう、また明日な、新入り!」
クリクススも豪快に手を振り、歓迎会は解散となった。
レンはふらつく足取りで路地を歩き、なんとか自分の十三番の家へ戻ると、ベッドへ倒れ込んだ。
(はぁ、怖かった……。でも、これでガリア派閥の後ろ盾が出来たわけだし、トラキア派も俺に絡んでこないよな?)
やがて路地から足音が近づいてきた。夜間の見回りだ。
ガチャリ、ガチャン――。
家のドアが、守衛ティモンによって外側から重い掛け金を下ろされ、完全にロックされた。
――こうして、レンのエリートとしての初日が終わった。




