52話 師匠の旅立ち
屋敷で過ごしてから、一週間が経った。
長いようで短かった一週間だった。
レイたちは家族と食事をしたり、訓練をしたり、時には何もせずにのんびり過ごしたりと、穏やかな時間を過ごしていた。
そんなある日の朝。
屋敷の玄関には、旅支度を終えたルーシーが立っていた。
肩には荷物を背負い、腰にはいつもの武器を携えている。
どうやら今日、この屋敷を出るらしい。
「ありがと! 少しの間、住まわせてくれて!」
ルーシーは振り返り、いつもの軽い笑顔を浮かべる。
「全然いいのよ! また来てね」
ミレーヌは寂しそうにしながらも、笑顔で答えた。
「そうだ。レイ達に色々と教えてくれたから、その分のお返しはするからな」
グリムも腕を組みながら言う。
「ありがたいよ。また来させてもらおう」
「ありがとう、師匠」
レイも頭を下げる。
「ほんとにね! 共鳴の練習にも付き合ってくれて!」
メルナも笑顔で礼を言った。
ルーシーは二人を見つめると、少しだけ真面目な表情になる。
「二人とも元気でな」
そして、まずレイを見る。
「レイ。お前は心を鍛えろ」
「心を?」
「そう。心を鍛えれば、鬼化を使えるようになる」
レイは真剣に耳を傾ける。
ルーシーは少し考えるように顎に手を当てた。
「お前は案外、心が脆いからな。だから……そうだなぁ。精神統一とかしてみな。あれでも結構鍛えられる」
「精神統一か……」
「焦る必要はない。鬼化は力だけの問題じゃない。自分の中にあるものを受け入れて、制御するためには、まず自分自身が揺らがないことが大切だ」
「分かった。挑戦してみる」
レイは頷いた。
鬼化を使えるようになる。
そのために、今の自分に足りないものを鍛える必要がある。
ルーシーの言葉を、レイはしっかりと胸に刻んだ。
「それとメルナ」
「私?」
今度はメルナが指を自分に向ける。
「お前は……心の中の化け物と対話してみるのもありかな」
「心の中にいる化け物?」
メルナが首を傾げる。
「そうそう」
「それって黒蝕姫とか?」
「まぁ、それも含まれるかもしれないけど……」
ルーシーは少しだけ言葉を濁した。
「まぁ、その化け物は今のメルナには早いかな」
「え?」
「忘れてくれ。まだメルナには早いからな」
「気になるんだけど!」
メルナが食い下がる。
しかし、ルーシーはそれ以上答えるつもりはないらしい。
「そのうち分かるさ」
「むぅ……」
メルナは頬を膨らませる。
レイはそんな妹を見て苦笑した。
「師匠が言わないなら、今はいいんじゃないか?」
「お兄ちゃんまで!」
「まぁまぁ」
ルーシーは笑いながら二人を見る。
「二人とも、これからもっと強くなるだろうさ」
その言葉には、冗談ではない確かな期待が込められていた。
「じゃあ、また」
ルーシーは手を上げる。
「またな、師匠」
「また!」
「また会おう」
「会いましょう!」
「んっ!」
ミリアも小さく手を振った。
そして、何かを思い出したように、ルーシーの前へ駆け寄る。
「ん!」
ミリアが差し出したのは、以前拾った綺麗な石だった。
「これ、私に?」
「ん!」
ルーシーは少し驚いた顔をした後、優しく笑う。
「ありがとな、エルフの嬢ちゃん」
石を大切そうに受け取る。
「私も世界を旅して、エルフを探してみるよ」
「……!」
「もし見つかったら、そのエルフ達と一緒に過ごすといい。それに、私達やミレーヌ達が全力で守るし」
「うん!」
ミリアは嬉しそうに頷いた。
「ガウ!」
アカマルも別れの挨拶をするように鳴く。
「アカマルもありがとな」
ルーシーはアカマルの頭を撫でる。
「可愛い! バイバイ!」
「ガウ!」
こうしてルーシーは屋敷を後にした。
門を出て、丘を下っていく。
屋敷は少し高い丘の上に建っているため、下へ続く道からは周囲の景色がよく見える。
ルーシーが丘を下ってしばらくすると――。
「……ん?」
道の先に、一人の女性が立っていた。
フィーアだった。
「こんなところにいたのか、フィーア」
「お待ちしていました」
「待たせてた? ごめんごめん」
「いえ」
フィーアは小さく首を振る。
そして、手に持っていたものをルーシーへ差し出した。
「これを」
「……刀?」
ルーシーは受け取る前に刀を眺める。
鞘から少しだけ抜いてみると、その刀身の美しさに目を輝かせた。刃は薄い水色をしていた
「この刀、めっちゃいい奴じゃないか!」
「メルナ様との訓練の際に、一本の刀を失くしたと聞きましたので。用意しました」
「あぁ……確かに失くしたな」
ルーシーは苦笑する。
「嬉しいけど、こんないい刀、貰えないぞ?」
「これまでの恩返しだと思っていただければ」
「……」
ルーシーは少し黙った。
そして、観念したように笑う。
「そんなこと言われたら、貰わざるを得ないな」
刀を受け取る。
「じゃあ、ありがたくいただこうと思う」
「はい」
「確かにこれは名刀だな」
「そう聞いています」
「名前は?」
「確か……翠嵐」
「翠嵐……」
ルーシーは刀を見つめる。
「良い名前だ」
そう言って、腰に差した。
「これなら普通の戦いでは神器を使わなくても済みそうだ」
「神器を毎回使うつもりですか?」
「う~ん……」
ルーシーは腕を組む。
「確かになぁ!」
そして笑った。
「ありがと、フィーア」
「いえ」
しばらく二人は向かい合う。
いつものような軽いやり取り。
けれど、今日はどこか名残惜しい空気があった。
「お元気で、ルーシー様」
「元気でな、フィーア」
ルーシーは少しだけ真面目な顔になる。
「無茶だけはするなよ」
「ルーシー様こそ」
「私? 私は大丈夫だって」
「その言葉を信用していいのか分かりません」
「ひどいなぁ」
二人は笑う。
そして――。
ルーシーはフィーアをそっと抱きしめた。
「……お前は家族同然だ」
「……」
フィーアは一瞬驚いたように目を見開く。
だが、すぐに微笑んだ。
「私も、そう思っていますよ」
二人は顔を見合わせ、微笑み合った。
「さてと」
ルーシーは離れる。
「エルフの村を見つけますか~」
「頼みました」
「おう!」
歩き出そうとしたルーシーを、フィーアが呼び止める。
「ルーシー様」
「ん?」
フィーアは今度は小さな包みを差し出した。
「これもどうぞ」
「……おむすび?」
「はい。ルーシー様の好きなタクアンも入れましたよ」
「ほんと助かるよ!」
ルーシーは嬉しそうに受け取る。
「大好き。私の妻になって」
「だから、私も女性なので」
「そこじゃないんだよなぁ」
「何がですか」
フィーアは呆れたようにため息をつく。
ルーシーは楽しそうに笑った。
「じゃあ、今度こそ行ってきます!」
「はい。いってらっしゃいませ」
ルーシーは手を振りながら、丘の下へ歩いていく。
フィーアはその姿が見えなくなるまで、静かに見送っていた。
こうしてルーシーは、再び世界を旅するために旅立った。
目的は一つ。
エルフを探すこと。
そして――いつかまた、この家に帰ってくることだった。
◇ ◇ ◇
ルーシーが旅立ってから、少し時間が経った。
「お兄ちゃん、何かしよ」
屋敷の中で、メルナが突然レイに声をかけた。
「何って、何を?」
「近くにダンジョンとかないかな」
「ないと思うが……」
レイが考えていると、ミレーヌが口を挟む。
「ダンジョンはないけど、最近、近くにダンジョンらしきものが現れたらしいわよ」
「そうなのか?」
「ええ。冒険者たちも何人か向かっているみたい」
「ダンジョンらしきもの……」
レイは興味を持った。
「お兄ちゃん、行ってみる?」
「どうしようか」
レイが考えていると、グリムが口を開いた。
「行ってみてもいいんじゃないか?」
「父さん」
「メルナとレイなら、多少危険な場所でも帰ってこられるだろうしな」
「賛成よ」
ミレーヌも頷く。
「ずっとここにいるのも飽きるでしょ?」
「まぁ……確かに」
レイは少し考えた後、頷いた。
「分かった。行ってみるか」
「よし!」
メルナが拳を握る。
「行くと決まったら、準備しないとね!」
「だな」
そこへフィーアがやってくる。
「私もついていきましょうか?」
「今回は私たちの力で行くよ!」
メルナが即答した。
「ね! お兄ちゃん!」
「そうだな」
レイも頷く。
「フィーアの力に頼ってたら、いつまで経っても成長できないからな」
「そうですね」
フィーアは微笑む。
「しかし、無理だけはしないようにしてください」
「そうだよぉ~。お兄ちゃん、無理だけはダメだよ~」
「メルナこそな」
「私は無理しないし」
「はいはい」
レイはメルナの頭を軽く撫でる。
「俺の後ろに隠れてていいんだからな。無理しないように」
「シャー!」
メルナが威嚇する。
「威嚇すんな」
「お兄ちゃんに守られるほど弱くないし!」
「共鳴しないと意味ないだろ」
「むっ!」
「……すまん」
「許す」
あっさり許された。
そんな二人のやり取りを見て、フィーアは微笑んでいた。
そこへミリアもやってくる。
「ん!」
「どうした?」
「どこ行くの」
メルナが楽しそうに答える。
「冒険だよ!」
「ミリアも行きたい」
「流石にそれは難しいな」
「えぇ……」
ミリアが残念そうな顔をする。
「確かに危ないなぁ」
メルナも少し考える。
するとフィーアがミリアの前にしゃがんだ。
「ミリア様。私とアカマル様と遊びましょう」
「……!」
「アカマル様も一緒ですよ」
「うん!」
ミリアは嬉しそうに頷いた。
「フィーアに任せる!」
「はい。お任せください」
こうしてレイとメルナの冒険が決まった。
◇ ◇ ◇
準備を終えた頃。
「準備できたか?」
「できた!」
メルナは元気よく答える。
「めっちゃ気をつけてね」
ミレーヌは二人を心配そうに見つめる。
「おう。気をつける」
「私がいるから大丈夫!」
メルナが胸を張る。
「大丈夫そうね」
ミレーヌは苦笑した。
グリムは地図を広げる。
「レイ。ここがダンジョンがあると言われている場所だ」
地図には赤い丸が描かれている。
「最近、たくさんの冒険者が向かっているらしい」
「ありがと、父さん」
「おう」
レイは地図を受け取る。
「よし。メルナ、行くか」
「うん!」
「アカマル連れてくか?」
「アカマルちゃんはミリアと遊んでるから無理かな」
少し離れたところを見る。
そこではミリアがアカマルを抱きしめていた。
「ガウ……」
「楽しそうだな」
「たぶん」
レイは笑った。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってきま~す!」
「行ってらっしゃい!」
「頑張ってこい!」
家族に見送られながら、二人は屋敷を出た。
◇ ◇ ◇
「お兄ちゃん、遠いの?」
「まぁ、そこそこに」
歩きながら答えるレイ。
するとメルナが何かを思いついたように手を上げた。
「召喚――不死鳥、フェニックス!」
光が集まり、巨大な翼を持つ不死鳥が姿を現す。
「フェニちゃん、ちょっと乗っていい?」
「キュー!」
「ありがと!」
メルナは嬉しそうにフェニックスの背中へ乗る。
「お兄ちゃん、乗って」
「いいのか?」
「いいよ」
「前に移動するためには呼ばないって言ってなかったか?」
「フェニちゃんがいいって言ったからいいの!」
「……うい」
レイもフェニックスの背中に乗る。
次の瞬間――。
バサァッ!!
巨大な翼が大きく羽ばたいた。
二人の体が一気に空へ持ち上げられる。
「うおっ!」
地面がどんどん遠ざかっていく。
「高すぎだろ~!」
「高いね~!」
メルナは楽しそうに笑う。
「フェニちゃん! このまま真っ直ぐ!」
「キュイー!」
フェニックスは空を一直線に飛んでいく。
その速度は凄まじかった。
森も川も、まるで一瞬のように後ろへ流れていく。
「速いな……」
「でしょ!」
メルナは得意げに笑った。
しばらくすると、目的地が見えてきた。
「あそこじゃない?」
眼下には、冒険者たちが集まっている場所が見える。
「たぶん、あれだな」
レイは地図を確認する。
「ここで間違いない」
「じゃあ降りよう!」
フェニックスがゆっくり高度を下げていく。
二人は地面へ降り立った。
「ありがと、フェニちゃん!」
メルナはフェニックスの首元を撫でる。
「また呼ぶかも! ごめんね、フェニちゃん」
「キュイ!」
フェニックスは嬉しそうに鳴いた。
「仲良いな」
「仲良いよ! フェニちゃんとは!」
「黒蝕姫とは?」
「もちろん仲良い!」
「そうか」
レイは少し笑った。
「まぁ、とりあえず入るか」
「うん!」
二人は目の前にある巨大な入口へ向かう。
そこには、自然にできたとは思えないほど巨大な洞窟が口を開けていた。
周囲には何人もの冒険者がいる。
「ここが……」
レイは入口を見上げる。
「ダンジョンらしき場所か」
普通のダンジョンとは、どこか違う。
入口から感じる魔力も妙だった。
まるで――中から何かがこちらを見ているような感覚。
レイは一瞬だけ立ち止まった。
「お兄ちゃん?」
「……いや」
レイは洞窟の奥を見る。
「なんでもない」
「なら行こう!」
メルナが先に歩き出す。
「うん」
レイもその後を追う。
二人は並んで、未知のダンジョンへ足を踏み入れた。




