43話 正体
「く、黒い騎士は……?」
メルナが息を切らしながら尋ねる。
フィーアは倒れているレイを確認してから、黒い騎士がいた方へ視線を向けた。
「レイ様が倒したと思いますが……」
フィーアが振り返る。
「……!」
そこには――
黒い騎士が立っていた。
しかし、先ほどまでの姿とは大きく違っている。
鎧はほとんど崩れ、身体を支えることさえ難しそうだった。
それでも黒い騎士は、折れた黒い剣を片手に持っている。
「……倒してきます」
フィーアが小刀を構える。
「フィーア!」
メルナが呼び止めた。
「待って!」
「メルナ様?」
フィーアは振り返る。
「あの黒い騎士は敵ですよ」
「そ、それは分かってる……」
メルナは黒い騎士を見る。
「でも……」
言葉が出てこない。
黒い騎士が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
一歩。
また一歩。
その足取りは、今にも倒れてしまいそうなほど不安定だった。
「……お兄ちゃん」
黒い騎士が止まる。
メルナは確信を持ったように口を開いた。
「お兄ちゃんでしょ」
「……」
黒い騎士は答えない。
ただ、折れた黒い剣を構える。
ルナが慌てて叫ぶ。
「メルナちゃん! そいつはレイなんかじゃないよ!」
「でも……!」
「レイはそこにいるじゃん!」
ルナが倒れているレイを見る。
「レイは気絶してるんだよ!」
メルナは首を横に振る。
「私だって何が起こってるのか分からないよ」
そして黒い騎士を見つめる。
「でも……この人はお兄ちゃんだよ」
「……」
「剣術も、魔力も……雰囲気も全部」
メルナの声が震える。
「全部、お兄ちゃんと同じなんだよ」
黒い騎士は剣を振り上げる。
「……!」
メルナは逃げなかった。
「それ以上動いたら……あなたも死ぬよ」
黒い騎士の身体が僅かに揺れる。
そして――
剣を振り下ろそうとした。
しかし。
その身体は、もう限界だった。
黒い剣が手から落ちる。
カラン……。
黒い騎士の身体が、少しずつ崩れ始める。
「……!」
メルナが目を見開く。
黒い鎧が、まるで光の粒になったかのように消えていく。
「お兄ちゃん……」
メルナが一歩近づく。
「何があったの?」
黒い騎士は答えない。
「教えてよ……」
メルナの目に涙が浮かぶ。
「なんで、お兄ちゃんが二人いるの?」
さらに一歩。
「なんで私達と戦ったの……?」
黒い騎士の身体は、どんどん消えていく。
「お兄ちゃん!」
フィーアも黒い騎士を見つめていた。
そして、何かに気づいたように呟く。
「……そういうことですか」
メルナが振り返る。
「フィーア?」
フィーアは黒い騎士を見た。
「あなたは……違う世界のレイ様ですね」
「……え?」
メルナが目を見開く。
「どういうこと?」
黒い騎士の顔は仮面に隠れている。
それでも――
メルナとフィーアには、その仮面の奥で優しく微笑んでいるように見えた。
「何があって、ここへ来たんですか?」
フィーアが静かに尋ねる。
「お兄ちゃ……」
メルナも声をかけようとする。
だが、黒い騎士はもう立っていることすら難しくなっていた。
「でも……!」
メルナは必死に問いかける。
「そっちの世界にも、私達がいるんでしょ?」
「……」
フィーアは答えない。
「フィーア、何黙ってるの?」
「メルナ様」
フィーアは静かに首を横に振る。
「これ以上は……聞かない方がいいでしょう」
「え……?」
黒い騎士の身体は、もうほとんど残っていない。
「きっと……何か事情があったんですよね」
フィーアが優しく語りかける。
メルナは黒い騎士へ近づく。
「お兄ちゃん……」
そして――
「私を認めてくれて、ありがと」
メルナは涙を浮かべながら微笑んだ。
黒い騎士がゆっくりと背を向ける。
「……!」
メルナが追いかけようとした、その時。
小さな声が聞こえた。
「……傷つけて、悪かった」
メルナの目が見開かれる。
その声は――
確かに、お兄ちゃんの声だった。
「……うん!」
メルナは笑った。
黒い騎士の姿が、さらに薄くなっていく。
兜の奥から、一筋の涙がこぼれた。
それでも黒い騎士は誰にも見られないように顔を伏せる。
そして――
その姿は完全に消えた。
静寂が戻る。
メルナはしばらく、その場所を見つめていた。
「……お兄ちゃん」
フィーアは何も言わず、そっとメルナを見守った。
やがて――
「皆様」
フィーアが声をかける。
「帰りましょうか」
「う、うん……」
ユージも身体を起こす。
「おう……」
アルスも周囲を見る。
「……終わったのか」
ルナは少し俯く。
「私……何もできなかったな」
カナも申し訳なさそうにする。
「私も……足手まといでした」
「私もよ」
セニアも苦笑する。
「でも、みんな生きてる」
フィーアが優しく言う。
「それだけで十分ですよ」
その瞬間――
「メルナーー!」
ミリアがメルナへ駆け寄る。
そして、そのまま抱きついた。
「ミリアちゃん……」
「もうどこにも行かないで!」
メルナは少し驚いたあと、ミリアの頭を優しく撫でる。
「……分かったよ」
「ほんとに?」
「うん。ほんと」
「ガウ!」
アカマルも嬉しそうに鳴きながらメルナへ飛びつく。
「わっ!」
メルナはアカマルを抱きしめる。
「……ほんとにありがと」
その頃、フィーアは倒れているレイを抱き上げていた。
「スタンピードも……止まっているようですね」
ルナが尋ねる。
「じゃあ……黒い騎士がボスだったの?」
「おそらく、その可能性が高いでしょう」
フィーアたちはダンジョンの出口へ向かって歩き始める。
しばらくして、メルナがレイを見る。
「お兄ちゃん……まだ気絶してるの?」
「はい。まだ眠っていますね」
フィーアが答える。
「レイ様の鬼化は、未完成の共鳴のようなものですから」
「そっか……」
メルナは自分の身体を見る。
「私もまだ熱が身体にこもってるし、魔力も全然戻ってないよ」
「共鳴を使ったんですね」
「うん」
「それなら、当分は魔力が回復しませんね」
「少なくとも一週間くらいは戻らないと思う」
「……それほどの力だったということですね」
やがて――
一行はラミール王国へ戻ってきた。
そこでは、スタンピードが止まったことを知った兵士や冒険者、国民たちが安堵していた。
街の外から聞こえていた魔物たちの咆哮もない。
武器を握り締めていた冒険者たちは、恐る恐る顔を上げる。
「……静かだ」
誰かが、ぽつりと呟いた。
その言葉を合図にするように、周囲から少しずつ声が上がっていく。
「魔物が……来ない?」
「まさか……」
「スタンピードが、止まったのか?」
騎士団の一人が、街の外へ目を向ける。
そこには、先ほどまで押し寄せていた無数の魔物の姿はなかった。
ただ、静かな大地が広がっている。
「……報告!」
騎士団長が叫ぶ。
すぐに偵察に出ていた騎士が駆け込んできた。
「国の周辺、異常ありません! 魔物の進行は完全に止まっています!」
その瞬間――。
街全体から、大きな歓声が上がった。
「止まったぞ!」
「スタンピードが終わったんだ!」
「助かった……!」
「生き残った……!」
冒険者たちは、その場に座り込む。
長時間握り締めていた剣を地面に置き、深く息を吐く者。
仲間と肩を叩き合う者。
涙を浮かべながら、無事だった家族のもとへ走っていく者。
騎士たちもまた、張り詰めていた表情を緩めていった。
「……終わったんだな」
「ええ……」
「これだけの規模のスタンピードを……」
一人の騎士が、街の入口へ視線を向ける。
そこには、レイたちが戻ってきていた。
フィーアに抱えられたレイ。
その周囲には、カナ、メルナ、ミリア、ルナ、セニア、ユージ、アルス、ラウス、そしてアカマル。
誰もが疲れ切っている。
それでも、全員が無事だった。
「……あの人たちが」
「え?」
「俺たちが何もできなかった場所で、戦ってくれたんだ」
別の冒険者が、レイたちを見ながら呟く。
「そういえば……あの二人だ」
「二人?」
「レイとフィーアだよ。六千体以上の魔物を……二人で倒したって話だ」
「六千……?」
その数字に、周囲の冒険者たちは言葉を失う。
だが、誰かが小さく笑った。
「……味方でよかったな」
「ああ。本当にそう思う」
やがて、その声は街中へ広がっていった。
「ありがとう!」
「助けてくれてありがとう!」
「本当にありがとう!」
市民たちからも、次々と声が飛んでくる。
子供たちが嬉しそうに手を振り、店の主人たちは店先から顔を出す。
恐怖に震えていた人々の顔には、少しずつ笑顔が戻っていった。
メルナはそんな光景を見ながら、ふっと笑う。
「……終わったんだね」
カナも静かに頷いた。
「はい……」
そして、フィーアに抱えられて眠っているレイへ目を向ける。
「レイさんも……本当に頑張りましたね」
フィーアは小さく微笑む。
「ええ。少し、頑張りすぎですけどね」
その言葉に、ユージが苦笑する。
「それはいつものことだろ」
「確かに」
アルスも頷く。
「レイらしいと言えば、レイらしいな」
メルナは少しだけ呆れたように笑った。
「……ほんと、バカ兄貴」
その声には、いつものような怒りはなかった。
ただ、無事に帰ってきた兄への安堵が込められていた。
ラミール王国を覆っていた恐怖は、ようやく消えた。
長かった戦いは終わった。
街には、久しぶりの静けさが戻っていた。
「……終わったんだ」
「魔物が来ない……」
「助かった……」
フィーアは皆を見る。
「それでは、皆さん。また」
「また!」
皆がそれぞれ返事をする。
ミリアはメルナの服の袖を掴んだ。
「一緒に帰る!」
「わ、分かったよ」
「ほんとに!?」
「ほんとだって」
「やった!」
「ガウ!」
アカマルも嬉しそうに鳴く。
メルナは二人を見て笑った。
「……これからも、よろしくね」
フィーアが微笑む。
「私たちも帰りましょうか」
「……あの」
カナが小さく手を挙げる。
「どうしました?」
「私も……ついて行っていいですか?」
「もちろんですよ」
「えっ?」
メルナがカナを見る。
「どうしたの、カナちゃん?」
「い、いえ……何も」
ミリアが笑顔で手を伸ばす。
「一緒に帰ろ!」
「は、はい」
カナは小さく笑った。
長い一日がようやく終わった




