第四章③ ???
夜の穏やかなさざ波を子守唄に、俺はハンモックに身を沈めていた。
さっきまで甲板の上が少し騒がしかった気もするが、知ったこっちゃない。
寝られるときに寝る、これが下っ端の処世術ってやつだ。——と、足の裏にいきなりバシッという衝撃。思わず蹴り返そうかと思ったが、構わず無視した。
「おい、起きろ」
荒っぽい声とともに肩を揺さぶられる。舌打ち混じりに目を開ければ、見慣れた木の天井と、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた、先輩乗組員の顔。湿った夜気と油の匂いが漂い、船体の軋む音が耳に刺さる。
……寝たいのに、こういうときに限って起こされるんだ。
「……なんすか、こんな夜更けに」
寝起きの声でそう言うと、先輩はつまらなそうに鼻を鳴らし、「仕事だ。お前には掃除をしてもらう」と告げてきやがった。
……はあ? こんな時間に? 馬鹿じゃねえの。
「明日やっとくよ」
わざと気怠そうに言ってやった。
ゴッ!
拳骨が俺の頭に炸裂した。ハンモックごとガタンと揺れて、頭蓋が割れんばかりに痛え!
「いってえなああ! 何すんだよ!」
「口答えすんな、小僧!」
先輩の怒鳴り声が船底に響いた。頭を殴られた痛みがじんじん響く。……けどそれ以上に、鼻を刺すような匂いに俺は思わず眉をしかめた。
鉄を舐めたような、生ぬるい血の臭い。魚や海水の生臭さとは明らかに違う、人の血の匂いが、夜風に混じって船内まで染み込んでいた。眠気も文句も吹き飛ばすほどに生臭い。
「なんすかこれ、ひでぇ臭いっすね」
思わず吐き出した言葉に、先輩乗組員は口端を吊り上げて見下ろす。
「まあ、そのうちわかるさ」
わざと含みを持たせるような声音に、胸の奥がざらついた。悪態をつきそうになったが、堪えてやった。俺はハンモックから飛び降り、壁際のバケツとブラシを手に取る。
「事態は思ったより深刻なんだ」
俺の背中に、先輩の声が追いすがった。
「夜明け前には終わらせろよ。——フランソワ」
今度の声音は笑いも皮肉もなく、底冷えするほど真剣だった。船体の軋みと同じくらい重たい響きが残る。
甲板に出る前、ふと目をやった壁際。そこには釘で留められた鏡の破片があった。
欠けた破片に映る顔は、灯りに揺れてわずかに歪んでいた。
茶色の髪は潮に晒されてぼさつき、顎の線はまだ細い。悪ガキめいた鋭い目は夜の海と似た冷たさを宿しながらも、その奥底に消えかけの火のような熱を隠していた。
それは情けない、十八になる雑用係の顔か。
それとも——まだ誰も知らぬ未来の「大海賊」の片鱗か。




