過去編 5話 神をも恐れぬ男
西の荒地。
そこは、草木もまばらに生えるだけの、寂れた土地だった。
空には厚い雨雲が広がり、細かな雨が地面を濡らしている。
その荒地の中央に、グリムは辿り着いた。
そして、目の前の光景を見た瞬間、足を止めた。
そこにいたのは、八人の人影だった。
五人は、冒険者パーティー『黒爪』のメンバー。
ソル、ヴァルカン、ルシア、ラグナル、ラーク。
そして残る三人は、見知らぬ男たちだった。
そのうちの一人が、ミレーヌを拘束している。
彼女の衣服は乱れ、身体には暴力を受けた痕跡があった。
いつもなら、グリムを見つけると真っ先に笑顔を向けてくれるはずの彼女が、今は力なく俯いている。
「…………お前ら」
グリムの口から、低い声が漏れた。
その声を聞き、黒爪のメンバーたちが振り返る。
「よぉ、街のお調子者」
ラグナルが、嘲るように笑った。
「ようやく来たか。待ちくたびれたぜ」
「ミレーヌを離せ……」
グリムは、ゆっくりと歩み寄った。
「いいぞ。その代わり、お前が死ね」
「……死んでやってもいいが」
グリムは足を止めた。
「お前らに指図されるのは気に食わんな」
その言葉に、ラグナルの笑みが深くなる。
「ははっ! 相変わらず生意気な野郎だな!」
ラグナルは両腕を広げた。
「だが、もう以前の俺たちとは違う! 俺たちは力を手に入れたんだ!」
その身体から、黒い魔力のようなものが滲み出す。
「悪魔の力をな!」
ソルもまた、不気味な笑みを浮かべた。
「これはいい力だ。今までの俺たちとは、何もかもが違う」
「諦めろ、グリム」
ヴァルカンが槍を肩に担ぐ。
「大人しく死んでおけば、苦しまずに済むぞ」
グリムは彼らを見回した。
悪魔の気配。
しかも、ただの悪魔ではない。
上位の悪魔、そして最上位の悪魔。
黒爪の五人は、そうした強大な存在と契約を交わし、その力を手に入れていた。
普通の人間なら、契約した時点で心身に大きな負担がかかるはずだ。
それでも彼らは、その力を自分のものだと思い込んでいるらしい。
「俺が死んだら、ミレーヌを解放するのか?」
グリムが尋ねる。
「…………」
「しないだろうな」
「大正解!」
ラークが愉快そうに笑った。
「さすがに話が早いじゃねえか!」
「なら、力尽くで引き離すまでだ」
「おいおい、まだ分からないのか?」
ラグナルが、背後にいる三人を指し示した。
「俺たちには、こいつらがついているんだぜ!」
グリムの視線が、三人の男へ向けられる。
彼らから感じられる気配は、冒険者たちのものとは明らかに違っていた。
人間ではない。
それどころか、普通の神とも違う。
「見えないのか? この方々が!」
ラグナルは誇らしげに叫んだ。
「神様だよ、神様! お前みたいな人間を始末するために、わざわざ来てくださったんだ!」
一人の男が、一歩前へ出た。
「どうも。私は静寂の神、マライスだ」
落ち着いた声だった。
まるで、これから誰かを殺そうとしているとは思えないほどに。
「これから君を殺す必要があってね。彼らと協力することにしたんだ。簡単に言うと君が僕達に届きうる存在だからね」
マライスが右手を差し出すように動かす。
「こちらが傀儡の神、ライク。そして、代償の神、ジークだ」
紹介された二人も、グリムを見つめていた。
ライクは薄く笑い、ジークは退屈そうに肩をすくめている。
彼らは神だった。
しかし、神としてあるべき道を踏み外し、邪神と呼ばれるに至った存在。
「……神、か」
グリムは小さく呟いた。
そして、冷たい視線を三人へ向ける。
「神のあるべき姿から、ずいぶん遠く離れた存在だな。お前らは」
「酷い言い草だね」
ライクが肩をすくめた。
「なら、なぜ神を信仰する聖女を襲った?」
グリムは、ミレーヌへ視線を向けた。
彼女の身体に残る傷。
拘束された手足。
俯いた顔。
それらを目にするたび、胸の奥で何かが膨れ上がっていく。
グリムは強く拳を握った。
「彼女は、お前たちと同じ神を信じてきた人間だろう」
「襲った? 失礼な」
ジークが、さも心外だと言わんばかりに眉を上げた。
「犠牲になってもらっただけだよ」
「……何?」
「神を強く信頼しているのなら、俺たちが行うことも信じるのが普通だろう?」
ジークは悪びれもせずに続けた。
「だから今回は、お前を倒すための犠牲になってもらった。それだけの話だ」
「…………」
「何か問題でも?」
「そんなものが……神だと言うのか」
グリムの声が、さらに低くなる。
信仰を利用し、人を傷つけ、それを犠牲という言葉で正当化する。
目の前にいる者たちは、いったい何のために神を名乗っているのか。
いや、そんなことを考える必要すらない。
彼らは、ミレーヌを傷つけた。
それだけで十分だった。
「うるさいなぁ!」
ヴァルカンが叫び、槍を構えた。
「ごちゃごちゃと説教しやがって!」
次の瞬間、ヴァルカンが地面を蹴った。
悪魔の力を得た身体は、以前とは比べものにならないほどの速度でグリムへ迫る。
槍の穂先が、グリムの身体を貫こうとした。
だが――。
グリムは、槍を片手で掴んだ。
「……は?」
ヴァルカンの動きが止まる。
槍は、びくともしなかった。
「な、何だよ……!」
次の瞬間、グリムは槍を引き寄せ、そのままヴァルカンの身体を投げ飛ばした。
「ぐはっ!」
ヴァルカンの身体が宙を舞い、背後の木に激突する。
鈍い音が荒地に響いた。
ヴァルカンは地面へ崩れ落ち、動かなくなった。
悪魔と契約し、力を得たはずだった。
それなのに、グリムには傷一つつけられなかった。
グリムは、何事もなかったかのように残る者たちを見た。
「……お前ら、全員でかかってこい」
その言葉に、黒爪のメンバーたちの表情が変わった。
*
「……グリム」
かすれた声が聞こえた。
拘束されていたミレーヌが、ゆっくりと顔を上げていた。
「ミレーヌ!」
グリムは一瞬だけ、彼女へ視線を向けた。
意識はある。
それを確認し、ほんの少しだけ安堵した。
だが、ミレーヌの表情は晴れなかった。
「逃げてよ……」
「……すまん。無理だ」
「何を言ってるの……! 神までいるのよ!」
「分かってるさ」
グリムは、邪神たちへ視線を戻した。
「だからこそ、俺はここにいるんだ」
「……っ!」
ミレーヌは息を呑んだ。
グリムの背中は、いつもと変わらないように見えた。
魔力を解放しているわけでもない。
特別な能力を発動しているわけでもない。
それなのに、不思議と目を離せなかった。
彼は本当に、神を相手にするつもりなのだ。
自分を助けるために。
「馬鹿だ、君たちは」
ライクが呆れたように言った。
「……ああ、馬鹿だな」
グリムは、あっさりと認めた。
「俺も、お前らもな」
「何だと?」
「一つのことに集中しすぎて、周りが見えなくなってるんだよ」
グリムの視線が、ミレーヌを拘束する男へ向けられる。
「お前らは俺を殺すことばかり考えて、俺が何をするかを考えていない」
そして、もう一度、邪神たちを見た。
「俺は、ミレーヌを助けることしか考えていない」
「……殺してやるよ!」
ソルが吠えた。
身体から黒い魔力が噴き出し、腕が変質していく。
皮膚は黒く染まり、指先は鋭い爪へと変わっていった。顔つきも人間のものから離れ、悪魔そのものの姿へと近づいていく。
「上位の悪魔の力だ! 人間のお前に止められるものか!」
ソルが地面を蹴った。
瞬く間に距離を詰め、鋭い爪をグリムへ振り下ろす。
しかし、グリムは刀を抜き、その一撃を受け止めた。
甲高い金属音が響く。
「なっ……!?」
ソルの目が見開かれた。
上位の悪魔の力を宿した一撃が、止められている。
それも、たった一人の人間に。
「偽物の力で、勝った気になるなよ」
グリムは刀を押し返し、ソルの腹部へ蹴りを叩き込んだ。
「ぐっ!」
ソルの身体が後方へ吹き飛ぶ。
グリムは間髪入れずに追いつき、刀を振るった。
「がっ……!」
ソルの身体が地面に倒れた。
そのまま意識を失い、動かなくなる。
グリムは刀を構え直すと、残る者たちへ目を向けた。
「次は誰だ?」
「チッ……化け物が!」
ラークが吐き捨てた。
「お前らの方が化け物だろう。人間をやめてるんだからな」
「黙れ!」
ルシアが声を上げた。
「悪魔の力を手に入れた私たちでも、一人じゃ勝てない! だから、一気に叩くよ!」
「ああ!」
ラークが剣を抜き、ルシアが弓を構える。
二人が同時に動いた。
「死ねぇ!」
悪魔の力で身体を強化したラークが、グリムへ剣を振り下ろす。
「お前がな」
グリムは刀を軽く傾け、剣を受け止めた。
力と力がぶつかり合う。
ラークは歯を食いしばり、剣を押し込もうとした。
しかし、グリムの刀はわずかにも動かなかった。
「くっ……!」
ラークが剣を引き、横薙ぎに振るう。
グリムは身を翻してかわし、そのまま反撃に移ろうとした。
「ルシア!」
「分かってる!」
ラークの背後から、ルシアが矢を放った。
狙いは正確だった。
ラークの攻撃を避けたグリムの動きを読み、逃げ道を塞ぐように放たれた高速の矢。
だが、グリムは刀を軽く振り下ろした。
矢は、真っ二つに切り落とされた。
「……え?」
ルシアの顔から笑みが消える。
「嘘……そんなわけ……!」
「お前、何者だ!」
ラークが叫ぶ。
「さあな」
グリムは興味なさそうに答えた。
「お前らが知る必要はない」
「この野郎……!」
ラークの身体が、さらに黒く染まっていく。
悪魔の力を無理に引き出しているのか、変質は腕から肩、そして胴体へと広がっていた。
「グッ……!」
「その身体じゃ耐えられないんだろう。上位の悪魔の力が」
「黙れ!」
ラークが剣を掲げる。
「能力――結界!」
その瞬間、グリムの周囲に見えない壁が形成された。
空気が重くなる。
身体にかかる負荷が増し、動きを鈍らせる結界だった。
「闇の付与!」
ラークの剣に、黒い霧のようなものがまとわりつく。
「こいつで斬られたら最後だ! 精神を狂わせてやるよ!」
ラークが笑った。
自分の能力と悪魔の力を組み合わせた、必殺の一撃。
これなら、どれほど強いグリムでもただでは済まない。
そう確信していた。
「そうか」
グリムは、静かに答えた。
次の瞬間。
ラークの姿が、グリムの目の前から消えた。
いや、正確には――グリムが動いたのだ。
結界も、闇をまとった剣も、何の意味もなさなかった。
グリムの一閃が、ラークを一瞬で戦闘不能にした。
「……ラーク?」
ルシアの声が震えた。
仲間が倒された。
自分たちが手に入れた力は、いったい何だったのか。
「よくも……!」
ルシアは怒りに任せて弓を構えた。
矢に闇の力をまとわせ、グリムへ狙いを定める。
「喰らいなさい!」
放とうとした、その瞬間。
目の前にグリムの姿がなかった。
「……え?」
ルシアは慌てて周囲を見回す。
「ど、どこに……!」
「後ろだ!」
ラグナルが叫んだ。
ルシアが振り返る。
だが、彼女がグリムの姿を捉えるよりも早く、戦いは終わっていた。
グリムは刀を納めるように腕を引いた。
ルシアは力を失い、その場に崩れ落ちた。
「…………」
グリムは、残る者たちへ視線を向ける。
「……あと四人か」
ラグナルの顔が引きつった。
黒爪の仲間たちが、次々と倒されていく。
自分たちは悪魔の力を手に入れた。
以前の自分たちとは違う。
もう、誰にも負けるはずがない。
そう信じていた。
なのに、目の前の男には、その力すら通用しない。




