03-107 仕事中ですよ
地上に降りてきたので、アカリは暫く街で仕事をすることになった。宇宙では退屈が敵だったが、地上では忙しさが敵だ。
とはいえ、宇宙組のアカリに充てがわれた仕事量は地上組よりは遥かに少ないのである。最初の数日は、シャトルを利用しての拠点間の転送だった。
街の様子にも慣れたと判断されたのか、今日からは配達の仕事が少し入る。
宇宙港の地上駅で人気の弁当屋から大量の弁当を受け取り、今は宇宙用バギーに乗せて輸送中だ。このバギーは見た目は骨組みだけの華奢な造りだが、未踏破の惑星を探査するような時に使われる、非常にタフな車だ。今回は資料保存用の滅菌恒温ユニットを保温庫代わりにして弁当を運んでいた。
配達先は中央都市サントルのスタジアム。何かスポーツの大会があって、その運営要員の昼食ということだった。この調子で行けば、予定通りの昼前に配達できるだろう。
スタジアム入口にある受付のテントでスタッフに声をかけて次の指示を受けろと言われていた。
「すいませーん。お弁当の配達ですけど、どこに置きますか」
入り口が開いていた仮設のテントの中に声をかけてみると、人が動く気配がした。
「はいはい、お疲れさまです、お弁当はですね……あ!」
「あれ?君は」
「イチゴの人!」
テントの奥から出てきたのはアカリが地上に降りるきっかけとなったNEMO氏の姪のレティシアだった。
三日振りに見るレティシアは相変わらず美しかった。肩に掛かる程度だった薄い金髪を今日はヘアバンドとピンで後ろで一つに束ねている。ピンの猫の飾りがとてもキュートだ。服装はいわゆるジャージと呼ばれる動きやすい服装で、臙脂色の基本カラーと腕章の緑色がとても似合っている。ジャージの上からでもよくわかるバランスのとれた肢体、露わになった首筋に少し上気した頬の赤み、薄く化粧した唇。
「あ……。どうも、お元気そうで」
「レティシアですよ、……憶えてないの?」
しばらくぼうっとしていたアカリを、自分のことを忘れていたのだと解釈したレティシアは不満げだ。
「……憶えてるけど、名前はお客さんの個人情報だし、嫌でしょ?気味悪くない?」
「全然!むしろ呼んで下さい!」
「……レティシアさん」
「はっ、はい!!」
名前を呼んだ方も呼ばれた方も、こんな風に照れてしまって次に何を言い出せばいいかわからない。お互いにちらちら見ながら、照れた顔も素敵だとか、可愛いとか考えていた。
「あ、お弁当屋さんが来てる」
アカリの背後から掛かった声に、二人は我に返った。
「レティシアちゃんが対応してくれてるのね」
「あ、アイちゃん!」
「こんにちは。お弁当をどこに置けばいいかをこの方に聞いていたんですよ」
アカリは瞬時に別世界から復帰した。戦場では気持ちの切替が大事だった。レティシアはまだ鍛えられていない。
「ご苦労様です。……レティシアちゃん、代わろうか?」
「大丈夫!私が案内するよ。こっちだよ!」
レティシアはアカリの手を取って引っ張った。
不意に、柔らかくて熱い小さな手に手を取られて、抵抗もできずに連行されてしまう。至近距離から小動物に襲われる訓練をほとんどしてこなかったアカリは、全く抵抗できなかったが、それでも体勢を崩すことがないのは日頃の鍛錬の賜物だ。抵抗できなかったのではなく何故か身体が素直にレティシアについて行ったのだと、少したってから気付いた。そして何故かわからないが、レティシアの手を軽く握り返していた。
目の前で繰り広げられた逃走劇。普段男性への対応は虫除けのために友人に代わってもらうことも多いレティシアだ。いつもと違う積極的な反応に驚いたが、何かを理解した友人のアイはニヤリと笑うのだった。
「なるほど」
ほんの数メートルだが握った手を離せずに、車まで来た。
「あの、レティシアさん」
びっくりしたのか、握る力が少し強くなった。
「この車なんだけど、どうしよう」
親しくもない男性の手を自分から取ったという状況を認識したレティシアは慌てて手を離した。柔らかさと熱さがまだアカリの手に残っていたが、だんだん薄れていく感覚に名残惜しい気持ちがした。
「搬入はスタジアムの裏口なんですよ、ちょっと遠くて分かりにくいかもと思って……」
「ありがとう……」
裏口ならわかる。地図があるから。でもここでありがとうバイバイは絶対にだめな気がした。
「その、君が良ければ、裏口まで案内してくれるかな……レティシアさん」
「ハイ!」
バギーは二人乗りだ。後部は荷台になっていて、簡単な気密区画になっている。温度変化も抑えることができる構造で、元々は地球の月のような環境で活動するための車だ。
地上での一般使用のため、最低限の安全装置を付けただけ。女の子と乗ってもあまり格好は付かないのだ。その助手席にレティシアをエスコートしてアカリも運転席に座った。
「すまないね。持ち場を離れされてしまって」
「良いですよ。もう皆スタートして、帰ってくるのは夕方くらいですから」
「何のイベントなんだっけ」
「マラソンです。横の湖を一周するの」
「元気だね~」
マラソンというと、確か一般人なら完走に四時間くらい掛かるのだったか。夕方くらいの帰りということは、少し多めにタイム設定をしているのだろうが、果たしてこの大きい湖一周が一桁時間くらいのオーダーで可能なのだろうか。主催者側の人間が言っているのだから可能なのだろう。
「出すよ」
バギーをゆっくり進める。
「なんか変わった車ですね」
「宇宙用だからね」
「ウチュウ?」
「うん」
宇宙時代になっても、すべての人にとって宇宙が身近になったわけではない。遠い惑星は遠い外国の感覚。行くことはできるが行く必要もない。おそらくレティシアも急に宇宙要素が来て理解できていないのだ。
「ところでイチゴの人さん。名前まだ聞いてなかった」
「イチゴの人って。そうだね、僕はアカリ=ヴェッソー、宇宙の配達屋さんだよ」
「アカリさん……」
「ちょっと言いにくいよね」
「そんな事無いです、素敵です」
裏口が見えてきた。
車でスタジアムを半周する程度の時間では、「ご趣味は?」まで到達できず。案内らしい案内も必要とせず。
「ここです。着きました」
搬入口に付けると、アカリはすぐに降りて荷台から次々に弁当を運び出す。レティシアの所には人が来ていた。
「お疲れさま、レティシア」
「マリーも」
「意外と早かったね?アイの報告の内容じゃもう少し時間が掛かるみたいなだったけど。あのかっこいいお兄さんと話し込んでくるのかと」
「ええ!?そんなんじゃないよ。ちょっと知り合いで……」
「はい、終わりました。確認して下さい」
レティシアは友人たちと今日の大会運営にボランティアとして参加していた。
ここの担当はマリーと呼ばれた女性だ。
お弁当は昨年メイン食材の種類でかなり揉めたらしく、だから今年は全部同じなのだという。数を数えるのも楽でいい。
「はい、注文通りです。ご苦労様でした」
「じゃあ僕はこれで。レティシアさん、今日はありがとう」
「あ、はい。アカリさんもご苦労様でした」
「ここのお弁当は宇宙港でも有名でね、凄くおいしいから、お昼が楽しみだね。それじゃあね」
そう言ってアカリは初めて逢った日の時のように、あっさりと去っていってしまうのだった。
「あのお兄さん、格好良かったね~」
「ええっ!」
「姿勢がシャンとしてるね、うん。あれ?レティシアちゃん焦った?取られちゃうと思った?」
何はしゃいでるんだこの子。レティシアはちょっとイラっとした。
「……そういうのではない」
「大学にはなかなかいないから、ああいう人。軍人さんかな?」
「えっ……」
アカリは配送センターに戻ってきた。
「お帰り~。どうだった?」
「時間通り運んできたよ、問題なし。受領書は届いてる?」
主任はディスプレイの進捗表を確認する。
「……うん、来てるよ。ご苦労さん、アカリ君は今日はこれで終わりかな」
「まだ昼過ぎだよ?」
「航宙機使っちゃったからね。経費的問題で、これ以上は働かせられないの」
地上と宇宙では考え方が異なるのかと、よくわからないなりに納得する。
数をこなさねばならない宅配業ではアカリのように単価の高い人員に高い機材をしょっちゅう使われても困るのだ。
「帰っていいなら、帰るけど。……家に帰ってもやることないんだよな」




