第三章④ 私掠船団の戦い
ささやかな休息を終え、フランソワ船団は傘下にある二隻の船団と合流を果たした。
サン・マロの港では早朝から水夫たちの怒号が飛び交い、樽や火薬箱が次々と積み込まれていく。今回は砲弾も武器もいつになく多い。誰もが次の狩りに備えていた。
海軍の通達によれば、シェルブール沖でイングランドの私掠船団がフランス沿岸を荒らしているという。王国から正式に私掠免状を受けている彼らにとって、それは同業者狩りを意味していた。見逃すわけにはいかない。
港に駐在していた海軍員から情報を受け取り、フランソワ船団はすぐさま出港の準備を整えた。マストが風を孕み、帆が大きくはためく。サン・マロの街を背に、三隻の旗船がゆっくりと湾を離れていった。海風に翻る赤と白の旗は、まるで獲物の血を予告するかのよう。甲板には潮と火薬の匂いが満ちていた。フランソワは地図台に肘をつき、航海士と砲手長を前に作戦の確認を行っていく。帆の角度を指し示しながら、彼は指示を飛ばした。
「まずは追跡。砲撃はするな。奴らの死角を取るように背後を回り込む」
航海士が頷き、すぐに手元の羅針盤を確かめた。続けてフランソワは二隻の僚艦の配置を指で示す。
「二隻で奴らを挟み撃ちにする。ただし、撃つな。脅すだけでいい。砲口を向けて距離を取れ。狙いは威嚇だ」
砲手長が顎に手を当て、笑みを浮かべる。
「なるほど。逃げ場を塞ぐわけですな」
「そうだ。獲物が焦って舵を切った瞬間が狙い目だ」
フランソワが地図の端に置かれた赤い駒を指で弾く。
「最後はこの船で仕留める。俺が先頭に立って奴らの船尾を奪うってわけだ」
甲板にいた数人の士官たちが息を呑んだ。いつものことだ。フランソワは指揮官である前に、戦場で最も危険な位置に立つ戦士でもある。甲板の片隅、帆の影が落ちる場所にルキフェルとマテオは並んで立っていた。二人とも表には出ないが、それぞれの視線はフランソワの指示を追っている。潮風が顔を撫で、甲板では士官たちが地図を片手に細やかな確認を続けている。マテオが呟いた。
「今回は、フランソワ船長が表に出るんですね」
ルキフェルは一瞬だけマテオを見て淡々と返す。
「戦のときにフランソワが前へ出るのはいつものこと。陣形も指揮も、彼が一番信用できる。海の上の顔は分担する、それがこの船団のやり方なんだ。みんなそれぞれ役割がある。もちろん、表に出る奴が全てというわけじゃない。裏目が外れたら、表は死ぬ。互いに噛み合って初めて成り立つんだ」
マテオはルキフェルの言葉をじっと受け止め、少しだけ目を細める。ルキフェルは甲板の向こうで帆が一斉に調整される様子を見つめた。艦隊が静かに動き始め、風が音を変える。緊張の糸が引き締まっていくのを二人とも肌で感じた。甲板の空気が一瞬、張り詰めた。遠く、水平線の上に黒い影が浮かぶのを見つけ、見張りが声を上げる。
「帆影! 南西、二十度! 帆走船、三本!」
見張の声は甲板を走り、瞬時に士気が切り替わる。帆が急に俄かに鳴り、砲手長が兵を集め、航海士が遠眼鏡を覗き込む。フランソワは地図を手にしたままゆっくりと顔を上げ、敵影を見据えた。
「他の二隻に伝えろ。奴らの背後を取って接近する。距離を保て。背後から脅しをかけ、無用な被弾を避ける。砲手は砲門を整え、火薬庫の点検を急げ。船員は武器を装備、白兵に備えよ」
走者が甲板を駆け、信号旗が揚がる。帆は風を捕らえ、三隻の船団が静かに船首を揃えて敵に向かう。甲板の上では縄が滑る音、板が軋む音、指示を伝える声が折り重なり、戦の前の機能的な喧騒が生まれた。フランソワは指示を次々と出し終えると、ふとルキフェルとマテオの方に視線を向け、足早に近づいてきた。甲板の風にあおられた彼のコートの裾が揺れる。
「ルキフェル、マテオ。お前たちは船内だ。積み荷の固定と救急物資の確認を急げ。何かあれば直ちに報告しろ。分かったな?」
ルキフェルは一瞬ぎょっとした表情を見せたが、すぐに呼吸を整え、無言で頷いた。マテオも軽く頭を下げる。フランソワは続けて付け加えた。
「甲板の采配は俺が取る。お前らは船を守る後方だ。無用の危険はおかすな」
ルキフェルは歯を噛み締めるように言った。
「了解。すぐ行動に移す」
二人は階段へ向かい、船内へと降りていく。甲板では既に帆が整えられ、艤装員たちが静かに位置につく。フランソワの低い声と指示が甲板全体を貫き、船団は敵へ向かって進み始めた。フランソワの指示どおり、船内では積荷の固定と救急物資の確認が慌ただしく行われる。ロープで樽や木箱を縛り、包帯や薬瓶を整える音が響く。ルキフェルとマテオは手際よくそれらを済ませると報告を交わした。
「よし、積荷はこれで全部だな」
「救急箱も確認しました。包帯も薬も揃っています」
マテオが言うとルキフェルはどこか虚空を見つめるような目で息を吐き出すと、マテオに背を向けて廊下を歩き出した。彼の背中に、マテオの声が追いかける。
「マスター、甲板に戻らなくていいんですか?」
足を止めたルキフェルは暫く沈黙したあと、わずかに首を横に振った。
「……いや。俺は部屋で待機だ」
ルキフェルの低い声が木壁に反響する。それだけでは終わらず、ルキフェルは苦笑とも溜息ともつかない声で続けた。
「フランソワは、あんな風に俺を戦闘から遠ざけるんだ」
彼は指先で額から頬にかけて、斜めに走る古傷をなぞった。
「……この顔を、他の奴らに晒したくないんだろうな」
ルキフェルの声音には怒りでも悲しみでもなく、乾いた諦念が滲んでいた。船体の外で砲弾を詰める音と人の掛け声が微かに聞こえる。ルキフェルはマテオに向き直り視線をやった。
「マテオも、俺の部屋に来るといい。船が敵の背後を取って動くなら、船尾側にいたほうが安全だ」
「……わかりました」
マテオが答え、二人は廊下の奥へと消えた。一方、外では海風が唸りを上げた。フランソワ船団の三隻は、敵の航跡を描くように弧を描いて進む。白い帆は風を孕み、海面を滑るたびに黒い影を長く伸ばした。
「舵、三度右。風を受け流せ!」
号令が甲板を渡る。舵輪を握るジャスパーが咄嗟に反応して船体を操り、ぎりぎりで敵船の砲門の射線を外す。砲弾が水面をかすめ、飛沫が陽光を散らした。その瞬間、フランソワは視線を前方に固定したまま冷ややかに呟く。
「まだだ。正面から撃ち合うのは愚策。獲物が疲れるまで、じわじわと追い詰めろ」
伝令の少年が駆け寄る。
「フランソワ船長、第二船〈シリュス〉より信号! 『敵、砲門を再装填中』とのこと!」
「よし、いいぞ。間を詰めるな。焦らせろ」
フランソワは片手で望遠鏡を掲げ、敵船の帆の動きを見定める。イングランド私掠船が砲門をこちらに向けようと旋回を続けているが、その舵の角度は微妙に遅れている。船体を回すたびに、逆に速度を失っているのだ。
「ジャスパー、あの旋回を見たか?」
「見てる。風を切って回ってやがる。あれじゃ帆が逃げるたびに減速するぜ」
「なら、このまま背後を取れる。船団全体に合図を。舷側を敵の尾に合わせろ」
「了解!」
走者が信号旗を掲げ、他の船団に指示を送る。三隻の船が絶妙な間隔を保ちつつ、敵船を包み込むように動き出した。波の向こう、イングランド旗を掲げる私掠船が苛立ちに満ちた軌道を描き始める。砲門をこちらに向けようとするたび、風を読み切ったフランソワの船がその背をかすめて滑るようにかわす。そのたびに敵の帆は乱れ、進路はさらに狂っていった。フランソワは薄く笑う。
「いいぞ。あいつら、もう自分が追われてるのか追ってるのかも分かっちゃいない」
追跡戦の主導権は、完全にフランソワの手にあった。
「この波に乗れば、早く追いつけまっせ!」
ジャスパーが舵を叩きながら笑い混じりに叫ぶと、彼の一声を合図に甲板の空気がぴんと張りつめる。帆布が風を捕らえ、三隻は一瞬にして整列を変えた。海面に刻まれる波紋が滑るように伸び、三つの黒い影が敵船を包む輪郭を描き出す。フランソワは目を細め、指先ひとつで合図を送るように帆綱に触れた。望遠鏡を覗いたまま命じる。
「俺たちの〈リュシアン号〉はそのまま背後を取って追走を続ける。残り二隻は、左右に分かれて並走しろ。距離は保て、だが相手に『逃げ場がない』と感じさせるんだ。直ちに挟撃の形を作るように!」
走者が旗を揚げ、信号が波頭を越えて他船へ届く。二隻は一瞬の間を置いて、速やかにフランソワの意図を汲んだ動きを見せた。ゆっくりと進路を調整し、互いに外縁を描くように敵の両側へ回り込んでいく。距離は絶妙だ、近すぎれば砲撃合戦になる。遠すぎれば威圧にならない。
狙いは「威嚇」。相手に選択を与えず行動を萎縮させる、包囲の幻影を見せつける。
甲板の者たちもその空気に敏感に反応していた。砲手長は焼きついた手袋をはめ直し、砲門の前に控える兵員たちは弾薬を鳴らさずに並べる。火縄の先端に油を含ませる者、信号旗を見張る者、誰もが無言で役割を果たし、ジャスパーもいつもの陽気さを消し、真剣な目で帆を見つめていた。敵船の様子も変わる。旋回ごとに帆の張りが乱れ、指揮を執る声が甲板を走るが、その声にはかつての自信がない。砲手が砲門を開ける動作を止め、船長は互いの顔を見合わせている。二隻の影が左右からじわりと迫るにつれ、船内に緊張の波が伝わる。ある水兵は片手で舵輪を握りしめ、もう片方の手で額を抑える。威圧だけで船の機敏さを奪われる様は、まさに心理戦の勝利である。
「距離は保て、揺さぶるんだ。撃ちたい奴を撃たせるな。相手に“撃つ”と判断させた瞬間にこちらの勝ちだ」
フランソワの声は明瞭だ。操舵と帆裁き、そして各船の連携が呼吸のように噛み合い、海の上に見えない檻が組まれていく。敵は反撃の機会をうかがうが、そのたびに別の影が視界に入って決断を鈍らせた。威圧は目に見えぬ鎖となって相手の行動を縛る。やがて敵船の舵が一度大きく切れ、兵士の一人が甲板で立ち尽くす。包囲が現実味を帯び始めた瞬間、フランソワは小さく唇を動かして次の段階を告げる。
──白兵戦へと繋ぐための、最終の接近命令が生まれようとしていた。
フランソワの船は敵船の船尾へと慎重に接近し、甲板に立つ兵士たちは静かに息を整える。敵船の兵士が背後に気づいた瞬間、フランソワは既に鉤縄を手にしていた。
「行くぞ!」
力強い声と共に、フランソワ自身が鉤縄を敵船の帆桁に打ち込む。縄は勢いよく弧を描き、甲板に届くとフランソワはしっかりと握り締め、仲間たちとともに船を乗り移った。白兵戦の火蓋が切られ、剣とナイフの金属音が響き渡る。フランソワは冷静かつ迅速に動いた。敵兵の攻撃を受け流しつつ、相手の間合いを計り、反撃を一撃で返す。彼の周囲で仲間たちもフランソワの指示で連携をとり、次々と敵兵を制圧していく。
「倒せ、だが無駄撃ちはするな!」
フランソワの声は甲板を振動させ、士気を高める。敵兵たちは圧倒され、次第に後退を余儀なくされる。フランソワは戦場の中央へと進み、敵船の船長を見据えた。相手も必死に抵抗するが、彼の鋭い目と動きに隙はない。一瞬の攻防の末、フランソワは船長の腕を掴み、剣の先を背後に差し向ける。
「降伏しろ!」
敵船長は渋々剣を降ろし、白旗代わりの手を上げる。フランソワ船団の圧倒的な連携と威圧、そしてフランソワ自身の迅速な突撃により、戦闘は完全に終息した。勝利の旗は揚げられ、海の上に静かな安堵が漂う。船員たちは甲板の端で息を整えながら、フランソワの圧倒的な指揮と戦闘力に感心せずにはいられなかった。ジャスパーはいつもの笑みを取り戻し、わずかに緊張の糸が解けていく。
フランソワ船団は任務を遂行し、獲物を仕留めた。狩りは船長自らの手で締めくくられたのだ。




