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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】1・2巻「誕生編」  作者: セキユズル
第六章「選べない者は、結局すべてを失う。そうして人は、大人になる」
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第六章④ 五人組とベルナルドと???、交互視点

 朝靄がまだ港を薄く包む中、海風が帆布をはためかせ、ロープの軋む音が絶え間なく響いていた。


 海賊団たちは眠気など忘れたように甲板を駆け回り、錆びた鎖を引き上げ、積荷を確かめ、帆の具合を入念に点検している。樽を抱えた若い水夫が「急げ!」と叫びながら走り抜けると、甲板の上では別の男が木槌で船体を叩き、最後の修理を終えようとしていた。魚と油と汗の入り混じった匂いが、港の空気を満たしている。

 女海賊たちは髪を乱しながらも、陽に輝く銅のような肌を光らせ、笑い合いながら縄を巻いていた。笑い声の奥に、どこか焦燥と昂ぶりが混ざっている。桟橋では出航前の祈りを捧げる者、酒瓶を掲げて仲間と別れを交わす者もいた。


 この航海がどんな結末を迎えるかは分からないが、それでも誰もが手を止めようとはしなかった。

 長きに渡る航海の前に、出発する前から倒れてしまいそうな有様であっても、彼らの顔には妙な光が宿っている。

 それは、まだ見ぬ土地への期待。自由を掴むための希望。そして、どこまでも青く続く海への祈りに似た憧れ。


 荷を積み込む者、帆を縫う者、剣を研ぐ者。喧嘩腰の掛け声が飛び交い、酔った船員が舵を磨きながら歌を口ずさむ。中には自作の旗を掲げては「これで俺たちも独立国だ!」と叫ぶ若い海賊もいた。それぞれの船が、それぞれの夢を積んでいく。波が砕けるたび海面には朝陽が滲み、金色の光が無数の刃のように揺れていた。



 喧噪に包まれる大港の外れ、その陰にひっそりと口を開ける、小さな港。そこに停泊している一隻の帆船、〈リュシアン号〉。朝の光が海面に反射して甲板を淡く照らす中、五人の男たちは静かに身を潜めていた。風の音と、遠くで響く他船の掛け声だけが微かに聞こえる。マテオが船縁に腕を預けながら呟いた。


「けどよお、見張りをベルナルドに任せてよかったのか?」


 ニールが手元の記録帳を閉じ、肩を竦める。


「花火を打ったり鐘を鳴らしたり……他に手が空いてる海賊がいないんだから、外部の人間に頼むしかないでしょ」


 マテオは苦笑して首を振った。


「まあ、外部の人間って言っても海軍だけどな」


 彼の一言に甲板の空気がわずかに重くなるが、ジャスパーはあっけらかんと笑い飛ばした。


「大丈夫だ。ベルナルドに敵意はない」


 ルキフェルが片眉を上げて問う。


「根拠は?」


 ジャスパーはにやりと笑い、短く答えた。


「勘だ」


 ルキフェルは小さく息を吐き、肩をすくめる。


「じゃあ、そうなんだろうな」


 二人のやり取りにマテオとニール、コリンが思わず笑みを零すが、彼らの胸の奥には嵐の前の静けさのような不安と緊張が確かにあった。



 その頃、ベルナルドは港を見下ろす鐘楼の上にいた。潮の匂いとともに、海賊たちの喧騒が風に乗って届く。彼は望遠鏡を覗き込み、出航準備に奔走する者たちを見て感心していた。どの船もよく動く。上下の区別もなく、船長も船員も汗まみれで働いている。あれほどの人数をまとめ上げる統率力、自分たちよりも軍らしい。ベルナルドは望遠鏡を少し動かし、視線を海へと移した。水平線の向こうには海軍の艦艇の姿はない。白い波と朝靄だけが広がっている。


「本当に、陸路だけなんだな」


 呆れ混じりに呟く。陸と海で挟み撃ちにすれば、一網打尽にできるにもかかわらず、海軍はサン・マロの街側からの襲撃に固執し、海を完全に無視している。まるで、海賊がただのならず者の集まりだとでも思っているかのように。ベルナルドは舌打ちした。


「……海賊を甘く見るなよ、坊っちゃんたち」


 風が吹き抜け、鐘楼の影が揺れる。彼の眼差しはどこか遠く、冷たかった。



 やがて昼に差し掛かった。海風がゆるやかに吹き抜け、〈リュシアン号〉の甲板にはのんびりとした沈黙が流れていた。ルキフェルが大きなあくびをひとつ漏らすと、隣に座っていたマテオとコリンにも伝染した。二人がほぼ同時に口を開けて欠伸をする様子に、ジャスパーが吹き出す。


「なんか犬みたいだな、お前ら。ルキフェルはクソデカワンコ」


 ルキフェルが片目を細めて睨むと、ジャスパーは肩をすくめて笑った。


「ルキフェルがあくびなんて珍しい。あんま寝れてないのか?」


 ルキフェルは海の方を見たまま静かに答える。


「いつでも出航できるように身構えてるんだ。俺だけ寝るなんてとんでもない」

「ほんと、クォーターマスターっていつ寝るんだよ」


 マテオが呆れ混じりに言うと、ルキフェルは笑って返す。


「寝る暇があるやつは副長に向いてないんだよ」


 彼の冗談めかした声に、皆の顔がわずかに緩む。そんな中で、ニールが何かを言いかけて唇を噛んだが、意を決したように口を開く。


「ねえ……出航したら、ベルナルドとはお別れだよね?」


 風の音が急に強くなった気がした。笑い声が途切れ、甲板の上に沈黙が落ちる。マテオが手元の縄を弄びながら視線を逸らし、コリンも遠くを見つめたまま動かない。ジャスパーは小さく息を吐き、帽子のつばを押さえた。ルキフェルだけが変わらず海を見ていた。


「……そういうことになるな」


 ルキフェルが答え、ニールの方へ視線を向けた。


「ベルナルドが気になるか?」


 ニールは少し息を吐いて口を開く。


「そりゃあね。だって、彼がこのまま海軍に戻っても無事で済むわけない」


 ジャスパーはにやりと笑った。


「優しいんだな。けど……多分そんな弱いやつじゃないだろ? ベルナルドって」


 ニールは頷き、指先で甲板の縄を弄りながら答える。


「そりゃ、彼も軍人だってことは理解してるよ。それでも、心配なんだ。せめてさ、最後にお礼は伝えたいよね。見張りを終えたら、ここ来るかな?」


 ルキフェルは肩を落とし、海の方を見据える。


「あいつを信じるしかない。俺たちができるのは、待つだけだ」


 マテオが小さく息を吐き、肩を揺らして笑う。


「ルカはいつも誰かを信じているって言うけど、ほんとそれって簡単にできることじゃないからな」


 コリンも頷く。


「うん……ぼくも、そう思う」


 ルキフェルはゆっくりと甲板の端に腰掛け直し、遠くの港を見やりながら呟く。


「花火が先か、鐘の音が先か……どちらにしても、すぐには出航しない。少しばかり待ってみようか」


 マテオ、ニール、コリン、ジャスパーの四人は互いに視線を交わして頷く。


「……そうだな」

「うん」

「待ってみよう」

「了解」


 甲板の上には波の音と海風だけが柔らかく響いた。



 一方、ベルナルドは息を潜め、鐘楼の最上部から港の様子を見下ろしていた。徐々に船員たちの数が減り、海賊船団が一隻、また一隻と錨を上げて海へ向かうのを確認する。


「よし」

 

 ベルナルドが円筒状の物体、花火の小さな発射台を手に持ち上げた瞬間、遠く街の方から微かな騒めきが聞こえ始める。最初は小さな声だったが、次第に大きくなり、港全体に響き渡る勢いだった。ベルナルドが慌てて望遠鏡を取り出し、旧市街や中央広場を丹念に覗き込む。紺色の制服に身を包んだ人々が街の通りを探索し、住民に迫ったり、荒々しい手つきで建物や物をあさる姿を見つけた。ベルナルドの胸に緊張が走る。


「遂に来たか!」


 力強く声を上げると彼は躊躇なく鐘の縄を引き、鐘を激しく鳴らし続けた。海賊たちへの警告として。鐘の音は港の隅々まで震えるように伝わった。最初は誰かの耳を引くだけの音だったが、次第に異変の合図として認識される。舷側に居た船員たちが顔を上げ、掛け声が飛んだ。


「やつらが来たぞ!」

「港の連中、急げ! 帆を急げ!」

「このまま前進せよ、今すぐだ!」


 甲板上は一瞬で慌ただしくなった。男たちは慌てて綱を解き、帆を打ち、走者が駆け回る。木箱がごろりと床を転がり、水しぶき混じりの怒声が飛び交う。ある船の船長は怒鳴りながら部下を引き締め、海賊どもですら普段の陽気さをかなぐり捨て、速やかに出航の体勢を整えていく。


 ベルナルドは鐘楼から港へ降り立ち、海賊団たちの様子を遠目からじっと見た。蒼く薄れゆく空の下、錨が次々と揚がり、帆が風をはらむ。船影が港の口を目指して整列していく。波間に黒い影が連なり、ゆっくりと岸を遠ざかっていった。


「もう船が離れていく……やっぱり、船と共に在る者たちは違うな」


 ベルナルドは深く息をついた。少しだけ羨望が混じった声音だ。彼は円筒状の花火発射台を地面に据え、慎重に装填を始めた。火薬の匂いがかすかに鼻を掠める。手際は迷いなく、長年の軍人としての正確さが表れていた。花火の筒を見つめる目に決意が宿る。


「この位置なら、フランソワ船団にも見えるはずだ」


 彼の思考は冷静だ。花火は単に音と光で人目を引く道具ではない。目立たせ、誘い、注意を一点に集めるための囮。港の中心がもぬけの殻になれば、陸路から攻め入る連中は失策を晒すことになる。海軍があの場所で恥をかけば、サン・マロの住民も、その判断を軽んじた上層部を嘲るだろう。ベルナルドの唇が、ほとんど気づかれないほど動く。


「海軍に恥をかかせてやるんだ」


 喧騒に紛れるように、彼は点火の準備を進める。火打石の閃光、導火線の先端にかすかな炎が触れる瞬間を想像する。海賊たちが進み、船影が消え、港に残るのは最小限の人手。


 海軍の連中が街側を押さえに来たとき、見せ場はそこにある。花火で視線を奪い、港を空虚に見せる。そして、あの者たちの自尊を骨抜きにする。


 彼の顔にほのかな微笑が浮かんだ。計画は始まった。ベルナルドが導火線を火で炙ると筒の先端から白い炎が一瞬揺れ、港の青空に大輪の火花が弾けた。昼間の光をものともせず、鮮やかな赤と金、そして緑の光が広がり、空に咲く巨大な花のように港を包み込む。重低音が港全体に響き渡り、建物の壁や石畳を振動させた。あまりの轟音に思わず耳を塞ぐベルナルドだったが、すぐに手を下ろし、目を細める。


「……見事だなあ」


 その時、数人の紺色の制服をまとった海軍員が港に現れた。警戒心を募らせた彼らは、花火の音に驚いて空に気を取られている。ベルナルドは慌ててその場を離れ、路地の陰に身を潜めた。港は一気に騒がしくなり、海軍員や住民達の怒声や走る足音が入り混じるが、ベルナルドの目に映る海賊船団はすでに港口を越え、潮風の中にゆっくりと姿を消していった。


「ふふ、してやった」


 小さく笑みを浮かべるが、同時に内心では少し焦りもあった。先ほど鐘楼で見せた自分の姿や、花火を扱う手元を誰かに見られていないか、少し気が気ではない。


 海軍員たちは港に残された花火の発射台の残骸を指差し、何が起きたのか理解できずに立ち尽くしている。その隙をついて、ベルナルドは路地裏を駆け抜けた。石畳の上に靴底が軽く打ち付けられる音が響き、壁沿いに身を潜めながら進む。


 心の奥ではフランソワ船団の様子も気になっていた。無事に港から離れ、あの波の先へと旅立ったかを確認する必要がある。ベルナルドは息を整え、慎重に方向を定めた。


 午後の光が差し込む路地を抜け、次の目的地——フランソワ船団が身を隠す小さな港——へと足を進める。



 突如として上空に打ち上げられた花火が港の空に大きく咲くと、海軍員たちは思わず目を見開き、慌てふためいた。赤や金の光が昼間の青空に鮮やかに映え、重低音の轟きが周囲の建物に反響する。


「な、なんなんだ、あの光! それに音! うるさすぎるぞ!」


 ダヴィットが大声で叫び、思わず耳を塞ぐ。シャルルは彼の声に苛立ったように眉をひそめ、片手で耳を覆いながら言った。


「ダヴィット、あなたの方がうるさいですよ」


 周囲の海軍員たちも右往左往し、現場は一気に混乱の渦に巻き込まれる。街角で船の見張りをしていた者たちも花火の光と轟音に惑わされ、何が起きたのか理解できずに慌てふためく。その混乱を前に、グウェナエルは拳を握り締め、苛立ちを隠せなかった。


「くそ……海賊を探し当てなきゃならない、ベルナルドの捜索もしなきゃならないってのに、今度は摩訶不思議な光か……ふざけてやがる」


 彼は咄嗟に周囲を見渡し、隊員たちを統制しようとするも目の前の混乱は一向に収まらなかった。


 マクシミリアン・ブーケ——かつてのアントワーヌ少年——。彼は空を焦がしていた花火が消えるのを確認すると、深いため息を吐いて手元の地図に目を落とした。指先で地図の港や街道をなぞるが、頭の中はベルナルドのことが占め、海賊の行動などには意識が向かなかった。


 あの日、ベルナルドと決裂した後。気まずい日々が続き、互いに距離を置いていたが、襲撃の指令が下った直後に彼の姿は忽然と消えた。情報班から届く断片的な目撃報告に頼るしかなく、未だにその所在は定かではない。

 今、マクシミリアン・ブーケ隊は街中で海賊たちを捜索と同時にベルナルドの行方を探している。あの若き軍医の存在が頭の片隅から離れず、隊員たちの目まぐるしい動きの中でも、彼のことだけが心をざわつかせている。


 マクシムは隣にいたリラと作戦の打ち合わせをしていた。手元の地図に指を這わせ、次の行動を確認するその最中、遠くから一人の隊員が慌てふためき駆けてきた。


「隊長! 情報班から新たな情報を入手しました!」


 若き女性隊員、スザンヌ・ブルボン。数年前、港で喧嘩別れをし、自分を冷たく突き放した愛しい人を追うため、彼女は海軍員となっていた。シルバーブロンドの髪は光を受けて煌めき、ターコイズブルーの瞳には鋭さと確固たる意志が宿る。かつての愛らしさはそのままに、今の彼女には戦闘部隊員としてのしなやかさと強かさが加わっていた。


「スザンヌ、いつも言っているでしょう。君は目立ちすぎます。特に、危険な街中では顔を隠してください」


 マクシムの声にスザンヌは素直に頭を下げる。


「申し訳ありません」


 だが、すぐに彼女は目を強く見開き、息を整えると続けた。


「ですが、お伝えしたいことがあって、急いで来ました。情報班によると……ベルナルドさんと思われる人物が、街中に姿を見せたそうです!」


 マクシミリアン隊の全員は思わず息を呑んだ。マクシムは一歩前に出て、スザンヌの言葉を噛み締めるように深く息を吐いた。彼女が伝えた知らせの重みが、隊員たちの心を一気に引き締めた。ロザリーが小さな声で呟く。


「どうして、ベルナルドがこの街に?」


 ペネロペは肩をすくめ、少し微笑みながら答える。


「考えても仕方ないんじゃない? ベルナルドがいるなら、探して見つけて本人に聞けばいいだけ」


 現時点で部隊最年少のペネロペに先輩軍員たちは一瞬、言葉を失って沈黙した。その空気を破ったのはサミュエルだった。


「スザンヌ。情報班は他になんて?」


 スザンヌは地図を片手に、落ち着いた声で報告する。


「ええと、港近くの鐘楼に居たそうです。その後、ベルナルドさんがどこへ行ったのかはわからないそうで……」


 シャルルが腕を組み、眉をひそめながらため息混じりに呟く。


「うーん、なんでそこ目を離しちゃうのかな」


 リラが穏やかに言った。


「どんなに悔やんでも仕方がないわ。そうでしょう? 隊長」


 マクシムは彼女の視線を受け止め、深く頷く。


「それもそうです。僕たちは、今できる最善を尽くすのみ」


 続けて彼は少し声を強める。


「皆で手分けしてベルナルドを探しましょう。ただし、女性隊員は二人一組でお願いします」


 隊員たちは一斉に声を揃えた。


「了解!」


 グウェナエル、シャルル、ダヴィット、サミュエルは四方八方へ駆けていき、街の角や路地へと消えていく。ロザリーとペネロペ、リラとスザンヌはそれぞれ別の道へ向かい、街の探索を開始する。一人残ったマクシムは地図に目を落とし、ベルナルドが居たとされる鐘楼の位置を確かめる。街の隠されたルートや抜け道を思案し、やがて港近くにある一つの路地を導き出した。脱走癖と直感を頼りに、マクシムは心の中で呟く。


「……ここからだな」


 彼は迷うことなく、薄暗い路地を駆けていった。

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