第九章③ 仲間集めから襲撃まで
翌日、フランソワたちは本格的に計画の実行に動き出した。
ルキフェルは自室に籠り、これから集まる志願者の数を想定しながら、何十枚もの真っ白な紙を裁断してペンを走らせる。雇用契約書のひな形、必要な人員のリスト、船の役職ごとの割り振り、ひとつひとつを丹念に書き込む。
一方、ニールとコリンは港の近くで放棄された小屋を見つけ、志願者用のチラシの整理に取り掛かった。必要に応じてニールが別言語に翻訳し、新たなチラシを作成し、コリンはその手伝いに全力を注ぐ。ニールに手伝いは不要と言われればコリンは小屋を飛び出し、新たに手に入った船に乗り、ジャスパーとマテオと共に船体点検作業に取り組む。
五人組がそれぞれの役割を全うする裏で、フランソワは「旧砦跡地」と呼ばれる、廃墟化したバッカニア時代の要塞へ赴いた。そこに集まる情報屋たちから、フランス海軍やヨーロッパ各地の動向を探り出し、航路や港の情報を収集する。彼の眼差しは獲物を狙う鷹のように鋭かった。
陽が沈む頃。フランソワはエドガーの元を訪れ、情報屋から得た情報を基に目的地や獲物の航路ルートを割り出した。そして、その候補地を決定する会合が開かれる。ルキフェルも同席し、議論の場にはフランソワ、ルキフェル、エドガー、フェルナンド、そしてフランス情勢に精通したマルクが加わった。深夜まで続く議論の中、航路の選定、戦術のすり合わせ、船団の運用方法。討論は細部にまで及び深夜まで続いた。
まともに眠れぬ夜を過ごしたルキフェルは朝の光と共に机に向かい、昨夜の議論で決定された海賊の掟を書き連ねていく。志願者が契約に来た際、必ず目を通すためのもの。
文字の読めない者には、自分が一行ずつ音読して説明する手筈だ。ペンを走らせる手に力を込めながら、ルキフェルはこの掟が自分たちの船団にとってどれほど重要かを改めて思い知った。
やがて書き終えたルキフェルが港近くの小屋へ足を運ぶと、フランソワと四人の仲間たちがすでに揃っていた。まずは自分たち自身のための儀式——契約内容の確認と各自の役割の確認、そして聖書に手を置いて誓いを立てる宣誓の儀——を静かに執り行った。
その後、ルキフェルとフランソワは小屋に残り、机に向かって書類の整理を続ける。残る四人は何十枚ものチラシを港や市場、酒場に配り歩きながら、道行く人々に声を掛けた。
「これを広めてくれ」
彼らの声はトルチュ島の港に、新たな船団の誕生を告げる小さな嵐のように響いた。海風に揺れるチラシの端が、まるで船出の序曲を奏でるかのように小屋の扉を叩く音と重なる。ルキフェルが扉を開けると、身なりこそ粗末だが鋭い眼光を宿した若者が立っていた。手には小さな荷物を抱えている。
「契約に来たのか?」
ルキフェルが問いかけると、若者は一礼して答えた。
「はい。フランソワ海賊団に志願したくて」
フランソワが微笑みながら小屋に入るよう促す。若者は緊張した面持ちで一歩踏み込み、ルキフェルの用意した掟を手に取った。文字を追う目は真剣そのもので、初めて目にする海賊の誓いに自然と背筋が伸びる。ルキフェルは座り、文字が読めない箇所を一つずつ音読して説明した。若者は頷き、理解するたびに表情を引き締める。フランソワは部屋の隅で見守りながら、契約の意味と覚悟を胸に刻む彼らの姿に感慨を覚えていた。
外ではニールとコリン、ジャスパー、マテオが港でチラシを配りながら通行人の好奇の視線や、時折の軽い非難にもめげず声を上げていた。
「新生フランソワ海賊団、志願者募集中! 海に自由を取り戻せ!」
小屋の中では、ルキフェルが志願者たちに向けて掟を音読し、フランソワが細かく説明する。
「さあ、これで契約完了だ。お前たちは、今日から船団の一員だ」
フランソワの言葉に志願者たちは一斉に頷く。小屋の扉が開閉するたび、港には新たな志願者の姿が映り、五人組やフランソワはその度に期待と緊張の入り混じった視線を送り返した。最終的に集まった志願者の数は、百五十トンのガレオン船を動かすには十分すぎるほどだった。
「必要あらば援助するぜ!」
「フランス相手に暴れたいもんだ!」
最後の志願者の宣誓の儀が終わり、小屋から出る志願者の姿を見送ったルキフェルは、深いため息とともに机に突っ伏した。
「おいおい、ここで寝るなよ」
フランソワの声が彼の背後から響く。ルキフェルは顔を上げなかったが、フランソワの目は誇らしさと慈しみに満ちていた。
翌朝。薄曇りの空の下、ルキフェルは〈新生フランソワ海賊団〉の甲板に整列した志願者たちを見渡した。潮の香りと木材の匂いが混ざる船上には、期待と緊張が入り交じった空気が漂う。
「俺がこの船のクォーターマスターだ。これから俺と、ここにいるマテオとジャスパーの指示を基に出航準備を行う」
ルキフェルの声は落ち着いているが、船団をまとめる責任の重さが背筋にずしりと感じられた。
その後の数日間、甲板は慌ただしく動き回る人々で溢れた。マテオは積載用のロープや帆布の点検を担当し、波に揺れる船上で安全を確保しながら作業指示を飛ばす。ジャスパーは武器や砲弾の管理を任され、倉庫から必要な分だけを取り出し、弾薬の重さや配置まで計算しながら配置していく。ルキフェルは食糧や水、酒、保存食の数量を確認し、志願者たちと共に積載作業を進める。志願者たちは初めての作業に戸惑いながらも、ルキフェルたちの指示に従い、手を動かしていった。
夕暮れ時には甲板上は作業の汗と海風で湿った匂いに包まれていたが、船は出航の準備を整えつつあった。
出航の日の朝。トルチュ島はかつてないほどの喧噪に包まれていた。濃い蒸気のような朝靄の中を、二隻の巨艦がゆっくりと動き出す。新生フランソワ海賊団。そして、エドガー・ロジャース海賊団。その両雄が並んで大西洋へ乗り出す姿に、誰もが息を呑んだ。甲板では、ルキフェルが鋭い眼差しで部下たちを見渡している。
「帆の索具、緩みなし! 舵手、風向き確認を! 航路はリヴェンジ・クイーンと平行、十度東寄りを維持だ!」
若い船員たちは「了解!」と声を上げて走り出す。マテオは冷静に帆柱の根元を点検し、ジャスパーは操舵輪の脇で方位盤を睨み、ニールは船首で新入りたちに笑顔で声をかけていた。まだ、海は穏やかだった。だが、三日目には早くも試練が訪れる。突如として南西から強風が吹き込み、帆が裂け、舵が軋みを上げた。海は鉛色に変わり、波が船腹を叩くたび木材が悲鳴を上げる。
「メインマスト、右へ! 舵手、保持を! コリン、ロープを押さえろ!」
嵐を越えた翌朝、船上には疲労と静けさが漂っていた。壊れた帆を修繕し、浸水した船倉を乾かす作業が続く。コリンは船尾で死人の名を板に刻んでいた。嵐で流されたのは二名。ルキフェルは無言で見届け、船員たちに告げた。
「俺たちは、もう運任せじゃない。仲間を生かすのも殺すのも、俺たちの腕次第だ。忘れるな」
その後の航路は、果てしない単調と忍耐の連続だった。帆の影で食糧を分け、夜は甲板に寝転がって星を数える。誰かが笛を吹き、誰かが祖国の歌を口ずさむ。そして、ある晩。風が止み、星空が海面に映る夜。ルキフェルは甲板に立ち、月明かりを浴びて息を吐いていると背後から足音がした。
「眠れないのか?」
フランソワの声だった。彼もまた肩に外套を掛け、星を見上げていた。
「ずいぶん遠くまで来たな」
「まだ半分だよ」
「……そうだな」
二人の間に波の音だけが満ちた。フランソワがふと笑う。
「この旗が見える限り、俺たちは自由だ。どんな嵐が来てもな」
ルキフェルは彼の横顔を見つめて頷いた。
それから数十日が経った。ある時、見張りが叫ぶ。
「陸だ! 陸が見えるぞ!」
遠く朝靄の向こうに緑と断崖が立ち上がっていた。
サン・マロ湾。フランスの北岸。
潮の匂いに混じって、故国の香りが微かに漂う。フランソワは望遠鏡を下ろし、呟いた。
「帰ってきたな。——狩りの時間だ」
まず二つの船団は夜を待った。暗闇は味方。月は雲に隠れ、海面は墨を引いたように静まり返っている。新生フランソワ海賊団とエドガー隊は、二つの影となってサン・マロ湾へ滑り込んだ。ルキフェルは甲板の端に立ったまま、息を殺して暗闇を見つめる。遠く、湾奥の桟橋に眠る紺色の艦影がいくつか、夜の輪郭として浮かび上がる。フランソワが低く囁いた。
「照準は港内の艦隊だ。恥をかかせろ、俺たちの旗を見せつけてやれ」
両舷から小舟が一隻ずつ、二手に分かれた。一方は港の表口へ、もう一方は対岸の入り江へ。音と光を作る役割は、それぞれの精鋭部隊が担う。夜の静寂を切り裂くのは、あらかじめ仕込んだ劇場だ。爆ぜる火薬ではなく、昼に用意された円筒状の小道具から放たれる閃光と轟音。だが。細かい作り方などは誰も口にしない。ここで重要なのは効果だけ。合図は小さな笛。ニールの合図で、先遣の小舟が岸に近づき、焚き火を焚くように一斉に火を上げた。火薬の音が裂け、昼間とは違う鮮烈な閃光が上がるたび、港の司令所は混乱した。
「何だ、あれは……!」
甲板の兵士たちが慌て、見張りが浮かび上がって声を上げる。港内の遠吠えのようなベルも鳴り響くが、方向を誤らせるには十分だった。その時、暗がりの中から黒い船影が波を裂く。エドガーの本艦が音もなく敵の側面へ滑り込んだ。
「今だ!」
フランソワの号令が甲板に流れ、艦と艦が至近距離で火を交わし、黒煙と火の粉が夜空を切り裂いた。砲声は低く重く、船体が震え、板がしなった。だが彼らの狙いは全滅ではない。一隻一隻を効率的に制圧し、混乱の波を港全体に広げることだ。複数艦の旗が一斉に奪われる時、桟橋の司令部から上がった叫び声が、彼らに追い風を与えた。
「旗だ、旗が上がってる! あの旗はなんだ!?」
紺色の士官が顎をしゃくる。港の兵は互いに顔を見合わせ、動揺が伝播した。燃える海上で翻る黒い旗。砂時計の両翼、解き放たれた鎖。知らぬ印は海軍将兵の胸に疑念と恐怖を生む。彼らが慌てふためくほど、海賊たちの行動は容易になった。エドガーは豪胆に舵を振り、甲板で大声を張る。
「見ろや、これが自由の旗だ! 航海せよ、喰らわせてやろうぜ!」
フランソワは冷ややかな笑みを浮かべ、無駄な殺生を避けつつも敵の命令系統を断ち切る判断を下した。結果、港内の海軍の主力艦は機能を失い、指揮は崩壊。
夜明け前、港の光はまばらにちらつき、残された紺色の旗はぐったりと降ろされている。戦果は派手だった。主要な艦数隻を無力化し、物資を押収し、港内の威信は壊滅した。だが、彼らは無辜の町人に無差別の火をかけるような真似はしない。
標的は軍隊であり、名誉であり、かつて彼らを踏みつけた国家の威信を削ぐことだった。
フランソワはそう命じた。海を、仲間を奪った者へ。恥を与え、噂を鳴らし、後世に語られる屈辱を刻むために。
ルキフェルは血と灰の匂いを含んだ風に顔を晒し、甲板に立っていた。マテオが彼の隣に来て低く笑う。ジャスパーは血生臭い手で額に垂れる汗を拭い、表向きは冗談を飛ばすが目は澄んでいた。ニールは略奪品の帳簿を広げ、コリンはまだ震える手で旗の端を撫でている。フランソワが甲板に上がり、低い声で告げた。
「これは始まりだ。やり方を見せた。今夜の噂は俺たちの後ろ盾になる」
勝利の余韻の中で、ルキフェルは一瞬だけ目を閉じた。胸の奥に去来するのは喪失と解放の混合した感情だ。
「やったな」
フランソワはルキフェルの肩を叩き、にやりと笑った。目の前には仲間たちの顔、大きく膨らむ歓声、そして黒くはためく砂時計と翼と鎖の旗があった。ルキフェルは旗の影に、自分の誓いを重ねる。
「守る。俺が守る。これが始まりなら、最後まで見届けてやる」
甲板に朝日が差し込んだ。海は静かに息を整え、彼らは進路を取り戻した。
遠く向こう、彼らが狙った港町の朝はこれまでとは違う色で始まっている。
夜明けとともに、彼らの旗は噂になった。
砂時計、翼、断ち切られた鎖の意匠は砲煙よりも早くフランス沿岸を駆け抜けていく。




