第六章③ ゼフィランサス海賊団
補給作業は思ったよりも手早く進み、船員たちは慣れた手つきで樽や袋を船倉に積み込んでいく。ルキフェルとアントワーヌも少しずつ要領を覚え、汗をぬぐいながら働いた。
「お、なかなかやるじゃないか。ルキフェル」
フランソワが笑いかけると、ルキフェルは少し照れくさそうに頭をかいた。
「へへ、手伝いなら任せとけって感じだな」
港の端ではリュウが帆布を整え、武器の手入れを終えた船員たちに目を配っていた。やがて積み込みが一段落し、船のデッキに戻ると船員たちは手早く荷物を整理し、次の航海に備えて準備を整えていた。
船はエル・イエロ島へ向かうことになる。港での手続きや補給を済ませたゼフィランサス団は、夕刻の潮風に背を押されるように出航の準備を整えていた。帆が広がり、錨が上がる音が甲板に響き、船員たちは忙しなく最後の荷物を整え、滞在中の雑務を片付けていく。
ルキフェルとアントワーヌも、港の端で仲間たちと手を振りながら船の準備を手伝った。港の喧騒は遠ざかり、海原に漂う潮の匂いが次第に満ちてくる。
「いよいよ出航だな」
フランソワがルキフェルに声をかけた。遠くに見えるサン・マロの街は、次第に小さくなり、街の灯りが夕日に染まる。
「さあ、エル・イエロ島までの航海だ」
リュウが静かに帆を指さす。船団はゆっくりと港を離れ、潮風を受けながら大海原へと進み始めた。ルキフェルの胸には、新しい冒険への期待とわずかな不安が混じる。彼らの航路の先には、未知の島々と数々の試練が待ち受けていた。潮の香りと波の音、そして仲間たちの気配に包まれ、船はゆったりと海原を滑っていく。
船尾の端、潮風をはらんだ甲板に、木剣を交える二人の影が跳ねていた。
「待てー!」
ルキフェルが声を上げると、アントワーヌは笑いながら軽やかに身をひねり、木剣で軽く受け流す。打ち合うたび、乾いた木の音が甲板に響き、周囲の水夫たちが微笑ましげに視線を投げた。船体が大きく揺れるたびに二人の足元の板がきしみ、湿った木の感触が滑りやすく、勢い余って転びそうになることもしばしばだった。それでも幼い二人は気にする様子もなく、風と波の音の中をただ夢中で駆け抜けた。
「うわっ、危ね!」
アントワーヌが声を上げた瞬間、足を滑らせてよろけ、運悪く近くに置かれていた大きな樽にぶつかってしまう。手にしていた木剣が甲板を転がり、乾いた音を立ててアントワーヌの側から離れていく。樽はゴロゴロと甲板を転がり、最後にはルキフェルとアントワーヌの足元で止まった。
「大丈夫!?」
ルキフェルが慌てて駆け寄った拍子に、自分の木剣も手から離れて足元でカランと音を立てた。
「平気。ちょっと擦っただけ」
アントワーヌは笑顔で答えたが、座り込んで擦った膝を手でさすっている。ルキフェルは心配そうに顔をしかめ、アントワーヌの膝を覗き込んだ。
「レオンに診てもらわなきゃ。なんかさ、感染症ってやばいらしいぞ。この前、そんな話してた。ちょっと血が出てるし……」
アントワーヌは苦笑しながらも、痛みをこらえて頷いた。
「わかった、後で診てもらうよ」
突然、樽の中からギシッ、ギシッと軋む音が聞こえてきた。ルキフェルは樽の異変に気づいて目を大きく見開く。揺れに合わせるかのように樽自体が微かに揺れ、まるで中から何かが必死にもがいているかのようだ。
「な、なんだあれ……?」
ルキフェルの声は思わず震えた。アントワーヌも目を大きく見開き、船尾の端でルキフェルの隣にぴったりと寄り添う。
「お、おれ、見たくない……」
樽の蓋がわずかに傾き、闇の中から手がチラリと見えた瞬間、二人は思わず悲鳴を上げ、互いにしがみついた。
「い、一体なに……!」
ルキフェルが震える声で呟くと、アントワーヌも目を逸らせないまま樽を見つめ続けた。樽の影が揺れ、まるで何か生き物が潜んでいるかのようにうごめく。二人の心臓は早鐘のように打ち、船尾の端で寄り合いながらビクビクと身を縮めていると、突然樽の蓋が勢いよく跳ね上がり、中から人影が飛び出した。
「キャーッ!」
二人の声が甲板に響き渡った。飛び出したのは若い人物。肩まで伸びた髪と整った顔立ちに、二人は目を見張った。服は男装に見えるように作られ、腰には小さな短剣が差されている。
「え、女の人……?」
ルキフェルは思わず呟いた。アントワーヌも声を失い、ルキフェルにしがみつく。
「ちょ、ちょっと待て……なんで男の格好をしてるんだよ!」
ルキフェルの声も震えている。樽の中から飛び出した人物もまた、驚きのあまり声を上げた。
「きゃあっ!」
小さな悲鳴が二人のそれと混ざり合い、甲板には奇妙な混乱が広がる。ルキフェルとアントワーヌは船尾の端で寄り添い、互いに怯えながらも、その人物が誰で、なぜこんな格好をしているのかを理解しようと必死で目を凝らしていた。二人の絶叫を聞きつけ、フランソワとリュウが甲板を駆けてやってくる。
「二人とも、どうした!」
フランソワが声を張り上げる。リュウも鋭い目で樽の方を見据えた。
「何が起きたんだ?」
ルキフェルは震えながら樽を指さす。
「あ、あれ……樽の中から、なんか人が……」
アントワーヌも小さな声で続ける。
「それも女の人なんですけど……」
フランソワは眉をひそめながら女の顔を覗き込み、リュウも冷静なまま状況を把握しようとした。
「……勝手に連れ込んだな」
フランソワの表情が一瞬にして変わった。さっきまでの軽口交じりの笑顔は消え、目は鋭く光った。
「動くな!」
フランソワが低く言うと、ルキフェルはフランソワの豹変ぶりに思わず怪訝な顔を向けた。
「え、フランソワ……どうしたの?」
フランソワは迷いなく動揺した女を引きずり出した。女は必死に抵抗し、男装の服の裾を握りしめる。ルキフェルとアントワーヌは思わず互いの肩に手を置いて身を寄せ合った。
「海賊の掟を知らぬ無知者め」
フランソワの声には怒りが滲む。樽から出された女は青ざめた顔に汗が滲み、小刻みに震えている。ルキフェルは思わず眉をひそめ、目を丸くしてフランソワを見上げた。
「そんなに怒ること?」
フランソワは女をしっかりと掴み、甲板の中央へ歩を進めた。船員たちの視線が一斉に注がれる中、フランソワは女をマストの柱に向かって回し、ロープでぐるぐると巻きつけた。
「この女を連れ込んだのは誰だ!」
フランソワの声が甲板中に響き渡る。怒気を含んだその声に、船員たちは自然と身を固くする。女は必死に抵抗して声を上げるが、ロープで身動きは取れない。ルキフェルとアントワーヌは何が何だか理解できないまま、甲板の中央へ引き出される女と、それを取り仕切るフランソワを見つめるしかなかった。その様子を横目に、リュウが静かに二人の肩へ手を置いた。
「……二人とも、船医室に行こう。レオンがいるはずだ」
ルキフェルが思わず顔を上げると、リュウの目にはどこか険しい色が宿っている。「え、でも」とアントワーヌが言いかけたところで、甲板の中央から女の悲鳴が上がった。リュウは無言のまま二人を促し、背を向けて歩き出した。二人は顔を見合わせたが、彼の圧に逆らうことができず、慌てて後を追う。木剣を拾うことも忘れたまま、揺れる階段を降りていった。
甲板の中央ではフランソワの目が鋭く光り、甲板上の空気はさらに重く沈む。犯人の気配は一向に見えず、船員たちの間に重苦しい沈黙が漂った。フランソワはゆっくりと腰のナイフに手をかけ、抜き上げると素早く女の首元に当てる。
「誰が連れ込んだ?」
フランソワのナイフの冷たい刃先が肌に触れ、女の瞳が瞬き、唇が震える。ナイフの先端がかすかに首筋を撫でるたび、女の呼吸が短く途切れた。
「言え、誰だ!」
フランソワの手がわずかに強くなる。船員たちは一様に視線を伏せ、犯人を知る者はいないのかと騒つく。女は震えながら、やがて小さな声を甲板に漏らした
「あ、あの……セザールです……」
フランソワの顔が一瞬、怒りと驚きで歪んだ。彼はロープを解いて女をマストから下ろし、ナイフを腰に戻すと鋭い声で船員たちに向けた。
「セザール、出て来い!」
しばらく沈黙が続き、船員たちは互いに視線を交わす。やがて、顔を青ざめさせたセザールが、押し黙ったまま甲板中央に歩み出た。フランソワの怒りに満ちた瞳が犯人を鋭く射抜く。
「何故この女を連れ込んだ?」
セザールは言葉を詰まらせ、何度も俯いた。船の揺れと緊張感が、甲板上の空気をさらに重くする。船員たちは彼らを囲いながら、ただその場で固唾を飲んで見守るしかなかった。船上の秩序を揺るがす事態に、誰もが息を潜めていた。その緊迫した空気の中で、甲板の階段を踏み締めて上がる足音が響く。アランが姿を現すと、周囲の緊張がさらに増した。
「ここからは俺の役目だ」
アランの声は冷静だが、命令には揺るぎがなかった。フランソワが「あ、いや、ちょっと待て」と口を開く前に、アランは鋭い視線を向ける。
「フランソワ、“教育係”のお前は引っ込んでろ」
フランソワはしばし呆然と立ち尽くすが、アランの威圧感に押され、ため息をつきながら一歩下がった。アランは甲板中央に目を向け、先ほどのセザールと女の前に進み出る。
「さあ、始めようか」
アランはゆっくりと甲板中央に立ち、腰の脇に差した短剣に手をかけながら、目を光らせてセザールを見下ろす。セザールは顔を青ざめさせ、まるで自分の存在そのものが問い詰められているかのように震えていた。
「お前だな、勝手に女を連れ込んだのは」
アランの声は冷たく、その一言に甲板の空気が凍りつく。セザールは喉を詰まらせたように言葉を探した。アランは即座に制する。
「海賊には掟がある。この船では、勝手な行動は許されん。特に、船内に女性を連れ込むなど論外だ」
アランはセザールに冷たく、理論的に続ける。
「掟を破れば、報酬もなくなる。最悪の場合、この船を降りることすら許されん。お前が今回犯したことは、全員の安全を脅かした行為だ。理解したか?」
セザールは小さく頷き、青ざめた顔で声を絞り出す。
「は、はい……す、すみません……」
アランは厳しい表情のまま甲板を見渡す。
「忘れるな。海賊には自由がある。その代わり、掟に従う義務もある。掟は個人の自由を守るためのものだ。守らなければ、誰も救えん」
アランはセザールと女に再び向き直り、最後の言葉を告げた。
「わかったな? 海賊としての信頼は、命より重いのだ。——この船の秩序のためにも、掟通り死んでもらう」
セザールと女は震え、甲高い悲鳴が甲板にこだまする。誰かが口を挟む余地もないほど、全員の視線は一点に集まっていた。




