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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】1・2巻「誕生編」  作者: セキユズル
第五章「これは、逃げじゃない。——“選択”だ」
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第五章⑥ 五人組とベルナルド

 各船団がそれぞれの甲板に戻ると、昼下がりの港は討議の声で満ちた。帆底で怒声が交じり合い、舷側では小さな輪が幾つも出来ては壊れる。


「ここに留まれば殲滅だ、オレは戦う!」

「兄貴、おれは生きたい。家族がいるんだ」

「逃げるにしても統率がないとバラバラに潰されるぞ」


 そんな断片があちこちから聞こえ、港の風景を埋めていく。ある船団では若い水夫が震えながら船長の袖を掴み、「船長、僕たちは生きたいです」と声を震わせる。別の甲板では、年寄り船長が冷たく頷いている。決断はそれぞれの事情を剥き出しにし、夜になっても終わらない。


 〈リュシアン号〉の甲板では、フランソワが代表立候補者として先頭に立つことを潔く受け入れた代わりに、ルキフェルが船内の取りまとめを任されていた。彼は普段通りフードを深く被っていたが、話し合いが進むにつれて顔を見せてほしいという声が幾度となく上がる。

 インチキを避けるため、正々堂々と判断を示す必要があった。ルキフェルは静かに言葉を投げる。


「皆の命が第一だ。ここでバラバラになれば、誰も助からない。フランソワの考えに賭けよう。俺は、そう思う」


 沈黙の後、答えは速かった。甲板にいるすべての者が順に頷き、短い言葉で賛意を示していく。ついには全員一致で「フランソワ」に票を投ずることが決まった。拍手や熱い眼差しはないが、静かな合意の中に固い決意が宿っていた。明日の投票は、ルキフェルが船団の代表として行くこととなる。顔を隠していたい自分が仲間たちの信頼を受けるためにフードを下ろさねばならない。その後ろめたさが、ルキフェルの肩を重くした。マテオは迷いなくルキフェルの肩に手を回す。


「安心しな。その顔を馬鹿にする奴が出たら、ぶん殴るから」


 小さな慰めのつもりであり、同時に宣告のようでもある。ルキフェルはふっと笑ったが、すぐに表情を引き締めて真顔で呟いた。


「頼むから、それだけはやめろよ。ほんとに、頼むから」


 夜が深まり、港が静けさを取り戻す頃。〈リュシアン号〉の甲板で涼むルキフェルの元に、軽い足取りでジャスパーが近づいてきた。


「ベルナルドが、おれたちに会いたいってさ」


 ルキフェルは眉を顰めたが、無言でジャスパーに頷くとすぐに船を降りて桟橋へと向かった。夜風に吹かれながら板張りの通路を歩くと桟橋の先でマテオ、ニール、コリンが待っているのが見える。


「さあ、行くぞ」


 ジャスパーが先頭に立つと、五人は身をかがめるようにして薄暗い路地を抜けていく。壁の影に潜むように歩きながら、ルキフェルは港街の新たな一面を目にして息を漏らした。


「サン・マロに、こんな場所があったなんて」


 路地を抜けると、ひっそりとした小さな港が目の前に広がった。岸壁の上には、揺れるランタンの灯りが一つ。そこに彼らを見つめる人物の姿があった。褐色の肌を夜の光にほんのり照らされ、艶やかな黒目で五人を捉えている。ベルナルドだ。彼の表情には驚きと警戒と、少しの安堵が混じっていた。五人は慎重にベルナルドの元へと近づいた。ルキフェルが先頭に立ち、フードを少し上げて訊ねる。


「なんの用だ」


 その瞬間、ジャスパーがルキフェルの頭を軽く叩いた。


「いてっ」

「違うだろ、ルキフェル」


 ジャスパーはベルナルドに向き直り、真剣な表情で言った。


「ありがとうな。あんたの情報のおかげで、おれたちは一歩前進できた」


 ベルナルドは頭を下げ、静かな声で応える。


「君たちの会合を、遠くから見させてもらった。……もどかしいな。明日の朝になってから動き出すんだろう? その間に海軍が来たらどうなるかと思うと、心が落ち着かない」


 マテオが肩をすくめながら言った。


「それでも、あんたがいなかったら、オレたちはやられていた。今思うとゾッとするな」


 ニールも頷きながら口を開く。


「知ってるのと知らないのとでは、大きく違うよ。僕らはベルナルドに感謝すべきだね」


 コリンは頷き、言葉はないものの同意の意を示す。その時、ベルナルドの視線がルキフェルの拳に巻かれた包帯に留まった。


「その手、どうしたんだい」


 ルキフェルは咄嗟に手を隠し、そっけなく答えた。


「なんでもない」


 するとジャスパーが横から口を挟んできた。


「扉を叩き割ろうとした時の怪我だ。ほら、駐在海軍員の家の」


 ベルナルドはルキフェルの手元をじっと見つめ、口元に柔らかな笑みを浮かべた。


「ああ、なるほど。包帯は定期的に変えな。そうすれば傷の治りも早くなる」


 ルキフェルはわずかに眉を顰めて答えた。


「俺にはその必要はない。仲間のために俺が耐える」


 ベルナルドは肩をすくめ、諭すように言った。


「仲間のためとはいえ、自分を押し殺す必要はない。そんなことをすれば、君の身も心も傷つけるだけだ」


 単なる軍医としての職務ではなく、目の前の人間を守ろうとする医師としての矜持が滲んでいた。ルキフェルの胸にも重く響く。コリンはランタンの灯りに照らされるベルナルドの顔をじっと見つめ、問いかけた。


「どうして、ここに呼んだの?」


 ベルナルドの表情は急に真剣さを増し、眉間に深い皺を寄せる。


「この港。君たちが普段使うような大きな港ではないだろう?」


 ルキフェルが頷き、ベルナルドは続ける。


「ここは補給線の穴だ。海軍は陸路を使ってサン・マロに辿り着く。もし奴らが動き出せば正面から来るよりも早く、街の重要拠点を押さえにくるだろう」


 ベルナルドの目は彼らを思いやる温かさも帯びていた。


「フランソワ船団は、この小さな港に隠れるべきだ。ここなら目立たずに待機できる。準備を整える時間も稼げる」


 ルキフェルは手を組みながら息を吐いた。


「わかった。投票が終わったらフランソワに共有しとこう」


 しばらく沈黙が落ちる。ランタンの炎が揺れ、壁に影が踊った。ベルナルドはふと言い足すように口を開く。


「……それと、もう一つある」


 全員の視線が集まる。


「ここからさらに北へ進んだ先に、小さな入江がある。街の外れだ。陸路からは入れない。入江へ続く扉の鍵は、海軍の駐在士官が管理していた」


 マテオが眉をひそめる。


「つまり……入るなら海から、ってことか?」

「ああ」


 ベルナルドは言葉を選ぶように少しだけ間を置いた。


「……これは、知り合いから聞いた話だ。その入江、昔は怪しい連中が取引に使っていた場所らしい。だが今は、使われている様子がない」


 マテオが顎を上げる。


「どんなところだよ、そこ」

「湿っぽくて薄暗い。潮の流れも複雑だ。だからこそ、人目につきにくい」


 ベルナルドはそれ以上説明しなかった。視線をわずかに落とし、記憶の奥をなぞるように言葉を続ける。


「身を隠す場所としては……悪くない。必要になればそういう選択肢もある、というだけだ」


 ベルナルドの脳裏には、一瞬だけ眼帯の男の姿がよぎっていた。

 この街に根を張り、表にも裏にも通じた情報を流してくれる、かつての恩人——アラン・クロード。だが、その名を口にすることはなかった。

 ルキフェルはベルナルドをじっと見つめたあと頷いた。


「……覚えておく」


 ややあってルキフェルは眉を顰め、改めて問いかけた。


「……なぜ、そこまで教えてくれる? 本来、俺たちはこうして集まれる仲じゃないはずだ」


 ベルナルドはゆっくりと息を吐き、目を細めた。


「君たちは普通の海賊団とは違う。海軍にとって、フランソワの船団は特別な存在だ。何度も観察し、警戒を重ねてきた。だからこそ、こうして知らせに来た」


 ルキフェルは彼の言葉に目を見開くと、ベルナルドは静かに問いかけた。


「君たちは……王宮の内情について、どれほど知っている?」


 ニールが少し間を置いて答えた。


「国王は僕らを悪の権化にしたがってるってことは聞いた」


 ベルナルドは頷き、一瞬の沈黙を置いた後、低い声で切り出した。


「それもそうだな。じゃあ……旧ブルボン派のことは知ってるかい?」


 コリンとマテオが顔を見合わせ、首を傾げる。


「旧ブルボン派?」


 ジャスパーに至ってはお手上げだと言わんばかりに両手を上げ、ニールは眉を寄せて考え込むように口を開いた。


「ブルボンって名前は聞いたことあるよ。もしかして……昔この国の王政を担っていた、ブルボン家と関係あるの?」


 ベルナルドは静かに頷き、説明する。


「そうだ。旧ブルボン派は、そのブルボン家の正統性を信奉する保守派たちのこと。政治思想とも言うな」


 ジャスパーは思わず懐かしげに言う。


「ああ。なんか、そんな奴らの話、聞いたことあるなー」


 ルキフェルの胸は突如として騒めきだした。


「ブルボン……」


 彼の脳裏に、一方的に突き放して喧嘩別れしたスザンヌとの記憶が鮮烈に甦る。

 笑い合った日々、交わした約束、そして別れの痛み。心臓が勝手にバクバクと高鳴り、手のひらが少し汗ばんだ。ルキフェルは慌てて頭を振り、己の心の暴走を抑えようとしたが、胸の奥のざわめきは簡単には消えなかった。ルキフェルの動揺を察したベルナルドがやや眉を寄せて訊ねる。


「どうかしたかい?」


 ルキフェルは咄嗟に頭を振り、声を上擦らせながら答えた。


「な、なんでもない……続けてくれ」


 ベルナルドは頷き、口を開く。


「もし君たちが、これからこの国と対峙するなら覚えておいたほうがいい。旧ブルボン派は政治的には弱体化している。でも、陰謀には強い。貴族社会特有の繋がりを駆使し、一部の海賊との裏取引も平気で行う」


 ルキフェルが僅かに眉を寄せたのを見て、ベルナルドはさらに言葉を重ねる。


「そんな旧ブルボン派の中には、フランソワを支持している者たちもいる」


 五人組の目が一斉に見開かれる。ルキフェルは思わず声を上げた。


「そんな……フランソワは、そんな奴らと取引など交わしてない」


 ベルナルドは落ち着いた口調で答える。


「わかっている。フランソワと旧ブルボン派の間に関わりはないことは、俺たちも当然知っている。けど、一部の者たちはフランソワの熱狂的な信者であることは事実だ。新王党は旧ブルボン派の粛清に急いでおり、海軍内部にも旧ブルボン派出身者がいる」


 ベルナルドの視線は真剣そのものだった。


「要するに……君たちを悪と象徴することで、新王党は民衆からの支持を得る。そして、旧ブルボン派に対して圧力をかけられるんだ」


 ベルナルドの言葉が港に溶け込んだ時、五人組はしばらく口を開かなかった。理解に至るまでの沈黙。ルキフェルは自分の拳に視線を落とした。自分の血に濡れた包帯を見つめ、自嘲する。


「……俺たちの七年は、この程度の傷で済む物じゃなかったんだな」


 皆、緊張を抱えながらその場に沈黙した。ルキフェルも拳を下ろし、一度深呼吸する。やがてジャスパーが肩を竦め、呆れたように吐き捨てた。


「腐ってんなー、陸の世界は」


 ジャスパーは声に苛立ちを滲ませながら続ける。


「おれたちの存在が、貴族連中の争いの道具に使われるなんて。まっぴらごめんだ」


 マテオが拳を握り締め、低い声で言う。


「じゃあ、なにがなんでも逃げなきゃいけねぇ」


 ルキフェルも決然とした表情で頷き、口を開いた。


「ああ、貴族連中の思い通りにはさせない。俺たちは……自由な人間なんだから」


 ニールが肩を竦めながら、少し真剣な顔で言った。


「でも今は、投票に集中しなきゃね」


 コリンも頷く。ベルナルドは申し訳なさそうに視線を落とし、低く呟いた。


「すまない、大事な時に困らせるようなことを言った」


 ルキフェルはふっと笑みを浮かべながら答える。


「問題ないさ。俺たちは、今できることをやるだけだ」


 ルキフェルは夜の港を見渡しながら続ける。


「そろそろ帰ろうか。ここに長く居てはお前の立場も危ない」


 ベルナルドは頷き、ルキフェルは柔らかい表情で言葉を重ねる。


「有益な情報に感謝する。また明日、会えることを祈ろう」


 五人組はお互いに視線を交わし、静かに別れを告げた。ベルナルドもランタンの明かりを掲げ、小さな港の奥へと歩き去っていく。


 夜の静寂の中、港には彼らだけの余韻が残った。

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