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第十二章 決戦前夜

 双方ベンチに戻り、タオルで汗をぬぐい、水分を摂った。槙原がドリンクをおいて斎藤に確認する。

「メンバーチェンジの必要はないと思います。浅野には悪いですが、大杉がインサイドに来る事を考えると、塚本の働きは重要ですから。ただ、岸川を放っておくわけにはいきません。桑谷、お前でもあのスピードは手強いだろう?」

 キャプテンに聞かれた桑谷は苦り切った顔を見せた。

「まったく、シュートを警戒するとドリブル、パスで攪乱しやがる。それでいて、俺がスリーを打てないようにコースを切ってるんだから、頭の切れるやつだ」

「同感だ。しかし、うちが逆転するにはお前、俺、塚本の外からのシュートが欠かせない。第四クオーター、積極的にスリーを打っていくぞ。相手の注意が外に向いたら金田と堀川が決めればいい。監督、どうですか?」 

 斎藤は腕組みしたまま立ち上がって槙原を見据えた。

「異論はない。外からでも中からでも得点できるのがうちの強みだ。ただし、ディフェンスは今まで以上に集中していけ。なにより、これ以上岸川を乗せたら流れを引き戻すのは難しいぞ。さあ、勝ってこい!」 

 青雲のベンチは思いのほか静かだった。少しでも疲労を回復させるためにメンバーがベンチに座り、真琴が背筋を伸ばして立っている。

「小太郎が動いてくれたおかげでうちがリードしている。でも、相手を甘くみないでよ。浅野を使ってくるかもしれないし、塚本はおそらくまだ本気じゃないわ。幻舟、あなたはこれ以上中に切れ込まないで。ダブルエースがマークを振り切った瞬間にパスを出せばいい。小太郎が気持ちよく外から打てるよう、リバウンドは三人で確保すること。最後の十分、力を出し切りなさい!」 

 最後の一〇分が始まった。さつきがボールを入れ、幻舟がドリブルする。槙原のディフェンスには隙がない。小太郎には桑谷がきっちりマークについている。と、さつきが金田を振り切った。ジャストのタイミングで幻舟はパスを渡す。さつきはフックではなく、普通のシュートのモーションに入った。

(決めさせるか!) 

 金田がブロックに飛ぶ。しかし、さつきは斜め後ろにジャンプし、楽々金田を超えてシュートを決めた。

「フェードアウェイ・ジャンプショットか」 

 高村が感嘆の息をつく。かなりのボディバランスを必要とする、高等技術だ。

「やはり青雲のダブルエースを抑えきるのは難しいな。しかも大杉が一瞬のズレもなく絶妙のアシストを決める。これで七点差か。横浜西はどう出るかな?」 

 麻生も真剣な表情でコートの様子を伺っている。

「落ち着いて攻めるぞ!まだ時間はある。フリーになったら迷わずシュートを打て!」

 槙原は動じない。一年生から横浜西のレギュラーの座をつかみ、経験とリーダーシップは誰もが認める男だ。

「相手は外から打てる選手がいるわよ!ここを止めて、一気に突き放そう!」

 真琴も負けていない。両手を叩いてメンバーの士気を高める。ボールは塚本に渡った。静止した状態から一気にトップスピードに乗ると、雅和を置き去りにする。金田、堀川がスクリーンをかけているので、無人のゴール下に駆け込み、力強くダンクを決めた。

「すげえぞ、あの一年!」

「さすがはインターハイの常連、横浜西だな。どこからでも点が取れる」

 ボールを運ぶ幻舟は大声を出した。

「最後まで集中を切らすな!相手の実力なら、この程度のリードはすぐに返される!確実に決めるぞ!」 

 幻舟はゆっくりとドリブルをしたかと思いきや、いきなりギアを上げて槙原を抜いた。そのままシュート体勢に入る。塚本がブロックに飛んだ。しかし、手首のスナップだけで小太郎にパスを渡す。桑谷の注意がインサイドに向いていた。得意の素早いモーションで小太郎はスリーを打った。ボールは放物線を描いてネットに吸い込まれる。

「来た、岸川のスリーポイント!」

「大杉のパスもすごかったな!あれじゃ、止めようがない」 

 観客も青雲のコンビネーションに酔いしれている。ベンチの浅野は唇を噛んでいた。

「浅野、悔しいか?ベンチで試合を見守るなんて、二年になってから初めての経験だろうからな」 

 斎藤は悟りきった顔をしている。浅野は監督を仰ぎ見たあと、低くつぶやいた。

「悔しいというより、歯がゆいです。自分がコートに立ってどうなる問題でもない。槙原さんたち、五人が奮闘してくれる事を祈るだけです」

「俺だって、好きでお前を下げたわけじゃない。大杉にライバル意識をむきだしにしているお前より、槙原を司令塔にしたほうが塚本を活かせると踏んだからだ」 

 淡々と斎藤は語っている。今までにない、冷静な監督の姿を見て、浅野は何も言えなかった。

「県大会では我々は全力ではなかった。インターハイの舞台に入って、青雲はめきめきとレベルを上げてきた。俺なりに策を練ったが、どう組み合わせても勝ち目は薄い。このチームを倒せるとしたら、王者の藤森くらいだろう。浅野、目に焼き付けておくんだ。来年はお前がチームの中心になる。塚本を生かすも殺すもお前次第だ。だが、勘違いするな。ブザーが鳴るまで、俺も槙原たちも試合を捨てることはない。ベスト四で終わっても、我々は打ち負かしてきた連中のためにも、全力を尽くす義務があるんだ」

 斎藤が語り終えると、浅野は立ち上がって大声を上げた。

「みんな!もっと足を動かして!そんな調子じゃ、青雲には勝てませんよ!」 

 浅野の声にはほんの少しだけ悲壮感が混ざっていた。それが槙原たちの胸に響いた。既に大量のリードを許していたが、浅野の言葉が疲れきった背中を押している。

「よーし、残り五分だ!全員、気を抜くなよ!」

 槙原が不敵に笑っている。そこには、勝敗を超えた魂がこもっていた。 だが、青雲の総合力には及ばす、試合終了。九四対八一で横浜西は敗北を喫した。 礼が終わると、槙原が幻舟に歩み寄った。

「大杉、俺たちの負けだ。決勝は最後まで見させてもらう。藤森は強いぞ」

「ああ、お前たちの分まで頑張るさ。俺たちに失うものはない。玉砕覚悟でぶつかるよ」  金田は太いい息をついてさつきに微笑んだ。

「さすがは青雲のセンターだ。お前のフック、必死に食らいついたんだがな」

「あなたの悔しさは決勝で晴らしますよ。僕にとっても相馬くんに負けるわけにいかないんで」

「その気持ちがあれば、奇跡が起きるかもしれん。健闘を祈る」 

 桑谷はふーっと息を吐いたあと、小太郎に近づき、細い肩を掴んだ。

「まったく、大したやつだよ。だがな、藤森のシューター、服部は俺より何枚も上手だ。決勝、お前のウエイトはでかいぞ」

「はい、桑谷さんの分まで全力を尽くします」 

 にっと笑顔を向けて、桑谷は去っていった。 客席から様子を伺っていた藤森のメンバーも、青雲が強豪の横浜西を圧倒したことに驚愕していた。

「これで俺たちの相手は青雲か」

 服部がつぶやく。亮一は強い口調で反論した。

「まだ、僕たちの試合が残っています。そこに集中しましょう」

「そうだな」 

 高村以下、王者は階段を下りていった。

「青雲、本当に強かったですね」

 久美子が感嘆の息をついた。

「まったくだ。横浜西が手を変え品を変えても動じなかったね。問題は……」 

 遠藤の目の色が変わった。

「藤森がどんな作戦で来るかだ。準決勝の第二試合、石川県代表の能登工業。最高成績はベスト八だが、気になるのは藤森がここまでの試合、不動のスタメンを変えていないことだ。あれだけ層が厚く、本気で優勝を狙うなら相馬や北条を下げてもいいはず。久保監督はどんな思惑があるのかな?」

 久美子もそこが引っかかっていた。バスケは体力の消耗が激しく、怪我の多いスポーツ。まして一発勝負のトーナメントなら控えを使わない手はない。

「わたしの思い込みでしょうが、久保監督は最初から青雲が勝つと想定してあえて互角の条件で対決する気では?」

「うーん、その可能性もゼロではないだろうね。ただ、僕の知っている久保という男は勝つことに並々ならぬ執着心のある人物だ。まして、名門の監督を務めている以上、敗北は致命傷になりかねない。そこまでのリスクを負うとは思えないな」 

 二人が話しているうちに、藤森と能登の試合が始まろうとしていた。

 青雲のメンバーはいったんロッカールームに引き上げ、汗で濡れたユニフォームからTシャツに着替えた。幻舟たちが客席についた頃、藤森と能登の試合が始まった。 ジャンプボールはなんなく相馬がタップする。ボールは麻生に渡り、能登はマンツーであたってきた。

「みんな、しっかり見ておいてよ。王者藤森がどんな試合をするか」 

 真琴の声に全員が頷く。麻生はドリブルをしながら、コートを見渡した。エースの亮一がマークを振り切る。鋭いパスが通り、亮一はノーマークでミドルシュートを決めた。

「まずはエースが決めたか」

 鬼神が小さく呟く。全中ではチームメイトだった亮一が、いまや高校ナンバーワンプレーヤーとして揺るぎない信頼を勝ち取っている。

「藤森の戦術はいたってシンプルよ。ゴール下は二メートルの相馬が攻守に渡って暴れまわり、キャプテンの高村が相手のエースを封じ、リバウンドも強い。麻生はきっちりゲームを作る上、ミドルを決めてくる。シューターの服部はスリーはもちろん、インサイドに切れ込んで点を取れる。そして……」 

 真琴が言葉を切った。

「北条亮一、彼を止めない限りどのチームも勝ち目はないわ。スリー、ミドル、ダンク、リバウンド、ディフェンス、スティール。四〇分走りきれるスタミナ。弱点らしいものはないわ」

「真琴さん、僕を亮一にぶつけてください」 

 幻舟の言葉に、一同は息を飲んだ。

「エースキラーの高村を突破できるのは鬼神だけです。僕が亮一を最少失点に抑えれば、いや、そうしなければうちに勝利はありません」 

 真琴はしばし考えた後、笑顔を見せた。

「わかった、あなたを亮一のマークに付ける。ただし、ゲームメイクの質が落ちたらすぐに変えるからね。いい?」 

 幻舟はうなずいた。 再び真琴たちがコートに視線を戻すと、能登の攻撃に移っていた。司令塔の加納からエースの山下にパスが通った。

「山下和彦、一八七センチ、七九キロ。予選から準々決勝までの平均得点は三〇点を超えていますね」

 さつきがデータをまとめた資料を読み上げる。北陸ナンバーワンフォワードの呼び声も高い山下が高村からどれくらい得点できるか、見所だ。 ボールを保持した山下が高村と視線を合わせる。山下は右手でドライブをかけると見せかけて、急ストップし、ジャンプショットを放った。が、高村のブロックにあい、あっさりボールは弾かれた。

「うわ、すげえブロック!」

「高村はディフェンスでは高校界ナンバーワンと言われてる。それにしても、あの山下があっさり……!」

 観客のどよめきが大きくなる。

「さすがにエースキラーだな。いまのシュート、並みのディフェンダーなら決められてたぜ」  鬼神が真剣にコートを見つめている。おそらく、決勝で自分をマークするのはこの男だろう。さつきに相馬がつくことを考えると、最低でも二五点は取らなければならない。いつもは能天気な鬼神も突き刺さるような視線で高村を見つめていた。 再び藤森の攻撃になった。能登は麻生にポイントガードの加納をつけ、さらにシューターの榎本をダブルチーム気味に配置した。麻生はちらっと服部を見て、パスコースを切られているのを確認すると、弾丸のようなパスをゴール下に通した。 受け取った相馬は両手でダンクの体勢に入る。能登のセンター、一九六センチの栗原が右手を伸ばすが、いとも簡単に吹き飛ばし、ボールはリングに叩きつけられた。

「出た、相馬のダンクだ!」

「北条、相馬の二枚看板が早くもエンジン全開だぞ!今年も優勝は藤森か!」

 客席がざわついている。藤森の応援団の下にはの横断幕が掲げられていた。

 常勝不敗!藤森学院籠球部

「ここは一本決めるぞ!嫌な流れを断ち切るんだ!」 

 加納は大声を出してチームに喝を入れるが、気負いすぎていた。一瞬の隙を付いた麻生がボールを奪う。既に走り出していた亮一にパスを渡した。 

 能登はセンターの栗原が鬼の形相で立ちはだかっている。亮一はスピードを緩めず、コートを蹴ってダンクのモーションに入った。

(これ以上、好きにさせるか!) 

 栗原はジャンプして両手を挙げた。しかし、亮一は空中でボールを下げ、ブロックをかいくぐると鮮やかなレイアップを決めた。

「ダ……ダブルクラッチ!」

 亮一が着地すると、大歓声が巻き起こった。 王者、藤森の実力に幻舟たちも言葉が出ない。

「見たか、今のプレー……」

「あれが高校ナンバーワンプレーヤー、北条亮一だ」

 客席は静まり返った。余りにも華麗な亮一のダブルクラッチ。幻舟はその姿を焼き付けながら、自分ならどう防ぐかシミュレートした。 その後も藤森の圧倒的な強さは変わらなかった。 能登は無理にインサイドで勝負せず、外からシュートを打つがリングに嫌われ、リバウンドは相馬と高村が確保した。 麻生は広い視野を活かして縦横無尽にパスを出し、エースの亮一、ゴール下の相馬、シューターの服部が確実にネットを揺らした。 終わってみれば一〇三対四五。インターハイの準決勝でダブルスコアなど滅多にない。礼が終わると、藤森のメンバーは久保監督とハイタッチし、まるで練習試合の後のようだった。

「どう?これが王者の実力よ」 

 真琴はメンバーの顔色を見た。臆するどころか、闘志満々だ。

「俺が高村から二五点、いや三〇点は決める。ディフェンスで劣る分はそれくらい働かないとな。相手にとって不足なしだ。足がつるまで走り回るさ」 

 エースが気迫をむきだしにしているのを見て、真琴は笑顔を見せた。

「大杉さん、どんどんインサイドに切れ込んでミドルを打ってください。そうすれば藤森といえども注意が中に向くはず。そこを僕が外から決めればダメージは大きいと思います」            小太郎は静かな口調で、しかし相手の癖を分析した上でキャプテンに進言した。

「わかった。向こうは亮一、服部とスリーを打てる選手が二人いるが、うちにはお前だけだ。バスケが高さだけでないことを見せつけてやれ」 

 雅和も負けていない。しばし口を閉ざしていたが、一気にまくし立てた。

「わしもリバウンドだけじゃなくブロック、得点を頑張ります。なに、体力だけなら岩倉さんにも負けません。後半、相手が疲れてきたらインサイドで勝負します。相手はわしをそんなに警戒していないだろうから、ガンガン入れていきますよ」

 幻舟は一年生コンビが燃えているのを満足そうに頷いた。

「問題は相馬くんですね。基本的なプレースタイルは中学時代と変わっていませんが、よりアグレッシブに、ミスの少ない動きをしています。得点はもちろん、リバウンド、ブロック、センターに必要な要素はすべて兼ね備えています。ただ……」

 さつきは言葉を切った。

「この試合、僕ならここまで全力を出さないですね。エースの亮一くんは楽々プレーしていましたが、相馬くんは明らかに気負っていましたから。彼に弱点があるとすれば、どんな試合でも全力で戦うが故に、消耗が激しいということ。ほかの四人は余力を残しているのに、相馬くんは手加減なしです。彼くらいのスタミナがあれば大きな問題はないと思いますが」

「さすが、よく見ているわね」

 真琴が微笑んだ。椅子から立ち上がると、女王のように指示を出す。

「全員、風呂で疲れをとったら白石先生にマッサージを受けること。泣いても笑っても明日が最後よ。四〇分間走りきれるように、しっかり睡眠はとって。あたしから特にいうことはないから、各員、持ち味を出しなさい。以上!」

 さつきはバッグを担いでホテルに帰還しようとしたが、痛いほどの視線を感じた。 コートを見ると、一人佇む相馬がじっと睨んでいる。さつきは視線をそらさず、ふたりはにらみ合った。 ふいに、相馬がコートを去った。しかし、背中にはしっかりと刻まれている。お前にだけは負けない。その気迫を受け止めて、さつきはアリーナをあとにした。

「どうだね、君にとっての初めてのインターハイ、ついに決着がつく」 

遠藤の口元は笑っているが、目つきは真剣だ。久美子は慎重に言葉を選んだ。

「正直に言いますと、青雲がここまで強いとは思いませんでした。遠藤さんのつてで取材をさせてもらった時、一年生ふたりは今のレベルではありませんでしたし、大杉選手たちも試合を重ねるごとに持ち味を出した印象です」

「そうだね。僕も、いくら全中トリオがいるとはいえ、長谷川くんは指導経験なし、後のふたりは一年、しかも控えもいない。おまけに大杉の膝はボロボロと聞いているから、一発勝負は何が起こるかわからんよ」

 帽子をかぶり直して、遠藤は遠い目をした。

「だが、多くの人は既に決勝の結果を予測しているだろう。ゴール下を支配する相馬、ダンクからスリーポイントまでオールラウンドにこなす北条、この二枚看板に加えて、キャプテンでエースキラーの高村、正確に外から射抜く服部、司令塔の麻生。控えにも全国クラスが揃っているが、メンバーチェンジの必要もないほど強力な布陣だ」

「だからこそ、青雲は燃えると思います」

 久美子の口調は強くはなかったが、これだけは譲らない、という意思を感じさせた。

「地区予選から準決勝まで、青雲は常に背水の陣でした。誰ひとりファールアウトは許されない。同じメンバーで戦ったからこそ、結束は増し、一年生に引っ張られるように三年生も成長しました」

 遠藤は何も言わない。久美子は無人のコートを見つめながら、自分に言い聞かせるようだった。

「奇跡は起こるものじゃない。起こすものだと、あの五人の背中は語っていました。ジャーナリストとして、どちらかを応援するわけにはいきません。ただ、藤森が相手を侮ったら、彼らの不敗神話は崩れるでしょう」

「永岡くん、僕からも言わせてもらうよ。お世辞抜きで、君は大きくなった。初めて、青雲の体育館に連れて行った時の君は自信もバスケの見識もなかった。今は違う。次の大会は、単独で取材できるよう、編集部に進言しておくよ。もう、僕のサポートは必要ない」

「ありがとうございます」

 久美子は師匠に一礼した。

「だけど、ジャーナリスト以前に君は女性、しかも若い。天野君、気になっているんだろう?」

 遠藤に水を向けられて、久美子は赤面した。

「わかりません。本当に、自分の気持ちがわからないんです。初めて会ったときは雲の上の人でした。取材を続けるうちに、少年らしい弱さや逆に高校生離れした冷静なプレーを見て、魅力的だとは思います。でも、自分が女性として天野さつきさんに恋をしているのか、はっきりしません」

「まあいいさ。くどいようだが、君たちは若い。彼の進路もすぐには決まらないだろうし、二人でゆっくり話し合えばいい」

 遠藤は久美子の肩を軽くたたくと、席を立った。 久美子は目を閉じた。さつきが苦しむ姿、幻舟たちと歓喜する姿が浮かんでは消えていく。大船を散歩したのが昨日のことのようだ。あの頃よりはずっと進歩した自負はあるが、さつきにも思い人がいるかもしれない。目を開けると、拳でおでこをつついた。

(まだ大会は終わっていないわよ、久美子。シャキっとしなさい……!)  

「爺さんのマッサージを受けるのもこれで最後か」

 ベッドにうつぶせになり、白石にふくらはぎを揉まれながら、鬼神が感慨深げにつぶやいた。

「まったく、これだけ動いて大杉以外は大した怪我もないんだから、若いモンの体力には驚かされる」

 鬼神の手入れが済むと、額の汗をタオルで拭いて、さつきに寝るように白石は命じた。「本当にありがとうございます。先生がいなかったら決勝にはたどり着けなかったでしょう」

 幻舟が礼儀正しく一礼した。白石はさつきの背中を押しながら、苦い顔をする。

「何を寝ぼけとるか。ここまで来て、最後の試合は負けました、などわしは認めんぞ。必ず優勝しろ。出来んかったら罰として泳いでオーストラリアまで行ってもらうからな」

 白石のジョークに小太郎が苦笑した。だが、老人の言うとおり、有終の美を飾れなければ意味はない。そこへ、ドアをノックする音がした。

「みんな、いいかしら?」

 真琴の声がした。幻舟が応じると、関本と高橋の顔があった。

「お前ら、本当にここまで来たんだな。ある程度はやってくれると思ったが、先輩として誇りに思うぞ」

「先輩の資料はしっかり活かせたと思います。お忙しいのに、本当に感謝しています」

 幻舟が頭を深く下げる。関本は照れた。

「高橋、お前からも何かあるだろう?」

「大杉、気づいているか?一戦勝ち上がるごとに応援団が増えていることに。俺たち三年はもちろん、二年、一年までわざわざ神奈川から見に来ているんだ。しびれるぜ、お前らのプレーは」

「はは、なおさら決勝は負けられないな。藤森は強いが、完璧なチームはない。お前らも応援で燃え尽きないでくれよ?」

「ああ、わかってる。じゃあ、健闘を祈るぜ」

 関本と高橋は去っていった。真琴が肩をすくめる。

「まったく、それぞれ忙しいでしょうに……」

「でも、あの人たちの存在が僕らの背中を押してくれますよ。そう信じています」

 幻舟の言葉がずしりと真琴の腹に響く。右膝を負傷しながら、キャプテンとして、ポイントガードとして重責を担ってきたこの男も、素顔は一七歳の少年だ。真琴は白石の方に顔を向けた。

「先生、本当のところを教えてください。幻舟の膝……あと一試合、もつでしょうか?」

「ギリギリだな。俺なりに最善を尽くしてきたが、お前の知るとおり、バスケットというスポーツは足の負担が大きい。だがな、大杉の腹は決まっているんじゃないか?」

 全員に視線を向けられて、幻舟は頭をかいたあと、穏やかな笑顔を見せた。

「喜多村先生の診察で言ったとおり、俺はこの大会でバスケ人生が終わっても悔いはない。そのかわり、さつきには大学、鬼神には社会人バスケで大暴れしてもらうけどな」

「なんだそりゃ?」

 鬼神が間抜けなリアクションをして、一同はどっと笑った。

「本音を言うと、このメンバーで何年でもやっていきたいよ。控えもお金もいらない。勝ってきたことも嬉しいけど、同じメンバーでやれたことが俺には一番嬉しいんだ」

「幻舟、おそらく全員があなたと同じ意見ですよ。でも、現実は明日で最後です。このメンバーでやれるラストゲーム、必ず勝ちましょう」

 さつきが言うと、小太郎が頬を上気させてつぶやいた。

「高橋さんたちの報告では、学校は大騒ぎになっているそうです。来年、新入部員が入ってバスケ部が存続したら……」

 小太郎は雅和と視線を合わせた。

「青雲の、大杉さんたちのDNAは僕らが責任を持って受け継ぎます」

「そうこなくちゃよ。幻舟、いよいよ負けられねえなあ?」

 鬼神の軽口に、幻舟は苦笑しながら今頃藤森のメンバーはどうしているだろうか、思いを馳せた。

 藤森は関西を代表するホテル、大阪グランド・インに宿泊していた。 地上二四階、地下三階、最新の耐震設備を持ち、海外からの観光客も多い。 地下一階の広いフロアは七〇インチの液晶テレビが配置されており、キャプテンの高村を筆頭に一二人のベンチ入りメンバー、マネージャーの日下聡、そして監督の久保が熱心に画面を見つめていた。 テレビの画面の中では準決勝、青雲対横浜西の激戦が再現されており、さつきがフックを決める場面では相馬が拳を握り締めた。

「以上が、第一試合から準決勝までの青雲のダイジェストだ」 

 久保がテレビのスイッチを消して、全員を眺め回した。

「気づいていると思うが、青雲は一戦ごとにレベルアップしている。もちろん、お前たちも高校生であるからには日々成長しているが、青雲はそれを上回るスピードで伸びている。いいか、相手を格下などと思うな。

全中を制した大杉たちに加え、西園寺、岸川の一年生コンビを甘く見たチームがどんな運命になったか、説明するまでもなかろう」

 しばし沈黙が流れたが、亮一が手を挙げた。

「監督、僕を大杉さんとマッチアップさせてください」

 久保はメガネの縁を軽く上げ、レンズの奥からエースの決意を質した。

「理由は?」

「麻生さんのディフェンス力を軽く見ているわけじゃありません。ただ、僕と大杉さんは身長も同じだし、お互いにある程度癖を知っています。攻撃の起点であるあの人を押さえれば、青雲のオフェンス力は半減するはずです」

「いいだろう。麻生も異存はないな?」

 藤森の司令塔は無言で頷いた。

「ディフェンスはハーフのマンツーでいく。天野には相馬、岩倉には高村、西園寺には麻生、大杉には北条、岸川には服部。オフェンスはある程度麻生に任せる。ただし、無理にインサイドで勝負するな。大杉までゴール下に加わる可能性を考慮すると、高さで張り合うのは愚の骨頂だ。服部、北条が外から決めれば相手のディフェンスも広がらざるを得ない。ゴール下は相馬、お前が死守しろ。単純に高さとパワーで言えばお前に勝てる相手はいない。高村が岩倉の攻撃を抑えつつ、リバウンドを制すれば地力でうちが有利だ。ただし、岸川のスリーには要注意だ。今大会、この小さな一年生が何度も重要なゴールを決めてきたことを考えると、ある意味天野、岩倉のダブルエースより恐ろしい存在だ。服部、決して気を抜くな。一瞬の油断を付いてこの選手は試合の流れを変えるスリーを沈めてくる」        指揮官の指示に、全員が首を縦に振った。

「わたしからは以上だ。特に質問がなければ解散する。ゆっくり休んで万全のコンディションで戦えるようにしておけ」

 各人が退席する中、相馬だけが残って久保と対峙した。「監督、ご存知の通り、三年前、俺は天野に完膚なきまでにたたきのめされました」

 感情を抑制しているが、相馬の瞳が怒りに燃えているのがわかった。

「明日の試合、勝つことはもちろん、どっちが高校界ナンバーワンセンターか、白黒つけたいんです。そのために、死ぬ気で練習してきました」

 久保は右手を腰に当ててゴール下の守護神を眺めていた。

「相馬、お前のような闘志をむき出しにする選手は嫌いではない。事実、北条とともにうちの二枚看板としてお前はいい選手になった。しかし、天野に対して意識過剰になると本来の力を発揮できんぞ。忘れるなよ。バスケがチームスポーツで、お前には心強い味方がいることを」

 知的な監督は相馬に歩み寄り、肩を軽く叩いた。

「気負う必要はない。平常心で試合に望めば、自ずと結果は付いてくる。今日はもう寝ろ。練習通りのプレーをすれば、お前に敵うセンターはいない」

「はい、お先に失礼します」

 スキンヘッドの少年は一礼してロビーを去っていった。

「青雲、か……」

久保はメガネを外して壁に身をあずけた。

「長谷川真琴。二十歳の若さで五人だけのチームを決勝に導いた手腕、只者ではないな」

 再び久保はメガネをつけると、電気を消して自室に戻っていった。

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