過去編 7話 邪神との戦い
グリムと三人の邪神は向かい合っていた。
「あとは神だけだ」
グリムは刀を肩に担ぎ、目の前の三人を見据えた。
「え……グリム……。最上位の悪魔まで、あんなに簡単に……」
少し離れた場所で拘束されているミレーヌは、目の前の光景に驚きを隠せなかった。
「ハハッ! 最上位の悪魔や上位の悪魔をたった一人で倒したことは、褒めてやろうじゃないか」
マライスは愉快そうに笑った。
「邪の道を行く神から褒められても嬉しくないな」
「一応、邪神でも神だ。神からの最初で最後の褒め言葉だよ」
「そうか。俺としては、ミレーヌを返してくれた方が嬉しいんだが」
「なら、俺たちを倒してみろ」
ジークが不敵な笑みを浮かべる。
「まあ、無理だろうけどな」
ライクも余裕たっぷりに言い放った。
「無理か……。この世界には不可能なことが存在するのか? 俺はそうは思わないがな。どんなことにも不可能なんてない。諦めなければな」
「カッコつけているところ悪いけど、神の力を舐めすぎじゃない?」
「神全員を侮辱しているわけじゃない。少なくとも、始まりの神は素晴らしい神だと思っている」
「始まりの神? あれは格が違うんだ」
「そうだ。お前らみたいな邪神とはまったく違う。最高の神だ」
「この野郎……!」
ジークが一歩前に出た。
「何だよ」
グリムは平然とした顔で返す。
マライスは二人のやり取りを眺めたあと、ふと思い出したように口を開いた。
「じゃあ、戦いを始める前に最後に一つ。本当に君は、どんなことにも不可能はなく、終わりもないと思っているの?」
「さっきも言っただろ。不可能はない。諦めさえしなければな」
グリムの答えを聞き、マライスは口元を歪めた。
「ハハッ! 馬鹿な君に一つだけ教えてあげるよ。この世界には不可能なことがある。それは世界の終末だ。これは絶対だよ」
「世界の終末か……。馬鹿げたことを」
「馬鹿げたこと? 君はそう思うかもしれないけど、この女はどう思っているんだろうねぇ?」
グリムはミレーヌの方へ視線を向けた。
ミレーヌはわずかに俯いていた。
「グリム。この神たちの話は聞かなくていいわ」
「おう」
グリムはあっさりと返事をした。
マライスはそんな二人を見て、さらに笑みを深める。
「君は知っているんでしょ? 神を信仰していた聖女なんだから。始まりの神と対になる存在を」
ミレーヌの表情が険しくなった。
「……知らないわ」
「彼には教えないのか?」
「教える必要なんてないわ。だって、彼の言う通り不可能なんてないのだから」
その言葉を聞いたマライスは、いっそう気高く笑った。
「ハハハッ! もう一人馬鹿がいたとはね!」
「つまり、馬鹿なのはお前だ。静寂の神」
「人間に馬鹿呼ばわりされるとはね……」
「早く殺そう」
ライクが面倒くさそうに告げる。
「賛成だ」
ジークも同意した。
「静寂の神のくせに、うるさいしな」
グリムがぼそりと付け加えると、ミレーヌは思わずクスッと笑った。
「それは少し腹が立つねぇ……」
マライスはミレーヌを拘束したまま、真横へ放り投げた。
「そこで大人しくしていてよ。あいつを殺してから、君も殺すから」
ミレーヌの体が地面に転がる。
「……ミレーヌをそんな雑に扱うな」
グリムの声から、笑い気のようなものが消えた。
「どう扱おうが変わらないだろ」
「変わる」
「……二人とも、少し落ち着きなよ」
マライスが間に入った。
「あいつは人間だが、人間離れした身体能力を持っている。それに、能力も何なのか分かっていない。だから、ここは一時的に協力しようじゃないか」
「構わん。あいつに絶望を見せてやるためだ」
「どう殺そうかな」
ライクはグリムを眺めながら、楽しそうに呟いた。
「決まりだね」
三人の邪神はグリムの前に並び立った。
「グリム……」
ミレーヌは心配そうに彼の背中を見つめた。
グリムは刀の柄を強く握り、目を閉じる。
余計な思考を捨て、意識を集中させる。
そして、ゆっくりと目を開いた。
その瞳には、恐怖に屈しない確かな勇気が宿っていた。
「……始めるか」
「うん」
「……締まらないな」
グリムは刀を抜いた。
戦いが始まった。
* * *
「傀儡」
ライクの周囲に、無数の人形が現れた。
人形たちは一斉にグリムへと顔を向ける。
「試しにやれ」
ライクが指を動かすと、無数の人形が一斉に襲いかかった。
「そんなもので俺を殺せるつもりか?」
グリムは迫り来る人形を一体ずつ刀で斬り伏せていく。
刀が閃くたびに人形が砕け、破片が地面へ散らばった。
しかし、ライクはまったく焦っていなかった。
「これならどうだ?」
ライクの視線が、地面に横たわるヴァルカンの亡骸へと向けられる。
「操り糸」
目に見えない糸がヴァルカンの体へと伸び、その四肢を動かした。
死んだはずのヴァルカンが、ゆっくりと立ち上がる。
「死体も操るのか。趣味が悪いな」
グリムが呆れたように言うと、ヴァルカンが剣を振り下ろした。
グリムは刀でその一撃を受け止める。
金属音が響き、両者の刃がぶつかり合った。
「じゃあ、次は僕の番だ」
マライスが片手を上げる。
「静止」
その瞬間、グリムの動きが止まった。
振り上げた刀も、踏み込もうとした足も、ぴたりと動かなくなる。
「すごいでしょ? ……まあ、聞こえてもいないかな」
「今のうちだな」
ライクが操り糸を動かす。
ヴァルカンは槍を構え、身動きの取れないグリムへと突き出した。
しかし、槍の穂先がグリムの体を貫くことはなかった。
「……は?」
ライクが目を見開いた。
次の瞬間、グリムが動いた。
迫る槍をかわし、ヴァルカンの体を蹴り飛ばす。
「なんで動けるのかな?」
マライスが驚いた様子で尋ねた。
「気合いだ」
「脳筋が……」
ジークが呆れたように吐き捨てる。
「面倒くさい能力だな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
マライスは笑っていたが、その目にはわずかな警戒心が浮かんでいた。
「ジーク」
ライクが声をかける。
「ああ、やってやる」
ジークが手を掲げた。
「代償錬成」
ジークの力が、ライクの操るヴァルカンの亡骸へと注がれる。
代償を支払わせることで、対象の力を最大限まで引き出す。それが代償の神であるジークの能力だった。
今回、支払われる代償は魂の完全崩壊。
死者の体には魂だけが残る。しかし、ジークはその魂までも砕き、残された力を限界まで引き出そうとしていた。
ヴァルカンの体から、凄まじい力が溢れ出す。
次の瞬間、ヴァルカンがグリムへと襲いかかった。
「少しは強くなったな」
グリムは迫る剣を受け止めた。
それでも、表情には余裕が残っていた。
ヴァルカンが連続して剣を振るう。
グリムは一撃ずつ受け流し、隙を探っていく。
「なら、これならどうかな?」
マライスが再び手を上げた。
「静寂」
次の瞬間、世界から音が消えた。
風の音も、足音も、何一つ聞こえない。
グリムの刀とヴァルカンの剣がぶつかり合っているはずなのに、その音すら聞こえなかった。
グリムはわずかに眉をひそめる。
視界はある。しかし、音から得られる情報が一切ない。
ヴァルカンが剣を振るう。
グリムは目で動きを追い、刀で受け止めた。
だが、その瞬間だった。
グリムの真後ろから、凶暴化した魔物が襲いかかった。
ライクが別の魔物まで操っていたのだ。
「……感覚が掴めん」
グリムは振り返ることなく、背後へ鋭い後ろ蹴りを放った。
魔物の巨体が横へ吹き飛ばされ、地面を転がる。
しかし、ヴァルカンの攻撃は止まらない。
グリムは剣を受け流しながら、静かに状況を見極めていた。
「このままでは何も変わらないな」
グリムはヴァルカンの攻撃を弾き、その体を地面へ叩きつけるように殴り倒した。
そして、一瞬で体勢を変える。
マライスへと視線を向け、地面を蹴った。
「ッ!!」
マライスが心の中でそう叫んだときには、すでにグリムの刀が腹部を斬り裂いていた。
「ガハッ!」
マライスの体が大きく揺れる。
その瞬間、静寂が解除された。
再び音が戻る。
だが、グリムの攻撃は終わらない。
腹部を斬り裂いた勢いのまま体を回転させ、マライスの頭部へ蹴りを叩き込んだ。
マライスの体が地面へと叩き落とされる。
大地が割れ、土煙が舞い上がった。
「嘘だろ……」
「マライス!」
ジークが叫んだ。
「うるさい」
グリムは空中で体勢を変えると、そのままジークの顔面へ蹴りを放った。
「ぐっ!」
ジークの体が大きく吹き飛ばされる。
「こいつ……!」
ライクが操り糸を伸ばし、グリムを拘束しようとした。
しかし、その瞬間。
「炎魔法 ラビットフレイム!」
高密度の小さな炎球がライクへと飛んでいき、直撃と同時に爆発した。
「ぐあっ!」
グリムが振り返る。
そこには、拘束されたまま魔法を放ったミレーヌの姿があった。
「私だって、ずっとこのままではないわ」
「お前……!」
ライクが悔しそうに顔を歪める。
「ありがとな、ミレーヌ」
「うん。グリム、拘束を外して」
「おう」
グリムはミレーヌのもとへ駆け寄り、拘束を斬り裂いた。
「ありがと。それと……ごめんね」
「ミレーヌが謝る必要はないだろ。……シスターたちには謝った方がいいかもしれないぞ」
「はっ!? シスターたち、絶対に私にキレ散らかしてるかも!」
「だろうな」
「ど、どうしよう……」
ミレーヌが頭を抱える。
そんな彼女を見ながら、グリムは自分の上着を脱ぎ、そっと肩に掛けた。
ミレーヌの衣服はボロボロになっていた。グリムはそれを気遣い、上着で隠してやったのだ。
「あ……ありがと……」
ミレーヌは頬を赤くして、そっと目を逸らした。
グリムは特に気にした様子もなく、再び邪神たちへと視線を戻した。
「お前ら……許さん」
マライスがゆっくりと立ち上がる。
「殺す……!」
ジークも怒りを露わにした。
「力をすべて使ってでも殺してやる……!」
ライクもまた、グリムを睨みつける。
三人の邪神から、凄まじい殺気が放たれた。
「ミレーヌ、後ろに下がっていてくれ」
「私も戦うわ!」
「駄目だ」
「嫌よ!」
「……こいつらは俺の手で倒さないと気が済まん」
グリムの声には、明確な怒りが滲んでいた。
ミレーヌを傷つけられたことが、よほど腹に据えかねているらしい。
「ぐ、グリム……?」
「大丈夫だ」
グリムはミレーヌを安心させるように言った。
そして、邪神たちへと向き直る。
「見せてやるよ!」
ライクが両腕を広げた。
「神戯傀儡!」
荒野の周囲に存在していた無数の魔物が、一斉に動き出した。
魔物たちはライクの力によって引き寄せられ、一つの巨大な塊へと融合していく。
いくつもの体が重なり合い、無数の腕が生え、異様な姿をした巨大な魔物が誕生した。
その巨体は、周囲の景色を覆い隠すほどだった。
「……でかいな」
グリムは巨大な魔物を見上げ、短く呟いた。
「損益転換!」
ジークが叫ぶ。
グリムに与えられた攻撃の力が、ジークの能力によって転換され、巨大な魔物へと注ぎ込まれていく。
魔物の体色が赤く変わった。
全身から膨大な力が溢れ出し、その腕はさらに増えていく。
巨大な魔物が、グリムを見下ろした。
「……はぁ」
グリムは面倒くさそうに息を吐いた。
「炎魔法――フレイムバースト!」
ミレーヌが魔法を放とうとする。
「終絶静界」
マライスが静かに告げた。
瞬間、ミレーヌの魔法が停止した。
「な、何が……!?」
「あらゆる事象を停止させる。それが僕の力だよ」
マライスは余裕を取り戻したように笑う。
巨大な魔物が無数の腕を振り上げた。
次の瞬間、そのすべてがグリムとミレーヌへと襲いかかる。
グリムは即座にミレーヌの前へ立ち、刀を振るった。
迫り来る腕を、一つ残らず斬り落としていく。
巨大な腕が次々と地面へ落ち、土煙が舞い上がった。
「魔法が使えないんだろ。なら、俺より前に出るな」
「う、うん……」
ミレーヌは悔しそうにしながらも、グリムの背後へ下がった。
「静止!」
マライスが叫ぶ。
再びグリムを止めようとした。
しかし、グリムは動きを止めなかった。
「……マジか」
「同じ手を二度も食らうかよ」
グリムは刀を構え直し、三人の邪神を見据えた。
「さて……誰から死にたい?」
「やれ!」
ライクが巨大な魔物を操る。
無数の腕が一斉に動き、グリムへと襲いかかった。
しかし、その攻撃はグリムに届かなかった。
グリムは地面を蹴り、一気に巨大な魔物の顔まで跳び上がる。
そして、拳を思い切り叩き込んだ。
轟音が響き、巨大な魔物の頭部が大きく揺れる。
体勢を崩した魔物が、ゆっくりと倒れ始めた。
その瞬間、グリムは魔物の顔へ片足で着地した。
刀を構え直し、巨大な頭部へと突き立てる。
刃が深々と突き刺さり、魔物の巨体が地面へと崩れ落ちた。
「……は?」
ライクが、たった一言を漏らした。
ほんの一瞬前まで、巨大な魔物の頭上にいたはずのグリム。
しかし、次の瞬間には――。
グリムはライクの背後に立っていた。
ライクが振り返ろうとした、そのとき。
首が胴体から離れ、地面へと落ちた。
ライクの体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
「ライク!」
ジークが叫んだ。
「……強いね」
マライスも、目の前の光景に驚愕していた。
最上位の悪魔を倒した人間。
三人の邪神を相手に、一歩も退かない人間。
そして、自分たちが繰り出した攻撃を次々と突破していく人間。
彼らはようやく理解した。
目の前にいるのは、ただの人間ではない。
自分の信念を曲げず、大切なものを守るためならば、神にすら立ち向かう覚悟を持った人間なのだ。
絶対に喧嘩を売ってはいけない相手だった。
怒らせてはいけない存在だった。
そのことを、二人の邪神はようやく思い知った。




