55話 空高く
数日経った
魔法学園の休日。
屋敷の庭では、メルナがフィーアと一緒に過ごしていた。
そんな中、フィーアがふとメルナの肩へ視線を向ける。
「メルナ様」
「どうしたの、フィーア?」
「黒蝕姫様が……またそこに」
「黒蝕姫が?」
メルナが自分の肩を見る。
そこには――。
小さな黒蝕姫が、当然のような顔をして座っていた。
「妾は別に、見てるだけじゃ!」
「クーちゃん、いつも小さいね」
「ちゃんとした召喚を行うか、魔力を注いでくれれば大きくなれるのじゃ」
「じゃあ試そ!」
メルナは楽しそうに手を前へ伸ばす。
「召喚――黒蝕姫!」
その瞬間、メルナの魔力が一気に集まり、黒蝕姫の身体を包み込んだ。
光が収まる。
そこに立っていたのは、先ほどまで肩に座っていた小さな姿ではない。
フィーアよりも少しだけ背が高く、透き通るような白い肌。
長く美しい紫色の髪。
そして、どこか妖しさを感じさせる瞳。
以前、精神世界で見ていた黒蝕姫本来の姿だった。
「ふぅ……このサイズは久しぶりじゃ」
「精神世界では会ってるけど、こうして外で見るとやっぱり大きいね」
「外の空気は美味しいのじゃ」
黒蝕姫は大きく息を吸い、満足そうに目を細める。
そんな黒蝕姫を見ながら、フィーアが尋ねた。
「黒蝕姫様。今日はどのようなご用で?」
「妾としても、メルナの成長をこの目で見届けたいのじゃ!」
「ありがとねぇ〜、クーちゃん」
メルナが嬉しそうに笑う。
するとフィーアが何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、メルナ様の式神様達なら、神器について何かご存じなのではありませんか?」
「あ!」
メルナの目が輝く。
「確かに! クーちゃん、神器って知ってる?」
「知っておるわ!」
「じゃあ、私が適合してる神器とかも知ってるかな?」
「あるのじゃ」
「え!? 本当に!?」
「本当じゃ!」
メルナは勢いよく黒蝕姫へ近づいた。
「じゃあ、それって今から使えたりする?」
「それは無理じゃな!」
「なんで!?」
期待していた分、メルナは露骨に肩を落とす。
黒蝕姫は少し申し訳なさそうにしながら説明を続けた。
「メルナが適合している神器を使うためには、メルナの中におる他の二体の式神を解放する必要があるのじゃ」
「え……」
「じゃから、まだメルナには早いのじゃ」
「うぅ……」
メルナがしょんぼりする。
しかし、フィーアはそんなメルナを見て微笑んだ。
「ですが、メルナ様。あなたなら、そう遠くないうちに解放できるのではないでしょうか」
「本当?」
「はい。今のメルナ様なら、きっと」
「うぅ……頑張る……」
黒蝕姫も優しく笑う。
「安心せぇ。メルナの中におる妾達式神は、全員メルナのことが大好きじゃ」
「本当に?」
「本当じゃよ。じゃから、メルナが思うておるよりも早く、解放できるじゃろ」
「うん……」
メルナは小さく頷いた。
そして、ふと疑問に思ったように尋ねる。
「そもそも、私ってどうやってクーちゃんを解放したんだっけ?」
「忘れたのじゃ?」
「全然覚えてない!」
黒蝕姫は呆れたように笑った。
「メルナの式神――四神は、それぞれメルナの『覚悟』によって解放されるのじゃ」
「覚悟?」
「そうじゃ!」
黒蝕姫は指を一本立てる。
「例えば、フェニックスなら『希望の覚悟』。そして妾なら――『恐怖の覚悟』じゃ」
「恐怖……」
メルナの脳裏に、黒い騎士の姿が浮かんだ。
「黒い騎士のこと?」
「そうじゃ」
黒蝕姫は頷いた。
「あやつにメルナが恐怖を抱いた。しかし、それでも逃げずに立ち向かった。それが妾の解放条件だったのじゃ」
「なるほど……」
「なら、他の二神は?」
「教えてもよいのじゃが……」
黒蝕姫は少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべる。
「妾達は、メルナ自身の成長を見たいのじゃ。自力で解放してみるのじゃ」
「むっ! クーちゃんのバカ!」
「そんなこと言わないでくれなのじゃ〜!」
「嘘だよ!」
メルナは笑って黒蝕姫の頭を撫でた。
「いつもありがとね!」
「……!」
黒蝕姫の表情が一瞬で緩む。
「メルナ、大好きなのじゃ!」
黒蝕姫はメルナの頬へ自分の頬を擦り寄せる。
「私も大好きだよ! いつでも話し相手になってくれるしね!」
「妾の方が大好きなのじゃ」
「じゃあ確認だけど……私の中にいる式神達って、全員本当に私のこと好きなの?」
「本当じゃよ! 全員、メルナのことが大好きなのじゃ」
「そっかぁ」
メルナは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、もう一つ質問!」
「何を聞きたいのじゃ?」
「私の中にいる『化け物』って知ってる?」
その瞬間。
黒蝕姫の表情が変わった。
「……」
「クーちゃん?」
「……知らないのじゃ」
「本当に?」
「……」
「クーちゃん?」
「……嘘なのじゃ」
「え?」
メルナの笑顔が止まる。
黒蝕姫は、今度は真剣な目でメルナを見つめた。
「メルナには……まだ早すぎるのじゃ」
「クーちゃんまで、それ言うの?」
「これに関しては、本当にメルナには早いのじゃ」
「そう……なの?」
「じゃが、いつか時が来れば……話すかもしれないのじゃ」
「……約束ね」
「約束なのじゃ」
メルナと黒蝕姫は静かに見つめ合った。
そのやり取りを見ていたフィーアが、ふと疑問を口にする。
「黒蝕姫様」
「どうしたのじゃ?」
「黒蝕姫様は、とてもお強い方と存じています」
「当然じゃ」
「ですが、一つ疑問に思うことがあるのです」
フィーアはメルナを見る。
「なぜ、共鳴をする必要があるのでしょうか?」
「ん?」
「メルナ様の場合、黒蝕姫様を召喚するだけでも、大抵の相手なら瞬時に倒せるのではありませんか?」
「とてもいい質問なのじゃ」
黒蝕姫は満足そうに頷いた。
「メルナが言うように、妾達がメルナを守るためというのも理由の一つじゃ」
「やっぱりそうなんだ!」
「じゃが、それだけではないのじゃ」
黒蝕姫は自分の胸へ手を当てる。
「共鳴は、妾達にとっても大きな意味があるのじゃ」
「私達式神側にも?」
「そうじゃ」
黒蝕姫は頷いた。
「剣豪とやらから聞いたのじゃろ? 共鳴について」
「はい。私も知っている限りのことはメルナ様に説明しました」
「共鳴とは、妾達式神とメルナを心身ともに融合させ、一時的に潜在能力を爆発的に向上させる技。これは剣豪とフィーア、其方が言っていたことじゃ」
「はい」
「じゃが、妾達にもメリットがあるのじゃ」
「メリット?」
「妾達も一時的に強くなるのじゃ」
黒蝕姫は当然のことのように言った。
「理由は簡単じゃ。メルナの身体能力と魔力を妾達と融合させ、さらに妾達の身体能力と魔力も加える」
黒蝕姫の身体から、わずかに魔力が溢れる。
「つまり、お互いの力を重ねるのじゃ」
「なるほど……」
「だからこそ、共鳴すれば妾達もさらに強くなれる。そして――」
黒蝕姫はメルナを見る。
「もっと強くなれば、それだけメルナを守りやすくなるのじゃ」
「クーちゃん達……」
メルナは嬉しそうに笑った。
「本当に好き」
「妾もなのじゃ」
「フェニちゃんとは仲良くしてる?」
「もちろんじゃよ。フェニックスは可愛いペットなのじゃ」
「ペットにしては強すぎると思うけど……」
フィーアが思わず苦笑する。
黒蝕姫も楽しそうに笑っていた。
しかし――。
ふと、黒蝕姫の表情が真剣になる。
「……先程の『化け物』について、少しだけ説明してあげるのじゃ」
「まじ!?」
メルナが勢いよく振り向いた。
「ほんの少しだけじゃよ」
「お願い!」
「私も気になります」
フィーアも静かに耳を傾ける。
黒蝕姫は少し考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「まず、妾達メルナの中におる四体の式神は、メルナが生まれた時に入ったのじゃ」
「え!?」
メルナは驚いて目を丸くする。
「クーちゃん達って、元からこの世界に存在してたんじゃないの?」
「存在しておったのじゃ」
「じゃあ、どうして私の中に?」
「説明すると少々難しいのじゃが……簡単に言えば、メルナが生まれた時、この世界に存在していた妾達は――メルナに惚れたのじゃ」
「……え?」
「そして、メルナの中へ入ったのじゃ」
「私、生まれた瞬間から式神に好かれてたの!?」
「そういうことじゃ」
メルナは何とも言えない顔をする。
「じゃあ……私の召喚能力って、生まれた時から持ってた能力じゃなくて、後から身についた能力ってこと?」
「少し違うのじゃ」
黒蝕姫は首を横に振った。
「メルナが生まれた時から、メルナの中には『化け物』がおったのじゃ」
「……!」
「つまり、化け物は妾達がメルナの中へ入るよりも前から存在していたということじゃ」
「化け物が……最初に?」
「そうじゃ」
メルナはしばらく黙り込んだ。
「じゃあ……もし、その化け物が一番最初から私の中にいたなら……」
メルナは自分の胸へ手を当てる。
「私の本来の能力って、その化け物なんじゃないの?」
「……」
「だったら、召喚ぐらいできるはずじゃない?」
「無理じゃな」
「どうして?」
「其奴は、メルナの精神世界のさらに奥深くにおる」
黒蝕姫の声が少し低くなる。
「それに、今のメルナには其奴の力を使うことはできないのじゃ」
「どうして?」
「覚悟が、まだ解放されておらぬからじゃ」
「そいつにも……覚悟の解放があるの?」
「そうじゃ」
黒蝕姫は静かに頷く。
「それも――人間にとって相当に難しい覚悟じゃ」
「……そうなんだ」
メルナは少しだけ不安そうな顔をした。
それを見た黒蝕姫は、すぐに柔らかな表情へ戻る。
「安心せぇ、メルナ」
黒蝕姫はメルナの肩へ手を置いた。
「何があろうとも、妾達がメルナを守るのじゃ」
「……うん」
メルナは笑った。
「ありがと、クーちゃん」
フィーアも頷く。
「では、しばらくは式神の解放を目標にしましょう」
「そうしよ!」
メルナは拳を握る。
「私も、みんなと早く会いたいし!」
「頑張れなのじゃ」
「ありがとね、クーちゃん!」
「どういたしましてなのじゃ」
「あと、フェニちゃんにも『ありがと』って言ってくれる?」
「任せろなのじゃ」
黒蝕姫は小さく笑った。
そして――その身体が淡い光に包まれていく。
「では、また精神世界で会おうぞ」
「うん!」
光が消える。
黒蝕姫はメルナの中へと戻っていった。
「……フェニちゃんと空飛んでこようかな」
「いいですね」
「フィーアも乗る?」
「いいのですか?」
「もちろん!」
「私も!」
突然、横から声が飛んできた。
「ミリアちゃん!?」
メルナが振り向く。
そこにはミリアが立っていた。
「いつからいたの?」
「ずっと!」
「ずっと!?」
メルナは思わず笑ってしまう。
「可愛い! いいよ、一緒に乗ろ!」
「うん!」
「じゃあ――召喚、フェニちゃん!」
メルナが手を掲げる。
その瞬間、巨大な魔法陣が地面に浮かび上がった。
炎のような魔力が渦を巻き、そこから一羽の巨大な鳥が姿を現す。
翼を広げれば十メートル近くにもなる、メルナの式神――フェニックス。
しかし、その姿は恐ろしいというより、どこか神々しい。
「おお……」
フィーアが感嘆の声を漏らす。
「大きさも自由に変えられるのは、やはり凄いですね」
「でしょ!」
メルナは誇らしげに胸を張った。
メルナ、フィーア、ミリアの三人はフェニックスの背へ乗り込む。
「ミリアちゃん! ちゃんと乗れた?」
「乗れた!」
「じゃあ、行くよ!」
「うん!」
「行きましょう、フェニックス様」
フェニックスが翼を大きく広げる。
そして――。
バサァッ!
一度翼を羽ばたかせただけで、三人の身体が一気に空へ舞い上がった。
「わぁぁぁ!」
ミリアの声が響く。
地上がどんどん小さくなっていく。
「初めて空飛んだー!」
「こんな高さまで来たのは、私も初めてです」
フィーアも少し驚いた様子で周囲を見渡す。
メルナは楽しそうに笑った。
「もっと上行こう!」
フェニックスがさらに高度を上げていく。
やがて三人は雲を突き抜けた。
そこに広がっていたのは――どこまでも続く青空。
太陽が眩しいほどに輝き、白い雲が遥か下に広がっている。
「綺麗……!」
ミリアが目を輝かせる。
「でしょー!」
メルナも嬉しそうに笑う。
「雲の上まで来られるとは……」
フィーアは下に広がる雲を眺める。
「それに、暖かいですね」
「フェニちゃんが暖かくしてくれてるんだ!」
「それは嬉しいですね」
「気持ちいい〜」
ミリアがフェニックスの背に身を預ける。
三人はそのまま、青空の中をゆっくりと飛び続けた。
風は穏やかだった。
雲は遥か下。
まるで世界を空から眺めているような、不思議な感覚だった。
「ねぇ、ミリアちゃん!」
「なに?」
「もっと遠くまで行ってみる?」
「行きたい!」
「じゃあフェニちゃん、お願い!」
フェニックスが翼を大きく広げる。
そのまま三人を乗せ、さらに前へ進んでいく。
――その時だった。
メルナ達から見て、右斜め前方。
遥か彼方に浮かんでいた雲が――。
突然、弾け飛んだ。
――ドォンッ!!
「……え?」
メルナの表情が変わる。
フィーアもすぐに立ち上がり、前方へ視線を向けた。
「今のは……?」
白い雲が大きく崩れ、空に巨大な空洞が生まれている。
その向こうには――何かがいる。
だが、まだ距離が遠すぎて姿までは見えない。
フェニックスも警戒するように翼を広げ、空中で動きを止めた。
「メルナ様……」
「うん」
先ほどまでの楽しい空気は、すでに消えていた。
メルナは前方を見つめる。
「……何かいる」
青空の彼方。
弾け飛んだ雲の向こうから――。




