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11 仕組まれた罠

「よし……! これで三対二だ!」


勝利の興奮でドクドクと波打つ心臓を押さえながら、レンはすぐさま左翼へ走った。

真ん中のベテラン同士の勝負に加わっている間に、プッロがやられたら二対二に戻ってしまう。


「プッロ、今助けるぞ!」


「レン! 助けてぇ!」


情けない悲鳴を上げるプッロの背後へ一気に回り込み、振り返った敵の顔面へ盾の縁を叩き込む。

怯んだ隙に短剣を喉元へ突きつけた。


降伏ミッシオ! 降伏するっ!」


敵はガタガタ震えながら両手を挙げ、審判が割って入る。


「やった! 二人目だ!」


これで【三対二】から【三対一】へ。

こちらの圧倒的有利——のはずだった。


ドンッ、と背後で砂が跳ねる。


「ぐわぁぁぁっ! ここまで、か……!」


レンが振り返ると、中央で戦っていたはずのマルケッルスが、腕を軽く斬られただけで大袈裟に倒れ込み、あっさりと片手を挙げて降伏ミッシオの合図を送っていた。


(え……? マルケッルスさん!? 負けるの早すぎない!?)


だが、まだレンとプッロの二人で敵のベテラン一人を囲んでいる。

数値的には有利だった。


「プッロ! 敵は一人だ、二人で囲んで——」


「うおおおおお! 俺だって男だぁぁぁ!」


レンの制止を無視して、さっきまで震えていたプッロが無防備に突っ込んでいく。


「おい、待てプッロ!」


引き止める間もなかった。


敵のベテランは、突っ込んできたプッロの剣を軽く受け流し、太ももを浅くピッと切り裂いた。


「ぎゃあああ! 痛いぉぉぉ! 降伏! 降伏しますぅぅぅ!」


プッロは砂の上を転がりながら全力で降伏を宣言し、審判に保護されて外へ運ばれていく。


「「おおおおお!!」」

「ギルモアが二人倒して一騎打ちに持ち込んだぞ!」

「やった! これで勝ったも同然だ、次の試合の掛け金が増えるぞ!」


(……嘘だろ。なんであんなかすり傷で降伏が認められるんだよ……)


レンの全身から血の気が引く。


デスマッチ以外での、剣闘士の試合での死亡率は1割から2割。

大怪我をすれば審判が止め、降伏すれば命は助かる。


観客の目には、マルケッルスは強敵相手に力負け、プッロは勇気を振り絞って突撃したが返り討ちという“熱い試合”に見えていた。


マルケッルスと、プッロがこちらを見て、クスリと笑う。


(なっ! ……そういうことかよ)


レンは理解した。

この試合は最初から【3対3】の試合ではなかった。

ルクレティアの父親——貴族のマニウスにより仕組まれた罠だと。


灼熱の砂の上に残されているのは、錆びた短剣を持ったレンと大盾を構えた無傷のベテランの二人だけ。


観客席からは哀れみと絶望の声が降ってくる。


「新人のレン、よく頑張ったぞ!」

「でももう無理だ、相手はギルモアだ!」

「降伏しろ、死ぬぞ!」


特等席を見上げると、ルクレティアが口を手で塞ぎ、隣のクラウディアは冷酷な笑みを浮かべていた。


試合開始から三分。

レンはチラリと審判を見る。


「お前の降伏は認めん! 観客を喜ばせて、華々しく死ね!」


審判は、声が観客席まで聞こえないことを利用し、『死の宣告』を告げた。


(……チッ! こいつもか!)


ここにはレンが頼れる味方は一人もいなかった。

いや、端から全員が敵だった。


(こんなの……こんなの絶対に許さねえ!)


怒りで集中力が増した――その瞬間。

レンは妙に体が軽くなり、周りの動きが遅く感じた。

視界の端が研ぎ澄まされ、敵の動きが手に取るように分かる。


(これ……もしかしてゾーンって呼ばれるヤツか!?)


レンはギルモアに向かって短剣を構えた。

素早さを武器に、ギルモアをかく乱しようとしたが、これまでの雑魚とは次元が違った。


巨大な大盾の陰から、隙のない大剣の斬撃が容赦なく襲いかかる。


未来が視え、斬撃を盾で弾き、砂の上を転がってかわす。


だがギルモアの攻撃は途切れない。

盾で防ぎ、必死で短剣で応戦するが、肉厚な大盾に全て吸収されてしまう。


互角の戦いが続く。


有効打を与えられないまま、3分、4分と……時間だけが虚しく過ぎていく。


そして、ついに限界まで張り詰めていたレンの集中力が、プツリと音を立てて途切れた。


その一瞬――ギルモアの大剣が、鋭い弧を描いてレンの脇腹を切り裂いた。


ドスッ……!

鈍い衝撃が腹を走る。


「が、はっ……!?」


抉られた激痛が遅れてやってくる。


「ぐああああああああああ! いってええええ!」


(痛い、痛い痛い!! なんだこれ……こんなのあり得ねえだろ……)


レンは歯を食いしばりながら、地面に膝をついた。


レンの腹からはドクドクと熱い血が溢れ出し、焼けた砂の上に赤黒い血がポタポタと流れ落ちる。


「こうふく……する……」


レンが必死に絞り出した言葉に、審判は無情にも首を振った。


(……なんでだよ。そんなに俺を殺したいのかよ……)


ギルモアがニヤけながら近づいて来る。


(……せっかくイケメンのチート人生を手に入れたのに……こんな所で死ぬのか……?)


この世界には、レンが死んで悲しむ人間などひとりもいない。

ひとりで寂しく死ぬくらいなら、レンはまだ日本で死にたかったと思った。


(……いや、違う。この世界にはルクレティアがいる……彼女はどこだ……)


レンは死ぬ前に、ひと目でも彼女を見ようと観客席に目を向ける。


(……こっちじゃない……)


レンはギルモアに背を向け、少しづつ体を後ろに回すと、観客席にいるルクレティアを見つけた。

彼女は泣き叫びながら、今にもアリーナへ飛び降りそうなほど身を乗り出している。


(……仮初めの恋人だったけどサヨウナラ。

 結局、君が最初で最後の恋人か……)


レンの目から涙が溢れてきた。

出血で遠のいていく意識の中で、レンは最後に彼女の姿を網膜に焼き付ける。

そして目を閉じ、顔を上げて、ゆっくりと天を仰いだ。


ギルモアが笑みを浮かべ、勝利を確信する。

大盾を捨て、諦めたレンの斜め後ろへと歩み寄った。


やがて静かに両手で大剣を右斜め上に掲げる。

その格好は、まるで野球の打者がバットを構える態勢――

つまり首を吹き飛ばすための、観客へのパフォーマンスだった。


観客たちの歓声が最大に達したその時――

無防備なレンの首に容赦なく大剣が襲い掛かり、横から薙ぎ払った。


首が宙を舞う。


だがそれは――レンが見た1.3秒後の未来。


ドクンッ! と、レンの心臓が爆発したかのように跳ね上がる。


(だめだ、やっぱりまだ、死ねない!!)


ヒュンッ……!!

ギルモアの大剣を、レンは地面に手をつき上半身を下げてギリギリで躱す。


レンの頭の上を通り過ぎた大剣は、ギルモアの右から左に目一杯振り抜かれていた。そのため、一時的にだがギルモアの視界からレンが消えていた。


「うおおおおおおおッ!」


大剣を振り抜いた直後の、致命的な隙。


レンは振り向きざま、ギルモアに向けて手にもっていた短剣を必死に伸ばす。

そして腹の痛みを耐えながら——ギルモアの剥き出しの胸へと短剣を深く突き刺した!


グシャリ、と肉を貫く感覚がレンの手に伝わる。


「ぐ、おぁぁぁっ!?」


ギルモアが驚愕に目を見開き、自分の胸元に刺さる短剣を見る。

やがて巨体がドサリと砂の上に崩れ落ちた。


それと同時に、レンの視界も急速に暗転しギルモアに重なるように倒れた。


やり遂げたという確信だけを胸に、レンはそのまま意識を手放した。



闘技場アリーナは、一瞬の静寂のあと、地を割るような大歓声に包まれた。


「うおおおおおおお!!」

「新人がギルモアを仕留めたぞ!!」

「なんて試合だ! 奇跡だ!!」

「新人が一人で敵を全滅させたぞ!!」


死体と化したギルモアの傍らに、同じように倒れ伏した少年剣闘士レン。

その壮絶な相打ちに近い幕切れに、血に飢えた数万のローマ市民たちは総立ちとなり、狂喜乱舞した。


レンの敗北と死を確信していたはずの審判は、顔を真っ青にしながら、倒れて動かないレンの手を恐る恐る高く掲げた。


「勝者……レン!!」


試合時間はちょうど5分。それは誰もが新人の死を確信し、そして裏切られた時間だった。


特等席の並ぶ上層階では、二人の貴婦人が対照的な姿を見せていた。

金髪の美少女ルクレティアは、レンが勝利した今も、涙をボロボロと流し、泣き崩れている。


そして、その隣。赤毛の未亡人クラウディアは、持っていた扇子をポロリと砂の上に落としていた。信じられないものを見たように呆然とレンを凝視していたが、やがて、その驚きは妖しく、そして激しい歓喜の笑みへと変わっていく。


「ふふ……本当に生き残るなんて、面白い男ね。本当に興味が湧いて来たわ」


血に染まった砂の上から、気を失ったレンが担架で運び出されていく。


「レンまた会いましょうね……」


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