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報復の航路【第二作 ルー・ブレス】1・2巻「誕生編」  作者: セキユズル
第三章「んじゃ、お前は今日から“ルカ”だ」
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第三章⑤ 戦闘後

 ルキフェルは自室の扉を半分だけ開け、外の静けさに耳を澄ませる。微かに海風が船体を揺らす音だけが聞こえる中、彼は小さく呟いた。


「ん、もう終わったか」


 振り返ると、控えていたマテオが立っていた。ルキフェルは微笑み、声をかける。


「そろそろ甲板に行こうか」


 マテオは頷くと言葉少なにルキフェルの後ろを追い、無言のまま自室を出ていった。二人の影が薄暗い廊下に揺れながら、甲板へと続く階段へ向かっていく。



 〈リュシアン号〉の甲板では、捕えられた敵船長と十二人の敵船員たちが、しっかりと縛られていた。しかし、フランソワ船団の船員たちが略奪に夢中で敵船側の甲板を荒らし回る中、敵船員たちは不意を突いて、縛られた縄を手際よく解き始めた。

 一斉に解放された敵船員たちは、今度はこちらの船員たちへと襲いかかり、甲板上は瞬く間に混乱の渦となる。ジャスパーもカットラスを握り応戦するが、数人の敵が船内への階段を駆け下り、船の奥へと姿を消した。

 イングランド私掠船から急ぎ駆けつけたフランソワは〈リュシアン号〉の甲板上に立ち、いまだ縛られたまま不敵な笑みを浮かべる敵船長を睨みつけた。彼の視線は冷徹そのもので、戦闘の喧騒の中でも、周囲の空気を一瞬で締め上げるほどの迫力を放っていた。


 廊下は狭く、ランタンの灯りが揺れるだけで足音がやけに大きく響いた。ルキフェルとマテオは並んで歩いていたが、彼らの前方——細い奥まった通路から、鞘が金属とぶつかる音が低く鳴ったのをルキフェルが察した。


「……くそっ、敵が入り込んだか」


 ルキフェルは咄嗟にフードを深く引き、声を潜める。狭い廊下の奥から武器を構えた、見知らぬ三人の船員が姿を現した。刃先が灯りをちらつかせ、顔には警戒と好戦の色が滲んでいる。ルキフェルはマテオに命じた。


「下がってろ。俺が守る」


 マテオは一瞬戸惑いを見せたがすぐに一歩下がり、廊下の壁にもたれながらルキフェルを見守る。ルキフェルの視線は廊下のあちこちを素早く走り、武器に使えそうなものを探した。

 薄暗がりの中、目に入ったのは一本の箒、一本の鞘、そして床に無造作に残された余りのロープ。どれも戦場の正規の武器ではないが、ルキフェルの顔に僅かな笑みが宿る。


 フランソワに教わった「道具を武器に変える」感覚が、彼の手の内で働き始めた。


 先に仕掛けてきたのは真ん中の男。短剣を振りかぶり突進してきた。ルキフェルは一歩横にずれて、手に取った箒の柄を遠心力をつけて振り抜く。力の全てを柄に乗せ、男の側頭部付近を鉄槌のように打ち下ろすと、衝撃で男はその場に倒れ込んだ。気絶させるのに十分な一撃だ。


 続いて左の男が飛びかかる。ルキフェルは倒れた男から取り上げた鞘を素早く手にし、相手の関節を狙う。鞘の角を肘関節に当ててひねりを加えると、男は驚きと痛みに表情を歪め、膝まずいた。そのまま鞘を返し、相手の腕を固めて動きを封じる。関節を抑える組み立ては冷徹で、致命に向かわずにも無力化する正確さを持っていた。


 残る一人が最後の抵抗に出る。廊下の床に絡まったロープの端が目に入ると、ルキフェルはそれを利用して跳びかかり、紐を男の足に絡ませ、体重をかけて相手の立ち位置を崩すと一瞬の隙にロープを首筋へ滑らせ、捕縄術めいた締めを入れる。相手は呼吸を詰められながら次第に力をなくし、やがて膝をついて動かなくなった。


 静寂が戻る。倒れた三人は気を失うか、動けぬ状態で床に横たわっている。ルキフェルは重く息を吐き、衣の裾で手についた埃を払った。短い戦闘だが、無駄なく相手の動きを断つその手腕に、マテオは唇を噛んで何かを抑え込むようにしていた。


「もう安心だ」


 ルキフェルが投げかけると、マテオは沈黙のまま頷いた。ルキフェルは床に落ちた鞘と箒を拾い上げ、外套のフードを少し直しながら廊下を見回す。敵の足取りや侵入経路を突き止める必要があるが、今はまずここで止めたことだけを胸に収めた。ルキフェルとマテオが廊下を歩き、甲板への階段が目の前に見えた時、ジャスパーが急ぎ足で階段を駆け下りてきて、思わず二人とぶつかりそうになった。


「おっと、大丈夫か!? あいつら見た?」


 ジャスパーが慌てた様子で周囲を見回し、ルキフェルは歩いてきた廊下の先を指差した。

「……あの先で眠ってるぞ」


 ジャスパーは指差された方向を見やり、少し笑いながら肩をすくめた。


「相変わらずつえーよ、お前」


 ジャスパーは階段を降りてくる水夫たちを引き連れながら言った。


「じゃあ縛り上げてくるわ」


 ルキフェルが指差した廊下の先に向かって、ジャスパーたちは軽やかな足取りで去っていった。マテオは少し驚きつつも、階段を上がっていったルキフェルの後ろを黙ってついていく。廊下には再び静けさが戻った。



 〈リュシアン号〉では、イングランド私掠船からの積荷の略奪が終わり、甲板に並べられた敵船長と、先ほど反撃してきた船員たちが一列に整列している。フランソワは敵たちをぐるりと見回し、冷静な声で口を開いた。


「本来ならここで、俺の船団に加わるかどうかを問いたかったところだが……」


 フランソワは少し間を置き、厳しい目で相手たちを見据えながら続ける。


「さっきはよくもやってくれたな。お前たちはこの船に加わる気がない、という意思表示として受け取ってよかっただろうか」


 敵船員たちはフランソワの視線と威圧感に押され、互いに顔を伏せるしかな かった。甲板の片隅、ルキフェルは帳簿を広げて数字を追いながらも、耳だけはフランソワとイングランド船員たちのやり取りに傾けている。今この瞬間の決定が、自分の役割や動き方に大きく影響することを理解している。


 彼らを捕虜として扱うか否か、その最終決定権はフランソワにある。

 これまで、フランソワに従わず逆らった者はいなかった。しかし、今回の敵船員たちは逆襲という形で自らの意思を露骨に示した。ルキフェルは帳簿の上でペンを握ったまま一瞬手を止め、眉間に皺を寄せる。頭の中で複雑な計算と可能性を巡らせながら、この新たな局面にどう立ち回るべきかを考えていた。

 甲板上に静寂が戻るかと思われた瞬間、イングランド私掠船の船長が低く唸るように言った。


「……部下がバカなことをして、すまなかった」


 フランソワや周囲の船員が静かに見守る中、敵船長は深く息をつき、声を強めて甲板に響かせた。


「我が船、ならびに船員は降伏する。今後、貴船団の指揮下に従うことを誓う」


 彼の声に甲板にいる全員が一瞬息を呑んだ。これまで一度も降伏の意思を見せなかった敵船長が、初めて自らの意思で立場を明確に示す姿だった。フランソワは頷き、甲板上に声を響かせる。


「わかった。受け入れを希望する者はこの後、うちのクォーターマスターに申し出るように」


 すぐさま、縄で縛られていた敵船員たちの縄を解くように指示が飛ぶ。ロープが床に落ちる音が甲板に響き渡る中、ルキフェルは帳簿を片手にゆっくりと敵船員たちに歩み寄った。マテオもルキフェルの背後で付き従う。


「ここで申し出る者はいるか。クォーターマスターの私が確認する」


 敵船員たちは互いに顔を見合わせ、緊張の中で少しずつ手を挙げていく。こうして敵船団の降伏が、ルキフェルの手で正式に受理されようとしていた。

 フランソワは一歩前に出て、敵船長と握手を交わそうとした途端、敵船長の瞳の奥にわずかな動揺と異様な光が宿る。マテオはすぐさまその違和感を察知した。


 次の瞬間、敵船長が懐に忍ばせていた短剣を取り出し、フランソワめがけて突進する。敵船長の不自然な動きを誰よりも早く察知したマテオは、躊躇なく近くにいた船員の手元から短剣を抜き取り、刀身を口に咥えると体勢を低くして瞬時に前へ走り出した。瞬間、遅れてルキフェルが状況を理解した。


「フランソワ、危ない!」


 甲板全体にルキフェルの声が響き渡る。フランソワは一瞬で身構える。

 マテオが蛇のように地を駆け、敵船長を追い越してフランソワの前に躍り出ると、敵船長は不敵な笑みを浮かべながら、マテオに迫って「邪魔だ!」と叫ぶ。が、マテオは彼の叫びをものともせず、口に咥えた短剣を咄嗟に逆手持ちに切り替えた。敵船長が振りかぶった刃をかわしつつ、マテオは瞬時に距離を詰め、敵の体勢が崩れたところを見逃さない。右腕だけで巧みに短剣を操り、敵の急所——首筋と肩の隙間を狙い、一瞬の閃光のような動作で刃を深く突き立てた。敵船長の眼が大きく見開かれ、甲板上に短く呻き声を残して力なく沈んでいく。


 周囲が凍りついたように静まり返る中、マテオは平然と刃を引き抜き、何事もなかったかのように立ち尽くした。白い麻のシャツは鮮やかな赤に染まり、彼の姿に誰もが一瞬息を飲んだ。片腕しか持たないはずの青年が冷徹に、完璧な手順で敵を仕留めたのである。ルキフェルは思わず唸った。


「……まさか、そんな手腕を——」


 甲板上の静寂が続く中、マテオは無言のままルキフェルとフランソワに視線を向けた。彼の眼差しには、片腕ながらも圧倒的な冷静さと殺意が宿っている。ルキフェルはその鋭い視線に思わず身を引き、フランソワも目を見開いた。マテオは死んだ敵船長に目を一瞥し、凛とした声で告げた。


「逆らう奴はこうだ。覚えてろよ、恩知らずが」


 その言葉は甲板の空気に鋭く突き刺さり、周囲の船員たちは戦慄する。無力だと思われていた青年が力を示した瞬間だった。フランソワは敵船長の死体を見下ろし、踏みしめる足元に広がる深紅の海を感じながら、死体に残された刃の痕を注意深く追った。


「なるほど。……暗殺術か」


 敵船長の体に突き立てられた刃の角度、狙われた部位、致命のタイミングが計算され尽くしていた痕跡だとフランソワは一瞬で把握していた。

「あれが……そうなのか……」


 ルキフェルは声にならない吐息とともに内心で震えた。知識としては暗殺術の存在を理解していた。だが、術として目の前で具現化される瞬間、あの美しい侵入者が、実は自分の前に立つ最大の脅威だったことを悟る。

 これまで無敵を誇っていた自分に、初めて本物の恐怖が訪れた。

 身体が自然に硬直し、心臓の奥から冷たい恐怖が押し寄せる。初めて「こいつは自分が手を出す前に、すでに戦いの勝者になれる」という事実を痛感し、ルキフェルは震える手で帳簿を握り直した。マテオは無言で敵船員たちに目を向け、短剣をゆっくりと握り直す。



「他の奴もだ。フランソワ船長に刃向かうやつは、オレが許さねえ」


 低く、荒々しい声が甲板に響き渡る。船員たちは一様に息を呑み、フランソワもまた唇を軽く噛んでいた。ルキフェルは無意識にマテオの動きを追い、この青年をこの先、自分の側に置く意味を悟った。恐怖と薄く混じる尊敬。それが、今の彼の心を支配していた。その時、甲板上でフランソワの声が高らかに響く。


「よし、後始末だ。船員たち、あいつらを確実に管理しろ」


 命令は冷静でありながら、戦場での緊迫感を残しているが、ルキフェルの目はマテオから離れなかった。これまで誰にも見せなかった、本物の力を目の当たりにしたからだ。ヤフがて、死体の処理や荒れた船内の後片付けが速やかに進められる。血の跡を拭き、散乱した物資をまとめ、船員たちは互いに連携して作業を行った。ルキフェルはその彼らの合間を縫い、敵船員たちの受け入れに関わる責務をすべてこなしていく。やがて仕事を終え、ふと甲板上に目をやるとマテオの姿がどこにも見当たらなかった。


「……あいつ、どこにいる?」


 ルキフェルは呟き、ふと思い当たる。

業務の最中、マテオは自らの位置をわざと船尾に置くことがあった。

 もしかしたら今も、船尾で静かに風に当たっているのかもしれない。

 そう考えると、自然に足が船尾へ向かっていた。甲板をゆっくりと歩きながら、周囲の掃除の様子に目を配りつつ、ルキフェルはマテオの姿を探す。船尾の手すりにたどり着くと風に揺れる帆の下、波の音が耳に届いた。

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