↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
報復の航路【第二作 ルー・ブレス】1・2巻「誕生編」  作者: セキユズル
第五章「これは、逃げじゃない。——“選択”だ」
88/111

第五章⑤ 海賊合議

 港の広場には数百人の海の男たちが集まっていた。潮風に吹かれながら、彼らは港の中央に設けられた木製の壇を囲み、上に立つ船長たちの顔をじっと見上げている。ざわつきと低い囁きが混ざり合い、場の空気は重い。甲板靴の音が響くたびに、誰もが無意識に武器の柄へと手をやった。年長の船長が一歩前に出て、全員の視線を集める。


「静まれ、皆の衆!」


 喧騒が少しずつ収まり、波の音と帆綱の軋みだけが残る。男は低く響く声で言った。


「まず、海軍の襲撃についてだ。……フランソワ、詳しい話を聞かせてくれ」


 フランソワは深く息を吸い、前に出た。声は静かだったが、港の隅々まで届いた。


「俺たちに与えられた、七日間の猶予。あれは罠だ」


 ざわりと群衆が一斉に反応する。


「奴らは俺たちをサン・マロに留めておき、最短で四日後に全滅させるつもりだ。隠密員が確認した。もう殲滅隊は出ている」


 瞬間、広場が爆ぜた。


「ふざけるな!」

「海軍の連中め!」

「ここまで来て裏切りか!」


 怒号が波のように押し寄せ、空気が揺れる。一部の若い船員が拳を突き上げ、他の者がブーイングで応える。誰かが樽を蹴り飛ばし、乾いた音が響いた。だがフランソワは両手を上げ、声を張る。


「落ち着け! まだ終わってない!」

 

 年長の船長も手を振り、荒れた空気を抑えるように叫ぶ。やがて騒ぎが収まり、再び視線がフランソワへと集まった。


「……俺たちは逃げる」


 フランソワの言葉に一瞬時が止まった。次の瞬間、広場のあちこちから再びざわめきが起こる。


「逃げるだと?」

「この町を捨てるのか?」

「海軍相手に背を向けるなんて恥だ!」


 戦う派の者たちが怒鳴り、拳を振り上げる。フランソワは揺らがずに言葉を重ねた。


「だが、俺たちは仲間を見捨てるわけにはいかない。全船団でこの街を撤退する。誰一人、置き去りにしない。全員で生き延びるために、だ」


 今度は逃げる派がざわめいた。


「それでいい」

「命を無駄にするな」

「次の機会を待てばいい」


 戦う派の怒声も混ざり、広場は一気に二つの陣営に割れた。互いに罵声を浴びせ、手が武器へと伸びかける。海の男たちの誇りと恐怖、理屈と激情がせめぎ合い、空気がひりついた。フランソワはそんな渦中に立ち、周囲を見渡す。この混乱を抑えねばならない。彼の瞳には、嵐を前にしたような冷たい光が宿っていた。


「——臆病者め!」


 その一言に、港のざわめきが凍りついた。声の主、マルク・ドイチュがゆっくりと立ち上がる。背中の巨大な斧が、まるで彼の生き方そのもののように存在を主張していた。


「逃げろ、撤退だ、生き延びろ……」


 低く吐き捨てるように言い、マルクはフランソワを睨み据える。


「オレは海を愛している。嵐も、血の匂いも、仲間が叫ぶ声もだ。それらを捨ててまで、生き延びる意味がどこにある?」


 彼の声には、怒りよりも怯えに近い色が混じっていた。


「戦わずに逃げて生き残ったとして、その先でオレたちは何者になる? 名前も誇りも捨てた、生きるだけの屍だ!」


 ざわり、と戦う派の船員たちが息を呑む。それは勇ましさではなく、胸の奥を突かれた反応だった。フランソワはすぐには答えなかった。しばらく沈黙し、やがて口を開いた


「……生きる屍になるかどうかは、戦ったかどうかじゃない。生き残って、仲間を守って、次に何を選ぶかだ。死んだら、それすら選べない」

「選べなくてもいい!」


 マルクが噛みつく。


「選べる未来なんてものは、誇りを捨てた瞬間に終わる!」


 二人の言葉は交わらないが、どちらも恐怖から生まれていることだけは、誰の目にも明らかだった。フランソワはしばらくマルクの怒りを受け止めるように黙っていたが、口を開いた。


「誇りも名誉も、生きてこそ守れるものだ」


 フランソワの言葉に、広場の空気が一瞬だけ静まる。フランソワは視線を逸らさず、低く続けた。


「俺たちは、命を賭ける場所を間違えちゃいけない。海軍は俺たちを狩り尽くす気だ。サン・マロでの戦いは、罠の上で踊るようなもんだ」

「……それでも、あんたは尻尾を巻いて逃げるってのか?」


 マルクの声には、侮蔑と怒りが滲む。


「違う。俺は生き延びるために撤退すると言っているんだ。」

「詭弁だ!」

 

 マルクが怒鳴り、斧の柄に手をかける。その瞬間、数人の船長が間に入って押さえた。


「待て、マルク!」

「話を聞け!」


 緊張が走る中、別の船長が口を開く。


「おれはフランソワに賛成だ。あの海軍の包囲網に突っ込めば、船も仲間も全部失う」

「だが、逃げてどうする? どこへ行く?」

「トルチュ島だ。西へ渡れば、まだ自由な海がある」

「そんな航路、危険すぎる!」


 口々に意見が飛び交い、港の広場は再び混乱に包まれる。怒声、議論、罵倒、それでも、誰もフランソワから視線を外せなかった。彼の沈黙が、嵐の目のようにその場を支配していたからだ。


 広場の隅、群衆のざわめきの向こうで、ルキフェルは外套のフードを深く被り、顔を影に沈めていた。両の拳は固く握られ、指先が白くなるほど力が入っている。斧を背負ったマルクもフランソワも、言っていることはどちらも間違ってはいない。

 だからこそ、どちらに流れが傾くのか分からないこの空気が、ルキフェルには恐ろしくて仕方なかった。戦うことは彼にとって未知ではない。だが今この場で争うのは、剣や銃ではなく、言葉と信念だ。その戦いの中で、フランソワが負ける姿を想像するだけで、胸の奥がざらつくように痛んだ。ルキフェルの目に映るフランソワは海賊団の船長ではなく、あの日自分を拾い、叱り、笑ってくれた育ての父として映っていた。


「……頼む、フランソワ」


 誰にも聞こえぬほどルキフェルは呟く。彼の隣では仲間たち——ジャスパー、マテオ、ニール、コリンの四人も沈黙を貫いていた。港の空気を裂くような怒号と議論が飛び交うなか、彼らは稀に見る「海賊たちの会合」を、歴史の証人のように固唾を呑んで見守っている。


 港の広場に響く怒号と混乱の渦の中、年長の船長が一歩前へ出た。白髪まじりの髭を撫でながら、重々しい咳払いを一つ。


「このまま口で殴り合っても、埒があかん」


 彼の声が荒れた議論を一瞬で断ち切った。怒鳴り合い、罵り合っていた船長たちが一斉に黙り、視線をその男に向ける。


「では、こういうのはどうだ?」


 彼はゆっくりと周囲を見渡し、喧騒の残滓を飲み込むように低く続けた。


「誰を総代表とするかを、だ。——投票で決めよう」


 その瞬間、広場の空気が揺れた。


「投票だと?」

「待て、今さら代表制か?」

「この混乱で足並みを揃えられるのは、それしかねぇだろ!」

「だが、誰が総代表を名乗ったところで——」


 あちこちから声が飛び交い、再びざわめきが波のように押し寄せる。その中で、一人の年若い船長が進み出た。まだ三十にも満たぬ若者だが、瞳には決意が宿っていた。


「おれは賛成だ。このまま居座れば包囲される。逃げるにしても、統率が要る。だからこそ投票で舵を決めるべきだと思う!」

「けどよ、その前にうちの船団と話し合いたい!」

「時間がねえんだ。明日にでも結論を出さなきゃ、全員海の藻屑だ!」


 怒鳴り声が飛び交う中、年長船長は手を挙げて静止を促した。


「——なら、こうしよう」


 彼の声音には経験からくる威厳と重みがあった。


「票は各船一つずつ。実際の投票は、明日の朝だ。それまで自分の船団で話し合うなり、船員同士で投票するなりして結論を出す。各船の船長は、船団の代表として全員の決断をここに示せ」


 港の空気が静まり返った。誰もがその提案の意味を理解していた。もはや逃げ場のない現実を、選ぶのは自分たち自身だということを。フランソワは息を吐き、ルキフェルは遠くから彼の背中を見つめながら、拳をゆっくりと握りしめた。年長の船長が周囲をゆっくり見渡した。


「異論はないか?」


 船長たちの目が次々と年長者に向けられる。フランソワは迷わず、真っ先に片手を上げて賛意を示した。すると、驚いたことにマルク・ドイチュも手を挙げる。


「……わかった、賛成だ」


 次々と船長たちも同調の意思を示し、広場には穏やかな納得の空気が漂い始めた。年長船長は小さく頷き、重々しい声で口を開く。


「んじゃ、決まりだな。一応聞くが……この中で総代表になりたい奴はいるか?」


 一瞬の間を置いて、フランソワが片手を高く揚げる。


「俺がやろう」


 年長船長は微笑みながら言った。


「まあ、そりゃそうだろうな」


 彼は目を細めてじっとフランソワを見やる。


「お前、この流れを狙っていただろう?」


 フランソワは肩をすくめ、軽く笑ってシラを切った。


「さて、なんのことやら」


 するとマルクも片手を挙げ、背筋を伸ばして言った。


「んじゃ、オレも名乗らせてもらう。ここで決着をつけようか」


 年長船長は深く息を吐き、両手を広げて宣言した。


「それじゃ、少しお喋りが過ぎたので私は黙らせていただく」


 今度は先ほどの年若い船長が前に進み出て、低く鋭い声で言った。


「では、二人には演説をしてもらう。皆のもの、しかと聞くがいい」


 ざわめきが一瞬で静まり、広場全体に緊張が張り詰める。まずマルクが一歩前に出た。背中に背負った斧の柄が光を受けて鈍く輝く。


「聞け! オレは死にたいわけじゃない。だがな、誇りを失って生きるくらいなら死を選ぶ」


 マルクの言葉に、船員たちの表情が変わる。誰も笑わない。誰も軽口を叩かない。


「戦わずに逃げ続けた先で、オレたちは何を語れる? あの時、海を捨てたと?オレは、海に生きた男として死にたい。それすら否定されるならオレは、生きている意味を失う」


 マルクの言葉が港に残した熱がまだ消えきらない中で、フランソワは一歩、前に出た。足音は静かだったが、不思議と誰も目を逸らさなかった。


「……マルクの言葉は、間違っていない。誇りを失って生きるくらいなら、死んだ方がいい。そう思う気持ちは、俺にも分かる」


 フランソワは胸に手を当てる。


「俺だって、怖い。逃げることで、何かを捨てることになるんじゃないかと夜中に何度も考えた」


 誰かが息を呑む音がした。フランソワの声が少しだけ強くなる。


「けど……死んだら、それで終わりだ。誇りも、名誉も、後悔も、何も残らない」


 港を見渡す。顔、顔、顔。


「生き残った先で誇りを失うかどうかは、逃げたかどうかじゃない。『どう生き続けるか』で決まる。この街で死ぬことは、勇敢かもしれない。けどそれは、海軍の思う壺だ。奴らは、俺たちに名誉ある死を選ばせたいだけだ。俺は、それが許せない。生き延びて、力を蓄えて、次に戦う場所を自分たちで選ぶ。それこそが、海賊の自由だと俺は思う」


 フランソワの穏やかな眼差しが、マルクに向けられる。


「……マルク。お前が海を愛していることを、俺は知っている。だからこそ言う。海は死に場所じゃない。生き続けるための場所だ」


 そして、フランソワは港全体を見渡した。


 「俺は、皆に生きてほしい。名誉を取り戻す未来を、選べる場所へ行ってほしい。だから俺は、旗頭として立つ。全船団を、生きたまま次の海へ連れていくために」


 風が吹き、旗が鳴る。フランソワは深く息を吸い、言い切った。


「これは、逃げじゃない。——“選択”だ」


 フランソワの息が白く、まっすぐ天に昇った。言葉が尽きたあとも、フランソワはそこに立っていた。風に揺れる旗の音だけが港に残る。拍手も罵声もない。あるのは、各々が胸の奥に押し込まれたままの言葉を、どう扱えばいいのか分からずにいる沈黙だ。

 船長たちは互いに視線を交わし、船員たちは足元の石畳を見つめたまま動かない。誰もが、自分の中に残された「誇り」と「生きたいという欲」を、否応なく見つめさせられていた。

 フランソワは急かさない。説き伏せることもしない。代弁者としてそこに立ち続ける。

 結論はまだ出ていないが、明日の投票が、この船団の行く先が、もはや惰性では決まらないことだけは誰の目にも明らかだった。フランソワの演説が終わると、広場に一瞬の静寂が訪れた。

 その沈黙を破ったのは、先ほど演説を取り仕切った年若い船長だった。


「二人とも、ありがとう。では、今日はこの辺でお開きとしようか。他に何か言いたい者は?」


 船長たちは互いに部下たちの顔を見渡し、意見を確かめる。やがて、一通り確認したあと次々に首を横に振り、「特にないぜ」「俺もなしだ」といった短い返答が返ってくる。年長船長が口を開き、低く力強い声で告げる。


「それじゃ、明日の朝までに結論を出すことだ」


 別の船長が続ける。


「皆、ちゃんと自分の船団と向き合って決断するように」

「遅滞は許さないからな」


 広場に集まった海賊たちは、それぞれの意志を確認するように頷き、静かに会合を終えた。船長たちは部下たちを引き連れ、順々に自分の船へ戻っていく。

 フランソワとマルクは互いに見合い、沈黙が二人の間に流れる。やがてマルクの方から背を向け、堂々とした足取りで立ち去った。

 フランソワは青空を仰ぎ、一息つく。


 意志は伝えた、自分の言葉で。あとは皆に任せるのみだ。


 胸の奥に小さな覚悟の炎が灯っていた。

 どちらに転んでも、自らの決断で仲間たちを守る。

 その覚悟だけが今の彼の全てだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。