38話 共鳴
黒い騎士が、ゆっくりと歩き始めた。
――カツン。
靴音が、広大な空間に響く。
――カツン。
一歩。
また一歩。
そのたびに、メルナたちの身体が強張っていく。
カイネルたちを一瞬で倒した存在。
その黒い騎士が、今度はこちらへ向かってきている。
「……」
メルナは動けなかった。
怖い。
単純に、怖かった。
目の前にいるだけで分かる。
――勝てない。
今まで戦ってきた魔物とは、何もかもが違う。
魔力量。
速度。
威圧感。
そして――あの動き。
カイネルたちが攻撃した瞬間、何が起きたのかすら見えなかった。
「……来る」
カナが小さく呟く。
黒い騎士は止まらない。
そして――。
ルナの前で、ぴたりと立ち止まった。
「……え?」
ルナが顔を上げる。
黒い騎士の赤い瞳が、ルナを見つめている。
「や……」
ルナの身体が震える。
「やだ……」
逃げなければ。
そう思っている。
けれど――足が動かない。
「セニア……」
「……分かってる」
セニアも震えていた。
「助けないと……」
拳を握る。
「助けないとなのに……」
それでも身体が動かない。
「体が……動かない……」
黒い騎士が、剣を持つ腕をゆっくりと動かした。
「……!」
カナが息を呑む。
次の瞬間。
黒い騎士の剣が、一閃した。
「――え?」
ルナの身体が大きく弾かれる。
「ルナちゃん!」
セニアが叫ぶ。
ルナはその場に倒れ込んだ。
「ルナちゃん!」
カナも駆け寄ろうとする。
しかし――。
黒い騎士が、すでにこちらを向いていた。
「……!」
カナの足が止まる。
セニアがルナを抱き起こす。
「ルナちゃん! しっかりして!」
「……う……」
ルナは苦しそうに目を開ける。
「セニア……ちゃん……」
「大丈夫。大丈夫だから!」
そう言いながらも、セニアの声は震えていた。
目の前の黒い騎士は、何事もなかったかのように立っている。
「……」
セニアはルナを見る。
そして、黒い騎士を見る。
怖い。
逃げたい。
でも――。
「……うわぁぁぁ!!」
セニアは恐怖を振り払うように叫んだ。
「想像力!」
セニアの周囲に魔力が集まる。
「台風!!」
轟音。
セニアを中心に巨大な風が巻き起こる。
渦を巻いた風が黒い騎士へ襲い掛かり、その身体を押し流そうとする。
「い、今!」
セニアはルナを抱える。
「逃げるわよ!」
しかし――。
黒い騎士は。
一歩。
歩いた。
「……え?」
もう一歩。
さらに一歩。
「う、嘘……」
猛烈な風の中を。
まるで何も感じていないかのように。
黒い騎士は歩いてくる。
「も、もっと!」
セニアは必死に魔力を込める。
「もっと強く……!」
風がさらに激しくなる。
それでも――。
黒い騎士は止まらない。
「なんで……!」
セニアの顔から汗が流れる。
「なんで効かないのよ!」
その時。
「私も!」
カナが前へ出た。
「炎魔法――」
両手に炎が集まる。
「ファイアローズ!」
無数の炎の花弁が舞い、黒い騎士へ一斉に飛んでいく。
爆発。
炎が黒い騎士を包み込む。
「……!」
カナは息を呑む。
「どうですか……?」
炎が消えていく。
しかし。
黒い騎士には、ほとんど変化がなかった。
「……な、何で」
カナの声が震える。
「私の魔法が……」
「カ、カナちゃん!」
セニアが叫ぶ。
「攻撃をやめたら……ダメ……!」
しかし――。
「え?」
カナが振り返る。
「セニアちゃん……?」
セニアの隣。
そこに、黒い騎士が立っていた。
「……いつの間に」
セニアは呟く。
そして次の瞬間――。
セニアの体を黒い剣が貫いた
「セニアちゃん!」
ルナを抱えたまま、セニアがその場に倒れる。
「セニアちゃん!」
カナが駆け寄ろうとする。
しかし。
「それ以上、近づいたらダメ!」
メルナだった。
メルナがカナの腕を掴み、引き止める。
「メルナちゃん……!」
「近づいちゃダメ!」
メルナの声は震えていた。
自分だって怖い。
足が震えている。
心臓が激しく鳴っている。
それでも――。
「こ、怖いし……足も震えて動かない」
メルナは黒い騎士を見つめる。
「でも……戦わないと死ぬ」
「……」
カナが息を呑む。
メルナは後ろにいるミリアを見る。
ミリアは震えながらメルナの服を握っていた。
「ミリアちゃん」
「……!」
「少し後ろにいて」
「で、でも……」
「大丈夫だから」
メルナは笑おうとした。
けれど、上手く笑えない。
「……私が何とかする」
「メルナ……」
「カナちゃん」
メルナが振り返る。
「ルナちゃんとセニアちゃんをお願い」
「メルナちゃんはどうするの!?」
「……一つだけ策があるの」
「策……?」
メルナは黒い騎士を見る。
「あいつに勝てるかは分からない」
一度、深呼吸する。
「でも……これしかない」
カナはメルナの目を見る。
そこには、恐怖があった。
それでも。
逃げないという意思もあった。
「……分かりました」
カナは頷く。
「信じます」
「……ありがとう」
メルナが空を見上げる。
「不死鳥召喚!」
その瞬間。
炎が空中に集まった。
巨大な翼。
燃え盛る身体。
不死鳥――フェニックスが姿を現す。
「……!」
フェニックスは大きく翼を広げる。
そして、ルナとセニアのもとへ降りてくると、二人を安全な場所へ運ぶ。
「ありがとう、フェニックス」
不死鳥が小さく鳴いた。
「カナちゃん!」
「はい!」
カナはすぐに二人へ駆け寄る。
「回復魔法!」
淡い光がルナとセニアを包み込む。
「お願い……!」
傷ついた二人の身体が少しずつ回復していく。
メルナはそれを確認すると、黒い騎士へ向き直った。
「……」
黒い騎士は待っていた。
まるで。
メルナが何をするのか見定めているように。
「……奥の手を渋ってたら」
メルナは拳を握る。
「私が死ぬ」
魔力が身体中を駆け巡る。
「なら――」
深く息を吸う。
「3分以内に決着をつける!」
黒い騎士が動いた。
メルナへ向かって歩いてくる。
「……来い」
メルナも構える。
「私も……!」
不死鳥が翼を広げる。
そして――。
「共鳴!!」
炎が弾けた。
フェニックスの身体が巨大な炎となり、メルナの中へ吸い込まれていく。
「――ッ!」
凄まじい魔力が解放された。
炎がメルナの身体を包む。
髪が赤く染まり、背中から炎でできた二枚の翼が広がる。
その姿は、まるで炎そのもの。
「……」
メルナが目を開く。
先ほどまでの恐怖に震えていた少女とは違う。
「……行くよ」
黒い騎士へ向かって走る。
一瞬で距離を詰める。
「はぁぁぁ!」
拳に炎を纏わせる。
黒い騎士も剣を振るう。
――ガンッ!!
炎を纏った拳と黒い剣がぶつかる。
衝撃が周囲へ広がる。
「ぐっ……!」
メルナは押し返される。
しかし――。
「まだ!」
再び踏み込む。
拳。
蹴り。
炎の翼による突進。
黒い騎士も剣を振るい、それを次々と受け止める。
「速い……!」
カナが驚く。
先ほどまで、黒い騎士の動きは見えなかった。
しかし今は。
「メルナちゃんが……追いついてる」
メルナの動きは、黒い騎士と互角に近い。
「焼滅の環!」
メルナが両手を広げる。
巨大な炎の輪が展開された。
直径約15メートル。
その内部を凄まじい熱が満たしていく。
「焼き尽くせ!」
炎の輪が黒い騎士を包み込む。
黒い騎士が初めて大きく後退した。
「効いてる!」
メルナが叫ぶ。
「まだ!」
さらに炎を強める。
しかし――。
黒い騎士が炎の中から飛び出した。
「……!」
次の瞬間。
黒い剣がメルナを襲う。
「うっ!」
メルナの身体に深い傷が刻まれる。
だが――。
「……!」
炎が傷を覆う。
瞬く間に元へ戻っていく。
「私の再生能力は……」
メルナが息を整える。
「3分間なら、絶対に止まらない!」
再び黒い騎士へ突っ込む。
「熱核閃!!」
両手を前へ突き出す。
膨大な熱が一点へ集中する。
そして――。
「撃ち抜け!」
超高密度の熱線が放たれた。
「……!」
黒い騎士が初めて両腕を前へ出す。
熱線が直撃する。
空間そのものが赤く染まった。
「流石に……」
メルナが歯を食いしばる。
「これには耐えられないんだね!」
黒い騎士の黒い鎧が、少しずつ熱に侵されていく。
「このまま!」
さらに魔力を込める。
「溶かしきる!」
だが。
黒い騎士が剣を振った。
「……!」
熱線が大きく乱れる。
「ッ!」
メルナが距離を取る。
「熱線を……斬った?」
黒い騎士が迫ってくる。
「……!」
メルナは拳を握った。
「まだ!」
炎を纏い、再び突撃する。
黒い騎士の剣が振られる。
メルナは避ける。
炎の拳を叩き込む。
黒い騎士も反撃する。
斬撃。
炎。
衝撃。
二人の戦いによって、周囲の床が次々と砕けていく。
「うっ……!」
メルナが吹き飛ばされる。
しかし、すぐに立ち上がる。
「痛い……」
息を切らしながら笑う。
「即再生はできるけど……痛いな、やっぱり」
そして再び構える。
「でも……負けない!」
黒い騎士が迫る。
メルナも走る。
「灼熱の檻!」
炎の球体が黒い騎士を包み込んだ。
「今度こそ!」
内部の温度が一気に上昇する。
黒い騎士が剣を振る。
しかし、炎の結界によって動きが制限される。
「逃がさない!」
さらに炎を強める。
「もっと……!」
黒い鎧が熱にさらされていく。
「今がチャンス!」
メルナが両手を前へ突き出す。
「熱核閃!」
極限まで高められた熱線が放たれる。
灼熱の檻と熱核閃。
二つの炎が重なり、黒い騎士を包み込む。
「もっと!」
メルナの翼が大きく広がる。
「もっと高く!」
さらに熱量を上げる。
「これで――!」
空間が白く染まった。
「終わり!」
――ドォォォン!!
大爆発。
熱風が周囲を駆け抜ける。
床が揺れ、壁が震える。
やがて――。
静かになった。
大量の蒸気が発生し、視界を覆い尽くす。
「……」
メルナは肩で息をする。
「はぁ……はぁ……」
身体から力が抜けていく。
「もう……限界……」
炎の翼が消える。
「共鳴……解除……」
メルナの身体から炎が消えた。
「……熱い」
その場に膝をつく。
「熱暴走……やっぱり熱い……」
共鳴状態が終わった瞬間。
身体の中に蓄積されていた余剰熱が一気に押し寄せる。
さらに、魔力もほとんど残っていない。
「……身体、動かない」
メルナはそのまま横へ倒れ込んだ。
「ギリギリ……勝ったかな……」
カナが駆け寄る。
「メルナさん!」
「……ん?」
「す、すごいです!」
カナの顔には驚きと安堵が浮かんでいる。
「黒い騎士と……互角に戦って……」
メルナは弱々しく笑う。
「そうかな……」
「はい!」
「……そっか」
メルナは目を閉じかける。
「なら……よかった……」
――その時。
「……?」
カナが何かに気付いた。
「……あれ?」
蒸気の向こう。
何かが立っている。
「……」
メルナもゆっくり目を開ける。
「……嘘」
蒸気が少しずつ晴れていく。
そこに見えたのは――。
一本の黒い剣。
そして。
その剣を握る、巨大な影。
「まさか……」
メルナの顔から血の気が引く。
蒸気が完全に晴れる。
「……」
黒い騎士が立っていた。
「……え」
カナが呟く。
「嘘……」
メルナは目を見開く。
確かに。
黒い鎧は溶けていたはずだった。
確実に効いていた。
なのに――。
その黒い鎧は。
何事もなかったかのように再生していた。
「な……」
メルナの声が震える。
「なんで……?」
黒い騎士の赤い瞳が、再び光る。
そして――。
一歩。
ゆっくりと。
メルナたちへ近づいてきた。
メルナは動けない。
もう魔力はほとんど残っていない。
共鳴も解除された。
「……嘘でしょ」
その言葉だけが、静かな空間に響いた。
黒い騎士は止まらない。
「……まだ、終わってないの?」
メルナは震える手を地面につき、必死に身体を起こそうとする。
しかし――。
身体が動かない。
「……くそっ」
黒い騎士の足音が近づく。
――カツン。
――カツン。
メルナはその音を聞きながら、必死に拳を握った。
そして――。
「……私、まだ……」
赤い瞳が、メルナを見下ろす。
「……負けてない」
その瞬間。
黒い騎士が剣を構えた。




