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26 クリクスス

「おいおい、下っ端の剣闘士がなんでこんなに大勢きてるんだ。ここは一流剣闘士の居住区だぞ」


路地の奥から、ずっしりとした威圧感のある声が響いた。


振り返ったレンの目に、ゆっくりとこちらに向かってくる一人の剣闘士の姿が映った。


肩まで伸びた長い金髪の巻き毛を揺らし、獲物を品定めするような目つきで近づいてくる――

その風貌は、まるで獰猛どうもうなライオンだった。


その一歩一歩から、圧倒的な獣の気配が放たれている。


リクトスが小さく悲鳴を漏らす。

「が、ガリア派のクリクススだ……!」


(こいつが、ガリア派を率いる三人衆の一人……)


クリクススはガリア派閥の中でも屈指の猛者だ。

その体に刻まれた無数の戦傷と、全身から放たれる圧倒的な威圧感の前に、

レンの荷物を持っていたリクトスとタルトは恐怖で完全に硬直した。


常に冷静なセルギウスでさえ、無意識に一歩身を引いていた。


だが執事ルキウスだけは表情ひとつ変えず、一歩前に出る 。


「こいつはレンだ。今日から一流剣闘士に昇格した。お前と同じガリア人だ。仲良くしてやれ」


クリクススは眉を寄せる。

レンの名には聞き覚えがあったからだ。


「レン? ドロミコスに殺されかけたっていう、あのガリア人か? なぜそんな弱い奴が一流剣闘士に昇格したんだ?」


「クリクスス、レンは決して弱くない。

三対三の集団戦では、一人で三人を倒した。それに先日のローマでの興行では、二対一のデスマッチで、ベテランの中堅二人を破った。それでバティアトゥス様が一流剣闘士への昇格をお認めになったのだ」


クリクススはレンを真っ直ぐ見下ろし、冷酷に口角をわずかに上げた。


「お前、本当は強いのか……?」


低く、よく通る声。

その一言だけで、周囲の空気が震える。


レンの心臓がドキンと跳ね上がる。


(やべえ。こいつもセウテスと同じ香りがする! 絶対に近づいたらダメな人間だ!)


レンはモジモジしながら、小さな声で応えた。

「そ……そこそこだと思います」


クリクススがさらに一歩近づき、獣のような眼光でレンの頭からつま先まで舐め回す。


目の前の男から放たれる殺気は、本物の怪物だった。

レンは、本来は気の弱い平和主義の人間だ。

背中から冷たい汗が吹き出し、足が震えそうになる。


クリクススはレンに手をゆっくり伸ばし、腕から肩を触って筋肉の付き方を見ると、バシバシと肩を叩きながら大きな口を開けて豪快に笑い飛ばした。


「はっはっは! 全く強そうには見えねえな! なんだこの筋肉は? お前、本当に二対一のデスマッチで中堅二人を倒したのか?」


クリクススに悪意はなく、ただ見たままの事実を口にしただけだ。

だが、叩かれたレンの肩には、骨が軋むほどの圧倒的な質量が残っている。


「はい、なんとか……」


「ふ~ん。なら、お前を俺たちのグループに入れてやるよ。一流剣闘士のガリア人がガリア派閥に入ってないのはおかしいからな。まあ、お前が中立でいたいって言うのならそれでもいい。だが、自分の派閥を立ち上げるなら覚悟しておけ。お前は俺の敵ってことだからな」


クリクススはニカッと歯を見せて笑いながら、恐ろしい言葉をさらりと言ってのけた。

悪意がないからこそ、その純粋な弱肉強食の思考が、かえってレンの肝を冷やさせる。


(敵ってなんだよ敵って! 中立はいいけど自分で派閥作ったら即デッドエンドじゃねえか!)


レンは顔を引きつらせながら、必死に心の中でツッコミを入れた。


自分の派閥を持つというのも、カッコいいかなと思っていたが、目の前のライオンのような怪物を前に、そんな気持ちは消え失せた。


「……あ、あはは、そんな滅相もないです。自分なんてまだまだなんで、派閥なんて作るわけないじゃないですか」


レンは蚊の鳴くような声で愛想笑いを浮かべ、全力で両手を振って否定した。


クリクススはそんなレンの情けない様子を気にする風でもなく、ガシガシと頭の金髪をかきむしり、後ろ姿で手を振りながら路地の奥へと歩き出す。


「そうか、ならいい。お前が俺たちの仲間になった歓迎の宴をしてやるから、部屋を片付けたら、俺の家に顔を出しに来いよ」


振り返りもせず、ゆったりした足取りで去っていくクリクスス。その嵐のような男の気配が消え去ると、ようやくまともな空気が戻ってきた。


レンは張り詰めていた緊張が一気に解け、深く息を吐き出した。


(あいつヤバいって、人の話を全然聞いてねえじゃん。俺はガリア派に入るなんて一言も言ってねぇのに……)



リクトスも大きく息を吐き出し、胸を押さえる。

「し、心臓が止まるかと思ったよ……。レン、大丈夫なの? ガリア派に入っても……」


「あっ、うん。まあ断るよりはいいと思う。……それに、ここにはセウテスとかヤバい奴が住んでるから、派閥に入った方が、安全だと思うし……」


レンはまだ少し震える声で、安全第一の本音を漏らした。


そんなレンの様子を見て、セルギウスがふっと小さく苦笑する。


「……レンが派閥に入るのなら、クリクススは敵にはならないだろう。それに、あいつは意外と面倒見がいいらしいぞ」


レンは口をポカンと開け、驚いた。


(マジかよ、全然そんな風には見えなかったぞ。自分のやりたいことだけをやる、チンピラ? そんなタイプに見えたけど?)


「えっと、そうなんですか?」

「ああ……そう言う噂だ」


(噂かよ!)


執事のルキウスが、歩き出す。

「さあ。もう行くぞ、レン」


「あっ、はい、ルキウスさん。案内をお願いします」


レンは真鍮の鍵をしっかりと握り直し、ルキウスの後ろについて、エリート居住区の真ん中付近にある【十三番目】の家の前へと進んだ。


一流剣闘士専用の家は全部で20軒用意されており、空き家がこの先に七つある。

その空き家との境界線にあるのが、レンだけの特別な城だった。


ルキウスが立ち止まり、顎でドアを示した。


「ここがお前の家だ。これからは、お前自身の実力で生き残り、この家の鍵を守り抜くんだな」


レンはごくりと唾を飲み込み、真鍮の大きな鍵を頑丈な木のドアの鍵穴へと差し込んだ。

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