33話 兄妹喧嘩
寮へ戻る道。
レイは両手いっぱいに買い物袋を抱えていた。
服に、靴に、その他諸々。
今日一日でメルナが買ったもののほとんどを、レイが持たされている。
「……重い」
思わずレイが呟く。
その隣を歩くメルナは、そんな兄を見ながら満足そうに笑っていた。
「お兄ちゃん、もうちょっと鍛えた方がいいんじゃない?」
「これだけ持たされて鍛えた方がいいって言われるの、納得いかないんだけど」
「じゃあ、もっと持つ?」
「増やすな」
フィーアはそんな二人を微笑ましそうに見ながら歩き、ミリアはアカマルを抱きしめながらその後ろをついてきていた。
その時だった。
少し先から、何やら大きな声が聞こえてきた。
「……ん?」
レイが足を止める。
ギルドの方から、冒険者たちのざわめきが響いていた。
「なんかあったのか?」
メルナがギルドを見る。
「行く?」
「いや、俺はこの荷物重いから早く帰りたい」
「よし、行こう!」
「おいおい。話聞いてたか?」
メルナはレイの腕を掴む。
「聞いてたよ! だからこそ、お兄ちゃんも鍛えないと!」
「そういう意味じゃねぇよ……」
「ほら、行こ!」
「はぁ……」
結局、レイはメルナに引っ張られるようにしてギルドへ向かった。
フィーアも苦笑しながら二人についていく。
「レイ様、荷物を持つのを手伝いますよ」
「大丈夫だ。フィーアはミリアが迷子にならないようにしててくれ」
「はい」
「迷子にならない!」
ミリアが胸を張る。
「おう」
レイは小さく笑った。
そして四人はギルドの中へ入った。
――しかし。
「ダンジョンの魔物が凶暴化してたってマジかよ!」
「昨日だけじゃねぇらしいぞ!」
「二十層にもゴーレムが出たって話だ!」
「おい……それってまさか……」
「スタンピードの予兆なんじゃ……」
ギルド内は、普段とは比べ物にならないほど騒がしかった。
冒険者たちの顔には、不安と動揺が浮かんでいる。
レイは周囲を見回す。
「……なんか、めんどくさそうだな」
フィーアの表情も少し真剣になる。
「レイ様。これは話を聞いた方がいいかもしれません」
「そんなに?」
メルナが尋ねる。
「スタンピードは非常に危険ですから」
「そっか……」
その言葉に、メルナの表情も変わった。
ミリアが不安そうに二人を見上げる。
「どうしたの?」
レイはミリアに視線を向ける。
「なにもない」
「……?」
その時、ギルドの奥からギルド長が姿を現した。
「皆、聞いてくれ!」
ざわついていたギルド内が静かになる。
ギルド長は冒険者たちを見渡した。
「先ほどから話に出ている通り、ダンジョン内の魔物に異常行動が確認されている」
冒険者たちが息を呑む。
「そして、これは――スタンピードの予兆だ」
「……!」
ギルド内にどよめきが走った。
「現在、国の騎士兵にも動いてもらっている。詳しい調査も進めているところだ」
ギルド長は拳を握る。
「だからこそ、皆にも協力してほしい。一人の冒険者として、この国を守るために力を貸してくれ!」
一瞬の静寂。
そして――。
「おおおお!」
「やってやるぞ!」
「俺たち冒険者が国を守るんだ!」
「スタンピードなんて全員で倒せばいい!」
ギルド内に歓声が響き渡る。
しかし、ギルド長の表情は晴れなかった。
「……だが」
その一言で、再び静かになる。
「先ほど国の兵が調査に入った結果が出た」
ギルド長は重い口調で続ける。
「今回、スタンピードの予兆が確認されたのは――ラミールダンジョンだけではない」
「……え?」
「グールダンジョンにも確認された」
冒険者たちの顔から、一気に血の気が引いた。
「二つ……?」
「両方で起こるってことか?」
「ああ」
ギルド長は頷いた。
「ラミールダンジョンとグールダンジョン。現在、この二つのダンジョンでスタンピードが発生する可能性が極めて高い」
「魔物の数は?」
一人の冒険者が尋ねる。
「正確な数は分からない」
ギルド長は一度言葉を切った。
「だが、少なくとも五千体以上。状況によっては数万体規模になると予測されている」
「……数万?」
誰かが呟いた。
さっきまでの威勢のいい声が消えていく。
「しかも……」
ギルド長は続けた。
「スタンピードが発生した場合、ダンジョンから出てくる魔物は、ボスを倒さない限り止まらない」
「……!」
「つまり、戦っている間にも魔物は増え続ける」
誰も言葉を発さなかった。
「それも……二つのダンジョンで……?」
「そうだ」
ギルド長は深く息を吐く。
「皆には団結してもらいたいと言ったばかりなのに、こんな話をしてすまない」
ギルド内は、不安に包まれた。
それでも。
「……だけどよ」
一人の冒険者が口を開く。
「俺たちがやるしかないんだろ?」
「そうだ!」
「騎士だけに任せられるか!」
「やってやろうぜ!」
「この国を守るぞ!」
再び声が上がる。
だが、先ほどとは違った。
誰もが笑ってはいない。
拳を握りながらも、その顔には明らかな恐怖が浮かんでいた。
レイはそれを黙って見ていた。
そして――。
「……帰るぞ」
「え?」
メルナが振り返る。
「帰るって……」
「俺たちがここにいても、できることはないだろ」
レイは荷物を持ち直した。
「帰ろう」
そう言って歩き出す。
メルナはその背中を見つめていた。
そして――。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「ちょっとこっち来て」
「?」
メルナはレイの腕を掴み、ギルドから少し離れた路地裏へ連れていった。
フィーアとミリアも後を追う。
人気のない場所まで来たところで、メルナが立ち止まった。
「お兄ちゃんは……いいの?」
「何が?」
「さっきの話」
レイは少し考える。
「……スタンピード?」
「うん」
メルナは俯いた。
「皆、怖がってた」
「そうだな」
「何千人……じゃなくて、何千体もの魔物が来るんだよ?」
「数万体かもしれないらしいな」
「だったら……」
メルナは顔を上げた。
「私たちも戦った方がいいんじゃない?」
レイの表情が変わる。
「……なんで?」
「だって、私たちも冒険者でしょ」
「新米だけどな」
「それでも戦える」
メルナの声には、強い意志があった。
「私たちには力がある。お兄ちゃんには酒呑童子もいる。私だって戦える。フィーアだって……」
「メルナ」
「それなら、助けられる人を助けるべきじゃないの?」
レイは黙った。
「皆が死ぬかもしれないんだよ」
「……」
「それなのに、自分たちには関係ないみたいに帰るの?」
「……そうだな」
レイは静かに答えた。
「俺は帰る」
「……っ」
メルナの顔が曇った。
「どうして……?」
「俺はまだ若いからだ」
「でも!」
「成人したとはいえ、俺はまだ十六歳だ」
レイの声は落ち着いていた。
「俺たちはまだ、学ぶ側だ」
「……」
「魔法も、戦い方も、知らないことが山ほどある。そんな俺たちが、何千、何万っていう魔物と戦う場所に出る必要があるのか?」
「でも、戦えるよ」
「戦えることと、戦うべきことは別だろ」
メルナが言葉を詰まらせる。
レイは続けた。
「魔法学園で戦うのとは違う。ダンジョンに入るのとも違う」
「……」
「今回は、本物の戦いになる」
その言葉には、いつもの軽さがなかった。
「俺は……死にたくない」
「もちろん、助けたい気持ちはある。でも、それで俺たちまで死んだら意味ないだろ」
メルナが目を見開く。
「酒呑童子がいるから大丈夫、なんて思ってない」
「でも……」
「酒呑童子がいても、俺自身は普通の人間だ」
レイは自分の手を見る。
「俺は、生まれた瞬間から死にかけた」
その言葉に、メルナは何も言えなくなった。
「もう、あんな思いはしたくない」
「……お兄ちゃん」
「だから俺は、危険な場所に自分から行くつもりはない」
「それに、爺ちゃんが帰ってくるまで時間を稼げば終わらせてくれる」
メルナは唇を噛んだ。
それでも、引かなかった。
「……私は嫌だ」
「何が?」
「力があるのに……何もしないのが嫌」
「……」
「知らない人でも、助けられるなら助けたい」
メルナの声が少し震える。
「だって……目の前で誰かが助けを求めてるのに、自分だけ安全な場所にいるなんて……」
レイは目を細める。
「私利私欲のために力を使うのは、違うと思う」
「私利私欲のために使って何が悪い?」
メルナが驚いたように顔を上げる。
「……え?」
「俺は自分のために力を使う」
レイははっきりと言った。
「自分が生きるため。自分の大切な人を守るため」
「それだけ?」
「それだけだ」
「でも、それじゃ……」
「メルナ」
レイは妹の目を見る。
「お前は、知らない人まで助けたいんだろ?」
「……うん」
「なら、それがお前の正義なんだろ」
「……」
「だったら、俺の考えを否定するなよ」
メルナは言葉を失った。
「俺は、皆を助けるために死ぬより、自分が生き残って大切な奴らを守りたい」
「……っ」
「お前は違う」
レイは少しだけ笑う。
「そこが、お前の良いところなんだろ」
メルナは俯いた。
「……でも」
「まだ言うか」
「だって……」
メルナの目に涙が浮かび始める。
「お兄ちゃんは、守れる力があるのに……」
「……」
「どうして……」
声が小さくなる。
「どうして、守ってくれないの?」
その言葉に、レイは何も返せなかった。
メルナ自身も、言ってから後悔したように口を閉じる。
「……ごめん」
「……」
「言いすぎた」
レイは少し黙った後、息を吐いた。
「……俺もだ」
二人の間に、重い沈黙が流れる。
「この国が危険に陥ったら助ける...」
その横で、ミリアは二人を交互に見ていた。
小さな手を胸の前で握りしめている。
「……なかよし……」
二人は振り返る。
「え?」
「仲直り……」
ミリアの目には涙が溜まっていた。
「けんか……やだ……」
メルナの表情が変わる。
「ミリアちゃん……」
ミリアは二人の手をそれぞれ掴んだ。
そして、無理やり二人の手を繋がせる。
「ん!」
レイとメルナは互いを見る。
「……分かったよ」
「……うん」
レイが小さく笑った。
「悪かったな」
「私も……ごめん」
二人はようやく仲直りした。
その様子を見ていたフィーアが、静かに口を開く。
「どちらの意見も、間違ってはいないと思いますよ」
「……」
「メルナ様は、誰かを助けたいと思っている。とても立派なことです」
メルナは少し照れくさそうに俯く。
「ですが、今回のような戦いは別です」
フィーアは真剣な表情になる。
「魔法学園や、前回のダンジョン探索とは違います」
「……うん」
「魔法学園ではクラウス様や先生方がいます。ダンジョンでは私がいました」
フィーアは二人を見る。
「何かあった時に助けられる人間が近くにいたからこそ、安全が保証されていたんです」
「……」
「しかし、スタンピードは違います。何が起こるか分かりません」
「フィーア、そこまででいい」
レイが止める。
「す、すみません」
「メルナ...俺が悪人に見えるか」
「……うん」
メルナは小さく頷いた。
「それでもいい。今回の戦いは無謀だ。少なくとも勝ち目がない。恐らくボスはあいつなのだから...」
「大人に任せよ」
「ああ」
「……帰ろう」
「そうだな」
四人は寮へ戻った。
――だが。
仲直りしたはずなのに。
部屋の中は、妙に気まずかった。
「……」
「……」
レイとメルナは、互いに目を合わせない。
フィーアが困ったように二人を見る。
「……お二人とも」
「ん?」
「ミリア様が心配していますよ」
「クゥン……」
アカマルまで心配そうな声を出す。
「アカマルさんも心配しています」
「……お、おう」
メルナが立ち上がる。
「……お風呂入ってくる」
「おう」
メルナはアカマルを抱き上げ、そのまま部屋を出ていった。
「……」
レイも黙ったままソファに座る。
ミリアが隣に座った。
「……なかなおり」
「しただろ」
「でも……」
ミリアは心配そうにレイを見る。
「レイ、メルナのこと嫌い?」
「嫌いなわけないだろ」
レイは即答した。
「大切な家族だ」
「……」
「ただ、考え方が違っただけだ」
フィーアも頷く。
「レイ様は、ご自分が守りたいもののためなら、本気になれる方ですから」
「そりゃ……」
レイは苦笑した。
「自分にとって大切な人が死ぬのは嫌だろ」
「ですね」
「私利私欲のために力を使うって言ったけど……」
レイは少し考える。
「それって悪いことなのか?」
フィーアは少しだけ考えてから答えた。
「価値観の違いでしょうね」
「……」
「レイ様にとっての私利私欲は、ご自身や大切な人を守ることなのでしょう」
「まあな」
「メルナ様は、そこに加えて『知らない誰かも助けたい』と思っている」
「……多分、それだな」
レイは苦笑した。
「メルナは知らない奴でも助けたいんだろうな」
「ええ。メルナ様の良いところです」
「レイ様も全く知らない人を野放しにしたわけではないですよね」
「...さぁな..」
「レイ様は奥様と約束してたのを知っています。どんな人でも助けると」
「...今回は無理だ。魔物だけならいいんだ。だが...」
「レイ様は危なくなったら助けにいく方ですもんね」
「そんなつもりもないが」
その時。
ミリアが突然立ち上がった。
「メルナと話す!」
「え?」
ミリアがレイの手を掴む。
「ちょ、待て」
「仲直り!」
「いや、もう仲直りしたって」
「話す!」
「分かったよ。でも今は風呂に――」
ぐいっ。
「おい!」
ミリアは小さな体でレイを引っ張っていく。
「ちょっと待て、ミリア!」
「話す!」
「だから今は風呂――」
そして。
「ここ!」
「ここじゃねぇ!」
ミリアが浴場の扉を開けた。
「メルナ!」
湯船に浸かっていたメルナと、レイの目が合う。
「……」
「……」
長い沈黙。
レイの顔から血の気が引いていく。
「……あ」
メルナの眉がピクッと動いた。
「……最低」
「違う、これは――」
次の瞬間。
ドンッ!
水の塊がレイの顔面に直撃した。
「うおおおっ!?」
レイはそのまま廊下まで吹っ飛ばされる。
「魔法は……なしだろ……!」
「覗きに来る方がなしでしょ!」
「俺は覗こうとしたんじゃない!」
「言い訳禁止!」
「ガウッ!」
アカマルまでレイに飛びかかる。
「お前まで!?」
そのまま浴場の扉が勢いよく閉められた。
「……」
ミリアがレイを見る。
「……」
レイもミリアを見る。
「ミリア」
「?」
「誰のせいだろうな」
「ち、違う!」
「はぁ……」
フィーアが駆け寄ってくる。
「レイ様、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねぇな……」
「ご、ごめん……」
ミリアがしょんぼりする。
レイはため息を吐いた。
「怒ってないから安心しろ」
「……ん」
フィーアが浴場の扉を見る。
「状況は……悪化しましたか?」
「悪化程度じゃないな」
レイは床に座ったまま遠い目をする。
「多分、メルナから見た俺は今……ゴミ未満だ」
「それは……まずいですね」
「後で土下座しまくる」
「私も手伝いましょうか?」
「いや、フィーアは関係ないからしなくていい」
「はい」
レイは天井を見上げる。
「……はぁ」
「んっ」
ミリアがレイの服の裾をちょこんと掴んだ。
「……」
しばらくして。
浴場の扉が開いた。
メルナが出てくる。
アカマルもその後ろからついてきた。
「……」
「……」
メルナはレイを見る。
「変態」
レイは一瞬で姿勢を正した。
そして――。
床に手をつき、綺麗な土下座をする。
「すまなかった」
「……」
「本当にすまん」
「まじで最悪だから」
「……はい」
「妹の裸を覗き見るとか、最低最悪だからね」
「……はい」
レイは何も言い返せなかった。
「……」
その横で、ミリアが申し訳なさそうに俯いている。
レイはそれを見て、すぐに察した。
「……あれはミリアが――」
「ミリアちゃんがどうしたの?」
「……」
レイは言葉を止める。
ミリアを見る。
しょんぼりしている。
「……うっ」
そして再び頭を下げる。
「俺が悪かった」
「……分かった」
メルナはまだ怒っている。
「もう今日は話したくない」
「……はい」
メルナはアカマルを抱き上げ、ミリアの手を取る。
「ミリアちゃん、行こ」
「……ん」
二人と一匹は、そのままメルナの部屋へ戻っていった。
残されたレイは、その場で深く息を吐く。
「……終わった」
フィーアが隣に立つ。
「レイ様、ミリア様を庇ったんですね」
「……まあな」
「優しいですね」
「優しさだけじゃ、何もできなかったけどな」
フィーアは少しだけ笑う。
「時間はかかるでしょうが、きっと仲直りできますよ」
レイはメルナの部屋の方を見る。
「……だな」
「今度は、ちゃんと話せばいいんです」
「そうするよ」
レイは立ち上がった。
今日一日で、色々なことが起きた。
スタンピード。
自分とメルナの




