46話 日常
「ん……」
レイはゆっくりと目を覚ました。
身体を少し動かしてみる。
「……ん?」
昨日までとは違う。
「少しは楽になったな」
レイはベッドからゆっくりと身体を起こす。
まだ身体は重い。
それでも、以前のように全く動かないわけではない。
「……立てるか?」
レイはベッドに手をつきながら、ゆっくりと立ち上がる。
「よし」
何とか立つことができた。
「動けるようになったが……」
レイは自分の身体を確認する。
「魔力はすっからかんだな」
鬼化の反動は、まだ完全には抜けていない。
それでも、少しずつ身体は回復している。
その時――。
「レイ〜!」
廊下から元気な声が聞こえてきた。
「どうした?」
扉が開く。
「いつ行くの? レイのお家!」
ミリアが嬉しそうに尋ねる。
「そうだな……明日でも行くか」
「うん!」
ミリアは満面の笑みを浮かべる。
「メルナとフィーアに伝えてくる!」
「お、おう」
ミリアはそのまま走っていった。
「……元気すぎだろ」
レイは苦笑した。
「フィーア」
「はい?」
「少し外に行ってくる」
フィーアは少し心配そうにレイを見る。
「分かりました。ですが……もう動けるのですか?」
「なんとかな」
「まだ完全には回復していないでしょう?」
「まぁな」
「くれぐれも無理はしないでくださいね」
「おう」
レイはそう言って部屋を出た。
レイが向かったのは、ラミール王国で一番大きな書房だった。
広い建物の中には、数え切れないほどの本が並んでいる。
「この辺りに……」
レイは本棚を眺めていく。
「……これだな」
手に取ったのは、古い歴史書だった。
表紙には――。
『四災害』
と書かれている。
「四災害……」
レイは本を開く。
そこには、かつてこの世界に災害をもたらした四体の存在について記されていた。
『四災害』
この世界に災害をもたらした四体の存在。
その力は凄まじく、多くの国や人々を恐怖へ陥れた。
――奈落の悪魔・アビス。
その当時の英雄たちを殺し、国を奈落の闇へと落とした。
数多くの国が協力して討伐を試みたが、攻撃はほとんど通用しなかった。
能力の詳細は現在も不明。
二人の英雄によって封印されたとされている。
――破壊の魔神・サグラート。
大国シュベールを覆うほどの巨大な身体を持ち、シュベールを一時間も経たずに崩壊させた。
踏み潰された者。
光線や魔法によって命を奪われた者。
その被害は甚大だった。
しかし、当時の優れた魔導士十五人によってサグラートは魔界へと戻された。
現在も討伐には至っていない。
――龍神。
長大な身体を持つ、謎多き存在。
当時の記録によれば、その全長は約六キロメートルとも言われているが、正確な大きさは不明。
全身を漆黒の鱗が覆っているとされる。
セイント王国を巨大な影が包み、その直後、街は炎に包まれた。
その後もいくつかの国や空で目撃された記録が残っている。
しかし、討伐には至っていない。
現在、その姿は確認されていない。
――終始の魔物。
記録なし。
詳細不明。
目撃情報は存在するものの、姿、能力、出現場所など、ほぼ全てが不明。
「……」
レイは本を閉じる。
「やばいやつの集まりだな」
四体。
どれも一体だけで国を滅ぼしかねない存在。
レイは再び本を開く。
「でも……」
終始の魔物のページを見る。
「なんでこいつだけ、何も記録がないんだ?」
「一つくらいあるだろ」
レイはページをめくっていく。
すると、四災害の記録の後には、魔物や悪魔についての資料が続いていた。
「悪魔には階級があるのか」
下位。
中位。
上位。
最上位。
悪魔の力によって四つの階級に分類されているらしい。
さらにページをめくる。
「……ん?」
レイの目に、見慣れない文字が入った。
『奇形』
「奇形?」
ページを読む。
そこには、こう記されていた。
『奇形』
悪魔でも魔物でもない「何か」。
個体数はほぼ存在しないとされている。
しかし、いつ、どこに現れるのかは一切分かっていない。
その正体も不明。
現在までに確認された奇形は十一体。
いずれも討伐されている。
しかし、奇形の異常性は凄まじい。
七年前に出現した個体は、二つの国が協力してようやく討伐された。
その戦いで失われた兵士の数は数千人を超える。
奇形が何なのか。
どこに生息しているのか。
何を目的としているのか。
それらは一切分かっていない。
ただ、一つだけ判明していることがある。
個体数こそ少ないが、一体一体が非常に強力であり、通常の魔物とは異なる奇妙な動きをする。
魔物を喰らい、時には悪魔すら喰らう。
それによって自らの力を高めていると考えられている。
また、ある冒険者が「上空に裂け目が生じ、そこから奇形が現れた」と証言している。
この証言から、奇形とは――。
『世界の外側から来た存在なのかもしれない』
「……」
レイはしばらく、その文章を見つめた。
「何だ、奇形って……」
四災害とは別の存在。
しかし、世界の外から来た可能性がある。
「……変なのばっかりだな、この世界」
レイは本を閉じた。
書房を出ようとした、その時。
「……ん?」
別の本が目に入った。
「妖怪族?」
レイはその本を手に取る。
ページを開く。
『妖怪族の王――酒呑童子』
百鬼夜行の首謀者。
またの名を――鬼の王。
圧倒的な力を持ち、悪魔との戦争において人間を助けたとされる。
「……」
レイは眉をひそめる。
「酒呑童子、これ合ってるのか?」
「黙れ、小僧」
「いたのかよ」
「最初からいる」
「はいはい」
酒呑童子の声を聞きながら、レイは続きを読む。
そこには、他の妖怪についても書かれていた。
『九尾の狐』
酒呑童子の側近。
九つの尾を持ち、人間の女性に似た姿をしている。
見る者を魅了する美貌を持ち、幻覚を主な能力として使用する。
「まだまだ書いてあるな」
レイは本を眺める。
「酒呑童子」
「何だ」
「これ、本当に合ってるのか?」
「俺は人間を助けたわけではない」
「じゃあ誰を助けたんだ?」
「……」
酒呑童子の声が止まる。
「これ以上聞くな」
「殺すぞ」
「分かった」
レイは素直に本へ視線を戻す。
「でも妖怪族って、酒呑童子だけじゃないんだろ?」
「当たり前だ」
「じゃあ、他の妖怪はどこにいるんだ?」
「知るか」
「お前なら知ってるだろ」
「知ったところで、お前に何になる」
「……確かに」
レイは九尾の狐のページを見る。
「でも、この九尾の狐とは仲良かったんだろ?」
「……」
「もしかして愛人とか――」
「殺すぞ」
「うい」
レイは即座に本を閉じた。
書房から出たレイは、王国の中を歩いていた。
すると――。
「君!」
後ろから声をかけられる。
「ん?」
振り返ると、そこにはギルド長が立っていた。
「君が倒してくれたんだろ? スタンピードのボスを」
「なんだ」
「ありがとな」
「……俺だけじゃない」
「それでもだ」
ギルド長は笑う。
「君と神速の双剣姫が、あの大量の魔物の群れへ突っ込んでいった時は驚いたよ」
「……」
「まさか、本当に全部倒してしまうとはな」
「さぁな」
「話聞いてるか?」
「多分」
「多分って……」
すると――。
「ギルド長!」
聞き慣れた声が響く。
いつもの受付嬢だった。
「何仕事をサボってるんですか!」
「えっ!? いや、その……」
「言い訳は聞きません!」
「え」
「後からものすごい量の書類、全部まとめてもらいますから!」
「は、はい……」
ギルド長がしょんぼりする。
レイは呆れた顔で二人を見る。
「……本当にギルド長なのか?」
「一応……」
受付嬢はレイを見る。
「あ!」
「ん?」
「レイさんですよね?」
「おう」
「見てましたよ! スタンピードでの戦い!」
受付嬢は目を輝かせる。
「今じゃ英雄ですよ!」
「そうか?」
「そうですよ!」
「フィーアの方が英雄って言葉は似合ってると思うけどな」
「英雄は二人いてもいいじゃないですか!」
「まぁ、それもそうだが……」
レイは少し困ったように頭を掻く。
「俺、褒められるの苦手なんだ」
「失礼しました!」
「いや、大丈夫だ」
ギルド長が思い出したように口を開く。
「そういえば、俺たちは君たちにまだ報酬を払っていない」
「いらない」
「いや、受け取ってくれ!」
「だから、いらんって」
「そこをなんとか!」
「いらん」
「頼む!」
「……」
レイはギルド長を見る。
「しつこいな」
そして――。
「じゃあな!」
「おい!」
レイは走り出した。
「待ってくれー!」
「嫌だ!」
ギルド長の声が遠ざかっていく。
「はぁ……はぁ……」
レイは何とか部屋まで戻ってきた。
フィーアが驚いた顔をする。
「レイ様?」
「はぁ……」
「大丈夫ですか?」
「魔力もすっからかんで、体力も完全には戻ってないのに走らせるとか……鬼かよ」
「……?」
「何でもない。こっちの話だ」
「そうですか」
フィーアは少し首を傾げた。
「そういえば、レイ様。屋敷に戻ると聞きましたが、本当ですか?」
「ああ。そのつもりだ」
「夏休みも長いですからね」
「おう」
「奥様も旦那様も喜ばれるでしょうね」
「だな」
レイは少し笑う。
「馬車の護衛、頼む」
「もちろんです」
「今の俺とメルナ、完全に足手まといだからな」
「ふふっ」
フィーアは微笑む。
「お任せください。私はメルナ様とレイ様の護衛兼、教育係ですから」
「そりゃ頼もしい」
レイはベッドに腰掛ける。
そして、ふと思い出す。
「一つ気になってたんだが」
「何ですか?」
「フィーアの能力って、何なんだ?」
「私の能力は――『神速』です」
「……え?」
レイは少し間を置く。
「名前からして速そうだな」
「その通りですよ」
フィーアは微笑む。
「簡単に言えば、非常に速く移動できる能力です」
「待て」
レイはフィーアを見る。
「それに風神も使えるんだろ?」
「はい」
「風神でも速度が上がるんだろ?」
「そうですね」
「……」
レイは遠い目をする。
「速さでは絶対勝てんな」
「速度には自信があります」
「だから『神速の双剣姫』なのか」
「はい」
レイは納得したように頷く。
「明日、家に戻ろうと思う」
「分かりました。馬車を用意しておきます」
「何から何までありがとな」
「気にしないでください」
「あと、フィーア」
「何ですか?」
「四災害って知ってるか?」
「知っていますよ」
「さっき書房に行ったんだ」
「はい」
「終始の魔物について、何も書かれてなかった」
レイは真剣な顔になる。
「何か知らないか?」
「終始の魔物ですか……」
フィーアは少し考える。
「正直、私も知っていることは少ないです」
「外見や能力すら?」
「はい。外見も能力も分かりません」
「……」
「私が知っているのは、終始の魔物が他の三体と比べて、かなり最近の災害だということ」
「最近?」
「はい」
フィーアは頷く。
「レイ様が生まれた後に起こった災害です」
「まじか」
「レイ様が六歳の時に起こったことです」
「思ったより最近なんだな……」
フィーアは少し声を落とした。
「そして、もう一つ」
「何だ?」
「旦那様から聞いた話ですが……」
「おう」
「終始の魔物は、小さな女の子だと言われています」
「……え?」
レイの目が見開かれる。
「小さな女の子?」
「はい」
「人型の魔物ってことか?」
「それも、確かなことではありません」
「……そうか」
レイは考え込む。
「どうして四災害のことを?」
「一応、知っておきたくてな」
レイは呟く。
「奈落の悪魔、破壊の魔神、龍神……そして終始の魔物」
フィーアの表情が少し曇った。
「……実は」
「ん?」
「私の故郷は、龍神によって破壊されました」
「……」
レイは言葉を失う。
「すいません。変な話をしてしまいましたね」
「俺は全然大丈夫だ」
レイは少し迷った。
「……思い出させるようなことを聞くけど」
「はい」
「龍神を……見たのか?」
「見ました」
「……そうか」
「大丈夫ですよ」
フィーアは静かに答える。
「龍神は、とても大きかったです」
「そんなに?」
「はい。私が今まで見た何よりも大きかった」
フィーアは当時を思い出すように目を伏せる。
「何より……漆黒の鱗が怖かったです」
「……」
「本当に、バカみたいに大きかったですよ」
「バカみたいにって……」
レイは苦笑する。
「そんなにでかいのか」
「はい」
フィーアは少し黙った後、レイを見る。
「もし……」
「ん?」
「もし龍神と再び会ったら」
フィーアは静かに言った。
「私は、怒りで我を忘れてしまうかもしれません」
「……」
「ですが、その時は――」
フィーアはレイを見る。
「レイ様かメルナ様が、私を止めてください」
レイは頷いた。
「鬼化を止めてくれたからな」
「……」
「もちろん止めるよ」
フィーアは少しだけ笑った。
「もしもの話ですけどね」
「分かってる」
「そういえば」
フィーアが思い出したように言う。
「レイ様のお友達が来ていますよ」
「……え?」
「お友達です」
「そういえば?」
レイは首を傾げながら、自分の部屋の扉を開ける。
そこには――。
ユージたちがいた。
「レイ!」
「……」
レイは無言で扉を閉める。
「なんで閉める!?」
ユージの声が響く。




