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16 長い夜

ドロミコスに腹を蹴られて夜。

レンは寝台に横たわり、身体を震わせていた。


「……っ……寒……い……」


額から汗が流れ落ちる。

腹の奥は熱を持ち、呼吸が浅くなっていく。


リクトスが布を絞りながら言った。


「レン……大丈夫……?」


医師ニコマコスが脈を取り、低く告げる。


「熱が上がっている。

傷が開いたせいで、体が戦っているのだ。今夜が峠だ」


(っ……!)


レンは返事をしようとしたが、

喉が焼けるように熱く、声が出ない。


「……く、そ……」


口の端から漏れたのは、かすれた声だけだった。

視界がぐにゃりと歪み、薄暗い牢屋の天井が遠ざかっていく。


(なんで俺……こんなところで死にかけてるんだ……。イケメンに転生して……ようやくって時に、あんな雑魚のせいで……ちきしょう!)


悔しさと情けなさで、目尻から熱い涙がこぼれた。


「ニコマコス先生! 薬だ、もっと強い薬はないのか!」


タルトが大声で叫ぶ。


「冷やすしかない! 今はレンの生命力を信じるんだ!」


ニコマコスの厳しい声が響いた。



ドロミコスに蹴られて十時間後、

就寝時間になり、監視兵が剣闘士の部屋の木格子の扉に施錠していく。


リクトスたちは監視兵に促されて渋々部屋を出て自身の部屋に戻る。

監視兵はレンの部屋の入り口に鍵をかけた。


ニコマコスが部屋の外から、監視兵とレンに告げる。


「今夜はもう誰も入れるな。静かにしておけ。

レン、朝まで眠るなよ。寝たら死ぬぞ」


(は? 眠るな? ……そんなの雪山のドラマでしか聞いたことないぞ。本当に正しい医学か?)


医師の冷たい言葉を最後に、部屋には静寂が訪れた。


それから一時間ほど、レンはたった一人で、押し寄せる死の恐怖と戦った。


(……はぁ、……はぁ、……っ!)


息をするだけで、熱く焼けた鉄を吸い込んでいるように喉が痛い。


腹の奥が、まるで真っ赤に火が通った炭を押し込まれたように熱い。

それなのに、指先や足の先は凍りつくように冷たく感じる。


ガタガタと歯を鳴らし、身体が震える。

頭が割れるように痛く、意識が何度も暗闇へ引っ張られそうになる。


(だめだ……今眠ったら、本当に二度と目が覚めない……っ!)


高熱に浮かされるレンの脳裏に、いろんな景色がぐるぐると駆け巡った。


残業ばかりでしんどかった前世のサラリーマン生活。30歳の誕生日の夜。

そこからいきなり連れてこられた、血と砂の闘技場。


そして──今日の夕方、温泉の帰り道、レンを見下ろしてゲラゲラと笑っていた、あのドロミコスの下品な顔。


『調子こいてんじゃねえぞガキが!』


理不尽な暴力への怒りが、冷えかけたレンの心臓に辛うじて火をつけた。


(ふざけんな……。生き延びて、絶対にアイツをぶっ殺す!)


ドロミコスは、ただ新人が目立っているのが気に入らなくて、レンの腹を蹴っただけだ。そう考えると、レンはらわたが煮えくり返った。


(許さねえ……)


レンは悔しさと怒りで、奥歯がボロボロに砕け散るほど強く噛み締めた。涙と冷たい汗が混ざり合い、藁のベッドをぐしょぐしょに濡らしていく。


レンは長い長い、地獄のような夜を耐え続けた。


何時間経ったか分からないその時。


《ポーン――レンさん、聞こえますか?》


脳裏に響いたのは、いつもの緊張感のない、しかしどこか懐かしいシステム音声だった。


(……AI……っ。

 クソ、そうだお前がいたこと、すっかり忘れてた……。今のこの状況、システム的に裏技とかでなんとかできないか……?)


レンは藁にもすがる思いで心の中で叫ぶ。

しかし、AIの返答はいつも通り無機質で、冷酷なものだった。


《すみません、現在のレンさんのポイント残高はゼロ。

銀貨を奉納しても有効なスキルを取得するポイントに届きません。

システム側から肉体の病気や高熱を直接治す手段は許されていないのです》


(ちっ……使えねえな、おい!)


《ですが、進言ならあります。ニコマコス医師の『眠ると死にやすくなる』という言葉、あれは100%ガチです。絶対に寝ないでくださいね》


(はあ……? 本当に寝たらダメだったのか?)


《はい。レンさんは今、お腹の激痛のせいで呼吸がもの凄く浅くなっています。このまま眠って意識が落ちると、さらに呼吸が浅くなり、酸欠でそのまま脳の機能が停止します。

さらに、高熱とお腹の炎症のせいで、いつ嘔吐してもおかしくありません。寝た状態で吐けば、喉に詰まって確実に窒息死します。ほかにもいくつか理由があります》


(……マジかよ。じゃあ、朝までこのまま根性で起きてるしかないのか……)


《はい。ここからはシステムではなく、レンさん自身の根性です。ドロミコスへの怒りを燃料にして、朝まで絶対に目を開け続けなさいね! ガンバ!》


(ガンバじゃなえよ……。上等だ。絶対に寝てたまるか……俺はドロミコスを殺すまで死ねない!)


AIの警告が、レンの『本当にこのまま起きてた方がいいのか?』という疑問を払拭した。


お腹の激痛も、高熱の苦しさも、全てがハッキリと頭に伝わってくる。

だがレンはドロミコスへの激しい憎悪だけで全てを跳ね除けた。


(あいつだけは許さねえ! 今度は俺が、あいつを床に叩き落としてやる!)


四時間後、

地下牢の小さな高窓から、白っぽい朝の光が差し込み始めた。

その時、隣の牢から声が聞こえた。


「レン、よく頑張ったな。朝だぞ」


レンが隣の牢を見ると、セルギウスがこちらを見ていた。

彼の目には大きなクマが出来ている。ずっと起きていた証拠だ。


(先輩……。俺……一人で戦ってたんじゃなかったんだ。ずっとセルギウス先輩が見守ってくれてたんだな……)


レンはホッとし、意識を手放した。

彼は穏やかな表情で眠りの中へと落ちていった。

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