54話 アイナ
魔法学園。
学園長室。
クラウスはいつものように机に向かい、書類へ目を通していた。
窓から差し込む夕方の光が、部屋の床をゆっくりと照らしている。
「……ふぅ」
クラウスが一度ペンを置いた。
その時だった。
「やぁ、久しぶり。爺ちゃん」
「――!」
突然、部屋の中から声が聞こえた。
クラウスは顔を上げる。
しかし、目の前には誰もいない。
「……?」
クラウスはすぐに探知魔法を展開した。
部屋の隅。
窓際。
扉の前。
天井。
どこにも反応はない。
だが――。
「ここだよ」
声とともに、クラウスの背後から一人の女性が姿を現した。
長い髪を揺らしながら、何事もなかったかのように笑っている。
「……」
クラウスは目を見開いた。
その顔を、何度も見た。
忘れるはずがない。
「……アイナ?」
「正解」
女性――アイナは、昔と変わらないような笑顔を見せた。
「久しぶり、爺ちゃん」
「……」
クラウスはすぐには言葉が出なかった。
長い年月。
探しても探しても見つからなかった孫娘。
生きているのか。
どこにいるのか。
それすら分からなかった。
そんなアイナが、今。
目の前に立っている。
「……久しぶりじゃな、アイナ」
ようやくクラウスはそう言った。
「うん」
アイナは笑う。
「めっちゃ久しぶり」
「……本当に、お前なのじゃな」
「そうだよ」
アイナは軽く腕を広げる。
「ちゃんと本人」
クラウスはゆっくりと立ち上がった。
「アイナ……」
「ん?」
「今まで、どこにおった?」
クラウスの声は、いつもの威厳のあるものとは少し違っていた。
「見つからなかったからな……」
一度言葉を止める。
「……死んだかと思ったぞ」
アイナは少しだけ目を伏せる。
「……ごめんね」
「謝って済む話ではない」
「うん」
「何度探したと思っておる」
「……うん」
アイナは黙って聞いていた。
クラウスは怒っている。
だが、それ以上に――安心していた。
「まぁ……色々あってさ」
アイナは困ったように笑う。
「簡単には説明できないんだ」
「そうか」
クラウスは深く追及しなかった。
「話せる時に話せばよい」
「……ありがとう」
アイナは小さく笑った。
その時。
クラウスの目が鋭くなる。
「……しかし」
「ん?」
「アイナ」
クラウスはアイナを見つめる。
「お前……心の中に何がいる?」
「……!」
アイナが一瞬だけ目を見開いた。
だが、すぐに笑う。
「お爺ちゃん、凄いね!」
「やはり何かおるのか」
「こいつに気づくんだ」
アイナは自分の胸元に手を当てた。
「凄いねぇ」
「儂を誰だと思っておる」
「学園長でしょ?」
「そういう意味ではない!」
クラウスが呆れたように言う。
「メルナやレイと同じような気配がする」
「レイとメルナかぁ~」
アイナは少し嬉しそうに笑った。
「メルナとは、赤ちゃんの頃にしか会ったことないんだよね」
「そうじゃな」
「妹なんだから、会いたいもんだねぇ」
アイナは少し遠くを見る。
「レイにも」
「そうじゃな」
クラウスは頷いた。
「二人とも大きくなったぞ」
「そっかぁ」
「レイは昔のお前とは違う方向へ進んでおるがな」
「へぇ~」
「メルナも相当なものじゃ」
「楽しみだなぁ」
アイナは笑った。
そして――。
クラウスが少しだけ表情を柔らかくした。
「……言うのを忘れておったわ」
「ん?」
クラウスはアイナをまっすぐ見る。
「おかえり」
「……」
アイナの表情が止まる。
ほんの一瞬。
それから、柔らかな笑顔を浮かべた。
「ただいま!」
二人の間に、静かな時間が流れた。
長い間離れていた。
それでも――。
家族であることは変わらなかった。
◇ ◇ ◇
「そういえば、一つ質問なんだが」
クラウスがふと思い出したように言う。
「どうやって学園長室まで入ってきた?」
「ん?」
「ここは許可がなければ入れないはずじゃが」
「あぁ、それ?」
アイナは笑う。
「私、気配を消すの得意なんだよね」
「……」
「実際、お爺ちゃん。私が学園長室に入るまで、全く気づかなかったでしょ?」
「……本当にそうじゃな」
クラウスは苦笑する。
「儂の探知魔法に一度も引っかからなかった」
「でしょ?」
「まさか、儂の探知を完全に抜けるとはな」
「まぁ、昔からこういうのは得意だったから」
「昔とは比べ物にならんようじゃがな」
クラウスはアイナを見つめる。
「……相当、強くなったな」
「まぁねぇ!」
アイナは得意げに笑った。
「ところで、お母さん達は元気にしてる?」
「元気にしておる」
「そっか」
アイナは安心したように息を吐いた。
「よかった」
クラウスはそんなアイナを見て、少しだけ笑う。
「なら、試しにドラゴンでも倒してもらうかのぉ」
「いいけど」
アイナは即答した。
「どうしたの?」
「ここ最近、この国にワイバーンが多数襲撃してきておってな」
クラウスは机の上に置かれていた地図を広げる。
「どうやら近くに巣を作ったらしい」
「ワイバーンかぁ」
「巣を放置するわけにもいかん。壊そうと思っておったところじゃ」
「私に任せてよ」
アイナは笑う。
「すぐ終わらせてくるから」
「任せるよ」
「じゃあ、行ってくる!」
アイナが一歩踏み出す。
次の瞬間――。
姿が消えた。
「……」
クラウスはしばらく何も言わなかった。
そして、静かに呟く。
「……何と契約したのか」
アイナの消えた場所を見つめながら、クラウスは考え込むのだった。
◇ ◇ ◇
――レイの屋敷。
「疲れた……」
帰ってきたレイは、ソファに倒れ込んだ。
「だね」
メルナも隣で伸びをする。
「お疲れ様でした」
フィーアが二人へ声をかける。
「どうでしたか?」
「ヴァンパイアの巣だった」
「ヴァンパイアですか」
フィーアは少し驚く。
「そこそこに強いと聞きますが、大丈夫でしたか?」
「メルナがそいつらのボスをボコボコにしてたぞ」
「流石、メルナ様です」
「お兄ちゃん!」
メルナが振り返る。
「か弱い女の子がヴァンパイアのボスを倒すなんてできないよ!」
「メルナ、お前はか弱いどころかゴリラだから倒すことが可能だ」
「……」
メルナの笑顔が消える。
「フィーア」
「はい」
「人一人埋められるくらいの穴、作って」
「分かりました」
「ご、ごめん」
レイが即座に謝る。
「もっと大きな声で?」
「すまん!」
「許してあげるけど……」
メルナは腕を組む。
「これで許すの何度目かな~?」
そして胸を張る。
「私、懐大きいなぁ」
「え、そんな大きくなんか――」
「何か言った?」
「いえ、何も」
レイは即座に目を逸らした。
「レイ様は、メルナ様の懐は大きいとは思っていないとのことです」
「フィーア、わざわざ翻訳しなくていい」
「お兄ちゃん~?」
「今度こそ死――」
その後。
レイはメルナから、かなり厳しいお仕置きを受けることになった。
◇ ◇ ◇
数分後。
レイは床の上で正座していた。
「足が死ぬ……」
「どうする?」
メルナが目の前にしゃがむ。
「まだ続ける?」
「やめてくれると……」
「しょうがないなぁ~」
メルナは立ち上がる。
「はい! もう余計なことを言わないこと!」
「う、うい」
「次言ったら、毒漬けの刑」
「怖っ……」
「大丈夫ですか、レイ様?」
フィーアが普通の顔で聞く。
「俺、怖い。そんな平然としてるフィーアが」
「何のことでしょうか?」
「もう記憶にはないと……」
「流石フィーア!」
メルナが笑う。
「そんなに褒められても」
フィーアはいつもの表情だ。
レイは悟った。
――敵に回してはいけない二人を、怒らせたらしい。
「本当にすいませんでした」
「ここまで謝られたら許す!」
「メルナ様がそうおっしゃるなら」
フィーアも頷いた。
そこへ――。
「レイ~」
ミリアがやってくる。
「何してるの?」
「虐められてた」
「メルナ、レイのこと虐めてたの?」
「逆だよ、ミリアちゃん!」
メルナが即座に否定する。
「お兄ちゃんが私のことを虐めてきたんだよ」
「フィーア、本当?」
「本当ですね」
「……」
ミリアがレイを見る。
「ほ、本当」
「レイ、嘘つき」
「そうだよねぇ~」
メルナが嬉しそうに笑う。
すると――。
アカマルがレイの顔の上に乗った。
「ぐぇっ」
「ガウ!」
「重い……」
「可愛いねぇ~」
メルナがアカマルを撫でる。
そんな穏やかな空気の中――。
「あ!」
メルナが突然立ち上がった。
「そうだった!」
「何?」
「フィーアの使ってる小刀を使いたい!」
「いきなりどうしました?」
「私に合ってる武器って何かな~って考えたら、フィーアの使ってるような小刀がいいかなぁと思って」
「そういうことですか」
フィーアは頷く。
「なら、使ってみますか?」
「うん!」
フィーアは自分の小刀を一本取り出し、メルナへ渡す。
「気をつけてください」
「分かったよ!」
メルナは小刀を握る。
「私は双剣で使いますが、メルナ様はどうしますか?」
「そ、双剣は難しいよ」
メルナは小刀を見つめる。
「私は片方だけでいこうかな」
「分かりました」
フィーアは頷く。
「では、まずは小刀の立ち回りから教えます」
「お願い!」
フィーアはメルナの前に立つ。
「小刀の最大の特徴は、素早く攻撃できることです」
「うん」
「刀や剣と違って持ちやすく、軽い。その分、取り回しがしやすく、素早い動きと相性がいいです」
フィーアが実際に小刀を構える。
次の瞬間――。
シュッ!
一瞬で距離を詰め、メルナの横を通り抜ける。
「速っ!」
メルナが目を輝かせる。
「確かにそうだねぇ。フィーアもめっちゃ速いし」
「そうですね」
フィーアは小刀を構え直す。
「私の場合は、能力とエンチャントのおかげでもあります」
「なるほど」
「では、早速使ってみますか?」
「よし!」
メルナはフィーアの指示を聞きながら、身体を動かす。
踏み込み。
方向転換。
低い姿勢からの攻撃。
そして、相手の懐へ入り込む動き。
「……いい感じですよ、メルナ様」
「これ、めっちゃ使いやすい!」
メルナは嬉しそうに小刀を見つめる。
「軽いから動きやすい!」
「メルナ様に合った武器ですね」
「うん!」
メルナは何度か小刀を振る。
「フィーアみたいに速く移動したいなぁ」
「私の場合は、風のエンチャントの技術を磨いた結果、風神へと至りました」
「風神……」
「はい」
「私も頑張らないとなぁ」
フィーアは少し微笑む。
「メルナ様は共鳴を行えば、恐らく風神ほどの速度は出せるかと」
「え?」
「共鳴によって身体能力そのものが大きく向上しますから」
「でも、フィーアは能力が『神速』だっけ?」
「はい」
フィーアは頷く。
「なので、風神と神速。その二つを組み合わせて、今の私の速度になっています」
「風神+神速……」
メルナは少し考える。
「じゃあ、フェニちゃんとの共鳴だったら空も飛べるしなぁ」
「それはメルナ様だけの強みです」
フィーアは穏やかに答える。
「それに、不死鳥との共鳴は中々いい速度が出ていました」
「照れるなぁ~」
「本当のことですから」
メルナは嬉しそうに笑う。
手にした小刀を見つめながら――。
「この武器、もっと練習してみたい!」
「分かりました。では、少しずつ立ち回りを覚えていきましょう」
「うん!」
自分自身の戦い方を見つけるための、新しい一歩だった。




