↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
報復の航路【第二作 ルー・ブレス】1・2巻「誕生編」  作者: セキユズル
第八章「俺も結局、海を前にして陸にいられねえ性分なんだ」
101/111

第八章② ニールの講釈

 一同は長老の圧に負けて扉の向こうへ進んで行った。


 入江は島の外周に沿うように湾曲していた。濃い霧が漂い、昼だというのに光は淡く、水面は灰色の鏡のように静まり返っている。そこに、ひときわ異様な船が一艘、ぽつりと浮かんでいた。


 どこから見てもただの小舟に見えた。船体は黒ずんだ木材で組まれ、釘には錆が浮き、ところどころ板が欠けているが、よく見れば継ぎ目の一つ一つに、金属の板が埋め込まれている。表面には幾何学的な紋様がびっしりと刻まれ、海風に触れるたびに鈍く光を反射した。舳先はわずかにせり上がり、帆柱は存在しない。代わりに、船尾には格子状の風受け板が折り畳まれ、まるで「風など不要」とでも言いたげに、海面に影を落としている。操舵輪はなく、船尾の中央には真鍮の円盤状の装置が嵌め込まれ、中央の鍵穴は星型にくり抜かれ、周囲には歯車がむき出しのまま重なっていた。


 マテオが思わず口笛を吹いた。


「まさか、あいつに乗るのか? どう見ても沈みそうだぜ」


 ジャスパーが腕を組む。


「いや、沈まねぇよ。沈まねぇ何かがある」


 長老は何も言わず、外套の内側から銀の光——星型の鍵を取り出した。


「ずっと昔、“彼ら”が置いていったんだ。『新大陸に行くな』、そう言い残してな」


 フランソワが眉をひそめる。


「彼ら?」

 

 長老は答えず、代わりに鍵を円盤の中央へ差し込む。金属がかみ合う音が鳴った瞬間、船底の奥で鈍い唸りが立ち上がる。カチリ、カチリと歯車が噛み合い、規則的な鼓動のような振動が船体を伝って広がった。水面が揺れ、船尾の羽根状の推進器がゆっくりと回転を始める。ルキフェルは思わず息を呑んだ。


「……生きてるみたいだ」


 ニールは歯車の音を聞きながら、呟くように言った。


「これは、もう“船”じゃない」


 長老は小さく笑い、舵の代わりに星の鍵を軽く撫でた。


「さあ、ポート・ロイヤルへ。潮が満ちる前に出るぞ」


 六人は無言のまま乗り込み、船は音もなく霧の中へ消えていった。残された入江には、波紋だけがいつまでも揺れていた。霧の中を船は音もなく進んでいく。推進器の回転がつくる低い唸りだけが、海と空の境をかすかに震わせていた。誰もが口を閉ざし、ただ霧の向こうにぼんやりと見える水平線を見つめていた。そんな沈黙を破ったのは、ルキフェルだった。


「なあ、ニール。……その、新大陸が捨てられたって話、もう少し詳しく聞かせてみろ」


 ニールは少しだけ驚いたように首をかしげる。


「ルキフェル。もしかしてこういう話、好き?」

「突飛すぎてバカバカしいからだ」


 ルキフェルは舷側に片肘をつき、冷ややかに言い放った。


「夢物語だろう。まともな証拠なんて、どこにもない」


 ニールは小さく笑い、霧の中に浮かぶ海面を見つめながら言葉を続けた。


「うーん、意外にもね。学者さんたちは本気で研究してるんだよ。なぜ誰も行かないのかじゃなくて、なぜ行けないのかって」


 彼の声には少年のような好奇心と、学者の理性が同居していた。ニールは指を折って、淡々と語り始める。


「たとえば──まず、一番有名なのが疫災説。新大陸の奥地で、未知の病が見つかった。熱病や神経を侵す奇病で、入った遠征隊が全滅したらしい。それからというもの、あの大陸は呪われた地って呼ばれるようになった。今じゃ航路ごと封鎖されて、立入禁止。封印された地だってさ」


 フランソワが息を吐く。


「呪いね……海じゃよくある話だ」

「次が異常地磁気説」


 ニールの声が少し低くなる。


「地理的に入れないんだよ。近づくと羅針盤が狂う。星が読めなくなる。霧に包まれて、船が迷う。海流も乱れて、まるで拒まれてるみたいになるらしい。昔の水夫たちは神に嫌われた土地って言ってたと」


 ジャスパーが口を挟む。


「そりゃ航海下手が負け惜しみ言ってるだけじゃないのか」


 ニールは笑わずに次を続けた。


「三つ目、超古代文明の介入説。新大陸には人間じゃない存在がいた、ってやつ。接触を試みた探検隊は、みんな消息を絶つ。船の残骸だけが戻る。国家はそれを隠して、不干渉協定を結んだとか。学者の中でも『そりゃないだろ』って笑われる説だけど……笑えないほど、記録が消えてるんだ。都合よく、ね」


 マテオが小声で「……怖。陰謀論だろ」と呟く。フランソワは口を閉じ、ルキフェルだけが依然として無表情のままだ。


「最後は宗教的禁忌説。探索中に見つけた神殿が神罰を呼んだって話。異教の儀式を見た宣教師たちが突然死んだり、嵐に巻き込まれたり。教会は『あの地は人の行く場所じゃない』と通達を出した。……今も一部の修道院では、新大陸の名を口にすること自体が禁じられてる」


 ルキフェルは目を細めぶっきらぼうに言い放った。


「どれも憶測だ。証拠は?」


 ニールは肩をすくめる。


「ないよ。あっても流れ着く死体だけ。どの説も、想像と憶測の域を出ない。でも、誰も真実を確かめようとしないのが一番怖いんだよなあ」


 彼の言葉が霧の中に沈んで消えた。やがて、推進器の回転音が再び静けさを支配する。長老は沈黙したまま遠くを見ていた。彼の横顔には何かを思い出すような影が一瞬、差していた。


「学者連中も随分暇なんだな」


 フランソワが欠伸をかみ殺しながら呟いた。


「どれも突飛で、どれも胡散臭い。まあ、想像するには面白ぇけどよ」


 ルキフェルは黙って帆の向こうを見つめていた。風に揺れる前髪を指で払うと、「どれも現実味は薄いな」と言い添えた。その声に、ニールがむっと眉を寄せる。


「でも、現実味がないからって間違いとは限らないよ? 学問ってそういうもんだ」

「ふん、夢の延長だ」

「夢の延長でも、見上げる価値はあるでしょ?」


 ニールに言い返されたルキフェルが僅かに目を細めたとき、コリンがぽつりと口を開いた。


「……ぼくはこう思うなあ」


 全員の視線が少年の方へ向く。コリンは船縁に両肘をかけながら、海の彼方をじっと見つめていた。


「新大陸って、本当は“別の世界”につながってるんじゃないかって」

「別の世界?」


 マテオが眉をひそめると、コリンは頷いた。


「うん。たとえば……ぼくらの知らないもうひとつの世界。ここと似てるけど、まったく違う場所。神さまの怒りとか、呪いとかじゃなくて、なんか境目があるんだと思う」


 コリンの小さな手が宙をなぞるたびに、皆の表情が徐々に真剣味を帯びていく。


「ぼくね。この世界のどこかに、ここよりもずっと進んだ文明を持つ場所があると思ってるんだ。……たとえば空を飛ぶ船とか、火を使わない光とか。そういうものが向こうの世界では普通に使われてるんだよ、きっと」


 ジャスパーが思わず吹き出した。


「ははっ、なんだよコリン、それこそおとぎ話だ」

「そうかもしれない。でもね、もしそういう世界がほんとうにあるなら……いつか、ぼくたちだってそこに行けるかもしれない。海の向こうに、もうひとつの空があるならさ」


 コリンの言葉を失った一同の間を風が抜けていった。しばしの沈黙、くぐもった笑い声が響いた。


「ほう……良い線ついてるな、チビ」


 唐突にかけられた声に、コリンがぴくりと肩を跳ねさせる。振り向けば、長老が煙草をくゆらせながらにやりと笑っていた。深く刻まれた皺のあいだから覗く目はどこか試すようでもあり、愉快そうでもある。


「ち、チビじゃない!」


 コリンが思わず声を荒げる。頬をふくらませて、怒りを隠そうともしない。


「おっと、悪かった悪かった」


 長老は笑いながら手をひらひらと振った。


「まあ、怒るな。お前の言ったことは、案外的を射ているかもしれん。答えはまだ誰にもわからんが、この先にヒントがあるかもな」


 船体が軋む音とともに、ボートはゆっくりと進路を変える。陽光が傾き始めた海面を滑るようにポート・ロイヤルの裏手、浅瀬の方角へと舳先を向けていった。潮の匂いが濃くなり、波の合間に岩礁が姿を見せ、海鳥たちが低く旋回している。霧のような白い靄が水平線の上に薄く漂っていた。船底をかすめるような波音が次第に浅くなり、舳先の下では透明な海の底に白い砂と岩肌が見えた。


「あの奥だ。潮が引く前に抜けるぞ」


 長老の声が響く。操舵盤の真鍮円盤を軽く押すと歯車が一斉に噛み合い、船尾の羽根が小気味よく水をかきはじめる。波しぶきをあげて、カラクリ船は浅瀬をすべるように抜けた。やがて、岩壁の影に口を開けた狭い水路が現れる。一見ただの断崖の割れ目だが、光の加減で見れば奥に人の手で削られた通路が続いているのが分かった。船がその暗がりに入ると、音が吸い込まれたように静まり返る。頭上では岩肌が迫り、灯りの届かぬ水面には何かの金属の反射がちらちらと光る。狭い洞門を抜けた先は、外界から隔絶された小さな入江が広がっていた。朽ちた桟橋。崩れかけた石壁。半ば沈んだ砦の残骸。手入れされた一本の木製桟橋が伸びていた。船がそこに接岸すると、浜の方から一人の男が姿を現した。白髪まじりの黒肌、粗末な外套をまとい、片目に布を巻いている。その男は長老を見るなり、にやりと笑って口笛を吹いた。長老の方から口を開く。


「おいおい、生きてたのか、番人さんよ。てっきり海の底だと思ってたぜ」

「悪かったな。こちとらまだ骨が海に呼ばれちゃいない」


 長老は苦笑しつつ桟橋に足を下ろすと、振り返って一同に手招きした。


「ついて来い。特別な許可だ。この老耄は、お前たちを追い払う元気はないらしい」


 一同は桟橋を渡り、砦の残骸へと続く石段を登る。風化した外壁のあちこちに、錆びた錨と古びた大砲の砲口が並び、壁にはかつての戦いの痕跡が黒ずんだ焦げ跡となって残っていた。そして、崩れた石門をくぐった先、地下へと続く螺旋階段が口を開けている。壁面には、かつての海賊旗の断片が額装のように飾られ、赤黒く錆びた剣や風化した羅針盤、褪せた古地図が静かに照らされている。石段の途中、長老が立ち止まって振り返った。


「気をつけろ。この通路には昔の連中の置き土産が残ってる。不用意に触ると、手首が吹き飛ぶぞ」


 ニールが思わず喉を鳴らし、コリンが一歩下がるが、長老は振り向きもせず、カンテラを掲げて階段を下っていった。しばらく下ると、階段の先に厚い鉄扉が現れた。海潮と年月で黒く錆びついてはいたが、表面には複雑な文様が浮かび上がっている。螺旋を描く線と、星を象った刻印。そして、扉の中央には見覚えのある星型の鍵穴があった。長老は腰の革袋から銀色の鍵を取り出した。先ほどカラクリ船を動かした時と同一のもの。


「……ここが、奴らの残した最後の場所だ」


 長老が呟、鍵を差し込むと重い音が響いた。内部で何重もの歯車がかみ合い、奥から鈍い唸りが伝わってくる。錆びた鉄扉がわずかに震え、ゆっくりと左右に割れた。


 灯りが差し込むと、そこには広大な地下室が広がっていた。壁一面に、古い航海図が貼られている。黄ばんだ羊皮紙には、見たことのない海域と島々の線が描かれ、中央の机の上には朽ちかけた羅針盤と、錆びた銃、そして黄金の杯。積み上げられた木箱の隙間からは、宝石の光がこぼれている。床には無数の歯車や金属片が散らばり、壁際の棚には奇妙な装置が並んでいた。小さな水晶を内蔵した羅針盤、風を読むことなく回転する風車、見たこともない文字で刻まれた銘板。どれも、人間が作り得ぬ何かの名残のようだ。長老はゆっくりと中央へ歩み寄り、古びた机に手を置く。


「我々とこの島の秩序の秘密は、ここに眠っている」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。