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果てなき世界の物語!  作者: もちもち大福
第二章 夏休み編
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過去編 3話目 勇気

 ミレーヌがグリムを自宅に招いたのは、その日が初めてだった。


「入って」


「お、おう……」


 グリムは少しぎこちない返事をしながら、ミレーヌの後に続いて家の中へ入った。


 実は、グリムは女性の家に入ること自体が初めてだった。


 普段はどんな魔物を相手にしても平然としている彼だが、今回ばかりは勝手が違う。


 何となく落ち着かず、視線があちこちを行き来していた。


 しかし、家の中へ一歩足を踏み入れた瞬間、そんな緊張も忘れて思わず声が漏れた。


「おぉ……」


 室内は驚くほど綺麗だった。


 床にも棚にも埃一つなく、家具はきちんと整理されている。置かれている小物にも統一感があり、隅々まで掃除が行き届いていた。


 普段から丁寧に手入れしているのだろう。


「どうしたの? そんな声を出して」


「な、何でもない」


「……変なの」


 ミレーヌは不思議そうに首を傾げた。


「ちょっと待ってて。飲み物を取ってくるから」


「ああ、分かった」


 ミレーヌはグリムを客間へ案内すると、飲み物を取りに部屋を出ていった。


 一人になったグリムは、椅子に腰を下ろす。


「……落ち着かねえな」


 小さく呟き、背筋を伸ばした。


 魔物の群れに飛び込む方が、よほど気楽かもしれない。


 そんなことを考えていると、不意に部屋の扉が開いた。


「おっ、ミレーヌか?」


 グリムは顔を上げた。


 しかし、入ってきたのはミレーヌではなかった。


 見知らぬ男性と女性が一人ずつ。


 二人は当たり前のようにグリムの向かい側へ腰を下ろした。


「……え?」


 グリムの表情が固まる。


「え、あ……え?」


 さすがのグリムも動揺していた。


 何しろ、知らない男女が目の前に座っているのだ。


 男性は白髪交じりの髪をした、落ち着いた雰囲気の人物だった。女性の方も穏やかな表情を浮かべており、二人からはどこか気品が感じられた。


 しばらくして、男性が口を開いた。


「そういえば、まだ自己紹介をしておらんかったのぉ」


「……は、はい?」


「儂はクラウスじゃ。ミレーヌの父親をしておる」


「……え?」


 グリムは一瞬、固まった。


 そして、すぐに姿勢を正した。


「ミレーヌのお義父様……!」


「まだ、お義父さんと呼ばれる筋合いはないのぉ」


「……はい」


 即座に否定され、グリムは少し肩を落とした。


 だが、隣に座る女性を見ると、すぐに表情を明るくする。


「ということは、こちらのお美しい女性は……!」


「あら、お美しいだなんて嬉しいわ!」


 女性は楽しそうに笑った。


「私はソフィア。ミレーヌの母親よ」


「お義母様!」


「だから、まだそう呼ばせるつもりはないのぉ!」


 クラウスがすかさず突っ込んだ。


「そもそも、お主はミレーヌと付き合ってもおらんじゃろ!」


「……」


 グリムはそっと目を逸らした。


 その通りだった。


 ミレーヌと知り合って、およそ五ヶ月。


 一緒に冒険者として依頼を受け、何度も街を歩き、こうして家に招かれるほどの仲にはなった。


 しかし、付き合っているわけではない。


 婚約など、もちろんしていない。


「……情けないのぉ」


「その通りです」


「認めてどうする!?」


 クラウスが思わず声を上げる。


 グリムは真面目な顔で首を傾げた。


「いや、事実ですし……」


「……お主、なかなか面白いのぉ」


 クラウスは呆れながらも、どこか楽しそうだった。


「ところで、なぜお義父様とお義母様がここに?」


「じゃから、その呼び方をやめい!」


「う、うい……」


 クラウスが額に手を当てた。


 その様子を見ていたソフィアが、くすくすと笑いながら夫の耳元へ顔を寄せる。


「ミレーヌもこの子のことを気に入っているんだから、あまりからかわないであげなさい」


「わ、分かっておる……」


 クラウスは小声で返した。


 どうやら、娘の交友関係が気になっているのは父親として当然らしい。


 ソフィアは改めてグリムへ向き直った。


「私たちは、ミレーヌに呼ばれてここへ来たのよ」


「ミレーヌに?」


「うむ。じゃが、何をするのかは聞かされておらん」


 クラウスも首を傾げた。


「何か大事な話でもあるのかのぉ」


「そ、そうなんですか……」


 グリムは少し緊張しながら頷いた。


 クラウスはそんな彼を見て、ふっと笑う。


「それにしても、お主。普通に話せばよいじゃろう。妙にかしこまった話し方は、あまり似合わんのぉ」


「いや、少しでも礼儀正しくした方がいいかと思いまして……」


 グリムは居住まいを正した。


 貴族として、目上の人物を敬う話し方に切り替えたのだ。


「まあ、よい。儂もお主には聞きたいことが山ほどあるからのぉ」


 クラウスがそう言った、その時だった。


「お待たせ! オレンジジュースしかなかったわ……って」


 飲み物を持ったミレーヌが、部屋へ戻ってきた。


 そして、客間にいる両親を見た瞬間、目を丸くする。


「お父さん!? お母さん!?」


「おお、ミレーヌ。最近は楽しんでおるか?」


「まあまあ……って、そうじゃなくて!」


 ミレーヌは持っていた飲み物をテーブルに置いた。


「二人とも、いつの間に来たのよ!?」


「お主が呼んだんじゃろうが」


「あっ……そうだった」


 ミレーヌは気まずそうに目を逸らした。


 ソフィアが微笑みながら尋ねる。


「それで、今日はどうしたの?」


「お母さん。今日はね……グリムについてよ!」


「……俺?」


 グリムは自分を指さした。


 クラウスが興味深そうに頷く。


「ほぉう。つまり、今日はグリムという人間を知るための会、というわけじゃな?」


「そういうこと!」


 ミレーヌは元気よく答えた。


「じゃあ、早速質問していきましょう!」


「……お、おう」


 グリムはなぜか面接を受けるような気分になった。


 そして、クラウスが最初の質問を口にする。


「まずは、フルネームから聞かせてもらおうかのぉ」


「グリム・ヴァルトです」


「ヴァルト……」


 クラウスの表情が少し変わった。


「もしや、貴族……いや、英雄の家系か?」


 グリムは静かに頷いた。


「はい。父は英雄でした」


「えっ!?」


 ミレーヌが驚いた声を上げる。


「前に、貴族だって言ってなかった!?」


「貴族でもあるし、英雄でもあったんだ」


「そ、そうだったの……?」


 ミレーヌは目を丸くした。


 グリムがただの貴族ではないことは何となく察していたが、英雄の家系だとは思っていなかったのだ。


 クラウスは腕を組み、少し考え込んだ。


「……あらぬことを聞いてもよいかのぉ」


「もちろんです」


「儂の記憶によれば、英雄エリオスはかなり前に亡くなったと世間で噂になっておった。……お主は、一人で暮らしていたのか?」


 グリムの表情が、ほんの少しだけ変わった。


「……五年ほど、一人で暮らしていました」


 部屋の空気が静かになる。


「父のエリオスと、母のエルサは七年前に亡くなりました」


「……」


「俺が覚えているのは、両親の目の前に、魔界とこの世界を繋ぐゲートが開いたことです。二人はそこへ連れていかれました」


 グリムは淡々と話した。


「その後、二人はこの世界で遺体となって発見されました」


「……え?」


 ミレーヌの口から、思わず声が漏れた。


 ソフィアも目を見開き、クラウスは黙ってグリムを見つめている。


 先ほどまでの和やかな雰囲気は、すっかり消えていた。


「……そう、だったのか」


 クラウスの声からも、先ほどまでの気さくさが消えていた。


「すまぬ。辛いことを聞いてしまったな」


「いえ、気にしないでください。もう昔のことですから」


 グリムはそう言って笑った。


 いつもと変わらない、穏やかな笑顔だった。


 しかし、その笑顔を見たミレーヌは、なぜか胸の奥が締めつけられるような気がした。


 昔のこと。


 そう言えるようになるまでに、彼はどれほどの時間を過ごしてきたのだろう。


 まだ幼かった頃に両親を失い、その後も一人で生きてきた。


 ミレーヌは、グリムのことを知っているつもりでいた。


 けれど、自分が知っていたのは、彼のほんの一部分にすぎなかったのだ。


 ソフィアが心配そうに尋ねる。


「それからは、ずっと一人で暮らしていたの?」


「いや、祖父がいました」


 グリムはそう答えると、懐へ手を入れた。


 取り出したのは、一つの懐中時計だった。


 古びた外見ではあるものの、丁寧に手入れされている。大切に扱われてきたことが、一目で分かる品だった。


「五年前、その祖父も亡くなりました。この時計は、祖父が最後に俺へくれたものなんです」


 グリムは時計の蓋を開き、しばらく文字盤を見つめた。


「祖父が俺に託してくれたものです。だから、今でも肌身離さず持ち歩いています」


「……そう」


 ソフィアは、それ以上何も言えなかった。


 両親を失い、最後に残された家族まで失った少年。


 それから五年もの間、彼は一人で生きてきた。


「……五年間、ずっと一人だったの?」


 ミレーヌが小さな声で尋ねた。


「まあ、そうだな。何なら、今も一人だけど」


 グリムは苦笑した。


「……」


 ミレーヌは俯いた。


 いつも楽しそうに笑っている彼が、そんな過去を抱えていたなんて思いもしなかった。


 今まで一緒に過ごしてきた時間の中で、グリムは自分の過去をほとんど語らなかった。


 もしかすると、彼にとっては話す必要のないことだったのかもしれない。


 それでも、ミレーヌは思った。


 ――もっと、グリムのことを知りたい。


 彼がどんな人生を歩んできたのか。


 何を考え、何を大切にしているのか。


 そして、どんな思いで今を生きているのか。


 もっと知りたかった。


 やがて、クラウスが静かに口を開いた。


「……グリムよ」


「はい?」


「お主の能力は、何なのじゃ?」


 話題を変えるためだったのか。


 それとも、グリムという人間をもっと深く知りたかったからなのか。


 クラウスの表情からは、はっきりとは分からなかった。


 グリムは懐中時計をしまい、少しだけ誇らしげに笑った。


「俺の能力は――『勇気』です」


「勇気……?」


 ミレーヌが首を傾げる。


「はい。父が教えてくれたんです」


 グリムは、遠い昔を思い出すように目を細めた。


「どんなに強い敵を前にしても、勇敢に立ち向かえる心。それが、俺の能力だって」


「……」


「英雄だった父でさえ、自分を超えるほどの勇気は持っていないって言っていました」


 グリムの言葉には、迷いがなかった。


「だから俺は、この能力を誇りに思っています」


 ミレーヌは、じっと彼を見つめた。


「……お父さんのこと、大好きだったのね」


「ああ。自慢の父だった」


 グリムは、少しだけ嬉しそうに笑った。


 両親を失った悲しみは、決して消えたわけではない。


 それでも、父との思い出まで失ったわけではなかった。


 父から教わったこと。


 父が残してくれた言葉。


 それらは今も、グリムの中に生き続けている。


「ところで、旅をしている理由は何なの?」


 ミレーヌが尋ねた。


「世界を旅したいから。それと……何も考えなくていいからな」


「何も考えなくていい?」


「ああ。旅をしている時は、過去のことも、これからのことも考えずに済む。ただ、綺麗な景色を見ていればいい」


 グリムは窓の外へ視線を向けた。


「知らない場所を歩いて、知らないものを見て……そういう時間が好きなんだ」


「……なるほどのぉ」


 クラウスはゆっくりと頷いた。


 グリムにとって旅は、世界を知るためのもの。


 そして同時に、過去から少しだけ離れ、心を休めるための時間でもあるのだろう。


 クラウスはしばらく考え込んでいたが、やがて何かを思いついたように顔を上げた。


「……少し、よいか?」


「はい?」


「儂と戦おう」


「……え?」


 グリムは思わず聞き返した。


 ミレーヌも、ソフィアも、そろってクラウスを見る。


「お父さん?」


「何じゃ、ミレーヌ」


「急に何を言い出すのよ……」


「いやなに。グリムがどれほど強いのか、気になってのぉ。それに、ちょうどよい気晴らしにもなるじゃろう」


「気晴らしって……」


 ミレーヌは呆れたように額を押さえた。


 しかし、グリムは少し考えたあと、あっさりと頷いた。


「分かりました」


「お、よい返事じゃな!」


 クラウスは嬉しそうに笑った。


「ただし、模擬戦じゃ。お互いに本気で命を奪うようなことはせん」


「もちろんです」


「……お父さん」


 ミレーヌは念を押すように言った。


「ちゃんと手加減してよね」


 ソフィアも隣から頷く。


「そうよ。グリム君に怪我をさせないでね」


「分かっておる。怪我などさせるつもりはないわい」


 クラウスは自信たっぷりに答えた。


 それを聞いたミレーヌは、今度はグリムへ向き直る。


「グリム、お父さんは強いから気をつけてね」


「ああ、分かった」


 こうして四人は家の外へ出た。


 少し開けた場所で、グリムとクラウスが向かい合う。


 ミレーヌとソフィアは、少し離れた場所から二人を見守った。


「さて……模擬戦じゃ」


 クラウスが静かに構えた。


 次の瞬間。


 クラウスの身体から、凄まじい魔力が溢れ出した。


 周囲の空気が震え、足元の草が風もないのに揺れる。


 その場にいるだけで、並の冒険者なら身動きも取れなくなるほどの圧力だった。


「……お父さん、本当に手加減するよね?」


 ミレーヌが不安そうに尋ねる。


「多分な」


「多分って何よ!?」


 ソフィアは小さくため息をついた。


 一方、グリムは魔力を解き放つクラウスを前にしても、平然と立っていた。


 怯える様子もなければ、無理に力を誇示することもない。


 ただ、相手を静かに見つめている。


 クラウスは拳を構えた。


「では……始めるぞ」


「はい」


 次の瞬間、クラウスの姿が消えた。


 地面を蹴り、一瞬でグリムとの距離を詰める。


 常人では到底捉えられない速度だった。


 そして、グリムの目の前へと現れたクラウスが、拳を放つ。


 ――だが。


 グリムは、ほんのわずかに首を傾けた。


 拳が頬のすぐ横を通り過ぎる。


「……なっ!?」


 クラウスの目が見開かれた。


 避けられた。


 それも、ギリギリで防いだわけではない。


 まるで、最初から攻撃が当たらないことを知っていたかのように。


 体勢を崩したクラウスが次の動きに移ろうとした、その時だった。


 グリムは静かに一歩踏み込み、拳を繰り出した。


 そして――。


 クラウスの顔の寸前で、その拳をぴたりと止めた。


 沈黙。


 クラウスは動きを止めたまま、自分の目の前にある拳を見つめていた。


 ほんの少しでも前に出ていれば、確実に顔へ届いていた距離。


 完全に、勝負は決していた。


「…………」


 ミレーヌとソフィアは、目を丸くして二人を見つめていた。


 何が起きたのか、すぐには理解できなかった。


 クラウスは、決して弱い男ではない。


 むしろ、常人とは比べものにならないほどの実力を持つ人物だった。


 かつて酒呑童子と戦い、勝利を収めたことさえある。


 そんなクラウスが――。


 たった一度の攻防で、敗北した。


「……負けじゃ」


 クラウスはゆっくりと拳を下ろした。


「はい」


 グリムも拳を下ろし、丁寧に頭を下げる。


 クラウスはしばらくグリムを見つめていたが、やがて豪快に笑い始めた。


「はっはっは! お主、めちゃくちゃ強いのぉ!」


「お義父様こそ、強かったですよ」


「じゃから、その呼び方をやめい!」


「うい」


 グリムは笑った。


 クラウスも、結局は笑っていた。


 一方、ミレーヌはまだ呆然としていた。


「……え? 今、何が起きたの?」


「私にも、よく分からなかったわ……」


 ソフィアも驚きを隠せない様子だった。


 そんな二人を見て、クラウスは再び楽しそうに笑った。


「いやぁ、これは面白い男を連れてきたもんじゃな、ミレーヌ!」


「……うん」


 ミレーヌはグリムを見つめた。


 彼はいつもと変わらない様子で笑っている。


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