第六章② エドガー
倒れた分隊の男たちを見届け、四人がひと息ついていると港の方から軽やかな足音が近づいてくる。
「あれぇ、フランソワじゃねえか!」
愉快な声が響き、フランソワは思わず振り返った。そこには、元気そうな若者が笑顔で立っていた。
「あ、エドガー!」
フランソワの顔にも自然と笑みが広がる。二人は互いに手を取り合い、軽く肩を叩きながら再会を喜んだ。
「久しぶりだな! 元気そうで何より」
「てめえも相変わらずだ。港に出てきたってことは、仕事か?」
フランソワとエドガー。まだ十八歳と二十三歳の若者だが、顔を合わせれば自然と笑みがこぼれる。互いの存在に安心感を覚えるのは、幼少期を共に過ごしたエル・イエロ島での思い出があるからだ。悪戯も喧嘩も、一緒に乗り越えてきた。親友であり、悪友でもある。
「お前、ほんといつ見ても変わらないよな」
「てめえもだろ、フランソワ」
港のざわめきの中で交わす軽口の一つ一つに、幼き日の無邪気さと絆が滲む。
だが、まだ誰も知らない。この二人が後に大海賊としてヨーロッパ中の海を駆け回る日が来ることを。この日の再会は、ほんの小さな始まりに過ぎなかった。
フランソワとエドガーは港のざわめきの中で、互いの近況や昔話に花を咲かせていた。ルキフェルは二人の様子を少し離れた場所から眺め、腕組みしてつまんなさそうにしている。
「君、飽きたのか?」
リュウが軽く笑いながら声をかけると、ルキフェルは小さく肩をすくめるだけだった。
「二人とも、港で物資補給や契約満了者との別れを告げに行こうか」
リュウが言うとルキフェルとアントワーヌは顔を見合わせて頷き、リュウは二人を連れ、港の端の方でわちゃわちゃしている仲間たちの元へ向かった。フランソワは港のざわめきを背にどこか懐かしげな声で言った。
「補給が終わったら、みんな一斉にエル・イエロ島へ向かうってさ。久しぶりの故郷だな」
しかし、エドガーの表情は違った。神妙な面持ちで口を開く。
「悪い、フランソワ。オレ、ここで船を降りるんだ」
フランソワは思わず眉を上げ、目を見開いた。
「え……なにかあったのか?」
エドガーは少し間を置き、決意を滲ませた声で続ける。
「悪いな、オレはそろそろ自分の船を持ちたい。自分の船団で、自分の部下を持ちたいんだ」
フランソワは言葉を失い、しばらく口を開けたまま硬直していた。エドガーは真剣な眼差しでフランソワを見据える。
「オレは先に行く。お前が自分の船団を持つのを待ってるからな」
フランソワの胸には軽く熱いものが込み上げた。友情と尊敬と、そして少しの寂しさが入り混じった複雑な感情だった。彼は唇をかすかに噛みしめ、しばし沈黙した。
「そっか。わかったよ、エドガー。お前の道なら止めたりしない。先に行けよ。絶対に立派な船団を作れ。俺も……その日を待ってるから」
「ああ、そうしてくれ」
エドガーはわずかに口角を上げ、目に小さな笑みを浮かべた。
「あとな、名前も決めたんだ」
フランソワは首を傾げ、エドガーは胸を叩いて続けた。
「エドガー・ロジャース。どうだ? 歴史上の偉大な海賊達みたいだろう。彼らに倣ったんだ」
「エドガー・ロジャース、いいじゃん。なら名前負けしないよう立派になってくれ」
フランソワはエドガーと最後の握手を交わすと、すぐに港の喧騒に背を向かった。ルキフェルとアントワーヌ、リュウの元へ歩みを進める。
「さて、物資の補給だな」
フランソワは声を掛けると、ルキフェルはきょろきょろと周囲を見回した。アントワーヌも小さな手で荷物の様子を気にしつつ、フランソワの後ろについていく。港にはすでに多くの船員たちが忙しなく働いており、樽や袋、箱を次々と揚げ下ろしをしていた。食料や飲料、武器や帆布、薪や水、船の航海に必要な物資が所狭しと並べられる。
ルキフェルは大きな樽を持ち上げようとするも、重さに驚き腰を抜かしそうになった。アントワーヌは小柄ながらも俊敏に樽の位置を調整し、ルキフェルを手助けする。フランソワは手早く指示を出した。
「ルキフェルはあっちの食料棚を確認しろ。アントワーヌは水と薪の運搬を手伝え」
ルキフェルは「うん!」と答え、初めての補給作業に手を伸ばした。樽や袋を扱う手つきはぎこちないが、フランソワの視線が背中にあることで少しずつ落ち着き、動きに少しずつリズムが生まれた。港の空気には海と潮風、忙しげな声、金属のきしむ音が混ざり合う。ルキフェルはその中で、船上での生活や仲間たちの仕事ぶり、そして自分がこの船にいる意味を実感し始めていた。
一方、エドガーは先ほどまで自分の荷をまとめていた。自分の革袋を見下ろし、ここから先どうしたものかと頭を掻いた。船長にあれだけ大口叩いて出て行ったくせに計画は何も定まっていない。
我ながらプライドだけは一丁前だなと苦笑していると、強く吹かれる潮風の音に紛れて桟橋がギシギシと鳴る音がエドガーの耳を捉えた。
エドガーが振り返ると、フードで頭を覆い、外套に身を包んだ男が帆船を離れるところだった。木が悲鳴を上げる音から石がコツコツと響く音に変わると、突風が外套の裾を大きく靡かせた。その途端、エドガーの目は大きく見開いた。外套の男の腰に、陽光を受けて何かがキラリと反射している。
剣だ、二振りの剣。
外套の男は補給作業に追われる船員たちを一瞥した後、あの輪には加わらずひっそりと港の雑踏へ紛れていった。エドガーはその背に吸い込まれるように桟橋付近まで移動して呆然と消えゆく男の背を眺めていた。
「……ゼフィランサス?」
エドガーは思わず後追いしようとしてすぐ足を止めた時、エドガーの背後で掠れた声が飛んでくる。
「おい」
エドガーはその声に背筋がぞくりとして振り返ると、下船してきたアランが真っ直ぐエドガーの元に向かってきた。
「お前か。フランソワの悪友」
アランは再会に浸る余韻もなく、懐から布袋を取り出すとエドガーの手に握らせた。袋越しに丸みを帯びた物体たちが内側で擦れて、じゃらじゃらと鳴いている。アランはアンバーの片目でエドガーを捉え、より一層低い声で告げた。
「……追え。見つかるなよ」
エドガーは突然課された要求に狼狽えた。
「え、でもよ……」
「いいから」
アランはエドガーに背を向け、帆船へと引き返していった。
「……わかりました」
エドガーはアランの圧にすっかりねじ伏せられ、自分の荷を肩にかけると港の雑踏の中へ急ぎ潜り込んでいった。
サン・マロ、郊外。ゼフィランサスはフードの下で自分より遠くを歩く男たちをじっと見据えていた。あの男たちは、先ほどルキフェルとアントワーヌがコテンパンにした分隊の船員達だ。ゼフィランサスは外套の中で双剣に手をかけたまま。歩くたび、長きに渡る疑念と怒りが沸々と湧き上がっていく。
——裏切り者めが。
やがて、分隊の船員達は石畳の歩道から外れ、茂みに覆い隠された鉄扉の向こうへと消えていった。どうやら、監視はついていないらしい。ゼフィランサスはわずかに口角をあげ、自分も連なるように鉄扉を押して消えていった。自分の後ろから、エドガーが続いていることにも気づかず。それほどまでに、彼は目の前の獲物しか意識が向いていなかった。やがて、扉の向こうの世界——隠された入江から夥しい悲鳴があがり、エドガーが鉄扉を抜けた時点で当たり一面が赤い海と化していた。
強烈な鉄の匂いにエドガーは思わず顔を顰めた。口と鼻を押さえ、血の海と切り刻まれた骸を避けながら、石の地面を慎重に踏み締めていく。一先ず、遠目に見える帆船を目指して坂を降りていた。その時、岩場の下方から震えた声がエドガーの耳を劈く。
「ひぃ、やめ、もうやめ——」
直後、斬撃音とわずかな水飛沫と共に声が途絶えた。エドガーは思わず身を屈め、地面に張り付いて岩場から恐る恐る見下ろした。そこには、双剣を構えたゼフィランサスの背中。彼の側には赤く染まって沈んだ男。ゼフィランサスはすでに次の獲物を捉えていた。彼は桟橋の方へゆっくりと向かい、桟橋の上で肩から溢れる血を抑え、息絶え絶えになっている分隊長の前で歩みを止めた。
エドガーは遠目から、その光景を岩場から見下ろす形で見逃さんと目を見張っていた。ゼフィランサスは黄金の瞳を細め、分隊長に冷ややかな目つきで見下した。
「……貴様だったとはな」
分隊長は流れゆく血で手を濡らしながら、「何のことですか」と弱々しく呻くと、ゼフィランサスは鋭い剣幕で口を開いた。
「惚けるな! 貴様がオレの名を借りて、子供を攫っていたとは!」
彼の言葉に、エドガーは思わず息を止めた。突然溢れたゼフィランサスの怒りではなく、彼から放たれた言葉がエドガーの脳裏を殴っていく。ゼフィランサスは剣先を分隊長に向け、今度は低い唸り声で続けた。
「オレが必死こいて妻と息子を探している裏で、貴様らは貴族連中から子供を攫い続けていた……なぜだ」
ゼフィランサスの言葉に、分隊長はようやく彼を見上げて睨んだ。
「条件が良かったんだよ。下手すりゃ死ぬ強奪より、よほど大金が貰えた。……あいつらと商売取引する方が、船員に飯食わせられる」
ゼフィランサスはますます瞳をギラリと光らせ、腐敗臭でも嗅いだような顔で分隊長を睨み返した。
「条件とはなんだ。取引相手は、貴様に何を要求した」
どうせ残り少ない命だと言わんばかりに、分隊長は吐き捨てるように答える。
「『ゼフィランサスから妻と子供を攫え』、これが最初の取引条件」
ゼフィランサスの剣先がピタリ止まり、彼の額に青筋が浮いた。分隊長は構わず続ける。
「あとは陸地にいる人攫いと情報共有して、ガキども誘拐するだけ。ああ、あとこの商売は海軍の奴らも癒着している。一部だけどな」
ゼフィランサスは剣先を下ろすと、滴る粘着をもった血が桟橋を赤く染めた。
「人攫いのことは知っている。あいつらから直接聞いた」
「……何?」
分隊長は目を見開いた。ゼフィランサスは続ける。
「逃亡先で、オレを知っているという連中がいてな。何でも仕事があるとか。あいつら曰く『お宅の部下にはいつも世話になってる』とか抜かしていたが、オレの預かり知らぬことだったから、何のことだと聞いた。……あの連中は、子供の誘拐を生業にしていると言った。その時、お前の名も聞いた」
分隊長はみるみるうちに青ざめた。エドガーは今も岩場の上でじっとしている。ゼフィランサスは額に手を当てて溜息を吐いた。
「……赦せない。貴様らが、妻と息子を攫ったなんて……。オレから大事なもんを奪った挙句……オレの親友からも、貴様らは何もかも奪った」
ゼフィランサスは片方の剣をその場に捨て、もう一本の剣を両の手で握る。
「……最後に聞かせろ。——首謀者は、誰だ」
分隊長の言葉が、風に乗ってゼフィランサスの耳に届く。エドガーの耳もはっきりと言葉を捕らえた。静まり返った入江に、波の音が岩壁に反響する。
エドガーは思わず顔を逸らし、震える左手を押さえた。まるで、蓋を開けて溢れてきた記憶を押し留めるように。全部は聞こえなかったが、あの二人の断片的な言葉だけでも事態の背景は大方掴めた。エドガーは速やかにその場を離れた。もう、十分だと言うように。
一方、ゼフィランサスは分隊長に向かって剣を頭上に掲げた。
「やはり、貴様は生かしておけん。——親友二人に代わって、オレが復讐してやる」
刹那、斬撃音と水飛沫が入江の岩壁に反響するが、鉄扉を抜けたエドガーの耳にはもう何も届かなかった。




