過去編 6話 世界最強の実力
「……よくも、俺の仲間を!」
ラグナルが吠えた。
その身体から溢れ出す力は、これまでの三人とは明らかに違っていた。
グリムは、わずかに目を細める。
上位の悪魔ではない。
この気配は――最上位の悪魔。
「どうだ! すごいだろう!」
ラグナルの身体が、見る見るうちに変質していく。
人間の姿が崩れ、悪魔の特徴が濃く現れ始めた。
「俺の契約した悪魔は、封印の悪魔だ!」
ラグナルは勝ち誇ったように叫んだ。
「どんな事象だろうと封印する! お前の力も、動きも、すべて封じてやる!」
「興味ない」
「……何?」
グリムは、まるで退屈な話でも聞いているかのようだった。
その態度が、ラグナルの怒りをさらに煽った。
「だったら、こいつを封印してやろうか?」
ラグナルは、拘束しているミレーヌを見下ろした。
「お前の大切な女をな!」
「…………」
「どうだ? これでも興味がないと言えるか?」
ラグナルは笑った。
ミレーヌは、ゆっくりと顔を上げた。
「……グリム。もういいわ」
声は弱々しかった。
「ごめんね……私のせいで……」
グリムは答えなかった。
ただ、ラグナルを見つめていた。
その視線が変わった。
ほんのわずかな変化だった。
だが、その瞬間、荒地を包む空気が一変した。
雨音が遠く感じられる。
息苦しいほどの圧迫感が、周囲を覆った。
ラグナルの笑みが引きつる。
マライス、ライク、ジークもまた、思わずグリムを見つめた。
人間の身から、これほどの威圧感が放たれるなど、想像もしていなかった。
グリムが一歩、前へ踏み出す。
たったそれだけのことなのに、ラグナルの身体が強張った。
さらに一歩。
グリムの足音が、雨に濡れた地面に響く。
その姿は、もはや彼らが知る冒険者のものではなかった。
強く、恐ろしく、そして――どこか狂気じみていた。
「……怖いか?」
「ッ……!」
ラグナルは反射的に身構えた。
「ふざけるな! 誰が、お前なんかに!」
「そうか」
グリムは、もう一歩踏み出した。
「なら、来いよ」
「やってやる!」
ラグナルが拳を振りかぶる。
「吹っ飛べ!」
悪魔の力を乗せた拳が、グリムの顔面へと迫った。
しかし、グリムはその拳を片手で受け止めた。
「……なっ!?」
びくともしない。
ラグナルがどれほど力を込めても、グリムの手を振りほどくことはできなかった。
次の瞬間、グリムの膝がラグナルの腹部にめり込む。
「ぐっ……!」
身体が前屈みになったラグナルの顔面へ、グリムの蹴りが叩き込まれた。
「がはっ!」
ラグナルは地面を転がった。
「……そんなものか」
グリムは、冷たく言い放った。
ラグナルの表情が歪む。
怒り。
屈辱。
そして、目の前の男に対する恐怖。
それらが混ざり合い、彼の精神を埋め尽くしていった。
「やってやる……! 俺は……俺は!」
ラグナルは胸を押さえた。
「ぐっ……!?」
その身体から、これまでとは比較にならないほど濃密な気配が溢れ出した。
ラグナルの意識が、ゆっくりと沈んでいく。
代わりに、別の何かが表へ出てきた。
『……ほんと、弱い人間だな』
声が変わった。
ラグナルの口から発せられた声は、彼自身のものではなかった。
「……なるほど」
グリムは、目の前の存在を見据えた。
「お前が本体か」
『ああ。封印の悪魔、ダリルだ』
ラグナルの身体を借りた最上位の悪魔が、ゆっくりと顔を上げた。
『この役立たずの代わりに、お前を殺してやろう』
「そうか」
『……ずいぶん余裕だな』
「いや。お前が代わったところで、何も変わらないと思ってな」
『……ほざけ』
ダリルが手を掲げた。
『ジャッジメント』
その一言とともに、グリムを覆うように異様な力が広がった。
対象を封じ、動きを奪い、存在そのものを閉じ込める。
それが封印の悪魔の力だった。
だが――。
「…………」
グリムは、平然と立っていた。
『……は?』
ダリルの動きが止まる。
『なぜだ……? 封印されていない……?』
「終わりか?」
『ふざけるな!』
ダリルが声を荒らげる。
『俺は最上位の悪魔だぞ!』
「だから何だ?」
グリムの姿が消えた。
『――ッ!?』
ダリルが気づいたときには、すでに目の前にグリムがいた。
拳が飛ぶ。
反応する暇もなかった。
ダリルの身体は後方へ吹き飛ばされ、荒地の地面を転がった。
『ぐっ……!』
ダリルはすぐさま立ち上がり、グリムを睨みつけた。
『お前……何者だ……!』
「さあな」
『この俺を前にして、何の力も使わず……!』
「力なら使っているだろう」
グリムは刀を構え直した。
「ただ、お前が思っているような力じゃないだけだ」
『……っ!』
ダリルの表情が歪む。
『封印!』
ダリルの手から、無数の鎖が放たれた。
鎖は空を走り、グリムの身体を絡め取ろうと迫る。
「何度も何度も……!」
グリムは飛んできた鎖を掴んだ。
そして、力任せに引っ張った。
『な、何だ、この力は!?』
ダリルの身体が、地面を滑るように引き寄せられる。
抵抗する間もなく、グリムの目の前へと引きずり出された。
「いい加減にしろ」
拳が振り抜かれた。
「がはっ!」
ダリルの顔面に一撃が入り、地面が大きく割れる。
土煙が舞い上がった。
それでも、ダリルは倒れなかった。
最上位の悪魔。
人間ならば一撃で戦闘不能になるような攻撃を受けても、なお立ち上がるだけの力を持っていた。
『……よくも、やってくれたな』
ダリルの全身から、膨大な力が噴き出す。
『ならば、すべて解放してやる!』
周囲の空気が震えた。
地面に落ちていた枯れ草が舞い上がり、雨雲が渦を巻くように動き始める。
『全解放!』
その瞬間、荒地を吹き抜ける風が激しさを増した。
雨は横殴りになり、周囲の木々が大きく揺れる。
まるで大気そのものが荒れ狂っているかのようだった。
ダリルの力が、世界へと広がっていく。
だが、グリムは動かなかった。
ただ、静かに立っていた。
ローブが風に揺れる。
髪が雨に濡れる。
それでも、彼の表情は変わらなかった。
『喰らえ!』
ダリルが天を指し示す。
荒れ狂う空の奥から、巨大な龍の頭が姿を現した。
龍が口を開く。
次の瞬間、膨大な魔力が収束し、グリムへ向けて放たれた。
すべてを飲み込むかのような、巨大な魔力砲。
その射線上には、拘束されたミレーヌもいる。
「……このままじゃ、ミレーヌまで巻き込んでしまうな」
グリムは小さく息を吐いた。
そして、刀を構える。
刀を後方へ引き、突き出すように前へ動かした。
「一突き」
瞬間。
刀の切っ先から、凄まじい速度の突きが放たれた。
その一撃は、迫り来る魔力砲を正面から貫いた。
膨大な力が、まるで最初から存在しなかったかのように消えていく。
さらに、その先にいた龍の頭までもが、突き抜けた一撃によって掻き消された。
空に、ぽっかりと穴が開いた。
荒れ狂っていた雨雲が、その向こう側を覗かせる。
しかし、それも一瞬のことだった。
周囲の雲が流れ込み、やがて空は再び雨に覆われていった。
『…………』
ダリルは、呆然と空を見上げていた。
『何だ……今のは……』
「終わりか?」
『ふざけるな……!』
ダリルは震える声で叫んだ。
『俺は最上位の悪魔だぞ! その俺が、人間ごときに……!』
「だから、何だと聞いている」
グリムは刀を握り直した。
「お前が何者だろうと、俺には関係ない」
『……っ!』
「俺の邪魔をするなら、斬る。それだけだ」
グリムが一歩、踏み出す。
ダリルは反射的に後ずさった。
その瞬間、自分が何を恐れているのかを理解した。
目の前の人間は、悪魔を恐れていない。
最上位という肩書きにも、膨大な力にも、まるで興味がない。
ただ、自分の前に立ちはだかる敵として見ている。
それが、ダリルには信じられなかった。
『……ふざけるなあああ!』
ダリルは最後の力を振り絞り、グリムへ襲いかかった。
だが、グリムは一切動じなかった。
「じゃあな」
刀が横薙ぎに振るわれる。
その一閃を受け、ダリルの身体は力を失った。
『俺は……最上位の……悪魔……なのに……』
声が、かすれていく。
やがてダリルの身体はゆっくりと崩れ始め、灰となって雨の中へ散っていった。
最上位の悪魔。
その存在が、たった一人の人間の前に敗れ去ったのだった。
グリムは刀を納め、残る三人へと顔を向けた。
「……あとは、お前ら邪神だけだな」
マライス、ライク、ジーク。
三柱の邪神は、しばらくの間、何も言わなかった。
先ほどまでの余裕は、わずかに薄れていた。
「……まさか、全員倒すとはね」
静寂の神マライスが、感心したように呟いた。
「化け物め……」
代償の神ジークが、忌々しそうに吐き捨てる。
「弔ってやろう」
傀儡の神ライクが、静かに言った。
グリムは、三柱の邪神を見据えた。
その背後では、ミレーヌが彼の名を呼ぼうとしていた。
しかし、声が出なかった。
彼女は知っていた。
グリムは強い。
誰よりも強いのかもしれない。
雨の降りしきる荒地で、グリムと三柱の邪神が向かい合う




