35話 向き合う
翌日。
昼過ぎ。
宿の部屋で身支度を終えたメルナは、窓の外を見た。
「……今日こそ、ダンジョンに行こう」
昨日は色々なことがありすぎた。
兄と話したこと。
自分の気持ちを全部吐き出したこと。
そして、逃げたこと。
考えれば考えるほど胸が苦しくなる。
だからこそ、今は何かをしていたかった。
「……強くならないと」
メルナは小さく呟き、宿を出た。
そのまま街を歩いていると――。
「あっ!」
聞き覚えのある声がした。
「メルナさん!」
振り返る。
そこにはカナ、ルナ、セニアの三人がいた。
「お久しぶり〜」
「メルナさん、一緒に遊びません?」
「えっ……」
メルナの足が止まる。
「い、いや、その……」
――なんで。
また。
どうして毎回、私が何かしようとすると……。
「大丈夫?」
ルナが心配そうに顔を覗き込む。
「なんか顔色悪いよ?」
「とりあえず、水を飲んだ方がいいんじゃないかしら」
セニアも心配そうに言う。
「だ、大丈夫です!」
メルナは笑った。
「本当に大丈夫ですから!」
――いつもの笑顔。
作り慣れた笑顔。
けれど、カナは何も言わず、じっとメルナの顔を見ていた。
「……な、何ですか?」
「……」
カナがゆっくり近づく。
そして、メルナの耳元で小さく囁いた。
「目が少し腫れています」
「……」
「それに……涙の跡も残っています」
メルナの表情が固まった。
「……そんなこと……ない……」
「ありますよ」
カナは優しく微笑んだ。
責めるような目ではない。
ただ、心配している目だった。
「悩み事があるなら、いつでも相談してくださいね」
「……」
「人に話した方が、少し楽になることもありますから」
「だ、大丈夫ですから……」
メルナはまた笑った。
「本当に、大丈夫です」
ルナがメルナの顔を見る。
「一人で抱え込むのは辛いよ」
セニアも頷く。
「何かあったなら、いつでも話してくれて構わないわ」
「……」
メルナの喉が詰まる。
言いたい。
本当は言いたい。
――お兄ちゃんが嫌い。
――でも、本当は嫌いになりきれない。
――ずっと比べられるのが苦しかった。
――自分の居場所が分からない。
言葉にしようとする。
しかし――。
「……っ」
喉がぎゅっと締まる。
声が出ない。
「……は、はい」
なんとか声を絞り出す。
「でも……大丈夫ですので」
笑う。
また、作り笑顔。
カナは何も言わなかった。
ただ、ずっとメルナを包み込むような優しい目で見ていた。
それが余計に苦しかった。
「……それじゃ」
メルナは頭を下げる。
「私は用事がありますので……」
そして、逃げるようにその場を離れた。
「メルナさん……」
カナがその背中を見つめる。
「……何かあったね」
ルナが呟く。
「ええ」
セニアも頷いた。
「ですが、今は追わない方がいいでしょう」
三人は、遠ざかるメルナを静かに見送った。
◆
「……誰かに話したところで、楽になんてならない」
街を歩きながら、メルナは呟いた。
「……ダンジョンに行こう」
今は余計なことを考えたくない。
戦っている間だけは、何も考えなくて済む。
メルナはそのままダンジョンへ向かった。
◆
ダンジョン内部。
「……!」
一匹のゴブリンがメルナへ飛びかかる。
「遅い!」
メルナは身体を捻って攻撃を避ける。
しかし――。
「……速い」
普段のゴブリンとは明らかに違う。
攻撃速度も、力も、動きも。
すべてが強化されている。
「これが……凶暴化」
ゴブリンが再び襲いかかる。
「召喚――」
メルナが手を掲げる。
「不死鳥!」
巨大な炎と共に、不死鳥が姿を現した。
「行って!」
不死鳥が翼を広げる。
次の瞬間。
炎の奔流がダンジョンを駆け抜け、ゴブリンたちを一掃した。
「……」
メルナはその光景を見つめる。
「こんな魔物たちが、スタンピードで一斉に地上へ出てくる……」
想像する。
何千体。
いや、何万体。
街へ押し寄せる魔物たち。
「……危ない」
メルナは拳を握った。
「やっぱり……私が強くならないと」
不死鳥と共に、メルナはさらに奥へ進んでいった。
次々と現れる魔物を倒していく。
一体。
また一体。
そして、さらに奥へ。
「もっと……」
メルナは戦い続けた。
「もっと強く……!」
◆
――レイ視点。
昨日。
メルナは寮に帰ってこなかった。
そして今日になっても、まだ戻っていない。
レイはソファに座りながら、昨日のことを何度も思い返していた。
「……」
――お父さんとお母さんは、お兄ちゃんの話ばかりしている。
――私は所詮、お兄ちゃんの劣化物。
――私は誰にも必要とされていない。
その言葉が頭から離れない。
「……」
レイは目を閉じる。
俺には、メルナがそんなことを考えていたなんて想像もできなかった。
そして、一つだけ伝えられなかったことがある。
「……父さんも母さんも、フィーアも……」
レイは呟く。
「メルナのこと、ちゃんと見てたんだけどな」
父と母は、レイにメルナの話をしていた。
メルナが最近頑張っていること。
メルナができるようになったこと。
メルナがどんなことを考えているのか。
だからレイは――。
メルナは、自分と同じように家族から愛されていると思っていた。
いや。
それ以上に。
妹は家族に大切にされていると思っていた。
「……俺は、何も分かってなかった」
レイは俯く。
「俺たち……仲良くできてたと思ってたんだけどな」
でも違った。
少なくともメルナの中には、ずっと別の感情があった。
「……俺はどう接すればいいんだ」
その時。
フィーアが声をかけた。
「レイ様」
「ん?」
「メルナ様について、何か知っていることはありませんか?」
フィーアの表情は心配そうだった。
「昨夜から戻ってきていませんので……」
「……分からない」
レイは首を振る。
「どこにいるのか、俺にも分からない」
「そうですか……」
フィーアが俯く。
その時――。
「ガウ! ガウガウ!」
アカマルが突然鳴き始めた。
「……どうすればいいって言うんだよ」
レイがアカマルを見る。
「ガウ!」
「メルナは俺のことが嫌いなんだ」
「ガゥ!」
「会いに行ったところで、話なんて聞いてくれないだろ」
「ガゥ……」
「俺じゃ、メルナを助け出せない」
レイは苦しそうに呟く。
「逆に俺が行ったら……また負の感情を増やすだけだ」
「……クゥン」
アカマルが寂しそうに鳴いた。
その時――。
「レイ!」
ミリアが駆けてきた。
「メルナは?」
「……分からない」
「探そ」
「……」
「探そ!」
ミリアはレイの手を掴む。
「探したところで……」
レイは言葉を濁す。
「俺は……」
「ん」
ミリアはレイの膝の上に座った。
「……?」
「私、ここの皆好き」
「……おう」
「レイは助けてくれた」
「……」
「メルナは親しくしてくれた。楽しかった」
「……」
「フィーアも元気にしてくれた」
「……」
「アカマルは可愛い」
「ガウ」
アカマルが小さく鳴く。
「私、皆好き」
ミリアはレイを見る。
「だから……離れ離れ、やだ」
レイはしばらく黙っていた。
そして、静かに笑う。
「……そうだよな」
「ん」
「俺も好きだ」
ミリアが首を傾げる。
「この何気ない日常がな」
「……」
「朝起きて、飯食って、くだらないことで笑って……」
レイは部屋を見渡した。
「そういうのが、一番大事なのかもしれないな」
「ん」
「……なぁ、ミリア」
「?」
「昨日、何があったのか話すか?」
「うん」
フィーアも静かに頷く。
「私も聞いてよろしいですか?」
「おう」
レイは昨日の出来事を、二人に話した。
メルナとの言い争い。
メルナが抱えていた思い。
そして――。
「私はお兄ちゃんが嫌い」
という言葉。
話し終えると、部屋に沈黙が落ちた。
「……そんなことがあったんですね」
フィーアが呟く。
「メルナは、そんなこと言わないと思う」
ミリアが言う。
「……言ったんだよ」
「んー……」
「本当に言った」
ミリアは納得できないような顔をする。
フィーアは少し考えた。
「メルナ様の言ったことは、本当なのでしょうね」
「……だよな」
レイは俯く。
「俺のことが嫌いってことだよな」
「……」
「俺が仲良くできてたと思ってたのは……全部嘘だったのか?」
フィーアは首を横に振る。
「嘘だったかもしれません」
「……」
「ですが、すべてが嘘だったわけではないと思います」
「どういうことだ?」
「家族で一緒に過ごしていた時、メルナ様が本当に楽しそうにしていたことを私は何度も見ています」
「……」
「笑顔まで、すべて作り物だったというなら――」
フィーアは少しだけ寂しそうに笑った。
「私まで欺かれていたことになりますね」
レイは黙り込む。
「私は、そうは思いません」
「……」
「メルナ様はレイ様を嫌っているのかもしれません」
「……」
「ですが、それと同時に、レイ様を尊敬しているのだと思います」
レイが顔を上げる。
「尊敬?」
「ええ」
「……だとしても」
レイは苦笑した。
「嫌いってことは変わらないだろ」
「そうですね」
「だったら……」
レイは言葉を止める。
「……俺が悪いのかな」
「いいえ」
フィーアははっきりと言った。
「これは誰が悪い、という話ではありません」
「……」
「メルナ様が抱えていた苦しみも本物です。レイ様がメルナ様を大切に思っていたことも本物です」
「……」
「だからこそ、簡単には答えが出ないのでしょう」
「悪くない!」
ミリアが突然言う。
レイがミリアを見る。
「……おう」
ミリアは小さな拳を握った。
「皆、悪くない!」
レイは少しだけ笑った。
「……そうだな」
◆
――その頃。
ダンジョンから戻ってきたメルナは、冒険者ギルドへ向かっていた。
ギルド内は、昨日以上に騒がしい。
「何かあったんですか?」
受付嬢が振り返る。
「あ、メルナさん!」
「何かあったんですか?」
「スタンピードへの進行が、予想より早くなっているようなんです」
「……そうなんですか」
メルナの表情が険しくなる。
「どれくらい?」
「正確にはまだ分かりませんが……」
受付嬢は答える。
「一週間以内に起こる可能性が高いです」
「……分かりました」
メルナは持っていた袋を受付へ置く。
「こちらをお願いします」
「これは……」
中には大量の魔石と魔物の素材が入っていた。
受付嬢は目を丸くする。
「す、すごい量ですね……!」
「今日、ダンジョンで倒してきました」
「一人で……?」
「はい」
受付嬢は驚きながらも、魔石と素材を査定する。
しばらくして、メルナは報酬の硬貨を受け取った。
「ありがとうございます」
「こちらこそ……」
メルナは硬貨をしまう。
「スタンピードは……いつ頃ですか?」
「先ほどもお伝えした通り、恐らく一週間以内です」
「……分かりました」
メルナはギルドを出た。
外へ出た瞬間――。
「ん!」
「……?」
メルナの前に、ミリアが立っていた。
「ミリアちゃん……?」
ミリアがメルナの服の袖を掴む。
「帰ろ?」
「……」
メルナは目を逸らす。
「……ごめんね」
そっとミリアの手を離す。
「え……?」
「私は……帰れない」
「やだ」
ミリアが再び袖を掴む。
「離さない」
「ミリアちゃん……」
「なんで……?」
メルナは俯いた。
「お兄ちゃんに……合わせる顔がない」
「そんなことない!」
「……あるんだよ」
「ない!」
「ミリアちゃんには分からないよ」
「分かる!」
「……」
「メルナ、必要!」
メルナの胸が締め付けられる。
「……それは、嬉しいよ」
「じゃあ帰ろ?」
「でも……もう無理かな」
メルナは寂しそうに笑った。
「私には帰る場所がないから」
「……」
「しばらく一人で過ごすよ」
「んっ!」
「日が暮れる前に帰った方がいいよ」
メルナはミリアの頭を撫でる。
「危ないから」
「メルナが一緒に帰るって言うまで帰らない!」
「……」
メルナは困ったように笑った。
「ごめんね」
そして、そっと手をかざす。
「睡眠魔法」
淡い魔力がミリアを包む。
「……ん」
ミリアの瞼がゆっくり閉じる。
メルナは眠ったミリアを抱き留める。
「フィーア、お願いね」
すると――。
「……バレていましたか」
路地裏からフィーアが姿を現した。
「まぁね」
メルナは苦笑する。
「魔力探知も、だいぶ上手くなってきたんだ」
「そうでしたか」
フィーアは眠っているミリアを見る。
「……メルナ様」
「なに?」
「本当に、帰ってこないのですか?」
メルナは答えなかった。
フィーアは続ける。
「レイ様から聞いたのであれば、もうご存じなのでしょう?」
「……」
「私たちがメルナ様を心配していることも」
メルナは顔を逸らす。
「……それじゃあね、フィーア」
背を向ける。
「メルナ様」
「……?」
「私たちは、いつでも待っていますから」
メルナの足が止まる。
「……ッ」
何か言おうとする。
でも、言葉にならない。
メルナはそのまま歩き出した。
早足で。
「……また逃げちゃった」
誰にも聞こえない声で呟いた。
◆
寮。
「おかえり、フィーア。ミリア」
レイが顔を上げる。
「ただいまです」
「ミリアは寝てるのか?」
「はい。眠っています」
「そっか」
レイはミリアを見る。
「……疲れたんだろうな」
「そうですね」
フィーアはミリアを寝かせる。
「レイ様も休んでください」
「おう」
フィーアとミリアが部屋から出ていく。
一人になったレイは、静かに目を閉じた。
――精神世界。
「よっ、久しぶりだな。酒呑童子」
「何の用だ、小僧」
「ほら」
レイは酒とつまみを差し出す。
「酒とつまみ」
「……」
酒呑童子はニヤリと笑った。
「よく分かっているじゃないか」
「おう」
酒呑童子は酒を飲む。
「で?」
「ん?」
「何の話だ」
「……まぁ、メルナの話」
「お前の小娘か」
「ああ」
レイは少し考える。
「酒呑童子から見て、メルナってどう思う?」
「中々に面白い奴だ」
「そうか」
「潜在能力だけなら、小僧より上だ」
「……」
レイは苦笑する。
「やっぱりか」
「何を今さら」
「いや、まぁ……」
レイは酒呑童子を見る。
「もう一つ聞きたい」
「何だ」
「お前は知ってたか?」
「何を」
「メルナが俺のことを嫌いだったこと」
酒呑童子は即答した。
「知るか。俺に関係ない」
「だよな」
レイは苦笑した。
「……俺、妹のこと何も分かってなかったんだな」
酒呑童子は酒を飲みながら、レイを見る。
「小僧」
「ん?」
「いずれ小娘に抜かれるぞ」
「そんなこと俺も分かってる」
「……」
「俺は特別強いわけじゃない」
レイは自分の手を見る。
「酒呑童子、お前がいなかったら俺なんて大したことない」
「……」
「そんな俺が、努力してるメルナに勝ち続けられるわけないだろ」
「ハハハハッ!」
酒呑童子が笑う。
「お前、弱気な奴だな!」
「まぁ、弱いのは事実だし」
酒呑童子の笑いが止まる。
そして――。
「……小僧」
低い声。
「俺の力を使って負けることは、俺が許さん」
「……」
「俺の名を背負うなら、もっと強くなれ」
レイは少しだけ笑う。
「分かってるよ」
立ち上がる。
「じゃあ、もう戻るわ」
「待て」
「ん?」
酒呑童子はレイを見る。
「一つ教えてやる」
「何だよ」
「俺が小僧を選んだ理由は、器としての適性だけではない」
レイが振り返る。
「……?」
「小僧」
酒呑童子は酒を置く。
「お前なら、この馬鹿げた世界を変えられると思った」
「……」
「だから協力してやったんだ」
「……つまり」
レイは目を丸くする。
「俺に期待してたってことか?」
「知るか」
「初めて酒呑童子に褒められたな」
レイが笑う。
「褒めていない。罵倒だ」
「はいはい」
レイは笑いながら背を向ける。
「……でも、少し自信ついたわ」
「小僧」
「ん?」
「少し褒めてやったんだ」
酒呑童子がニヤリとする。
「お前のことを教えろ」
「何だ?」
「小僧がずっと隠している能力だ」
「……そこ気になるのかよ」
「教えろ」
「俺の能力は――」
レイは少し考える。
「……また今度な」
「ぶっ殺すぞ、小僧」
「そんな怒んなよ」
レイは笑う。
「ただ、名前くらいは教えてやる」
酒呑童子が身を乗り出す。
「俺の能力は――」
「……」
レイが自分の能力の名を告げる。
酒呑童子は眉をひそめた。
「……何だ、それは?」
「まぁ、そんなに考えすぎるなよ」
「は?」
レイは笑う。
「じゃあ、またな」
「待て小僧!」
酒呑童子の声を背に、レイの意識が現実へ戻っていく。
◆
「……戻ってきたか」
レイは目を開ける。
部屋は静かだった。
「……」
メルナはいない。
ミリアは眠っている。
フィーアも休んでいる。
いつもなら、そこにメルナがいる。
くだらないことで笑ったり。
アカマルを取り合ったり。
そんな何気ない時間があった。
「……」
レイは窓の外を見る。
「……ちょっと頑張るか」
何をすればいいのかは、まだ分からない。
どうすればメルナに自分の気持ちを伝えられるのかも分からない。
それでも。
「妹に嫌われたままってのは……やっぱ嫌だな」
レイは立ち上がった。
「俺の正義を変えるか」
「向き合うか」
その頃。
遠く離れた場所で――。
メルナもまた、同じ空を見上げていた。
兄と妹。
二人の間にできた溝は、まだ埋まっていない。




