第九章② 新しい船、新しい海賊旗
ラ・カレータでは、漁師や船員たちが忙しなく動き回っていた。コリンは小走りで船影の間を駆け抜け、港にいる船員たちに声を張り上げる。
「ねー、要らない船ってない?」
最初の船員は腕組みして舌打ちした。
「は? そんなもんねえよ!」
コリンは笑顔を振りまきながら次の船員に近づく。
「じゃあ、ちょっとでも余ってる船とか……」
船員は荒っぽく首を振りながら、荷物を肩に担いで歩き去る。
「余ってる船? 邪魔、あっち行け!」
コリンはめげずに船乗りたちに次々と声をかけていく。彼の様子を遠目から眺め、ジャスパーは手を腰に当てて苦笑した。
「まったく、あのガキは相変わらずだな」
ニールも腕を組みながら目を細め、ため息をつく。
「本当に子供だよ。ま、少しは役に立つかもしれないけど」
マテオは鼻で笑い、少し離れた場所でコリンの声に応じる船員たちを見渡した。
「やれやれ、またこのガキ一人で騒ぎを作りやがったか。でも楽しそうだな」
ルキフェルは少し離れた船体の陰からコリンを見つめ、頷いた。
「……まあ、あいつらしいやり方だけど」
四人はコリンを微妙に呆れた表情と笑いを交えて見守り、頃合いを見てルキフェルがコリンに歩み寄って声をかけた。
「まあ、一旦諦めよう。そんな都合よく船は手に入らない」
コリンはぷくっと頬を膨らませて不満そうに口を尖らせる。
「えー、でも、絶対あるはずだよ!」
二人の様子を遠くから樽に座って見つめていた男いた。彼がゆっくりと立ち上がると、昼の光に背中の斧が一瞬きらりと反射する。男は荷物の入った袋を肩に担ぎ、二人のもとへ歩を進めた。
「お前ら、フランソワのところの奴らだな?」
ルキフェルは振り返って男の姿を確認すると、笑みを浮かべた。
「ああ、誰かと思えばマルク・ドイチュか。フランソワと呑んだらしいな」
マルクは視線を港に停泊するガレオン船に向け、目を細める。
「船が欲しいって喚いていたな」
すると、マルクの口元にニヤリと笑みが浮かぶ。
「くれてやってもいい。金は要らん」
ルキフェルとコリンは思わず互いに目を見合わせた。
「ちょっと待った」
ジャスパーが手を上げ、ヘラヘラ笑いながらも目の奥に鋭い警戒心を滲ませる。
「唐突だなぁ。それ、罠張ってるとかじゃないよね?」
マルクは肩をすくめ、落ち着いた声で応じた。
「なら、確かめてみるといい。ちゃんとお前らの条件に合うか、見てこい」
マテオは唸りながら拳を握りしめる。
「じっくり見させてもらうぜ」
五人組は甲板から船底まで見て回った。船齢こそ感じるが、板も索具も手入れされ、砲門も生きている。罠らしい罠はない。やがて、ニールが甲板の中央で腕を組みながら首を傾げた。
「船自体は問題ない。百五十トンくらいだね。砲門の数も海軍相手に引けを取らない」
ルキフェルは頷き、甲板の板に手を置きながら海の方を見やった。海面は昼の光を反射して銀色に煌き、微かな波の揺れが船体を優しく揺らしている。
「なるほど。こいつなら、俺たちの航路を支えてくれるな」
ジャスパーは半笑いでルキフェルの肩を叩き、軽く息をついた。
「よし。あとは、おれたち次第ってわけだな」
コリンは目を輝かせ、船首に立って風を受けていた。ルキフェルはマルクに向かって眉をひそめながら問いかける。
「本当にいいのか? 船を手放して」
マルクは肩をすくめ、昼の光を背にして軽く笑った。
「ああ。オレにはもう必要ないから」
マテオが首を傾げ、唸るように声をあげる。
「どういうことだ?」
マルクはゆっくりと答える。
「オレはな、エドガー・ロジャース海賊団に加入するんだ。自分で船団を持つことはない」
五人組は一瞬どよめいた。信じられないといった顔や、驚きで目を丸くする者もいる。ニールが眉を寄せ、呟くように訊いた。
「一体どういう流れでそうなったの……」
マルクは軽く笑い、口元に小さな笑みを残した。
「フランソワの紹介だよ。あいつらと呑みに行った時だ。フランソワが『お前と理念が一致するかも』って言いながら、オレとエドガー・ロジャースを引き合わせたんだ」
五人組の間に感嘆と驚きの空気が静かに広がる。マルクはふっと胸を張り、少し誇らしげに言った。
「というわけで、オレは目出たくエドガー海賊団の一員だ。船をやるのは、フランソワへの義理ってわけ」
ルキフェルは肩の力を少し抜いた。船が手に入るのは幸運だが、それ以上にフランソワとの繋がりが形になったことを感じて、心の奥に小さな安心が芽生えた。ルキフェルは息をつき、深く頭を下げて言う。
「マルク、ありがとう。感謝する」
マルクは肩をすくめる。
「礼は要らん。フランソワが困ってるなら手を差し伸べる。オレがあの日、命を救われたようにな」
ジャスパーが腕を組み、興味深げに口を挟む。
「でも、エドガー海賊団に加わるんだねえ」
ニールは爽やかな笑みを浮かべて、少し肩をすくめながら言った。
「暴れん坊同士、お似合いだと思うよ」
マルクは薄く唇を引き、無造作に言い放った。
「何度でも言え」
彼は背中の斧を軽く揺らしながら船上を一歩一歩踏みしめ、遠くを見やりつつ続けた。
「近々、大きな動きがあるらしいな。んじゃ、また海の上で会おう」
マルクは甲板の端へと歩き去っていく。ルキフェルは彼の姿を見つめると、胸にじわりと熱いものが込み上げた。ジャスパーは肩をすくめて笑いながらも目は少し真剣だった。
「斧のマルク。ふう……やっぱり海ってのは、こういう男を生むな」
ルキフェルは頷き、波の反射に目を細める。
「さあ、俺たちも動かないと。始まったばかりだ」
日が暮れる頃、五人組はブエソルに帰還した。
ルキフェル以外の四人はカルロータの夕食準備を手伝うため、台所へ向かう。ルキフェルは一人、階段を上がり、二階で引き篭もるフランソワの部屋へ向かった。木製の扉の前に立ち、軽くノックする。中から、「ああ、入れ」という低い声が返ってきた。ルキフェルがゆっくり扉を開けると、フランソワは机に向かい、何かを書いていたらしい。彼はペン先を止め、苦笑を浮かべて顔を上げた。
「わざわざノックして入ってくるの、お前とニールぐらいだよな」
ルキフェルは机の横に立ち、手にした紙束を軽く机に置きながら口を開いた。
「船を譲ってくれた奴がいた。マルク・ドイチュ。あいつ、エドガー海賊団に入るって」
フランソワは書きかけの紙から目を上げ、興味津々でため息をひとつ漏らす。ルキフェルは少し微笑みながら続けた。
「フランソワへの義理だと。なんか、感謝してるみたいだった」
フランソワは感心したように「そうか」と呟くと少し考え込むように机に肘をついた。やがて彼は顔を上げ、にやりと笑って言った。
「んじゃ、俺も礼を言わないと。手土産に良さげな酒でも持って行くか」
ルキフェルはフランソワの机に目を落とした。紙の上には雑に描かれた長方形の輪郭と、その隅々に散りばめられた、何やら意味ありげなマークが並んでいた。
「フランソワ、何を描いてるんだ?」
ルキフェルが問いかけると、フランソワは苦笑いを浮かべた。
「笑うなよ。俺に美的センスはないから」
ルキフェルは首を傾げて「まだ何も言ってないぞ」と返す。フランソワは紙を指差し、目を輝かせながら言う。
「新しい旗を掲げようかと思ってな。デザインを考えていた」
ルキフェルは思わず息を呑んだ。再び紙に目を落とし、じっと目を凝らしてみる。
旗のデザインを描いた数枚の紙の中に、大きく描かれた砂時計があった。海賊旗の伝統の一つ。髑髏が死、剣が力を象徴するなら、この砂時計は刻一刻と迫る警告そのもの。降伏の期限を告げる、重苦しい象徴だった。その砂時計の両脇からは翼が大きく広がり、まるで自由の象徴として羽ばたこうとしているかのように描かれている。そして砂時計の下部には、ルキフェルの目を一瞬戸惑わせるモチーフがあった。
彼が指を差して「これ、なんだ? 野菜か」と思わず口にすると、フランソワは苦笑混じりに答えた。
「鎖だよ。解き放たれた鎖さ」
ルキフェルは眉をひそめて見つめる。フランソワは熱を込めて説明を続けた。「砂時計は死の警告。でも、俺たちはその時間すら超える。翼は自由、鎖は解き放たれた力。その全部をまとめた旗だ」
ルキフェルは黙って聞き入り、紙の上のモチーフを目で追った。それぞれの象徴が、互いに重なり合いながら力強く主張している。
「逆らう者には恐怖を、そして混乱を。海を統べる者たちに、俺たちの存在を刻み込むための旗だ」
ルキフェルの胸に文字通り波のように鼓動が伝わる。紙の上の図案に指を滑らせ、低く笑う。
「いいじゃん。これにしようよ。これ掲げて、フランス海軍をあっと言わせるんだ」
フランソワの顔がぱっと明るくなると、手早く紙を引き寄せて頷いた。
「じゃあ決まりだな。よし、まずは帆と旗だ。カルロータに良い帆職人か、針仕事の得意な奴がいないか聞いてみようか」
そこまで言ったところで、フランソワの表情がふと曇った。彼は窓の外の海を一瞥してから、ルキフェルの瞳を真っ直ぐに見据える。
「ルキフェル。俺たちが相手にするのは、フランス海軍だけじゃない。フランス全体だ。国を敵に回すんだ。……覚悟はあるか?」
ルキフェルは肩で笑い、硝子のように冷たい声音で言った。
「今更なにを。覚悟なんて、当たり前だろう? 俺たちを捨てた奴らに情けは無用だ。やり返すだけ」
フランソワは一瞬、言葉を飲み込むように息を殺した。口元に薄い微笑を戻しつつも、胸の内では別のものが渦巻いていた。
──その「捨てた奴ら」の中にお前の本当の父親、エリオット・レオパードも含まれているんだけどな。
フランソワの中で保護者としての怒りと、父性にも似た複雑な感情がぐるぐると蠢く。ルキフェルの瞳は翡翠のように強かった。彼の横顔を眺めながら、フランソワは心の奥で決意を新たにする。
——どんな過去だろうと、今は俺が守る。こいつを奴らの手に渡すわけにはいかない。
ルキフェルは声を弾ませて口を開いた。
「色なんだけど、黒地に砂時計と鎖を白で、翼は銀ってどうだ?」
フランソワは笑い返すが、瞳の奥に一瞬だけ鋭い影が差した。
「いいだろう。だが忘れるな。旗は見せしめにもなる。掲げるなら、覚悟を持て」
二人の間に沈黙が流れた。そこには燃えるような興奮と、尚もくすぶる不穏な影が混じっている。外の海は穏やかに光るが、二人の心に触れる風はどこか冷たく予感を孕んでいるように思えた。




