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20 二対一のデスマッチ

ローマ郊外――マルスの野。


マニウスと再会した翌日。

レンは剣闘士たちが収容されているテント陣営の一角で静かに目を覚ました。


外に出ると、朝の冷たい空気がまだ残っていて、異様なほど静かだった。


(これが嵐の前の静けさって奴かな……)


興行の日程は全五日間──

その初日の目玉試合として、レンの二対一のデスマッチが組まれている。


命を賭けた戦いが数時間後に始まる。


お腹に手を当てて、傷跡にそっと触れる。


(……大丈夫だ、もう腹は痛まない。十分戦える)



ーー

午前8時。

衛兵が食事をテントの前に、無言で置いていく。


パンに豆の煮込み、チーズと果物。


以前の試合前に出された、パンと薄いスープだけの朝食より、明らかに良くなっていた。

レンが目玉試合の選手として扱われている証拠だ。


緊張で食欲がわかなかったが、レンは無理やり口に押し込んだ。

初日の目玉試合の開始予定時刻は午後二時、腹が減っては困る。


ーーー

昼過ぎ、レンは衛兵に促され、闘技場の近くの控えテントへ向かう。


薄暗い控えテントの中には、独特の匂いが充満していた。

血と汗、錆びた鉄、そして死と隣り合った剣闘士たちの恐怖が混ざり合った、闘技場特有の生臭い空気だ。


(この臭いと緊張感は慣れないな……。今回は知ってる仲間もいないし……)


周囲を見渡しても、バティアトゥス養成所の者はトラキア人だけだった。ガリア人の姿は一人も見えない。


完全なアウェイ。

孤独感が、二対一という絶望的に不利な条件と重なって、レンの肩に重くのしかかる。


だが、テントの奥にレンの顔見知りが一人だけいた。


腕を組み、壁に背を預けてこちらを見ている巨漢──

バティアトゥス養成所のドクトーレ(教官)、オエノマオスだ。


(ちょっと挨拶しておこうか……)


オエノマオスは、レンが近づいても優しい言葉一つかけない。

ただ、すべてを見透かすような鋭い眼光で、じっと彼を睨み据えた。


だがレンは、彼が傍にいるだけで妙に心強いと感じた。


「オエノマウス教官……」


「レン。四ヶ月間、寝たきりで身体がなまっているな。戦えそうか?」


「……はい、大丈夫です。ですが、思うようにはまだ身体が動きません……」


レンが正直に答えると、オエノマウスは『ふん』と鼻を鳴らした。


「だが、お前の眼は死んでいない。……良いことだ。諦めた瞬間に終わる」

「はい。負ける気はありません」


オエノマウスはレンの言葉に満足気に頷いた。


「……知っているか?

ローマの裏では、お前の噂話で持ちきりだ。

昨晩お前がマニウス様に啖呵を切ったことも、クラウディア様の金貨三千枚の話も──全部広まっている」


(え、マジかよ!?)


「そのせいで賭場は大荒れだ。昨日は1対70の大穴だったお前の倍率が、今は1対25まで下がっている。胴元が慌てて調整していると言う話だ」


(テントでの会話はたった数分だぞ。

そのやり取りが、ローマ中に広まるって、情報漏洩が半端ねえな!)


噂を流したのは、大テントの中で、レンと一緒にいた剣闘士たちだった。

彼らがゴシップとして、他の剣闘士に話したことがキッカケで、噂はまたたく間に広がっていった。



オエノマオスは腕組みを解き、レンの前へ一歩進んだ。

その圧倒的な威圧感は、昨晩のマニウスとはまた違うものだった。


「今日の試合だが、格上のベテラン二人が、お前を仕留めるために牙を研いでいる。

一人は正面、もう一人は後方の死角から攻めてくる。まともに戦えば勝率は1%もない。

レン、相手に死角を取らせるな」


「……はい、オエノマウス教官」

「……ならば十分だ」


レンの神妙な返事を聞き、オエノマウスは背を向け離れていく。


(おい待てって!

死角を取らせるなって、どうやるんでだよ!?

説明しろって! そこ一番大事だぞ教官!)


上位者に、言いたいことをハッキリ言えない性格のレンは、オエノマオスの背中に向かって、心の中で叫ぶしかなかった。



外から監視兵の無機質な声が響く。


「カプアのレン! 時間だ、闘技場の入口の待機室へ移動しろ!」


レンは二本のスパタを左腰の鞘に収め、革ベルトを軽く整えると、控えのテントをあとにした。

剣闘士は試合中でも鞘を腰に吊したまま戦う。そのため、レンは二本とも左腰にまとめて装備していた。


案内された、闘技場の舞台裏にある待機テントで10分ほど待機していると、試合の決着がつき、数万人の観客の歓声が地響きのように聞こえてきた。


(いよいよだな……)


レンは腰の二本の剣に手を触れ、重みを確かめる。


(この4ヶ月間の特訓の成果──マニウスに見せつけてやる)


「カプアのレン! 出番だ!」


レンは左腰の二本の鞘から静かにスパタを抜いた。

右手と左手に一本ずつ握り直し、ゲート前の影の中で静かに構える。


ガガガガ、と重い金属音が響いた。

前方の鉄格子──アリーナへと繋がるゲートが、ゆっくりと持ち上がっていく。


一気に差し込んでくる強烈な太陽の光。

それと同時に、血を求める群衆の狂気じみた怒号と大歓声が、津波のように流れ込んできた。


視界の先には、どこまでも広がる白い砂のアリーナ。


レンは息を深く吸い込み、光の中へと一歩を踏み出した。


(まぶしっ……!)


灼熱の太陽に目を細めながら、レンは一歩一歩、白い砂を踏みしめて中央へと進む。


背後でガシャンと重々しい音を立てて鉄格子が閉まる。

もう引き返すことは出来ない。


レンは緊張を和らげるため、深呼吸をする。


(絶対に勝って、生きて帰ってくるぞ……)


視線を正面に戻すと、対角線上のゲートから、すでに黒い鎧を身に纏った二人の大盾持ちが入場していた。


(俺が二戦目で倒したギルモナ弟たちか……。兄に似て巨漢だな)


アリーナの中央では、華やかなガウンを羽織った主審スマ・ルディスが両手を広げ、朗々とした声を闘技場全体に響かせた。


「ローマ市民の諸君! 初日の最大の目玉試合を執り行う! まずは、この素晴らしい死闘を我々に提供してくださった、偉大なる興行主エディトルをご紹介しよう!

我らが守護者、高貴なるマニウス・アントニウス・バルバトゥス殿、その人である!」


主審がそう言って、

天幕が張られた特等席のバルコニーへ手を向けると、

『わああああっ』と割れんばかりの歓声が巻き起こった。


レンも顔を上げてバルコニーの方を見てみる。


そこには大貴族としての絶対的な余裕をたたええ、椅子の背もたれに深く腰掛けたマニウスが、冷酷な笑みを浮かべてレンを見下ろしていた。


さらに彼の隣には、ルクレティアとクラウディアの姿も見える。

ルクレティアは胸の前で手を組み、レンの無事を祈っていた。



主審はさらに声を張り上げ、対角線上の二人の巨漢を指差す。


「受けて立つは、兄ギルモナの血の復讐に燃える、ラヴェンナ養成所のベテラン闘士! 兄の剣技を受け継ぐ長弟、ラモス! そして、その死角を補う次弟、アペンダ! 二人の『復讐の獅子兄弟』だーー!!」


地鳴りのような大歓声がアリーナを揺らす。


ラモスは手にした武骨な大剣をこれみよがしに頭上で振り回し、アペンダは連携の死角を狙うための鋭い片手剣を構えて、観客の興奮を煽った。


そして、主審の手が、最後にレンへと向けられる。


「対するは! 前回の団体戦において、ひとりで敵を全滅させ、あのギルモナを討ち取る奇跡を起こした『ガリアの新星』! ーーレン!!」


「ワーーー!!」という割れんばかりの歓声と、

それ以上に「二対一じゃどうせ死ぬだろ! 早く死んでくれ、こっちは金がかかっているんだ!」

という罵声が入り混じったドス黒い熱気がレンに降り注ぐ。


レンはクラウディアに貰った二本のスパタ(片手剣)の柄をギュッと強く握り直した。


勝率1%以下と言われる仕組まれた死地。

だがレンは希望を捨ててはいない――。


スキルを全て発動すれば筋力、敏捷、耐久の基礎能力が200%アップする。


三分間というタイムリミットはあるが、レンは一時的に一流剣闘士に並ぶ強さが得られるのだ。


(瞬殺だ! 囲まれる前に開幕速攻、全力で1人をぶっ殺す!!)


「両者、構えよ!」


主審の鋭い声とともに、ラモスが地を這うような低い声で唸った。


「薄汚いガリアの羽虫が。兄者の仇、その五体を無残に引き裂いてやる……!」


「始め!!」


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