34話 すれ違い
それから、五日。
「……」
「……」
寮の部屋には、気まずい空気が流れていた。
レイとメルナは、ほとんど口を聞いていない。
同じ部屋にいることはあっても、視線が合えばどちらかが逸らす。
食事の時も、メルナは必要なことしか話さない。
「……レイ様」
フィーアが心配そうにレイを見る。
「大丈夫ですか?」
「……もうやばいな」
レイはソファに座ったまま、遠い目をしていた。
「五日だぞ。五日」
「そうですね……」
「俺、ここまで妹に無視されたことないんだけど」
「私も初めて見ました」
「だろ?」
レイはため息を吐く。
「メルナ様は、どこへ行ったのですか?」
「分からん。アカマルを連れて外に行った」
レイは部屋を見回す。
「ミリア、メルナがどこに行ったか知ってるか?」
「ううん」
ミリアは首を横に振った。
「そうか……」
レイは再びため息を吐いた。
――その頃。
街中を、メルナは一人で歩いていた。
隣には、小さくなったアカマルがいる。
「……ほんと最悪、お兄ちゃん」
「ガゥ」
「覗き見するし」
「……」
「ぐうたらな性格だし」
アカマルが小さく首を傾げる。
「それに……」
メルナは少し俯いた。
「自分の力を人のために使わないのも……面倒くさいからでしょ、どうせ」
「ガゥ……」
「アカマルちゃんもそう思うよね」
「……クゥン」
アカマルはどこか困ったような声を出した。
メルナはその頭を撫でる。
「……でも」
少しだけ表情が真剣になる。
「お兄ちゃんがやらないなら、私がやる」
「ガウ?」
「少なくとも、スタンピードを止めるための力にはなれるはず」
メルナは拳を握った。
「私だって冒険者なんだから」
そのままメルナは、冒険者ギルドへ向かった。
◆
「すみませーん」
「あ、はい!」
受付嬢が顔を上げる。
そしてメルナを見るなり、ぱっと笑顔になった。
「あっ! 覚えてますよ! メルナさんですよね!」
「はい!」
「今日はどうしましたか?」
「ダンジョンについて教えてもらえますか?」
「ダンジョン……ですか?」
受付嬢の表情が少し曇る。
「実は現在、ダンジョン内で魔物の凶暴化が確認されています」
「うん。知ってる」
「そして、スタンピードが一週間以内に発生する可能性が高いと予測されています」
「……一週間以内」
メルナは静かに呟く。
「なので、今はあまりダンジョンに入らない方がいいですよ」
「ダンジョンは封鎖されてないんですか?」
「まだです。ただ、状況によっては封鎖される可能性があります」
「そうですか」
メルナは少し考える。
「教えてくれてありがとうございます」
「いえいえ」
受付嬢は心配そうにメルナを見る。
「……もしかして、一人でダンジョンに行くんですか?」
「一人ではないので」
メルナは隣にいるアカマルを見る。
「この子がいますから」
「ガウ」
受付嬢は少し苦笑した。
「そういう意味ではないんですが……」
「分かってます」
メルナは笑った。
「気をつけます」
「はい。くれぐれも無理はしないでくださいね」
「ありがとうございます」
メルナはギルドを出た。
外に出ると、青空を見上げる。
「……一週間以内か」
アカマルがメルナを見る。
「ガゥ?」
メルナは少しだけ笑った。
「ねえ、アカマルちゃん」
「ガウ?」
「私、一つ目標を決めたよ」
「……?」
メルナは拳を握る。
「私は、お兄ちゃんより強くなる」
「クゥゥン……」
アカマルが少し心配そうな声を出す。
「お兄ちゃんは強いよ」
メルナは素直に認めた。
「それは分かってる」
そして、少しだけ寂しそうに笑う。
「だからこそ……私は、それ以上に強くなる」
◆
ダンジョンへ向かう道。
メルナが歩いていると――。
「……メルナ?」
聞き覚えのある声がした。
メルナが振り返る。
そこには、大量の荷物を抱えたレイが立っていた。
「……何?」
「何してるんだ?」
「なんでもいいでしょ」
「そうだな」
「……」
レイはメルナを見る。
「少し話そう」
「なんで」
「このまま気まずいままなの、俺も嫌なんだよ」
「……無理」
「俺も無理だ」
「……は?」
「お前と五日も口を聞かないの、普通にきつい」
メルナは目を逸らした。
「放っておいてよ」
「放っておけない」
「どうして?」
「妹だから」
その言葉に、メルナの表情が僅かに揺れる。
「……」
レイは続けた。
「ダンジョンにでも行くのか?」
「な、なんで……」
「なんとなく」
「……」
メルナは黙った。
レイはその反応だけで察した。
「やっぱりそうか」
「……私、覚悟決めたから」
「何の覚悟だ?」
「お兄ちゃんより強くなる覚悟」
レイは少し目を丸くした。
「……そうか」
「何、その余裕そうな顔」
「普通の顔なんだが」
「そういうところ!」
メルナの声が大きくなる。
「何でもそうやって余裕ぶって!」
「……メルナ?」
「お兄ちゃんはいいよね!」
レイは黙った。
メルナの感情が、一気に溢れ始める。
「お兄ちゃんばっかり!」
「……」
「お兄ちゃんは何でもできて、強くて……みんなから信頼されて!」
「メルナ、落ち着け」
「落ち着けないよ!」
メルナの声が震える。
「お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんのことばっかり!」
「……」
「お兄ちゃんが学園に行ってからずっとそう!」
メルナは胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出す。
「今日こんなことがあったとか、お兄ちゃんがこんなことをしたとか、お兄ちゃんはすごいとか……」
「……」
「私だっているのに!」
レイの表情が固まる。
「私だって家族なのに……」
メルナの目に涙が浮かぶ。
「……私は、いつもお兄ちゃんと比べられてる気がする」
「メルナ……」
「お兄ちゃんは特別」
メルナは涙を拭う。
「友達もたくさんいる」
「……」
「酒呑童子にも認められてる」
「……」
「フィーアにも信頼されてる」
「……」
「カナちゃんたちにも必要とされてる」
声が震える。
「アカマルちゃんにも、ミリアちゃんにも好かれてる」
メルナは苦しそうに笑った。
「みんな、お兄ちゃんのことが大好きなんだよ」
レイは何も言えなかった。
「……私は?」
メルナが自分自身を指差す。
「私は何なの?」
「メルナは……」
「私は友達だってそんなに多くない」
「……」
「誰かに認められてるって感じたことも、あまりない」
メルナは俯く。
「私だって頑張ってるのに……」
その声は、もう怒りではなかった。
ただ、悔しさだった。
「お兄ちゃんが褒められるたびに、嬉しいはずなのに……なんで私はって思っちゃう」
「……」
「お兄ちゃんを嫌いになりたいわけじゃない」
レイが顔を上げる。
「……え?」
「むしろ、すごいと思ってる」
メルナは涙を流しながら笑った。
「私のお兄ちゃんなんだから、もっと自慢していいって思ってる」
「だったら……」
「でも、それと同じくらい苦しいの」
メルナはレイを見る。
「私も見てほしかった」
「……」
「私のことも、ちゃんと認めてほしかった」
レイの胸に、言葉が突き刺さる。
「お兄ちゃんだけが特別なんじゃない」
「……」
「私だって……」
メルナの声が詰まる。
「私だって、お兄ちゃんの妹なんだよ……」
レイは一歩近づく。
「メルナ」
「来ないで」
メルナが後ろへ下がる。
「……」
「お兄ちゃんは知らないよ」
「何を?」
「お兄ちゃんが私に能力を教えてくれたこと」
「……」
「あれ、嬉しかった」
メルナは涙を拭う。
「私のことを認めてくれたの、お兄ちゃんだけだったから」
「……」
「だから余計に苦しかった」
「どうして?」
「私はお兄ちゃんのことを嫌いになりたいのに……」
メルナは小さく笑う。
「お兄ちゃんは、ずっと私に優しいんだもん」
レイは言葉を失った。
「……」
「そんなことされたら、嫌いになれないじゃん」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、メルナは顔を上げた。
「……だから、私は強くなる」
「メルナ」
「お兄ちゃんに頼らなくてもいいくらい」
「……」
「誰かに比べられなくても、自分で自分を認められるくらい強くなる」
レイは何か言おうとした。
しかし――。
「……じゃあね」
メルナは背を向けた。
「待て!」
レイが呼び止める。
だが、メルナは走り出した。
「メルナ!」
その後を追おうとしたレイだったが――。
「ガウ! ガウガウ!」
アカマルがレイの前に立つ。
「……ッ」
アカマルはメルナが走っていった方向を見て、それからレイを見る。
まるで、
「今は追うな」
そう言っているようだった。
レイは拳を握る。
「……」
そして、追うことをやめた。
◆
寮へ戻る。
「……おかえりなさい、レイ様」
フィーアが迎える。
「大丈夫ですか?」
「……だ、大丈夫だ」
「メルナ様と何かありましたか?」
「……」
「すみません。詮索してしまいました」
ミリアがレイの袖を掴む。
「レイ?」
「……」
「んー!」
ミリアが心配そうにレイの体を揺らす。
「ごめん」
レイは小さく笑った。
「ちょっと疲れたから、自室に戻るわ」
「……はい」
レイは自室へ入った。
扉を閉める。
「……」
ベッドに腰を下ろす。
「俺は……どうすればいいんだ」
今日聞いたメルナの言葉が、頭から離れない。
――私は所詮、お兄ちゃんの劣化物。
――私も見てほしかった。
――私だって、お兄ちゃんの妹なんだよ。
レイは俯いた。
「……特別、か」
しばらくして、ぽつりと呟く。
「俺からしたら……メルナが特別な存在なんだけどな」
自分にとって当たり前だったこと。
妹だから大切。
家族だから守りたい。
それだけだった。
だからこそ、メルナがそこまで苦しんでいたことに気づけなかった。
「……俺、何も分かってなかったんだな」
レイは静かに目を閉じる。
「……悪かった」
誰もいない部屋で、そう呟いた。
◆
――メルナ。
私は、お兄ちゃんが嫌い。
……たぶん。
本当は、ずっとそう思おうとしていた。
お兄ちゃんは人を惹きつける。
酒呑童子。
カナさんたち。
お母さん。
お父さん。
お爺ちゃん。
お婆ちゃん。
フィーア。
アカマルちゃん。
そして、ミリアちゃん。
みんな、お兄ちゃんを信頼している。
正直に言えば、それはすごいと思う。
私だって、お兄ちゃんのことを尊敬している。
だからこそ――。
苦しかった。
お兄ちゃんが褒められるたびに、自分の存在が小さくなっていくような気がした。
「お兄ちゃんはすごい」
「お兄ちゃんは強い」
「お兄ちゃんはこうだった」
「お兄ちゃんはああだった」
そんな話を聞くたびに、
――私は?
そう思ってしまう。
お父さんも、お母さんも。
悪気なんてない。
ただ、お兄ちゃんのことが大切なだけ。
分かっている。
分かっているからこそ、何も言えなかった。
私だって愛されて育った。
家族から大切にされていた。
でも――。
「私のことを見てほしい」
その気持ちだけは、ずっと消えなかった。
フィーアだって、お兄ちゃんを信頼している。
それも当然だと思う。
だけど、私にはそれが羨ましかった。
私は、ずっと笑っていた。
大丈夫なふりをして。
お兄ちゃんの妹として。
何でもないふりをして。
それが一番楽だったから。
お兄ちゃんの部屋に泊まりに行った時も、本当の理由なんて言えなかった。
「お母さんの愛情が爆発した」
そう言った。
本当は――。
これ以上、お兄ちゃんの話を聞きたくなかった。
なのに。
お兄ちゃんは優しかった。
私が泊まることを何も嫌がらず、いつも通り接してくれた。
その優しさが、また苦しかった。
そして、カナさんたちと話して。
お兄ちゃんがどれだけ信頼されているのかを知った。
カナさんがお兄ちゃんを大切に思っていることも知った。
聞きたくなかった。
その場から逃げたかった。
でも、逃げられなかった。
そして今日。
私は、お兄ちゃんを傷つける言葉を言った。
「特別な存在」
そう言って、突き放した。
最低だと思う。
だって――。
私にとっても、お兄ちゃんは特別だったから。
だからこそ、余計に苦しかった。
「……」
私は宿の部屋にいた。
寮には戻れなかった。
お兄ちゃんのところにも。
お父さんとお母さんのところにも。
今は、どこにも帰りたくなかった。
「……ここに泊まろう」
そう呟いて、ベッドの端に座る。
膝を抱える。
「……私、これからどうしよう」
涙が頬を伝う。
「……最低だな、私」
お兄ちゃんを傷つけた。
でも、あの気持ちも嘘じゃなかった。
自分でもどうすればいいのか分からない。
「……」
私はベッドにゆっくり横になる。
目を閉じる。
「……明日になったら、少しは楽になるかな」
そう呟いて、静かに眠りについた。




