59話 戻ろう
「……疲れた~」
龍神との戦いを終えたアイナは、肩を大きく回しながら息を吐いた。
先ほどまで凄まじい戦いを繰り広げていたとは思えないほど、いつもの軽い調子だった。
その姿を見つめていたミレーヌが、恐る恐る声をかける。
「……アイナ?」
「ん?」
アイナが振り返る。
ミレーヌとグリム。
そして、レイ。
自分がかつて暮らしていた家族が、そこにいる。
アイナは少しだけ固まった。
「……お母さん」
ミレーヌの瞳に、再び涙が浮かぶ。
「アイナ……なの?」
「う、うん」
アイナは少し恥ずかしそうに頷いた。
そして突然、姿勢を正す。
その場で正座をした。
「あ、アイナで、です」
「……」
「……」
レイとグリムが同時に呆気に取られる。
アイナは両手を膝の上に置き、背筋を伸ばしていた。
まるで怒られるのを覚悟している子供のようだった。
「アイナ~~!」
次の瞬間。
ミレーヌがアイナへ駆け寄り、その身体を強く抱きしめた。
「えっ!?」
「ごめんねぇぇ!」
「お、お母さん!?」
「探してあげられなくてごめんね! 家出させてしまって、本当にごめんねぇ!」
ミレーヌはアイナを抱きしめたまま、涙を流し続ける。
「え!? ちょ、ちょっと待って!」
アイナは慌ててミレーヌの背中へ手を回した。
「お母さんは何も悪くないから!」
「でも……!」
「私が勝手に単独で行動しただけだから! それに、迷惑をかけたのは私の方だよ!」
アイナは苦笑する。
「本当にごめんね」
ミレーヌは首を横に振った。
「いいの……いいのよ」
抱きしめる腕に、さらに力がこもる。
「生きてるだけでいいの……本当に……」
「……お母さん」
「本当に良かったよぉ……!」
アイナの顔が少し歪む。
ずっと離れていた。
長い間、帰ることのできなかった家。
ようやく戻ってきたのだ。
「……ただいま」
その一言に、ミレーヌはまた涙を流した。
グリムはそんな二人を少し離れた場所から見つめている。
「ミレーヌ……泣きすぎだ」
「あなたこそ、目から涙が溢れ出てるわよ」
「こ、これは雨だ」
グリムが真顔で答える。
レイが空を見上げる。
「今、雨降ってないけど」
「……なら汗だ」
「無理があるだろ」
レイが呆れる。
ミレーヌは涙を拭きながら笑った。
「強がっちゃって。あなたもアイナに抱きつきたいんでしょ?」
「さぁ?」
グリムはそっぽを向く。
レイはそんな父親の背中を軽く押した。
「久しぶりの再会なら、少しくらい素直になった方がいいだろ」
「……そうだな」
グリムは少しだけ笑うと、アイナの前へ歩いていく。
そして――
ミレーヌと一緒にアイナを抱きしめた。
「……おかえり」
「……!」
アイナの目からも涙が零れた。
「ほんとに……ごめんね」
「謝らなくていい」
グリムは優しく言った。
「帰ってきた。それだけで十分だ」
「そうよ」
ミレーヌも頷く。
「謝る必要なんてないわ」
「……うぅ」
アイナは二人の腕の中で顔を伏せる。
「二人とも……相変わらず優しすぎだよ……」
しばらくの間。
誰も何も言わなかった。
ただ、家族が再び揃ったことを噛み締めるように、三人は抱き合っていた。
「……本当に良かったな」
レイはその光景を見ながら、穏やかに微笑んだ。
「本当にそうですね」
フィーアも優しい笑顔を浮かべる。
ミリアが不思議そうに首を傾げた。
「レイとメルナの家族?」
「そうだ」
レイは頷く。
「俺の姉だ」
「家族!」
ミリアが嬉しそうに声を上げる。
クラウスはそんな三人を見て苦笑した。
「そろそろ帰るぞい。話は屋敷に戻ってからゆっくりすればよい」
なかなか離れようとしないミレーヌとグリムを、クラウスがなんとかアイナから引き離す。
「お母さん……」
「アイナ、帰りましょう!」
「うん!」
レイは意識を失ったメルナをそっと抱き上げた。
「ほら、帰るぞ」
メルナは完全に眠っている。
その顔はいつもの穏やかな寝顔だった。
先ほどまで異質な魔力を放っていたことが嘘のようだった。
フィーアはアカマルの背中へ乗せてもらう。
アカマルも疲れているはずなのに、家族を守るようにしっかりと歩き始めた。
「屋敷に帰るか」
帰り道。
ミリアは再びミレーヌと手を繋いで歩いていた。
「ミレーヌお母さん!」
「ふふ、どうしたの?」
「アイナも家族!」
「もちろんよ」
ミレーヌは嬉しそうに答えた。
「アイナも、ミリアちゃんも、みんな家族よ」
「家族!」
ミリアが嬉しそうに笑う。
その少し後ろでは、クラウスが自分の傷を確認していた。
「ふむ……これくらいなら問題ないかのぉ」
クラウスは魔力を身体へ巡らせる。
傷口がゆっくりと塞がっていく。
「爺ちゃん、大丈夫か?」
レイが振り返る。
「この程度、昔ならかすり傷じゃよ」
「さっき結構やられてたように見えたけど」
「年寄りには少々堪えるだけじゃ」
クラウスは笑った。
その表情には、まだ余裕が残っていた。
やがて――
レイたちは屋敷へ戻った。
玄関の前で、アイナが立ち止まる。
「……入っていいの?」
少しだけ不安そうな顔。
するとミリアがすぐに答えた。
「かぞく!」
「……」
アイナは目を丸くする。
ミレーヌが笑った。
「そうよ。ミリアちゃんの言う通り」
「……そっか」
アイナは小さく笑った。
「ただいま」
「おかえり」
グリムが答える。
皆で屋敷の中へ入った。
レイはそのままメルナを部屋へ運び、ベッドへ寝かせる。
「……早めに起きろよー」
レイはメルナの頭を軽く撫でる。
返事はない。
「まぁ、今日は色々あったしな」
レイは部屋を出た。
その頃、リビングではアイナを中心に家族が集まっていた。
ミレーヌがクラウスの傷を確認する。
「お父さん、傷はこれで治ったよ」
「ありがとうのぉ」
クラウスは身体を軽く動かして確認する。
「うむ。問題ない」
グリムがアイナを見る。
「アイナ。聞いていいか?」
「う、うん」
「……なぜ、家出したんだ?」
アイナの表情が少し曇った。
「……それは」
少し迷った後、アイナは口を開いた。
「私……魔界に行ってたんだ」
「……え?」
ミレーヌが驚く。
「魔界?」
グリムも聞き返す。
クラウスでさえ、目を見開いた。
「それは儂も初耳だのぉ」
アイナは頷く。
「簡単に言うと、魔界は悪魔が生まれて、悪魔だけが存在する場所」
「なぜ……そんな場所へ?」
ミレーヌが尋ねる。
「魔界を閉じるには……そうするしかなかったから」
アイナは静かに答えた。
「以前、この場所の近くに魔界へのゲートが開いてたんだ」
レイも黙って話を聞いている。
「そのゲートから悪魔が出てくる可能性があった。だから、危険だと思った私は中へ入って、ゲートを閉じようとした」
「……一人で?」
レイが尋ねる。
「うん」
アイナは苦笑した。
「それが私の全部」
ミレーヌは複雑そうな顔をする。
「……よく、生きて帰ってきたね」
「本当にね」
アイナが苦笑する。
「私も何度も死ぬかと思ったよ」
レイが尋ねる。
「でも、普通なら魔界で生き残るなんて無理だろ?」
「うん」
アイナは頷いた。
「だから、私は魔界へ入る前に一体の神に気に入られて、その神と契約したんだ」
「神と契約……」
レイが呟く。
クラウスが顎に手を当てる。
「ミレーヌたちの子供は、何かしらの存在に気に入られやすい体質なのかもしれんな」
「神と契約って……危険な契約とかはないの?」
ミレーヌが心配そうに尋ねる。
「少しだけね」
アイナは苦笑する。
「でも、大丈夫!」
「本当に?」
「うん」
「危険なことは、もうあまりしないでね」
「分かってるよ、お母さん」
アイナは笑った。
「ちなみに、さっき使った黒雷はその神との契約で得た能力だよ」
レイが思い出す。
「だからあんなに強かったのか……」
「まぁ、神様からもらったものだからね」
アイナは軽く肩をすくめた。
そして、レイを見る。
「……レイ」
「ん?」
「久しぶりって言っても……分からないよね」
「あぁ」
レイは少し申し訳なさそうに笑う。
「俺には姉さんとの記憶がない」
「そっか」
アイナは少し寂しそうにする。
だが、すぐに笑った。
「でも、酒呑童子と契約してることは知ってるよ」
「そこまで知ってるのか?」
「うん。まぁ、その時はお母さんとお父さん慌ててたよね」
そしてアイナはメルナのいる部屋の方へ視線を向けた。
「ただ――」
「メルナについては、全く知らない」
レイが眉を寄せる。
「メルナについて知らないのか?」
「うん」
アイナの表情が少し真剣になる。
「でも、一つだけ分かったことがある」
「何だ?」
「……恐ろしいこと」
「恐ろしい?」
レイは首を傾げる。
「俺にとっては、恐ろしくないぞ」
「そういう意味じゃないよ」
アイナは静かに言った。
「さっき龍神が逃げたのは、メルナが原因だよ」
「……!」
レイの表情が変わる。
「じゃあ、あの時メルナに何が起きた?」
アイナはしばらく黙った。
「……心の奥底から」
アイナが言葉を選ぶ。
「化け物を引き出したんだと思う」
「……?」
レイには意味が分からなかった。
「どういうことだよ?」
「まぁ、今のレイはこれだけ知っていればいい」
アイナはメルナの眠る部屋を見つめる。
「メルナは――異形だ」
「異形?」
「言い方は悪いけどね」
アイナは頷いた。
「でも、ただの異形じゃない」
「全てを覆せる存在だと思う」
「……」
レイは黙り込んだ。
アイナは続ける。
「私が魔界に行って、一つだけ確実に分かったことがある」
「何だ?」
「人間の味方をする神も、悪魔もいない」
「……は?」
レイが驚く。
「悪魔はまだ分かる。でも――神まで?」
「うん」
アイナは頷いた。
「神や悪魔は、人間がどんどん知識をつけていくことを恐れてる」
「人間を?」
「そう」
アイナは淡々と続ける。
「一部の神は人間を襲う。龍神もそうでしょ?」
「……」
「腐っても龍神は神の一柱だからね」
レイは先ほどの戦いを思い出す。
圧倒的な力。
人間の姿でさえ、まともに戦えなかった。
そして――龍化した姿。
「あれだけの存在が……」
レイが呟く。
アイナはメルナを見る。
「そんな世界で生まれた異形が、メルナなんだと思う」
「……」
「だから、神たちにとってメルナが邪魔な存在なのかもしれない」
「そうか……」
レイは拳を握った。
そしてアイナを見る。
「……でも」
アイナが顔を上げる。
「これからは、家族として認めてくれる?」
レイは即答した。
「当たり前だ」
迷う理由などなかった。
「俺たちの姉だろ」
「……うん」
アイナは笑った。
「ありがとう」
ミレーヌがパンッと手を叩く。
「よし!」
「?」
「今日はアイナが帰ってきた記念にパーティーにしよう!」
「いいな」
グリムも笑う。
「ただ、メルナが起きてからの方がいいだろう」
「そうね」
ミレーヌが頷く。
「じゃあ、明日にしましょう!」
「賛成」
アイナが笑った。
「明日なら私もいっぱい食べるよ」
少しだけ。
屋敷に、以前と同じような笑い声が戻った。
その夜。
レイはベランダへ出て、夜空を見上げていた。
そこへクラウスがやってくる。
「レイ」
「爺ちゃん?」
「少し話そうかのぉ」
「何の話だ?」
「龍神についてじゃ」
レイの表情が変わる。
「……分かった」
二人は並んで夜空を見る。
「レイは、どう思った?」
「強い」
レイは即答した。
「人間の姿で、あれだぞ」
拳を握る。
「しかも、まだ人間の姿に慣れてないみたいだった」
「あぁ」
「慣れてない状態で、あの動きだ」
レイは苦笑する。
「やっぱり四災害ってだけある」
「そうじゃな」
クラウスも頷く。
「そして龍になると……」
「勝ち目がない」
レイが言葉を続ける。
「人間の姿でも手も足も出なかった。あれが本来の姿になったら……あとは奇跡でも起きない限り無理だ」
「その通りじゃ」
クラウスは静かに答えた。
「じゃが――」
「一つだけ疑問がある」
レイが言う。
「メルナを見た瞬間、龍神が逃げるように戻っていったことだ」
「レイは知らないのかのぉ」
「何をだ?」
クラウスは夜空から視線を外した。
「メルナの中にいる――夜王を」
「夜王?」
レイは首を傾げる。
「聞いたことがあるような……ないような」
「まぁ、夜王を知る者自体がほとんどおらんからのぉ」
「そんなに珍しいのか?」
「あぁ」
クラウスは頷いた。
「先ほどのメルナは、夜王の魔力を纏っておった」
「……何で?」
「メルナを守るためじゃろう」
レイは思い返す。
確かに。
あの時のメルナからは、レイたちへの敵意が全くなかった。
「確かに……俺たちには何もしてこなかった」
「そうじゃ」
「じゃあ、あれは……メルナを守るために出てきたってことか?」
「恐らくのぉ」
レイは空を見る。
「龍神か……」
あまりにも遠い存在。
雲の上にいるような存在だった。
「俺は……手も出なかった」
レイが悔しそうに呟く。
クラウスはそんな孫を横目で見る。
「倒せる者が、いなくはないぞ」
「え?」
レイが振り向く。
「流石に、あれを倒すのは無理だろ」
「そうじゃな」
「じゃあ……」
「じゃが」
クラウスが笑った。
「儂は一人だけ、龍神を倒せるやつを知っておる」
「……え?」
レイの目が大きくなる。
「誰だよ?」
「レイ、お主の知っている人物じゃ」
「俺が?」
「そうじゃ」
クラウスは楽しそうに笑う。
「お主らが、一番よく知っておる人物じゃよ」
「……誰だ?」
「ただ――」
クラウスは夜空を見上げる。
「今は色々とあって、本来の力を出せておらん」
「そんなに強いのか?」
「あぁ」
クラウスは珍しく真剣な顔になった。
「全盛期のあやつなら……龍神に勝てたじゃろうな」
「……マジかよ」
「今は儂より遥かに弱い」
「じゃあ、そんなに強くないんじゃ?」
「今だけを見ればな」
クラウスは笑う。
「じゃが、全盛期のあやつは――誰にも負けない力を持っておった」
レイが息を呑む。
「例え、その相手が四災害でものぉ」
「……やばいな、それ」
「恐らく若い頃のあやつなら――」
クラウスは少し間を置く。
「四災害をまとめて相手にしても、勝てたであろう」
「それは言い過ぎだろ」
「逆じゃ」
クラウスは笑った。
「お主は、あやつを低く見積もりすぎておる」
「本当に誰なんだよ……」
レイは頭を抱える。
その時――
ベランダのドアが開いた。
「お義父さん、レイ」
グリムが顔を出す。
「何の話をしていたんですか?」
「ホホホッ!」
クラウスが笑う。
「ちょっとした昔話じゃよ」
「そうですか」
グリムは二人へ声をかける。
「もうご飯できたよ」
「すぐ行くよ」
レイが答える。
「儂もすぐ行くのぉ」
クラウスとレイはリビングへ戻っていく。
そこには、ミレーヌとアイナ、フィーア、ミリア、グリム。
そして眠っているメルナ。
再び集まった家族がいた。
その夜、レイたちは食卓を囲みながら、久しぶりに多くのことを語り合った。




