第五話 気まぐれな主人
二度目の割り当ての日は、朝から雨だった。
前と同じように、僕たちは訓練場の泥の上に並ばされた。冷たい雨が首すじを伝う。白いローブの生徒たちは、供の者に傘を差しかけられ、ゆっくり列の前を歩いていく。濡れることすらない人間が、濡れそぼった僕たちを値踏みする。その構図が、なんとも滑稽だった。
また選ばれないだろう。半ば諦めていた。愛想を振りまいた甲斐もなく、こんなひょろひょろの新入生に値をつける酔狂な魔法使いなど、そういるものではない。
ところが、である。
「ねえ、そこのあなた」
列の前で足を止めたのは、ひとりの令嬢だった。年は僕と同じくらい。背はすらりと高く、艶やかな栗色の髪をきっちり結い上げている。勝ち気そうなつり目が、まっすぐこちらを見据えていた。ローブの上からでも、仕立ての良さがわかる。ただ、胸元の徽章だけは、ほかの生徒より一段くすんだ色をしていた。成績の悪い者がつける、落ちこぼれの印だ。
彼女はまっすぐ、僕を指さしていた。
「あなたよ、あなた。そこの、いちばん頼りなさそうなの」
「……僕、ですか」
「ほかに誰がいるの。この雨のなか、二度も言わせないでちょうだい」
ガロが横で、ぽかんと口を開けた。周りの新入生も、傘を差しかけていた供の者も、みんな驚いている。無理もない。よりによって、いちばん役に立たなそうな僕を選ぶなんて。雨の列のなかで、視線がいっせいにこちらへ集まった。値踏みではない、ただの好奇の目だ。その居心地の悪さに、僕はわずかに身を固くした。
「お嬢様、おやめください」と、老従者が慌てて止めに入った。「その者は見るからにひ弱です。盾にもなりますまい。もっと屈強な者を――」
「うるさいわね。わたしが選ぶのよ。あなたに何がわかるの」
令嬢はぴしゃりと言い放ち、つんと顎を上げた。わがままなお嬢様、という言葉がこれほど似合う人間も珍しい。
「わたしはフィーネ。フィーネ・ラ・クロイツェル。あなた、名前は」
「シオンです」
「シオン。ふうん、覚えておいてあげる。今日からあなたは、わたしの従卒よ。光栄に思いなさい」
そう言って、彼女はぷいと背を向けた。栗色の髪から、雨のしずくがぱらりと散った。
こうして僕は、思いがけず、魔法学校の令嬢フィーネの従卒になった。名門クロイツェル家の、落ちこぼれと呼ばれる令嬢。その気まぐれが、坂の下でくすぶっていた僕を、坂の上へ引っぱり上げたのだ。
手続きが済むと、フィーネは供を先に帰し、なぜか僕だけを校舎の裏手へ連れていった。雨をしのげる軒下で、彼女はくるりと振り返る。
「さて。まず言っておくけれど、わたしはあなたを盾になんてするつもりはないの」
「……はい?」
「わたしはこの学校の落ちこぼれなの。魔力の出力が弱くて、実技はいつも最下位。だから、体裁を整えるための従卒がひとりほしかっただけ。荷物を持って後ろをついてきて、それらしく見せてくれればいい。危ない目には遭わせないわ。……そんな余裕、わたしにもないしね」
最後のひと言だけ、声が小さくなった。強気なようで、この令嬢は自分の弱さをちゃんとわかっている。むしろわかりすぎて、それを虚勢で覆い隠しているのだ。頭を覗くまでもなく、そのくらいは伝わってきた。
「じゃあ、どうして僕を」
フィーネはしばらく答えなかった。雨だれの音だけが軒下に落ちている。やがて、きまり悪そうに髪の先をいじりながら、口を開いた。
「見てらんなかったのよ」
「え」
「前の割り当てのとき、あなた、いちばん最後まで残されてたでしょう。誰にも選ばれなくて、それでも背筋だけはぴんと伸ばして、じっと立ってた。……その姿が、なんだか、自分を見てるみたいだったの」
そこで一度、言葉を切る。
「わたしもいつもそうなの。実技で組を作るとき、最後まで余るのはわたし。魔力が出ないから、誰も組みたがらない。名門の娘だから、面と向かっては言われないけど、みんなの目が言ってるのよ。お荷物、って。……あなたの背中を見てたら、放っておけなくなっちゃった。それだけ」
つんとした物言いのわりに、そこには飾り気のない優しさがあった。
「似てるでしょ、わたしたち。選ばれない者どうし」
そう付け足して、彼女はばつが悪そうに目をそらした。頬がほんのり赤い。
僕は、少しだけ胸が温かくなるのを感じた。この人は、たぶん根はまっすぐな人間だ。坂の上でたったひとり、居場所のなかった令嬢。彼女は坂の下から来た僕のなかに、自分の孤独と同じ色を見つけたのだろう。
同時に、頭のどこかが冷静に計算していた。落ちこぼれとはいえ、彼女は魔法学校の生徒だ。その従卒でいるかぎり、僕はあの尖塔の内側へ堂々と出入りできる。エレナの居場所に、一歩ずつ近づける。
利用しようとしている。そう思うと、胸の奥がちくりと痛んだ。こんなにまっすぐな人を、僕は自分の目的の足がかりにしようとしている。
「なによ、辛気くさい顔して。不満なの」
「いえ。……ありがとうございます、フィーネ様」
「様はいらないわ。むずがゆい。フィーネでいい」
彼女はふっと笑った。雨上がりの空みたいな、屈託のない笑顔だった。
「ふつつかな主人だけど、まあ、よろしくね。シオン」
「こちらこそ。……あの、ひとつ聞いても」
「なに」
「フィーネ様は、どんな魔法がお得意なんですか」
その瞬間、彼女の表情が、みるみる強張った。しまった、と思ったときには遅かった。
「……得意な魔法。ええ、そうね。見せてあげるわ」
明らかに引っこみがつかなくなった顔で、フィーネは杖を構えた。詠唱を紡ぐ。頭のなかの術式は、驚くほど精緻で美しい。知識だけなら、彼女は間違いなく一流だ。ただ、そこに込められる魔力が、あまりに足りない。
「灯れ――《小さき火よ》」
杖の先に、豆粒ほどの火がぽっとともった。頼りなく揺れて、次の瞬間、ふっと消える。
軒下に、気まずい沈黙が落ちた。
「……いま、火が」
「言わないで」
「ついた、そばから消えて」
「言わないでって言ってるでしょ!」
フィーネは真っ赤になって杖をしまった。
「知識はあるのよ、知識は! 出力さえあれば、あんなの手のひらサイズの業火にできるんだから。ただ、その、魔力の蛇口が、ちょっと固くて回らないだけで……!」
必死に言い訳する令嬢を見て、僕は思わず吹き出しそうになった。久しぶりに、腹の底から笑いたい気持ちだった。この人といると、張りつめていた何かが、ふっとほどける。
「笑ったわね、いま」
「笑ってません」
「笑ったわよ。目が笑ってた。……まあいいわ。あなた、あんまり笑わないもの。たまには笑いなさい。辛気くさい従卒なんて、こっちまで気が滅入るわ」
強がりだけれど、僕を気づかってくれているのが伝わる。この令嬢は、自分の弱さを笑いに変えて、僕の暗さまで、そっと軽くしてくれようとしているのかもしれない。
「ねえシオン。あなた、剣術学校の子でしょう。なんであんなところに行ったの。従卒になるくらいなら、はじめから魔法学校を受ければよかったのに」
「……魔力が、なかったので」
「ふうん。まあ、いろいろあるわよね、人には」
彼女はそれ以上聞かなかった。踏みこまない優しさを、この人は知っている。落ちこぼれと呼ばれ、いろんなものを飲みこんできたからこそ、他人の飲みこんだものを、むやみにほじくり返さないのだ。
その気づかいが、かえって胸に刺さった。僕はこの人に、嘘をつき続けている。魔力がないからだなんて、まっ赤な嘘だ。本当は、あるべき道を捨てて、泥のほうを選んだ。すべては、坂の上の少女を救うために。
「ねえ、シオン」
ふと、フィーネが空を見上げた。雨上がりの、薄い水色の空だ。
「わたしね、いつか見返してやりたいの。落ちこぼれだなんだって笑ってる連中を。魔力なんかなくたって、頭さえ使えば、あいつらの鼻を明かせるって、証明してやりたい。……子どもっぽいでしょ」
「いえ。……いい目標だと思います」
「でしょう?」
得意げに胸をそらすフィーネを見て、僕は思った。この人は、腐っていない。落ちこぼれと呼ばれて、それでも前を向こうとしている。坂の下でうずくまっていた僕より、よほど強い。そのまぶしさが、少しだけ、痛かった。
雨はいつのまにか小降りになっていた。軒先から落ちるしずくの向こうに、白い尖塔がぼんやりかすんで見える。あの光の奥に、エレナがいる。ずいぶん遠回りをして、それでも僕は確かに、あの場所へ一歩近づいた。
この気まぐれな令嬢が、これから僕の運命を、思いもよらない方向へ転がしていく。そのときの僕は、まだ何も知らなかった。ただ、久しぶりに人の優しさに触れて、少しだけ泣きそうになっていた。それを悟られないように、僕は雨空を見上げるふりをした。灰色の雲の切れ間から、細い光が一筋だけ差していた。
豆粒ほどの火が、ともって、すぐに消えた。
選ばれない者どうし、と彼女は笑った。
泥のなかで、久しぶりに泣きそうになった理由を、まだ言えずにいる。




