戦法
構えを習ってみてわかった。これは物にはできない。
試合は、近いうちに設定されるだろう。
私の肩が治ってからと、山下師範が条件を出されているので、
早くとも2週間後。
おそらく、1月後になるだろう。
私は、普段構えるとき、右足に重心を乗せ、前足は踵を浮かせている。
そのほうが、左足をあげて防御できるし、左の蹴りを出しやすいけど、
蹴りの間合いが大前提で、いきなり手が勝敗を決めるような近い距離は想定していない。
相手から距離があるからこそ、掴みかかってきた相手の攻撃やタックルも避けることができる。
しかし、ボクシングは距離が近い。
相手の手が届く距離で、攻防を繰り広げる。そのため、足を止めての打ち合い以外では、
つま先に体重をのせ、軽やかに動けるようにするのが基本になる。
その間合いの違いになれるのが精一杯で、フットワークまで身につけれるとは思えない。
男の時の記憶をたどっても、対ボクサーの経験はあっても、ボクシングの経験はなかった。
「とまあ、こんな感じだけど、しっくりこないかな?」
「短期間だと、難しいと思います」
「だろうね。磯野さんもジャブなんていらないって言ってたし。
磯野さんの記憶はあるって言ってたね。なら、ボクサーとやりあった記憶もたくさんあるはずだ。
どんな手で来るか、だいたいわかるよね?」
「はい。ですが、磯野正の経験してきたことは、自分の経験としての実感はなくて、
まるで映画を観たかのような感じなんです」
「なるほど。じゃあ、ちょっと伊藤とやってみせるよ。伊藤、構えろ」
「偉そうにすんな」
伊藤さんがアップライトに構え、木村さんはファイタースタイルに構えた。
「いいかい? ボクサーで怖いのは、懐に入られること。
奴らは、近距離での攻防に慣れている。
だから、もし入られたら、レフリーに見つからない反則を使う」
「反則? 頭突きとかですか?」
「いやいや。バッティングはダメだ。大野の頭突きは警戒されているだろうし、
誰の目にも反則ってすぐわかってしまう。こういうことだよ」
木村さんは、伊藤さんにクリンチし、太ももに細かいパンチを当てる。
伊藤さんが、渋い顔をする。
「木村、お前、こんなの効くわけねえだろうが。もっとマシなの教えてやれ」
「いいんだよ。これはれっきとした反則で、相手の足を止めるのに役立つんだ。
俺たち空手家は下半身への攻撃になれてるが、ボクサーは慣れてない。
この程度のパンチでも、あとから効いてくるんだよ。
金的の反則を取るレフリーはいても、太ももを攻撃して反則を取られたことはない」
「はー。狡いなお前。しかし、ローキック打つわけにもいかねえから、
確かにいい手ではあるな」
木村さんは、姿勢を変え、伊藤さんの胸上にかぶさるようにクリンチする。
「そして、クリンチするときは体を預けて、相手のスタミナを奪う。
まあ、これもホントは反則なんだけど、こっちも反則とられたことないね」
「反則じゃないとダメですか? 正攻法では無理でしょうか?」
木村さんも伊藤さんも困った顔をする。
正攻法では、私は勝てないということか。
自分でもわかってはいるけど、ちょっとショック。
「あの、撃砕のようなボクシングの必殺パンチありませんか?
相手を一撃で倒せるような」
木村さんは苦笑いして、伊藤さんから離れた。
「ないね。使える部位が限定されればされるほど、単純な肉体の差が、強さの差になってしまう。
それでも、あえていうなら、交差法だけど、間合いが近いから、かなり難しいよ」
「……。そうですか。なら、私はどうしたらいいでしょう?」
「そうだね。軽いパンチを当てて、判定に持ち込むのがいいと思う。
君のスピードならそうそう捕まらない」
「判定……」
伊藤さんが木村さんの胸をポンと叩いた。
「木村-。大野ががっかりしてるじゃねえか」
「うーん。でもなあ。お前もわかるだろう? 大野の武器といったら跳び膝蹴りに、頭突きだ。
それが両方つかえないからなあ。真正の突きなしで、やりあうっていうのはかなり危険だ。
まずは、基本を一通りやってみて、それから何かいい戦法考えてみようか。
しっくりくるのがあるかもしれないし」
私は何か引っかかった感じがして、もやもやとした思いを抱えてたまま、
木村さんと伊藤さんの指導を受けた。




