第六章③ 五人組とベルナルド
ルキフェルは甲板の隅で腕を組み、真剣な表情で仲間たちを見渡した。
「さて、明日のことだな。少しお前たちと相談したい」
ジャスパーは笑いながら言った。
「お、珍しいじゃん。相談事なんて」
ルキフェルは眉をひそめながらも静かに答える。
「時間がないんだ。けど、俺たちがアイディアを出し合えば道は開ける」
マテオは腕組みをし、視線を鋭く仲間に向けた。
「おう、やるしかないな。それで? 明日のことって具体的にはなんだ」
ルキフェルはゆっくりと頷き、声を低くした。
「出航の合図について。俺たちがあの港に身を隠すことで、他船団との連携に距離とタイムラグが生まれる。それに他船団の準備も遅れているなら、出航より海軍の襲撃が先に来ることも想定しなきゃいけない」
ジャスパーが眉をひそめ、すぐに口を挟む。
「なるほどな。つまり、タイミングを間違えると海軍に先手を取られるってわけか」
ルキフェルは頷き、目を鋭くして仲間たちに視線を向けた。
「だからこそ、出航の合図を誰がどう出すかを今のうちに決めておきたい」
マテオも腕組みのまま少し考え込み、真剣な声で言った。
「なら、早く具体策を詰めよう」
ルキフェルは深く息をつき、仲間たちを見渡した。
「よし、順番に意見を出してくれ。時間はないが、後悔しないためにも最善を選ぶんだ」
ニールは顎に手を当てて俯いた。
「連絡手段ってことだよね。だったら……爆発物を使うのはどうかな?」
甲板に一瞬、寒い静寂が落ちる。マテオが目を見開いてささやくように吐いた。
「いきなり物騒だな……」
ニールは肩をすくめて笑う。
「まあ、花火って言い換えれば良いかな。遠くからでも色と音で分かるし、海上だと目立つ。どんな色の空でも一発パッと上がれば誰でも見つけられるでしょ?」
ジャスパーが即座に手を振って制した。
「待て待て待て。おれたちがぶっ放したら、身を隠す意味がねえだろ。もし海軍が来てる最中にドーンって上げたら、『あそこだ!』って呼び込むようなもんだぜ?」
ニールはすぐに表情を曇らせ、考え込む。
「そっかあ。そうなるよなぁ」
ルキフェルは目を細めて口を開いた。
「うちはどうせいつでも出発できるんだ。フランソワには総代表として、『準備を終えたらすぐ出航せよ』って指示を伝えておく。俺たちは、他の船団の準備が終わるのを待つだけでいい。全船団が準備を終えたら、アイツらには直ちに出発してもらう。これが最も合理的な方法だ。焦って動いても得策じゃない」
ニールは眉を顰めつつも頷き、ジャスパーは口元に笑みを浮かべたまま腕を組む。マテオは小さく息をつき、コリンはまだ甲板の端でじっとルキフェルの言葉を受け止めていた。
「でもさ、それ誰が確認するの? あの港からじゃ他の船の様子は分かんないよね。見張りが必要だと思うんだあ」
ルキフェルは一瞬だけ目を伏せ、唇を噛んだ。
「……それは盲点だった」
マテオが腕を組んで不満げに言う。
「んじゃ、その見張りが帰ってこない限り、オレたちも出航できないじゃないか。待ち伏せ喰らったら終わりだぞ」
皆が眉を寄せて思案に沈む。海風だけが静かに甲板を撫でていた。しばらくの沈黙のあと、マテオの顔がふっとほころぶ。その透けた水色の瞳が、どこかいたずらっぽく光った。
「……? じゃあ花火使うの、悪くなくね」
ジャスパーが顔を上げて輝かせる。
「そっか。おれたちが打ち上げるんじゃなくて……」
ニールもポツリと言葉を紡ぐ。
「別の船団に任せればいいんだ」
ルキフェルは一瞬だけ思考停止し、首を横に振った。
「いや、待て。お前ら、落ち着け。花火なんてどうやって用意するんだ。即席で作れるものか?」
コリンの顔がまるで得意げに晴れると、甲板の空気が一瞬だけ弾んだ。
「ぼく、作り方知ってる」
四人の声が同時に上がる。
「え?」
「うそ」
「マジで? お前、爆発物なんて……」
「ちょっと待て、それ本気で言ってるの?」
コリンは子どもらしい自信を滲ませながら答えた。
「うん。お爺さんに教わったんだ。人を驚かせる小道具とか、舞台用の仕掛けを作るのが得意でさ。花火みたいな信号なら、ちゃんと安全に作れるよ。派手すぎず、音で合図が分かるやつとか」
マテオの顔が一瞬引き締まる。
「おいおい、ちょっと待てよ。『安全に』って言うけど、子どもが作るもんで安全だって保障はねぇだろ?」
ルキフェルが即座に制するように言った。
「落ち着け。コリン、お前の手並みは知ってるが、これは単なる見世物じゃない。仲間の居場所、誤爆、全部命に直結する。やるとしても俺たちの監督下で、信号用途のみでやる。わかったか?」
コリンは真剣な表情で頷いた。
「うん。分かってる。お爺さんも言ってたよ。道具は人を助けるためにあるって。だから、誰かを危険に晒すようなことはしない。信号だけ。色と音で合図するだけだよ。」
ニールがじっとコリンを見据える。学者肌の彼の目には、子どもの言葉を試すような冷静さがあった。
「君の言う『信号』がどういうものかは分からないけど、実行するなら試作と試験を重ねて万全の安全策を講じよう。僕も手伝う」
ジャスパーは腕を組んであきれ顔をしつつも、どこか楽しげに笑った。
「よし、ならルールはこうだ。コリン、作り方だけ教えてくれ。製作は甲板の一角で、作るのはニールとマテオ。おれが見張る。テストは陸地でやって、夜に使うのは合図の色と音が確認できたらだけ。無理ならボツだ、分かったな?」
マテオがにやりとする。
「分かった。オレが火の番やる。万が一コリンがやらかしたら、オレが責任を取る」
ルキフェルはコリンの瞳を見て、わずかに力を抜いた。
「いいだろう。けど、あくまで連絡手段だ。撃つための武器じゃない。仲間と港を救うための道具だ。約束しろ」
コリンは照れたように笑って、元気よく答えた。
「約束するよ。ぼく、絶対に失敗しないって約束できないけど、失敗させないようにやる。だから、信じて」
ルキフェルは一度だけ息を吐き、頷いた。
「じゃあ準備だ。コリン、お前は口だけ動かせ」
コリンが無邪気に手を挙げて「はーい」と答えると、マテオは肩をすくめて困ったように笑った。
「まあ、花火が無事に完成したとしても……誰に打たせるんだ? 船乗りどもは火を怖がる連中ばかりだぞ。下手すりゃ、船が燃えちまう」
ニールは額に手を当て、少し考え込むように眉を寄せた。
「それに、見張りの問題もまだ解決してないよね。うーん、困ったな」
その空気を破るように、ジャスパーがふと口元に不敵な笑みを浮かべた。
「……いるじゃないか。一人、協力してくれそうな奴が」
マテオとニール、そしてコリンは顔を見合わせ、首を傾げる。「え、誰?」とニールが訊ねると、ジャスパーはわずかに肩をすくめた。ルキフェルは彼のイタズラっぽい笑顔をじっと見つめた。
——碌でもないこと、考えてんな。
彼の視線に気付いたジャスパーは笑みを崩さず、ただ目だけで含みを持たせた。ルキフェルは唇を引き結び、少し首を傾げたまま考え込む。甲板に差し込む午後の光が五人の顔を照らしていた。
サン・マロの外れ、小さな港の岸壁に立つベルナルドは短剣をじっと見つめ、深いため息を吐いた。刀身は夕焼けを映し、淡く黄色に光る。
マクシミリアン・ブーケ隊を抜け出して早数日。襲撃の時は刻一刻と迫っていた。ベルナルドにとって、他の海賊団のことなどどうでもよかった。
ここに来た理由は二つ。フランソワ海賊団を逃すこと、ここであの男を待ち構えること。
その時、彼の背後から複数の足音が砂利を踏む音と共に響いた。ベルナルドが咄嗟に短剣を腰に帯びて振り返ると、彼の前に立っていたのは、あの五人組の海賊たちだった。コリンが一歩前に進み出し、両手で大事そうに円筒状の物体を差し出す。ベルナルドは眉をひそめながら訊ねた。
「これは……なんだい?」
コリンは少し照れくさそうに笑みを浮かべて答える。
「花火だよ。お願いがあるんだ」
ベルナルドはしばしそれを見つめ、夕陽に映える円筒をじっと見つめた。何か胸騒ぎを覚えながらも彼は言葉を探す。
「お願いって?」
「……俺が話す」
ルキフェルが一歩前に踏み出し、フードをゆっくりと下ろした。夕陽が差し込む中で、傷だらけの顔が露わになる。ベルナルドは思わず目を見開いた。
彼を惹きつけたのは、翡翠色の瞳だった。これまで暗闇やフードで隠されていた素顔。ほんの一瞬で見えた表情から、ルキフェルが若さゆえに抱えきれない孤独を背負って生きてきたことが痛いほどに伝わってくる。夕焼けに照らされた頬の傷や少し引き締まった唇が、ベルナルドの胸に重く響いた。沈黙のまま、互いの視線が交わる。
ルキフェルは深く息を吐き、ベルナルドの目をまっすぐに捉えた。ベルナルドが固く眉を寄せるのをよそに、ルキフェルは力強く続ける。
「明日、お前に見張りを頼みたい」
「見張り?」
ベルナルドの声には思わず驚きが混じった。ルキフェルは短く頷き、言葉を続ける。
「海軍の動向、そして港にいる他の船団の両方だ」
ルキフェルの瞳には一切の迷いがなかった。
「見張りの場所は、港付近にある屋上。小さな鐘楼があるから、海軍が来たら鐘を鳴らせ。望遠鏡と花火は常に携帯。他の船団が岸を離れたら、すぐ花火を打ち上げてくれ」
ルキフェルの指示は簡潔だが、彼の言葉には絶対の信頼と緊迫感が漂っていた。ベルナルドはわずかに眉を寄せて訊ねた。
「……でも、俺が海軍の回し者で、君たちを裏切る可能性だってあるだろ?」
ルキフェルは肩をすくめるように首を横に振り、淡々と言った。
「それはないな」
ベルナルドの目が一瞬鋭くなる。ルキフェルは彼から視線を逸らさず、さらに言葉を重ねる。
「一端の軍医が、わざわざ自分の部隊を離れてまで俺たちに接触した。本当は別の思惑があるのかもしれない。腹の底で何を考えているかは分からないが……その目は、何かを覚悟してここに来たんだろう?」
ベルナルドは息を呑んだ。自分の胸の奥まで、ルキフェルの洞察力が鋭く突き刺さるようだった。ルキフェルは構わず続ける。
「まあ、全ては明日になれば分かることだ。今は……お前を信じる」
夕焼けに染まる港の空気が、二人の間に静かな緊張と決意を運んだ。ベルナルドはしばし眉をひそめ、沈思黙考していた。やがて、彼はコリンから円筒状の物体を受け取り、小さく微笑む。
「俺を仲間として見てくれているのかい?」
ルキフェルは肩をすくめるようにして、口元に薄い笑みを浮かべた。
「どうだろう。好きなように解釈して構わない」
その後、ルキフェルは夕暮れの港を見渡すように視線を逸らして語り始める。
「ただ、これだけは言っておきたい。……俺は海軍に裏切られて、何を信じていいか今も分からない。裏切りだらけで嫌になる」
ルキフェルは深く息をつくと、翡翠の瞳がほんのわずかに光を帯びた。
「それでも……心の奥では、誰かを信じたいと叫んでる。裏切りだらけの世界で、お前の小さな良心に触れたことで、俺もまた誰かを信じたくなった」
ベルナルドはルキフェルの言葉に胸を打たれ、円筒をしっかり握りしめながら口を開いた。
「……よくわかったよ」
沈黙が港に漂う。彼の声は穏やかだが、彼の背後には鋼の意志が潜んでいることを、ルキフェルたちはすぐに察した。
「ここに来ると選んだのは……他ならぬ俺の意志だ。君たちが逃げ切れるよう、最後まで協力する」
ベルナルドの言葉にルキフェルの背筋が一瞬凍りつく。ベルナルドは続けた。
「たとえ、この首を斬られることになったとしても」
言葉の重さに五人の胸が一斉に締め付けられるが、ベルナルドの漆黒の瞳には真剣な覚悟の光が一筋、鮮やかに輝いていた。ルキフェルは彼の瞳をじっと見つめ、迷いなく一歩前に踏み出すとベルナルドの肩に手を置き、強く掴んだ。
「分かった、ベルナルド。お前の覚悟、俺たちが必ず受け止める」
自分たちが彼に罪を重ねようとしていたという重さは今、覚悟と信頼の形へと変わった。夕陽に照らされる岸壁で、ルキフェルたちはベルナルドの意思を全身で受け止め、これからの行動に力を込めることを誓う。恐怖や迷いを抱えながらも、彼らは信じるべきものを選び取った。




